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俳優:岩崎秀夫の素顔

  • 著名な政治アナリストである伊藤惇夫氏と私。
    私の好きなスケッチです。

Thursday, 02 May 2019

タレント養成講座

 

興味のある方は、メールでもいただければご連絡を差し上げます。お願いいたします。但し、一度当社の事務所に登録できることが条件です。また、登録料等別途にかかることをご理解ください。

将来、タレント希望受講生(15歳以上)
:芸能事務所:「アイ・オフィス」支援。(但し、事前選考試験有・20歳未満の方は、親の同意書必要)、中高年の受講生も大いに歓迎します!
 お気軽にお問い合わせ下さい。

PCメール: i-int.l-association@nifty.com

「少しの勇気で芸能界の扉を叩いてみませんか。」

 

 

Saturday, 02 February 2019

私の思い出

<秋>
僕の部屋に秋の木漏れ日が差し込む
あの頃の学生時代が思い出される
授業が終わったあと、君と二人きり教室に
君は「あなた」を歌い、僕が聞いていたね

君と夕闇の中を階段を一段々々降りる途中
僕の肩が君の肩に軽く触れ
言葉を言わずに君を強く抱きしめたい気持ちでした
でも、何もせず暗闇になかで別れましたね

卒業式の日、君に一言何かを言おうとしたが
隣に男性がいたので言葉を失ってしまった

あれから20年以上の月日が過ぎたある日
新宿の私鉄沿線の中で突然、君と再会したね
最初は君とは分からなかった

じっと見つめ合い、それから
一言、お互いに名前を交わしただけで
続きの言葉を探したが見つからず
彼女が下りた駅の扉が無情にも静かに閉まりました

神様のいたずらなのか
そのような再会ならしたくなかった
僕らの青春の日々よ
さようなら
ほんとうにさようなら
サヨウナラーーーーーー
(2002年10月14日の落書き帳から)

(続く)

Wednesday, 23 January 2019

とにかくいろいろなオーディションが増えています。

 

 

興味のある方は、メールでもいただければご連絡を差し上げます。お願いいたします。但し、一度当社の事務所に登録できることが条件です。また、登録料等別途にかかることをご理解ください。

 

タレント養成講座 

 

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(アイ・オフィス)

Sunday, 30 September 2018

私の青春時代

この度プログヘ私の気の向くまま書き込みをしてゆこうと思います。とりあえず、興味のある方は、私の芸能人公式ホームページをご覧いただければ幸いです。

http://homepage3.nifty.com/I-I-A-JAPAN/)

私が60年生きてきたが、最近「自分の生きざま」について考えてみると、どうしても大学時代のいろいろの場面が脳裏をよぎります。
私は、2つの大学を入学し、ひとつは卒業しました。最初の大学は、東京の中央大学で私は、高校ごろから世界の歴史が好きになり、20世紀の歴史学の巨人と言われる英国の歴史家アーノルド・トインビーや大哲学者シュペングラーから大きな影響を受け、その大学で西欧の歴史学を専攻しました。当時、中央大学史学部は、定員数の約50倍の受験希望者で難関といわれていました。
なぜ私が、その大学を選んだかといえばよい就職先の会社へ入りたいためではなく、その大学に歴史学で有名な教授が在籍していたからなのです。今の大学進学者の方は、大学は学問の場であるとの認識があまりなく優良会社へ就職するためのワンステップと思っている方が多いのではないかと推測いたします。東京大学や早稲田大学や慶応大学へ入れば、将来が決まったように思っていることでしょう。残念ながら、どの大学に入学しても入ったあとは「遊ぶ」ことに専念してしまうということです。
そのような現状であれば、どの大学の学生でもみな同じレベルになってしまうのです。残念ながら、「学問勉学」する学生さんが大変少ないのが趨勢に思われます。私自身、いくつかの大学で教壇に立った経験がありますが、多くの学生さんはあまり勉学に取り組むことが少ないように思われました。
私自身、先ほども申し上げましたように、私は、著名な教授がいれば、どの大学でもよかったのです。勿論、私もあまり勉学をしませんでしたが、できる限りいろいろなことに問題意識を持ち、できる限り図書館へ通ったものでした。
ところで、私の大学生時代は、1970年代で大学紛争がまだ激しい時代で、教室で授業を受けていると、突然過激派の学生さんたちがなだれ込んで、われわれノンポリの学生は、教室から出ることができない状態になり、恐怖にさらされました。結局、授業があるときに大学に行っても大学が閉鎖になって(図書館は開館していましたが)授業にならなく、掲示板にはいつも「レポートを提出すること」と書いてありました。毎日が自宅待機と図書館通いで私自身大学に対して魅力を感じなくなり、最終的には1年で大学を自己退学しました。
次に退学後、2年間ほど社会で働いていましたが、どうしても大学に戻りもう一度勉強をしてみたい気持ちが続き、2年後に学園紛争のない静かな大学がないか書店でいろいろな大学の案内書を見ていると「獨協大学」の案内書が目に止まり、埼玉まで入学試験に行きました。獨協大学だけ受験し、もしこの大学で不合格になったらもう大学を辞めようと思いましたが、幸運にも入学が許可されました。
今でも覚えていますが、その入学許可書を亡き父の墓前に添えたこと。父について少しお話をしますと、父は栃木県で農業に従事してましたが、父の母が他界してから東京へ出て、父は叔父を頼って叔父が経営していた印刷会社で働き始めたとのことです。母と結婚をし何年かして自分で印刷会社を経営するようになり、われわれ兄弟が生まれました。
父は,寡黙な人で仕事を黙々と毎日朝早くから夜遅くまで仕事をしていました。私の脳裏には、父がいつも仕事場にいる記憶しかありません。
話が父のことで深入りそうなので本題の私自身の話へ戻ると、昼間は、授業と図書館かよいで夜は生活のために東京で喫茶店のウェイターのアルバイトをしていました。毎日がめまぐるしく過ぎてゆき、自分自身の存在が消えそうになりました。図書館で机に向かっているときやふとその窓から見える外界の景色を見ているとき一瞬の存在感を感じたものでした。

時のたつのは早いもので、入学して1年生のとき私の人生での大きな節目に出会ったのです。私は、そのころ、このまま大学を卒業するのは、あまりに意味がないように感じ何か自分でできるものはないかと模索していたのです。
どこでかは忘れましたが、あるポスターが目に留まったのです。文部省の管轄のJYVA(日本奉仕協会)主催の「夏の国内ボランティアー活動に参加しませんか?」とかいう趣旨のもので場所は、全国指定の施設がある、宿泊費、食事代、交通費等すべて支給。私は、旅行気分のつもりで九州の佐賀にある老人ホームに40日ほど滞在しました。その前に事前研修があり何人かの人と同じ派遣先になり私がリーダーに指名されてしまいました。私の提案の「老人ホームと地域住民との架け橋」というテーマで行くことになりました。現地に着くと、早速施設の職員の方が車で駅まで迎えていただき、私にとって生まれて始めてその施設に訪れたのです。
そこでの生活は、私にとって一生忘れることができない体験になったのです。
最初に「テーマに基づい何をすればよいのか」私には見当がつかなかったのです。主催のJYVAでは、特に何も指示されなかったのです。つまり、自分で主体的に考えて行動することが、このプログラムのねらいであったように思われました。また、私自身リーダーを指名されましたので、ほかの数名の仲間に指示をしなければと思ったのです。結局、次のような活動をしたのでした。つまり、地域の住民の方々方への「にこにこ新聞」の発行、それの地域の方への配布、人形劇の制作、開催。その他いろいろの活動を通じて、地域とホームの橋渡しができたのではないかと信じています。
そこの施設での自作の詩
「昨年の春、僕が遊びに行くと必ずおじいちゃんおばあちゃんが笑顔で迎えてくれました。
しわくちゃの手で一生懸命に針仕事をしているおばあちゃん、その部屋で僕がふと見ると、おばあちゃんの孫の写真、
いまは、そのおばあちゃんは、もういない
僕はひとり施設の納骨堂の前で涙する。」

大学生の2・3年生と2年間にわたり同じ場所に伺ったのですが、3年生の時に再伺ったときには、残念ながら多くの知りあったご年配の方々が、すでに他界していたのです。人間の命のはかなさを感じるとともに出会いの時間の大切さを痛切に感じた次第です。
それから、私自身で「留学生の日本での家庭滞在プロジェクト」を立ち上げたのです。(私の立ち上げたその組織のパンフレットは、ココログのフォト欄でご覧いただけます。)
多くの方々の協力のもとに、実施できました。例えば、東北の花巻市の方、四日市・尾鷲市のホームスティーの方々、また、留学生に呼びかけていただいた京都大学、名古屋大学早稲田大学その他の大学の留学生課の担当者の方々の協力の下に私の構想でありました「留学生の日本での家庭滞在」が数年間続いたのです。

Thursday, 20 September 2018

つぶやき

毎日が無意識に過ぎてゆく。これでいいのであろうか?自分が生きてきた何かをこの世に残してゆけれいいのであるが、それを探し続けて半世紀ーーーー。
別に残してゆかなくてもいいのであるが、僕自身が自意識過剰なのであろうか?どうせ死が迎えに来るのであるならば、自分が生きている間の証を後世に少しでも残して行ければ、ボクは自身うれしい。
では、何があるかと言えば何もない。これからも自分探しの旅が続くのである

多くの人々は、それを考えているのであろうが、実現させる時間がないとか、能力がないというかもしれない。それはある意味で自己逃避であり、自分の中の容量を内省しないようにしていると思われる。もし、それぞれの人が、それの実現化に向かって邁進していれば、世界は、現在のそれとは別な世界が開けたのでなかったのでないかと確信する。ある意味で、現在の文化が変わったのではないかと思われます。人間は、確実に死を迎える。それを十分意識して、現在生きている自分を内相することである。
人間の死を迎える姿は、あまりにも明快であるように思われる。父の静止した姿、母の微塵にも身動きしない姿、叔父の苦しい後に迎えた固定の姿。あまりにも単純明快な姿であった。私の病院での情景が思い出される。食堂に無気力に見える高齢者の姿が多数あった。彼らは、食堂のテーブルの椅子に腰かけ食事を置かれるのをただ待つのみの姿がそこにあった。隣との方との会話を交わすでもなく、ただ自分の前のテーブルのスペース内に頭をうずめ、そこでの空気と同化しているようであった。
 人間の生きざまがどんなに素晴らしい業績を残したとしても何なのであろうか?いやそんなことはない。むしろ、人間の生命が限られているからこそ、何かを後世の人間に残すことは、自然の流れである。
人間の寿命は、生命力の問題であり、年とは関係ない。生まれてすぐに死を迎える人もいれば、高齢でも元気な人もいる。いや、生命力のいう言葉では言い表せない何かの宿命を持ったものだと思われる。つまり、人間は一人一人がそれぞれの勤めがあるように思うのである。金持ちの金持ちでない人も公平に死が迎えに来るのである。金持ちは金持ちの勤めがあり、金持ちでない人もこの世でやるべきものがある。
また、それぞれにやるべき才能が神から(存在を信じているならば)拝受されているのであれば、それをやればいいのである。但し、その存在に気付いてる人が何人いるのであろうか。あるものに傾倒する人は、それだけで才能という器の人だと世間の人は言うかも知れない。しかしながら、たいていの場合その夢中になって何かをしているひとはそのことに気がついていないのであろう。才能とは、本人自身が後で気付くことなのでしょう。


(追記は後日に書こう)

Monday, 04 June 2018

速報!!!

KADOKAWAのザ・テレビジョンのサイトhttps://thev.jp/

芸能プロダクション「アイ・オフィス:岩崎秀夫」のプロフィール等が掲載されることになりました!!!
i-int.l-association@nifty.com
Tel:090-1106-6293

メールかラインでもよろしかったらお願いいたします。
但し、いたずらメール・ラインはお断りいたしますのでよろしくお願いいたします。


請うご期待下さい!!!

ザ・テレビジョンは、番組情報・エンタメ情報が満載です。

サイト全体で約270万PV/月です。

映像・タレントなどエンタメ好きなユーザーを中心に幅広い層がアクセスしています。

テレビ&エンタメのニュースなら、NO.1情報誌のザテレビジョン。

人気タレントの連載が充実です。

Thursday, 22 March 2018

私の研究ノートです。

*この文章の中には、図像等が省略されています。なぜならば、このブログでは掲載ができないのです。ご了承ください。
*この論述については、ある学会で発表しましたところ自分の専門外の研究は慎むべきとのご意見を諸先生方から頂きましたが、私自身どうしてもこのテーマを自分なりに研究したいので、このようなブログの欄をお借りして記述しています。これからもこのテーマを継続する所存ですので、興味のある方は、引き続きご購読をお願い申し上げます。最近修正と新規の資料を加筆しました。

 

人類は、ウイルスに対抗できるのか?
 
先住民族から学ぶ知恵とは?
What is the wisdom of native people against the virus?

Abstract

 I would like to investigate the cause of the SARS & the New-style-influenza(注1) by virus(pathogen), and analyze the effect over the human history from the historical, pathological, immunological, ecological viewpoints. Also, I intend to expound the virus structure. I look over human beings susceptible to the virus, and, as a result of the virus being damage to us, a number of civilizations and indigenous habitants disappeared from the earthSumerians, Aztec Indians, Alexander the great, Amerindians, Inca Empire, Indians, Roman Empire etc.. In connection with virus, I grove into the reasons it had been exterminated. Therefore, I couldn’t help but researching to focus on the immunity function. Genetically, humankind did not have the resistance against any virus. Additionally, according to Rachel Carson, as a marine biologist, we can only be resistant to different virus (environment) to take hundreds or even thousands of years comparing with very short terms of virus. (注2) 
Can we, Homo sapiens, find out the surviving way in future?
We may resist the virus and overcome it through native people’s wisdom to cope with the virus.

Key words:世界的感染worldly contamination, overpopulation,人口過剰,
ウイルスvirus

1.現状と問題定義

人間の歴史が人間同士から作られたのでなく、その時代の自然現象やその時のウイルスの感染が、歴史と歴史の転換期に大きな影響を与え、世界史(人類史含)を形成したのではないのか,また人類はそのウイルスを撲滅できるのかの仮説に立って、これから自然現象と感染症の一つである最近の(2010年前後)SARS/新型インフルエンザ」を通じて考えることから始めることが重要である。それらウイルス病原体(pathogen)について考察を試み世界に与えた影響と波及効果を環境歴史学の立場から論述する次第である。
 
 (図-1)によれば、インフルエンザ感染者数・死亡率では2000年から南北アメリカ地域がトップであること、症例数では2009731日までと20091122日までの累積ではトップで変動せず、2位がヨーロッパ地域であること、また2009年の症例数では2位が西太平洋地域でヨーロッパの症例数を超えている。
(
図―1)新型インフルエンザによる世界的被害のデータの紹介(注3)

3.先行研究の考察
 
最初に、細菌とウイルスとの厳密な違いから述べる。
 
細菌は、他の細胞がなくても自分と同じ子どもを増やせる微生物である。つまり、動物の体内で種々の毒を生産し、動物の細胞の働きを止めたり細胞を殺したりする。自分で生きることができるのである他方、ウイルスは、動物の体内に入り、細胞の助けを借りて増殖する。つまり、ウイルス粒子が別の細胞に連鎖的に感染させるのである。この違いを把握した上で以下の考察を進める。ウイルスは、自分では生きることができない(4)

以上の相違がありますが、この研究論文では「ウイルス」に焦点を当てて論述する。

近年いろいろな形で世界中の人々を悩ませ始めた「鳥や豚のインフルエンザ」の出現、また最近話題になっています「SARS」「コロナウイルス」は、別に新たに出現したものではなく, そのウイルス原形質はすでに人類が誕生するずっと前からこの地球上に存在していたのであって、ただその原形質が何かの弾みに変形してそのような姿で現れたのに過ぎないのである。事実、45億年前の地球誕生からウイルスの世界最古の微生物の化石は、南アフリカやオーストラリアの35億年前の地層から見つかっているのだ。生命ある物と呼ぶことのできる最初の対象は、ウイルスなのである。原始人より恐竜より始祖鳥より古く地球上の大先輩なのである。但し、それが地球で生まれたのか、または別の惑星から飛来したのかについては、いまだに解明されてないのである。また、更に言えることは、細菌は他の生き物に依存することなく自分で子孫を作る能力があるので、地球で最初に誕生した生物といえるのであり、次にウイルスは他の生物に依存して生きるので、次に誕生したと言えるのである。つまり、動植物が誕生してからウイルスが発生したのである。そして、麻疹・結核・ペスト・マラリア・インフルエンザその他の感染するウイルスは本来的には同種類のものである。(注5)それらのウイルスは、原形質である病原体が環境・気候・人口密度の程度その他の要因によって変異(MUTATION)した変異体に過ぎないのである。

ウイルスの解明のために、(1)ウイルスの発生する地域とそこに住んでいる人々の血液型との関連性、(2)気候と疾病との関連性、(3)各種ウイルスの発生源と赤道線上の範囲の関連性(4)世界的温暖化がウイルスの温床になる現状を明らかにすることが極めて重要である。

(1)ウイルス発生地域と血液型との関連性(注6)

次のそれぞれの地図は、血液型による分布図です。

(図―2)A型の血液型の分布図

(図―3)B型の血液型の分布図

(図―4)O型の血液型の分布図

(出典:海外移住と血液型分布の世界地図)

白血球の中のリンパ球の割合で血液型が決まると言われている。また、ウイルスに対して人間の免疫力が高い順番の血液型は、O>B>A>ABである。次に血液型別にかかりやすい、またはかかりにくいとされている病気を紹介しよう。

(図―5)

                             
 

血液型

 
 

かかりやすい主な病気

 
 

かかりにくい主な病気

 
 

A type

 
 

天然痘、肺結核、マラリア

 

ノロウィルス感染

 

各種ガン

 
 

ペスト

 

 

 

 

 
 

B type

 
 

肺結核、肺炎

 

インフルエンザ【A1型】

 

フィラリア

 
 

天然痘

 

 

 

 

 
 

O  type

 
 

コレラ、ペスト

 

病原性大腸炎

 

インフルエンザ【A2型】

 
 

梅毒、天然痘、肺結核、

 

各種ガン

 

悪性貧血

 
 

AB type

 
 

梅毒、天然痘

 

肺炎

 

インフルエンザ【A1型】

 
 

コレラ

 

フィラリア

 

ノロウィルス感染

 

(著者が作成)

ウイルス類は、ABO式の血液型物質を持っていて、中でも多いのはA型血液物質ある。A型の人は、自らを攻撃しないようにA型血液物質に対する抗体を持っていない。それゆえに、B型やO型に比べて病気にかかりやすいと言われている。また、米国先住民の90%がO型であったので、コロンブス一行が、ヨーロッパから「梅毒」持ち込んだ時、梅毒に強いO型の住民が生き残ったと言われている。また、南米で流行していたノロウィルスは、O型の血液物質を好むのである。(注7)

(2) 気候と疾病との関連性
疾病は、気候との関連性、特に気温と降水量の多様化から、世界の地域ではライム病,黄熱、ペスト、鳥インフルエンザなどが大発生する恐れがあると言われている。これらの他にもバベシア症、コレラ、エボラ出血熱、アフリカ睡眠病、結核である。

この地図で注目されるのは、東西へのvertical axis(横軸)の範囲に限定されることである。
(
図―6)世界的なペスト・ラッサ熱の感染地域の分布(注8)

   
(
図―7)結核分布の世界地図(注9)

(3) 各種ウイルスの発生源と赤道線上の範囲の関連性

(図―8,9)から理解できることは、赤道近辺でいろいろのウイルスが発生していることである。赤道緯度北30度と南30℃の間は、荒涼の砂漠地帯であるアフリカ中部のみであり、アジア地域・中央アメリカ等では年間降雨量が高く、それらの地域ではウイルスの発生地域との関連性が明らかである。それらウイルスの発生範囲は、世界の気候区分の観点からは「赤道気候」「熱帯気候」「モンスーン気候」の3地域にあること、但し、アメリカ大陸での範囲は、無視します。なぜならば、本来アメリカ大陸では、ライム病・黄熱その他のウイルスが存在してなかったのである。

(図―8)世界地域の年間降雨量と世界のウイルスとの発生地域との関連表(注10)

図―9)世界地域の年間降雨量と世界のウイルスとの発生地域との関連表(注11)

 (4)世界的温暖化の現状(注12)

A)酸欠の海

海の酸欠状態は、世界的に広がっている。世界中で400以上の酸欠海域がある。特に、酸欠海域は北米とヨーロッパあり、最大規模はバルト海とメキシコ湾が指摘される。この酸欠の原因は、海藻の異常発生であり、その腐敗物の栄養分をバクテリアが食べるために異常発生して、海中の酸素を多量に消費することによって、海中の生物またそれを餌とする魚類が必要な酸素が得られず窒息死する。

B)洪水に見舞われる世界

海水温の上昇に伴う海水の膨張により、多量の水が海に流れ込むことである。今後100年間で海面が1.4m上昇する可能性があると2009年のIPCC(政府間パネル)で報告している。過去6000年間の平均海面上昇率が年間約0.5mmであったが、1900年以降年間1~2.5mmの上昇傾向にあり、特に温暖化の影響で氷床融解が深刻化している。もし、1mの上昇があると、バングラデシュの20%、オランダ全土の6%が海中に沈む。また、グリーンランド氷床が融解すると、世界の海面が7m上昇し人類にとって住める場所の確保が難しくなる可能性がある。つまり、地球の温暖化がこのまま進んでゆくと海抜の低い国々は水没し、世界の主要な沿岸都市の多くが海中に沈んでしまう危険性がある。

(C)海の酸性化
 
元来、海は弱アルカリ性であり、人間活動から生まれる二酸化炭素は海中に入ると化学変化を起こし、海水の酸性化が起こるのである。本来、海水のアルカリ性であることは、サンゴやプランクトンには必要なことであるのみならずウイルスにとっても必要不可欠ことであり、酸性化によりサンゴ・プランクトン・ウイルスのみならず海洋生態系全体に深刻な影響を与えることが懸念されている。つまり、酸性化により炭酸カルシウムの殻を形成する(炭酸塩の殻)ことができなくなったプランクトンは、原生動物に捕食され減少し、植物連鎖が崩れるのである。また、プランクトンが他の生き物に与えていた酸素が減少し、最終的には魚類に大きな影響を与え、深刻な影響を我々にも波及されるのである。つまり、魚を主食している民族にとって魚類を食べる機会が失われる時代が近い将来到来するのは確実である。以上の(A~C)は、地球の温暖化により引き起こされていることである。
 
 ここで忘れてはならないことは、地球で最初の生物であるウイルスが存在していたという事実は、当時弱アルカリ性の海が存在していたのではないか想像するのである。ところで、その病原体ウイルスは、いつの時代でも何かの引き金で、おとなしくしていたものが目覚め人間界のみならず、その他の動植物に悪さをするのである。大変興味のある指摘をしていることがある。今世紀に出現したウイルスのほとんどは、森や草原の開発を契機にさまよい出てきたウイルスたちによると言われている(注13)

 

                                             
 

20世紀に出現した主なウイルス性の出血熱  

 
 

韓国出血熱

 
 

1930年代、日本軍の満州進出時に最初の記録。1978年に原因となるウイルスをネズミの体内から発見  

 
 

クリミヤ・コンゴ出血熱

 
 

1960年代にアフリカのコンゴとウガンダで発見。第二次世界大戦後、現在のウクライナの森林や草原の農地転換後に出現した病気も同じ物と判明。  

 
 

デング出血熱

 
 

もtもとは生命に危険のある病気ではなかったが、1950年ころから出血熱に移行する患者が出始めた。  

 
 

ボリビヤ出血熱

 
 

1940-50年に初の患者が発生、52年にウイルスを認知。感染源はネズミで、生態系の破壊が引き金となった。  

 
 

アルゼンチン出血熱

 
 

1940-50年代、森林やサバンナの開拓などによって繁殖した野ネズミが仲介。58年にブエノスアイレスでウイルスを発見  

 
 

マールブルク出血熱

 
 

1967年、西ドイツでミドリザルから腎細胞培養に関与した実験syたち実験者たちが発病。  

 
 

ラッサ熱

 
 

1969年、ナイジェリヤ、リベリヤなどで流行

 
 

エボラ出血熱

 
 

1976年、スーダンとザイールで流行。95年ザイールで4度目の大流行を起こした。

 
 

リフト渓谷熱

 
 

1977年、エジプトのアスワン地方で始めて人間に流行。ダムの建設がきっかけ。蚊が媒介する。

 
 

ベネズエラ出血熱

 
 

1990-91年にかけて104名の患者を確認。おもにベネズエラの農村地帯でネズミが媒介。  

 
 

ニューハンター・ウイルス出血熱

 
 

1993-94年にかけて大流行。

 

 

 

今回のインフルエンザのウイルスもある程度の猛威を振るったときに、人類が抗生物質で攻撃したとき、一時的に鎮静化したのであるが、直後にリバウンドして以前より強くなり、多くの人々を悩ませたのである。そして、また沈静化して元の鞘に収まるのである。それは、いわゆる「病原体(protozoa)」であるが、大昔から存在していたもので地球の歴史では常に「あるリズム」をとって現われては隠れ(死滅では決してなく)、隠れては現れる繰り返しをしているのです。そのリズムの規則性は、いまだ解明されていない。

リズムの規則性についての一つの分析として、歴史家ウィリアム・マクニールによると疫病の周期的消長:感染症と人口集団の相互関係は次のようなサイクルを描くと述べている。これは、一般に疫学的に認められている最も単純なモデルである(注14)。つまり、(1)人口密度の上昇、→(2)人口密度が臨界点に達する、→(3)感染症の過剰感染、→(4)人口の急激な減少、であり、(4)から(1)へとサイクルが繰り返されることである。
 
 文明そのものが独自の感染症の伝染様式を発達させ、それらの感染症を貯蔵し、感染症の定期的な流行を通して人口集団に対して免疫機構を付与したという。彼は、文明はそのような感染のメカニズムを社会制度としても確立したという。これは次の二つの現象が同一の文明圏内で発達した結果であるとされる。

1)中間宿主を必要としない感染症の誕生

 文明圏が誕生する以前の小集団社会において、病原寄生体による感染症が維持されてゆくためには中間宿主が必要であった。しかし、人口密度がある一定の数に達すると、直接人間どうしが感染しあい、中間宿主を必要としない病原生物――この場合はバクテリアとウイルスが主となる――が引き起こす疾病が優勢になる。これは人口密度の上昇によって直接感染する病気の伝搬効率が、中間宿主を介する病気の伝搬効率を上回るからであり、このような現象は都市生活に伴って新しく生じたものと考えられる。

2)「ミクロ寄生」と「マクロ寄生」

 ミクロ寄生とは人間に感染する病原性生物がもつ本来の寄生の様式である。それに対してマクロ寄生は社会における一種の搾取メカニズム、例えば軍事組織などをさす。人間に寄生するウイルスや昆虫は身体に寄生することを通して人間の生存を脅かすが、マクロ寄生も人体の外部から経済的搾取や侵略などを通してそれと同じ効果をもたらすからである。ミクロ寄生という通常の感染現象以外に、マクロ寄生という類似のメカニズムを想定することによって、ミクロとマクロの寄生が競争的にあるいは相互補完的に、人口集団の成長に影響を与えていると考える。

 成立したての農耕社会は、外部の武力による略奪に抵抗の術をもたなかったが、余剰生産物の蓄積によって、農耕社会が武力集団を一定の割合で雇うことができるようになり、外部からの権力に対抗することができるようになった。マクニールは、これを農耕社会が外部に対して一定の抵抗力、すなわち「免疫」を確保するようになったと考える。自分の文明圏の軍隊は他の文明圏の軍隊が持ち込む感染症(ミクロ寄生)から防衛はしてくれるが、軍隊はその社会における余剰生産を食いつぶすマクロ寄生体そのものである。

 このように文明は新しいタイプの感染の様式をつくり出し、その感染症を圏内に維持し圏外からの感染症に対して疫学的ならびに社会的に防衛する広義の「免疫」メカニズムを発達させた。農耕化に伴う感染症からの危機を、文明圏をつくることで人類は病気と独自の共存関係をつくりあげた。マクニールはこのような文明の領域を「文明化した疾病の供給源」(Civilized Disease Pool)と呼んだ。

ところで、これらのウイルスは、もしかすると地球外から持ち込まれたのではないかと大胆な推測するのです。つまり、「天から光線が落ちてきた後、多くの人々が何かのウイルス(VIRUS)で死んでいった」と旧約聖書に明記されているのです。(注15)但し、それについては、今後の課題にしたい。

環境歴史学の視点から「疫病の菌」が、いかに世界の歴史を変えていったのかいくつかの事例を列挙しよう。

「ウイルス疫病」による世界史の変革をした事例

(事例―1)

「南米のアステカ・インカ両文明滅亡」

スペイン人たちが僅かな装備と少数の兵隊できわめて短期間にアステカならびにインカという二つの大きな新大陸文明を滅ぼしたことができたのは、武力によってではなく、この持ち込まれた疫病によってである。新大陸の征服戦争はウイルス戦争であり、極端な一方通行の疾病の交換であった。新大陸に持ち込まれた感染症は、天然痘、麻疹(はしか)、ジフテリア、百日咳、水痘、腺ペスト、発疹チフス、インフルエンザ、コレラ、デング熱、トラコーマなどであり、後には奴隷貿易の黒人を介してマラリアと黄熱病が持ち込まれた。つまり、アステカ・インカの原住民は、それらのウイルスに対する免疫力がなかったのである。

 

(事例―2)

「北米のアメリカン・インディアン先住民の全滅」

南北両アメリカ大陸へのヨーロッパ人の植民は、人類が経験したおそらく最後で最大の疾病の交換であった。とくに新大陸の先住民が感染症から受けた衝撃は大きかった。この理由は明らかである。モンゴロイドが到達した一万数千年前から十六世紀にいたるまでこの大陸はユーラシアから隔離された大陸であったこと。また中央アメリカを中心に拡がっていたメソアメリカと南米のペルーを中心とする文明を除けば、人口が集中していた巨大な都市が存在しなかったことである。ヨーロッパの植民者がやってくる以前には、新大陸では広範囲に流行病が蔓延したという歴史的資料はなく、また先住民の神話や説話にも疫病の流行というテーマやエピソードは見つからない。つまり同じ時期にユーラシアの人びとが体験していた強度の感染をくり返し受け、人口が激減するという経験を十六世紀以前の新大陸の先住民はもたなかった。

(事例―3)

「マケドニアのアレクサンダー大王の世界征服の崩壊」

アレクサンダー大王の率いる軍勢は、アジアのインドから東側の征服を意図して、インドへの道へ入るには、どうしてもインダス川を渡らなければならなかったのですが、インダス川を渡る前で、多くの彼の兵士が原因不明の病の倒れたのでした。その原因は、ウイルス感染といわれています。

前述の事例の1~3以外にも数え上げればきりがないほど、すべてがウイルスにより引き起こされた現象なのである。最近の事例「第一次世界大戦」があり(注16)、特にその弊害を受けている世界の先住民族あり、新型インフルエンザのほかにも、外来病によってこれまでに数多くの先住民族の文化を滅ぼしてきた。15世紀にヨーロッパから南北アメリカ大陸に持ち込まれた麻疹(はしか)と天然痘は多数の先住民族の人口を壊滅的に減少させた。また、2008年に「Emerging Infectious Diseases」誌に発表された研究によると、1918年のスペインかぜの大流行では、先住民の間での拡大が特に顕著だった。以上から言えることは、ウイルスが人類の歴史、広く言えば地球の歴史を作り上げたといっても過言ではないのである。

 他方では、前述の先住民の本来持っている感染症が侵略人であるヨーロッパ人へ何故伝播しなったのであろうか、またウイルスの種類の強弱の違いであろうかの疑問は残る。

ところで、「ウイルス(疫病)」の源流が中国(注17)であることがわかるのと同時に疫病は決して中世に始まったことではなく、もっと古くから存在していたことが証明されている。そして、疫病がばら撒かれ(つまり天然痘)がA.D.165~180にかけて出現して数百万のローマ人が死亡したと記録P 205、「Guns ,Germs, and Steel written by Jared Diamond」)にあり、つまり、ローマ人が荒廃し、ローマ帝国が、滅亡した理由が異民族の侵入によるのではなく、まず「疫病」によって荒廃したことである。

 ウイルスの顕著な事例として「中世西欧世界」を取り上げることは、ウイルスの理解には必要である。中世ヨーロッパの病原菌は、「ペスト」という名で普及していたのである。その当時の病原菌であるペストを考察していくと、疫病の原因であるペストを通じて中世期最大の出来事であるCrusade Movement(十字軍の動向)・La Inquisicion(異端審問論争)・La sorciere(魔女の登場)などの本当の姿が見えてくるのである。西欧中世は、約1000年の長いスパンがある。ローマ帝国が終焉して(すべての意味ではA.D.430年)東ローマ帝国の滅亡(1453年)の期間であるが、いろいろな出来事が錯綜していた中で、「疫病」、中世期では「黒死病」という変形を通じて引き起こされた出来事ほど、当時の住民に深い影響を与えたものはないと言えるのではないだろうか。また、忘れてはならないことは、「黒死病とユダヤ人の迫害」、つまりキリスト教徒による異端迫害運動との関連性も重要なことである。そして、「魔女の存在性と迫害」の問題にも言及する深遠な問題なのである。また、ペストの発生・利用に「キリスト教」の果たした役割は大変大きく、それらを土台に飛躍的に発展した事実のプロセスが理解されるのである。仮説として、キリスト教徒は、そのペスト菌の効用を熟知していて、勢力拡大のため、それ(疫病)を利用してのではないかと大胆な推測するのである。また、ローマ帝国の滅亡を招いたのは、キリスト教徒の綿密な策略によったのではないかとも推測される。しかしながら、それについては今後の研究の課題にしたい。

ところで、中世のペスト発生の環境の温存の様子を描写することは重要である。

ZIEGLERが中世の衛生管理について、描写をしている個所がある。「黒死病」の発生を知る一つの手がかりになる。(注18)

「個人のプライバシは存在しなく、中世の堅牢な城でさえ、プライバシはなく群衆で混雑していました。貧しい家屋では、ベッドなどの寝具は存在しなく同じ部屋の床の上で何人もの人々が寝る状態が普通でありました。都市のみならず農村でも、動物(ブタ、ニワトリ、仔馬)と寝床を一緒にしていたのです。道は、両側の険しい家屋の壁が先端で重なるところで2匹の仔馬がかろうじて通れる曲がりくねった道であり、そのために昼間でも光を遮るところでありました。道は、道でもまるで排水路と言った方が適切であるように泥と悪臭が漂っていた状態でした。元気な若い女中が上階の窓から通行人の上に便器の中の汚物を落としました。さらに悪いことに環境としてその道の空気は生暖かくそして不衛生であり、しかしながら、その環境は「ネズミ」にとって理想的なものでした。」

以上の記事を通じて、衛生管理がいかに悪かったことが理解されると思われる。当然そのような衛生の悪さが、具体的には都市の下水道設備の欠落がペスト菌の温存に大いに寄与するのが想像されるのである。

ところで、ペスト菌は、本来中国大陸で発生したものと言われているが、何故に中国からユーラシア大陸全域に伝播したかは、モンゴル帝国の果たした役割を見逃すわけにはいかない。つまり、ユーラシア大陸全般の疾病の交換に寄与したのは、遊牧民の大規模な移動である。疾病文明圏が確立して以降、遊牧民が文明圏の住民に劣らない高い免疫能力を次第に獲得していき、病気の運搬者としての機能を果たすようになったからである。特に地球レベルでの感染症の拡散に貢献したのが十三世紀から十四世紀の半ばまでのモンゴル帝国の軍事遠征と支配である。彼らは東西の疾病の交換を急速に推し進めた。彼らが運んだ最大の感染症はペストである。元来ペストは、アジア圏の南のヒマラヤ山麓の地方病であった。1252年のモンゴルの騎兵隊が雲南からビルマに侵攻した際にそこから持ち出され、その後の短い間にユーラシアの草原地帯に住む齧歯類に感染するようになったと言われている。この草原地帯がペスト菌の供給地となってヨーロッパに持ち込まれたのである。

ヨーロッパ中世期には、次第にヨーロッパ大陸に、イタリアのシシリア島を通じてイタリアに広がりヨーロッパ全土の広がったという事実がある。つまり、イタリアの船による交易に従事した船乗りから伝播したといわれている。

また、「都市化」の現象も、ウイルス病原菌の蔓延に深刻な原因の一つである。つまり、都市化の拡大に伴って、周囲の森林や山脈などを破壊することを引き起こしているのである。都市の本格的な形態の出現は、古代ではウルク、ウル、モヘンジョウダロであり、ローマ帝国のローマであり、一般的には中世ヨーロッパの期間の都市の出現であるといわれている。つまり、病原菌は人口密度が高い環境で形成されたものである。但し、中世時代の期間では、それらの都市は、まだ小規模であり,その病原菌が地域限定であったので、風土病として認識され地域的な範囲内の問題として止まっていた。しかしながら、グローバル(地球的)な問題(自然破壊に伴って大洪水)が都市化の拡大に伴って顕在化してきたのである。人間の欲望は止まることを知らず、都市への人口過剰が続くと経済は次第により多くの人間の欲求に応えるために、つまり、都市の人々の食料を生産するために、農業の過剰生産を必要とし、そのためには第一に生産のための農地を開墾する。その農地を作るためには森林伐採が必要である。そのようなプロセスでグローバルな自然破壊が進行したのである。そして、合理的な方法で多くの商品の生産のために大規模な工場施設が必要になってきたのである。具体的には、工業化・機械化が生まれたのです。その後押しとして「化石燃料」である「石油」に大きく依存しているのである。これが「地球温暖化現象」の一因にもなっているのである。この温暖化現象により、小規模の範囲にとどまらず、地球規模で広がりを見せ、まさに、ウイルスが世界的に蔓延するきっかけを作ったのである。最近の世界健康機構(WHO)(注19)によると、虫が媒介する伝染病の増加は地球温暖化と関連がある可能性があるそうです。温暖化で熱帯伝染病を媒介する虫などの生息地域が北上するほか、温暖化がもたらす豪雨の増加や従来なかった地域での干ばつ発生などに伴い、ダニや蚊、ネズミなどの伝染病を媒介する動物や虫が増加する可能性があるためです。

 アフリカ西部で1937年に発見された西ナイル熱は99年にニューヨークに上陸。感染した蚊か鳥が持ち込んだとみられ、原因不明のまま米全土に広がりました。デング熱は熱帯を中心に発症していましたが、地球温暖化の影響からか、最近は台湾でも患者が確認され、沖縄への上陸も懸念されています。

 更に、温暖化の影響による気候変動で先住民の間で感染症が増加しているのが現状です。例えば、北極圏では地球の温暖化の影響により降水量の増加・氷の融解があり、カナダのイヌイットの間では、周辺の地表水や地下水が病原菌に汚染される頻度が高まり、感染の患者が増加しているのである。

 また、世界中の多くの人々の食料の保持のために、農業そして、その原形質ともいうウイルス病原菌に対して、最近では抗生物質を人類は作り、それに対抗している。しかしながら、そのウイルスに攻撃すればするほど、益々強くなり、そのウイルスは人類を滅亡へ導くのである。また、最近では、化学薬品による殺虫剤使用によって害虫を殺傷するべきものが皮肉にも、それによって害虫自体が抵抗力を持ち害虫の異常発生を起こし、数々の被害を蒙ったことの報告がある。(注2)ウイルスのみならず害虫でも、人間が攻撃すれば、益々強くなる習性なのである。

4.結論

4-1 抗生物質とウイルスとの終わりのなき戦い

古代社会では、すべて悪性の伝染病は、ひと括りに「ペスト」と記載されている。細菌の一つである結核菌は、紀元前3000年ごろには存在していたことが確認されている。更に、ここで興味のある事例を紹介すると、『エベルス・パピルス』という古代エジプト人によって紀元前1500年以前に書かれていた世界最古の薬物治療書の中で、ニンニクの効用が明記されていて、ほとんどの慢性疾患・感染症・老化の予防・治療に使われたことである。現在、やっと慢性疾患等が医療で取り上げられて始めたことが、すでに紀元前3,500年から紀元前1500年ごろに行われていた事実から、この分野では現在よりも文明が発達していたことが認識されるのである。この史実から判断すると、当時すでに、感染症のウイルスが蔓延していたことが理解されるのである。(注20)

ところで、現代社会での多くの伝染病は、前章で言及したように本質的に一つのウイルスから変形をしたものであり(「はしか」「チフス」「インフルエンザ」)、人類が彼らに攻撃、つまり抗生薬で攻撃すると、かれらはより強くなり人類の私たち人間を死に至らしめるのである。どのような抗生物質といえども耐性菌が出現しないということはありえず、放置すれば「どんな薬剤も効かない、治療のしようが全くない感染症」がいつか出現する。今のところできるのは、なんとか工夫して「その日」がやってくるのを一日でも先延ばしにすることだけである。

最近の製薬会社にとっては、抗生物質は薬価が安く認可もされにくい上、すぐに耐性菌が出現してくるので、研究費を注ぎ込んでも「割り合いにくい」薬といわわれている。

また、患者の減少により、赤痢や結核の患者を一度も診たことがない若い医者も増えている。こうした状況について、元東大医科学研究所教授の吉川昌之介氏は「今、日本では、病原細菌学を専攻する後継者が極端に不足いるのである。抗菌剤への過信とその無批判な濫用が、医者にも患者にも、ウイルス感染症の恐ろしさをすっかり忘れさせてしまった。ウイルス感染症はなくならない」と述べている。いずれにしろ、感染症医療を取りまく環境はお寒い限りである。病気のない世界は人類が地球上に出現して以来の夢でした。抗生物質という魔法の薬の出現によりそれはいったん実現したかに見えましたが、その魔法が解ける時は間近に迫っている。人類と病気との宿命の戦いはこれからもまだまだ続き、残念ながらそれは終わりの見えない戦いであるように考えられる。換言すれば、人間の傲慢さへの戒めとして、自然からのリベンジが始まっているように思われる。

いずれにしても、ルソーが提唱した言葉「自然に帰ろう」が思い出される。人間がすべての合理化主義に突き進むならば、人類、否、地球という惑星にウイルス以外何も生物が生息しない将来が見えてくるのである。

人間が自然と共存できる世界を早急に作らねばならないと思われる。

つまり、われわれの大先輩である原住民から、その病原菌の対処法を学ぶべきである。

彼らは、我々よりはるか何万年前から地球で生き続けているのであるから、学ぶ点が多くあると確信する。

4-2 原住民から学ぶウイルスへの対処法の幾つかの事例を紹介。

【事例1】(注21)

Modern folk practice helped to protect the health of Tamil labourers brought from southern India to work on plantation in Malaysia. They conformed to a custom that required them to bring water into their houses only once a day, and not to store it between times. This deprived mosquitoes of a breeding place indoors. 
 As a result, Chinese as well as native Malays, who lived and worked under similar conditions but did not observe the Tamil custom, suffered distinctly higher rates of infection from dengue fever and malaria.

 

【事例2】(注22)

ペルー原産のキャッツクローの事例

インカ帝国時代から先住民が用いてきた免疫増強ハーブです。インカ帝国は、ペルーなどを中心に16世紀まで栄えた国です。しかし、銃砲や馬を持ったスペイン人に滅ぼされましたが、その文明は相当に高度で、トマトやジャガイモ、ゴムなどとヨーロッパ人が知らなかったものを多く利用していた。

この地域で使われていた薬草も、一時重視されませんでしたが、最近、代替医療の登場で、注目されている。現代科学の研究で、キャッツクローには、アルカロイドと呼ばれる物質が7種類含まれているのがわかりました。このアルカイロドはいろいろな薬理作用を持っている。主な作用は、抗ウイルス作用、抗炎症作用、抗がん作用です。クローン病やリューマチ性関節炎にも効果が大で、痛みや熱のある感染症に強いといわれている。

 

【事例3】(注23)

パウダルコ事例

パウダルコはアルゼンチンやブラジルの熱帯雨林で採れるハーブです。欧米でも優れた薬効が注目されている。パウダルコの場合、ラパコールという成分が免疫を補助する。

効果があるとされている病気は、①ウイルスによる各種感染症  ②水虫など真菌の病気③寄生虫  ④がん  ⑤白血病  ⑥呼吸器炎症 ⑦アレルギー  ⑧湿疹やしみなど皮膚疾患 ⑨糖尿病  ⑩胃腸障害  ⑪関節炎  ⑫乾癬(カンセン「たむし」) ⑬パーキンソン病  ⑭肝臓疾患

 

【事例4】(注24) 

社会制度による疫病の回避策の事例

マクニールはインド文明におけるカースト制度は感染症に対する一種の防疫機能から生まれたとする。インド文明における厳密なカースト制度は、文明からみた猖獗の地である「森の民」を直接的にはコントロールできなかったために、一種の心理的な障壁として辺境の民をタブー視し排除すると同時に、不可触賎民として社会の最下のカーストとして組み込んだという。このような類推にもとづく医療の発達や疾患の予防の実際の効果について実証することは困難をきわめる。しかし病気の認識の中に社会の認識が反映されることは、多くの社会においても指摘されており、実際的な効果の有無にかかわらず、そのような考えが疾病文明圏内に形成されたことは想像に難くない。

 

【事例5】(注25)

WHOによると20091025日において、世界中で44万人を超える実験室診断

で確定したパンデミックインフルエンザH1N1 2009感染者と5700人を超える死

者が報告されている。当然のことながら、新型のウイルスに対して各所

で様々な研究が行われているなか、精油についてもいくつかの報告がなされている

。あくまでも試験管内で行った実験ですが、培養したH1N1菌株と精油に関する研究

では、多くの精油にウイルスの生育を阻害する働きが認められました。

特にティートゥリーに注目した別の研究では、ティートゥリーの精油と分離した主

要な含有成分を其々試験管内のH1N1ウイルスに加えている。その結果、「ウイル

スの殺菌には至らないものの、驚異的に増殖が抑えられる」ことが分かり、今後、

新型インフルエンザ治療薬のひとつとして開発が期待できる、と結論付けたのである。この精油の特徴的な成分であるterpinen-4-olが強く作用しているとも分析している。

「お茶の木?!」

そもそもこのティートゥリーという植物、原産地のオーストラリアでは学名の属名「メラレウカ」のほうがよく知られ、とてもポピュラー。というのも、先住民族のアボリジニが長いこと万能薬として使っていたからである。彼らは125万年もの前からオーストラリアに生活していたといわれ、そこからティートゥリーの薬としての歴史の長さも計りしれる。ティートゥリーは英語でTee treeですが直訳すると「お茶の木」ということになる。しかしながら、現在ほとんど飲用することはありません。

ではなぜTee treeとよばれるのかというと、観測船エンデバーを率いてニュージーランドを発見したことで知られるキャプテン、ジェームズ・クック(James Cook) は、同地を探検したのち17704月、オーストラリア東海岸に到達し、現在のシドニーの南方に位置するボタニー湾に上陸した。クックとそのクルーは自生していたスパイシーな香りのする葉をもつメラレウカを見つけ、お茶にして飲んだことから。命名はキャプテン・クックだったというわけである。

ところで、アボリジ二は生の葉を噛むことで腸内の寄生虫を予防したり、擦り傷や虫さされに塗るなど天然の治療薬として大事にしてきたティートゥリー。その薬効は次第に認められ、第2次世界大戦の際、熱帯地方の部隊の救急キットに加えられたほどとのことである。その後さらに科学的な研究が進み、最近では細菌や真菌に対しての殺菌力、また耐性菌が発生しにくいことから院内感染などへの応用等、医薬品の世界でも注目。新型インフルエンザにも効果がありそうなのは、非常にうれしいニュースである。

【事例6】(注26)

ヘルゴンサッチャは民族植物学的に注目されているハーブの一つである。アマゾン熱帯雨林一帯では先住民も入植者もその土地の人々は皆、ヘルゴンサッチャの巨大な根茎を毒消しとして毒蛇に噛まれた時に利用している。アマゾンの奥地では、冷蔵保管が必要な毒蛇血清を入手するのは極めて難しいので、ヘルゴンサッチャによる毒消しが開発され、代々伝承され、今尚利用されている。ギヤナの先住民族は、淡水エイ、毒蜘蛛、『クラレ』と呼ばれる毒矢(植物や蛇や蛙等の毒を矢の先端に付ける)の毒消しにもヘルゴンサッチャを調製し利用している。また、ヘルゴンサッチャの葉や茎を足に打ち付けると、蛇に噛まれるのを予防する効果があると信じている先住民文化も存在する。ブラジルハーブ医療では、喘息、百日咳、生理不順の治療にヘルゴンサッチャの根茎を粉末調製し、経口摂取する。疥癬の治療にも、ヘルゴンサッチャの根粉末を局所的に用いる。また、ハエによりできた傷口には、毒蛇の治療と同様に、根茎から搾り取ったジュースを外用薬として傷口に直接つける。痛風の治療には、ヘルゴンサッチャの全草を煎じ入浴剤として用いる。ヘルゴンサッチャはペルーのハーブ医療でもよく知られた存在である。ペルーの都市部では、カプセル、チンキ、タブレットと言った形態で、エイズ(HIV)、癌腫瘍、消化器系の不調、ヘルニア(煎剤を外用薬として直接患部へ)、手の震え、動悸に対するナチュラルレメディーとして、自然食品店や薬局、市場などで販売されている。ヘルゴンサッチャをエイズ(HIV)の治療に用いる動きは1990年代初期にペルーで始まった。 事実、新薬開発を目指し、アマゾンで薬草調査に関わっている製薬会社の研究者達は、ヘルゴンサッチャが示す抗ウィルス特性や毒消し作用のメカニズムを客観的に立証する研究が始まった。

【事例7】(注27)

アメリカインディアンのCherokeeの事例

homeopathy」は、チェロキ―インディアンの間で先祖代々から継承されている医療療法で、人間の身体の兆候は自然の防衛と関係があり、この療法を利用することにより慢性痛風、慢性頭痛、autoimmune diseases(自己免疫疾患)、各種アレルギーのみならず、各種の伝染病に大変有効であるとされている。

 特に、ここで注視したいのが彼らは、「ニンニク」の効用についても、言及していることである。他の先住民もその効用を指摘している。また、前述の古代の文明である古代エジプトの紀元前3,500年前にニンニクについて注目され、多くの病気の治療ニンニクが使われ、更に、エジプトの学者であるペトリ卿がエジプトのエルマハスナである墓(紀元前3750年頃)を発見した時、9個の粘土模型のニンニクの麟茎がみつかり、またツタンカーメン王の墓でも乾燥した完全に保存されたニンニクの麟茎が6個発見され、他の多くの古い墓からも発見されている。何故に、墓にニンニクがあったのであろうか。また、歴史の父と言われるギリシアのヘロドトスの「エジプト」の中で次のような事実が書かれているのである。紀元前450年頃、彼はエジプト旅行でピラミッド建設の労働者に関するエジプト象形文字の刻銘を発見したのである。その中には、労働者の健康維持のためにニンニク・玉葱・ラディシュ(大根の一種)が絶体に必要であったのである。時代を超えてニンニクの重要性が強調されている。

ここで興味のあるのが、米国国立がん研究所が、がんの予防の可能性のある食品のうち6品目を列挙している。つまり、ガーリック(ニンニク)・キャベツ・カンゾウ・大豆・ショウガ・セリ科直物(人参・セロリ・バースニップ)である。ニンニクのがんに対する効果が明らかにされている。

 以上の先住民の病原菌(感染症)への対処法の事例に関連して一言:自然を尊び、必要以上に自然の産物を奪い取らないことである。つまり、生きるための食料として、動・植物を自然からいただき、快楽のために無駄な殺生はしないのである。現代社会への自然からの忠告の声が聞こえるようである。

 

我々人類は、次のメッセージを決して忘れてはならないのである。

 

メリーランド州ベセスダにあるアメリカ政府の海洋哺乳類委員会(MMC)の事務局長ティモシー・レーガン氏の言葉:「われわれは長い間に人間以外の生物の多様性を大きく損なう原因を作り出してきた。自然への責務を果たそうとするならば、ほかの生物との関係を見直し、自然界を守るために必要な変化を積極的に起こさなくてはならない」。(注27)

 

 北米インディアンのチェロキー族の言葉が、我々現在人に警撞を発し続けている。
 
As an Elder said, ” When we do harm to the Earth Mother, we do harm to ourselves.”(注28)

 

最後に、南米のマヤ文明が人間の病気について興味深い文を述べているので紹介してます。「A major cause of sickness was imbalance and disharmony either with society, the gods and ancestors, or surrounding world.(注29)病気とスケールの大きい要素のとの関係性を結びつけている。

 

■参考文献

 

Rachel CarsonSILENT SPRINGA MARINER BOOK, Houghton Miffin

 

Company Chapter16The Rumblings of an AvalancheP.274

 

Philip ZieglerThe Black DeathAlan Sutton Publishing LTD. Chapter-9London: Hygiene and the Medieval CityP.118

 

William H. McNeillPlagues and PeoplesPenguin Books, Chapter1「Man the HunterP.30, Chapter2Breakthrough to HistoryP.75~P.76, Chapter 6the Ecological Impact of Medical Science and Organization since1700P.217

 

Clive Pointing:A New Green History of the WorldPenguin Books, Chapter-9Disease and DeathP.218

 

J.T. Garrett and Michael Garrett:Medicine of the Cherokee(the way of Right Relationship)Bear & Company Publishing, Rochester, VERMONT, Chapter1keepers of the SecretsP21Chapter 3Physical Medicine PathP69P55~P56

 

■注

 

(1)①SARS(重症急性呼吸器症候群)は、SARSコロナウイルスを病原体とする新しい感染症

 

②メキシコや米国等で確認された新しいインフルエンザ(H1N1)を感染症法第6条第7号に規定する新型インフルエンザ等感染症。

 

(2)Rachel CarsonSILENT SPRINGA MARINER BOOK, Houghton Miffin Company Chapter16The Rumblings of an Avalanchep.274

 

(3)WHO, SITUATION UPDATES, PandemicH1 N12009-2010参照

 

http://www.who.int/csr/disease/swineflu/updates/en/(20128、1)

 

(4)「細菌とウイルスの違い」http:www.meiji.co.jp/drug/isodine/wash/wash5h.html(2013, 8, 12)

 

(5)本文で取り上げている主なウイルスの種類

 

麻疹

 

麻疹ウイルスを原因とする感染症で、通称「はしか」として知られています。

 

結核

 

結核菌を原因とする感染症です。

 

ぺスト

 

ペスト菌を病原体とする感染症で、ペストは種類にも寄りますが致死率が高い病気です。

 

症状には高熱があり、感染方法により、リンパ腺が冒される「腺ペスト」、菌が血液に入り敗血症を起こす「ペスト敗血症」、 肺に菌が入り込む「肺ペスト」、皮膚が感染し膿疱が出来る「皮膚ペスト」があります。

 

このうち「ペスト敗血症」は全身に黒いあざが出来るため「黒死病」とも呼ばれます。

 

ペスト菌クマネズミなどのげっ歯類に感染する病気で、感染したネズミの血を吸ったノミを介して人間に感染します。

 

マラリア

 

マラリア原虫を原因とする感染症で、マラリア原虫を持つハマダラカ等の蚊に刺されることで感染します。

 

症状には40度近い高熱、脳マラリア(マラリア原虫が赤血球に寄生する事で脳内の血管が詰まり神経症状が起こること)、 溶血(赤血球の破壊)などが起こり、場合によっては死に至ります。

 

インフルエンザ

 

インフルエンザウイルスを原因とする感染症で、流行性感冒(流感)などとも呼ばれることがあります。

 

インフルエンザの症状には高熱、筋肉痛、頭痛、悪寒、咳、腹痛、嘔吐、下痢などがあり、合併症として肺炎やインフルエンザ脳症があります。

 

コレラ

 

コレラ菌を病原体とする感染症で、日本ではO1血清型、O139血清型を原因とするものを主にコレラとして扱っています。

 

潜伏期間は通常23日で、症状としては下痢、低体温、血行障害、血圧低下、筋肉の痙攣、極度の脱水などにより死ぬことがあります。 また、脱水症状により皮膚が乾燥し、コレラ特有の「コレラ顔貌」という顔になります。

 

致死率は治療を行わない場合、アジア型コレラで7580%、エルトール型で10%。適切な治療を行えば致死率は12%とかなり低くなります。

 

コレラに感染した場合は、極度の下痢と嘔吐による脱水を防ぐ為、電解質液(水にブドウ糖や塩化ナトリウムなどを溶解したもの)を与え、水分を補給させます。

 

コレラの感染は経口感染であるため飲食に注意し、特にコレラ感染者の排泄物や吐瀉物には注意が必要です。

 

2010年現在、7回の世界的流行(パンデミック)を起こし、日本でも江戸時代から大正時代頃まで、数度に渡って数万から数十万(資料によって数は様々)の死者を出しています。

 

Lassa fever

 

ラッサウイルス原因とする感染症で、1969年にナイジェリアのラッサ村で発生したことから病名が付けられました。

 

毎年世界で10万人以上が感染し、5000人近くが死亡しているとされています。症状には発熱、頭痛、関節痛、咽頭痛、吐血、下血、倦怠感などがあり、場合によってはショック死をしたり、後遺症として知覚神経マヒなどが発生します。

 

ラッサ熱に感染しても8割は軽症で回復しますが、2割は重症となり、12%の患者は死に至ります。

 

治療方法には抗ウイルス薬のリバビリンの注射が有効とされています。

 

Ebola hemorrhagic fever

 

エボラウイルスを病原体とする感染症で出血熱でもあります。

 

主にアフリカ中央部のスーダン、コンゴ民主共和国、ガボンなどで発生しています。

 

症状には発熱、頭痛、筋肉痛、腹痛、嘔吐、下痢などがあり、酷くなると口内、皮膚、消化器官などから出血が起こります。

 

致死率は5089%と非常に高くなっています。

 

エボラ出血熱には特効薬やワクチンなどは無く、効果的な治療法は現在確立されていません。

 

感染症・伝染病の種類一覧

 

(http://ichiranya.com/technology/017-infectious_disease.php)201291

 

(6)海外移住と血液型分布の世界地図参照

 

(http://emigration-atlas.net/society/abo-blood-type.html)(201283)

 

(7)A型は子宮がん・乳がん・糖尿病、AB型は梅毒に注意

 

(http://unkar.org/r/newsplus/1212016890201295
 
(8)ペスト、ラッサ熱などの侵入防止:ペスト患者の発生状況参照

 

(http://www.forth.go.jp/useful/infectious/name/name37.html2012910

 

(9)結核分布の世界地図参照

 

(http://whqlibdoc.who.int/publications/2011/9789241564380_eng.pdf)

 

2012915

 

(10)世界地域の年間降雨量と世界の細菌との発生地域との関連表参照

 

(http://ga.water.usgs.gov/edu/watercycleprecipitation.html2012915

 

(11)世界地域の年間降雨量と世界の細菌との発生地域との関連表参照

 

(http://www.shastacollege.edu/2012915

 

(12)ジョン・ファーンドン、「海と環境の図鑑」武舎広幸、武舎るみ(訳者)河出書房新社、「酸欠の海」P16~P17、「洪水に見舞われる世界」P42~P43、「海の酸性化」P46~P47

 

(13)「ウイルスの陰謀―40億年目の地球制覇」

 

(http://www.geocities.co.jp/Heartand/2989/virus1html)(2013, 8, 13)

 

 

 

(14)William H. McNeill:Plagues and PeoplesChapter1「Man the Hunter

 

P.30

 

(15)JEAN DE VENETTE, CHRONICLE PLAGUE READINGS from P. M. Rogers, Aspects of Western Civilization, Prentice Hall, 2000, P.353-365.

 

The people of France and of almost the whole world were struck by a blow other than war. For in addition to the famine and to the wars---pestilence and its attendant tribulations appeared again in various parts of the world. In the month of August 1348, after Vespers, when the sun was beginning to set, a big and very bright star appeared above Paris, towards the west. It did not seem, as stars usually do, to be very high above our hemisphere, but rather, very near. As the sun set and night came on, this star did not seem to me or many other friars who were watching it to move from one place. At length, when night had come, this big star, to the amazement of all of us who were watching, broke into many different rays, and, as it shed these rays over Paris towards the east, totally disappeared and was completely annihilated. Whether it was composed of airy exhalations and was finally resolved into vapor, I leave to the decision of astronomers.

 

*上記の英文の中でアンダーラインを引いた部分は、私の大変興味がある個所です。「大きな星は、いったい何を意味しているのでしょうか?」改めて調べる必要があります。

 

前記の記事は、「The Plague in France の中でJeanVenette の記述による1348年のフランスでの情景のスケッチ。

 

(.http://www.u.arizona.edu/~afutrell/w%20civ%2002/plaguereadings.html)

 

(2012920

 

(16)Clive Pointing:「A New Green History of the WorldChapter-9Disease and DeathP-218

 

「1918~1919年の冬期に世界的なインフルエンザがパンデミックに なり、第一次世界大戦ではアメリカ軍の80%がインフルエンザに罹ったと言われています。」(本文から著者が邦訳)

 

(17)H.G.WELLS:「The World Chaper-34Between Rome and ChinaP132

 

In the second century B.C.a great misfortune came upon the Roman and Chinese Empires. This is a pestilence of unexampled virulence. It raged for eleven years in China and disorganized the social framework profoundly. The Han dynasty fell. The infection spread through Asia to Europe. It raged throughout the Roman Empire from A.D.164 to 180.

 

(18)「中世の衛生管理の描写」和訳

 

Philip Ziegler:The Black DeathChapter-9London: Hygiene and the Medieval CityP-118-22

 

(19)地球の現状2(earth.o-oi.net/ 2.(2013, 7, 31)
 
(20)斎藤 洋(監修)、「ニンニクの科学」、

 

朝倉書店、第1章ニンニクの歴史、P4~P5

 

(21)William H. McNeill:Plagues and PeoplesPenguin Books, Chapter 6
   「the Ecological Impact of Medical Science and Organization since1700
 
 P217

 

(22)ペルー原産のキャッツクローの事例参照

 

(http://www.reluck.com/genki_kirei/catsclaw.html2012920

 

(23)パウダルコ事例参照

 

(http://www.amazon-herb.com/herb/plant_taheebo.html2012920

 

(24)William H. McNeill:Plagues and PeoplesChapter2Breakthrough to HistoryP75~P76

 

(25)「アロマ&リラクゼーション」、日本看護学校協議会共済会、

 

http://www.e-kango.neti/selfcare/aroma/monthly(2013, 8, 13)

 

(26)ヘルゴンサッチャ事例

 

(www.amazon-herb.com/herb/plant_jergon_sacha.html)(2013,7,22)

 

(27) 16世紀ヨーロッパ人が入植しはじめた頃には、北米大陸の東部から南東部にかけ、ミシシッピ川流域に住んでいた。

 

18世紀のチェロキー族は、イギリスやアメリカとの間に、自分達の土地を守るための戦いの連続であった(チカマウガ戦争を参照)。1794年にアメリカ合衆国との間に休戦条約を結んだ後は、文明化の道を歩んだ。

 

彼らは、チカソー族ムスコギー部族連合、チョクトー族、セミノール族5大部族連合を結成し、白人の文明を受け入れ、白人社会の仕組み等を採り入れ、「文明化五部族」と呼ばれた。

 

1821年にはシクウォイア(セコイヤ、シクォイヤ)によってチェロキー文字が発明された。85音節文字からなる使いやすく覚えやすい文字で、すぐに習得できるため急速に普及した。彼らは白人の生活様式を好んで採り入れたため、周辺白人との混血も進むこととなった。

 

1830年代ジョージア州で起きたゴールドラッシュにより、白人が彼らの土地に乱入してきた。アンドリュー・ジャクソン大統領らは彼らを西部のインディアン準州へ強制移住させる方針を決め、武力でこれを強要した。チェロキー族らはこれに対して抵抗戦を行い、「セミノール戦争」など「インディアン戦争」を戦った。

 

1838年、アメリカ陸軍の軍事力に屈服を余儀なくされたチェロキー族をはじめ6万人の「5大部族」はミシシッピ川の西のインディアン準州(現オクラホマ州)に強制移住を余儀なくされる。この移住強制は徒歩で行われ、涙の旅路と呼ばれた。当時の記録では「墓に入るかと思える老婆でさえ、重い荷物を背負わされて歩かされていた」と記述されており、この苛烈な強制行路では、チェロキー族だけで28千人の犠牲を出した。

 

ノースカロライナ州をはじめ、東部から南東部のチェロキー族の一部は、インディアンの境遇に同情的な白人の助けを借り、また山深く隠れて強制移住を免れ、現在の東部チェロキー族(en)(人口約1万人)の祖となった。チェロキー族が表面上いなくなったジョージア州など南部の広大な土地は、後に一大綿花産地に変貌する。こうして、チェロキー族は大きく西部と東部に分断されることとなってしまった。

 

J.T. Garrett and Michael Garrett:Medicine of the Cherokee(the way of Right Relationship)INNER TRADITION BEAR COMPANY, Chapter1keepers of the SecretsP21Chapter 3Physical Medicine PathP69P55~P56
(
追加)

 

(The Message from the Cherokee)

 

EVERY PART OF THIS EARTH IS SACRED TO OUR PEOPLEEVERY SHINING PINE NEEDLE, EVERY SANDY SHORE, EVERY MIST IN THE DARK WOODS, EVERY CLEARING, AND EVERY HUMMING INSECT IS HOLY IN THE MEMORY AND EXPERIENCE OF OUR PEOPLE. THE SAP WHICH COURSES THROUGH THE TREES CARRIES THE MEMORIES OF THE PEOPLE-------

 

(28)「哺乳類の4分の1が絶滅の危機」参照

 

(http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=82283301&expand#title2012918

 

(29)Mary Miller and Karl Taube,Ancient Mexico and The MAYA

 

THAMES AND HUDSON,P72

 


*
アンダーラインは、著者による追加

 

 

 

Monday, 09 January 2017

光彩論とは何か。

*更新中(執筆を続ける)

 

Chaos is infinity.

 

 Dixitque Deus: "Fiat lux!" Et facta est lux.

 

神が「光ありき」と言ったら、そこに光ありき。(神は、宇宙全体と言い換えてもいいのではないか。)

 

現在まで、地球のような生命の存在する惑星は、天体の専門家の間では存在してないといわれている。確かに数多くの太陽系が他にも無数あるが、我々の太陽系の世界のようなものが存在しているか疑問である。では何故に我々のような太陽系を創造したのであろうか。尚且つ神はなぜ地球のような生命の存在する惑星を作ったのであろうか。太陽系の他の惑星、例えば地球に構造的に類似しているが生命の痕跡が見当たらない火星があり、または土星のような霧状で包まれている惑星等があるのみである。

 

では、どのような根拠で神は「光」を地球上に与えたのであろうか。暗闇でもよかったのでないか。何故に神は地球の表面の生き物に光を与えて、光の届かない深海の生命とは区別したのであろうか。見よ!深海の生命は、光の届かない場所でも生きているのである。もちろん目は日常では必要ではないので退化している。むしろ、神の意向であえて光を与えなったのでそれらの深海の生き物には目が退化したのである。いずれにしても、神は、この世界にすべての生き物を誕生させたのである。キリスト教の聖書の創世記にもそのように明記されている。

 

つきましては、光を与えられた生命体は、細胞の活性化を促し生きていることを自分で認識するのである。また、生命体の中で視覚を与えられた生命体は、自分の存在や周りの存在が認識されることが可能となったのである。もし、動植物界に太陽からの光がなかったとしたら、短命に終わったであろう。そして、光によって生命のある生き物、特に人間界にとって喜び・悲しみ・怒りとかの感情が沸くように仕向けることが可能となった。宇宙へロケットを飛ばすまでの人間の知力を作り上げるまでに可能としたのである。また、皮肉にも核爆弾を作り上げて、神の芸術品である地球をも破壊できるレベルに達したのである。換言すれば、光を認識できない方が、平和であったのでないであろうか。もちろん、深海の生命が平和であるとは誰も確信を持って断言はできないのであるが。あくまでも想像の世界でのことである。また、人間が光を確認できる眼球を作ったことによって争いが起こったのかもしれない。人間が外界を認識できない盲目の場合は、戦争も起こらなかったであろうし、静寂の世界が存在したのであろうと想像すのである。また、目が見えなければ、殺傷力のある兵器などの想像されなったのである。???

 

次に、仮説であるが、神は「外界の光」と「内界の光」を創造したのかもしれない。

 

生存的な観点からは、一般に太陽の光がなければ、地球上のすべての生命が死んでしまうと言われているが、なにゆえ、光の届かない深海でもある種の動植物は生きているのであろうか。わずかな光が深海にも届いているのであろう。もしかすると、天界の神とは違っていわゆるギリシャ神話に登場するポセイドンの海の神が存在しているのかもしれない。しかしながら、それも想像の彼方である。

 

いずれにしても、地球上の生き物は太陽の光で生命が生かされているのである。そして、存在している。但し、光のみで生命が存在しているのではない。水がなければ生きることができない。最近大きな発見をしたことは、灰皿の中にわずかな水を入れてたばこの灰を入れて数日たつと小さな生き物が生存しているのを見つけた。たばこは有害なので生物は発生しないと信じていたがその仮説を覆したのである。つまり、どんな有害な環境の中でも水がある限り生命は誕生するのである。

 

つまり、太陽の光の温度と水があれば、生命はどのような姿であれ生まれてくるのである。

 

そのような組成で人間という生命像が生まれたのであろう。

 

ただ生命像が造られたのみでは、「外界の表現形式」は生成されるが「内面の表現形式」は作られない。

 

人間と人間以外の動植物の大きな違いは、脳と言う神秘の臓器があるものを作り上げるかどうかの違いによる。

 

外界の影響で内面に影響を与え、諸形式の表現が可能になる「芸術」は、まさに他の動植物ではなしえない人間の特有の才能である。

 

確かに、人間以外の自然界の形成物は、自然の美と言われる造形物を作り上げるのであるが、それらはすべて自分の意思の発露ではなく、自然の摂理(リズム)に従ってのことである。

 

結局は、人間は自分の意志に従って作り上げるのである。ある意味では「光」と「内面の光」が呼応して芸術の領域が生まれたと言える。換言すれば、「人間の内面の表現する鏡」が存在しなければ、「芸術」も生まれないのである。

 

では、光のないところでは、「芸術」は生まれないのであろうか。

 

人間界でも盲目の人は、光を視界では見ることができないがどうして多くの盲目の人は、人間の歴史の中で数多くの芸術と言われる領域の偉業を成し遂げることができたのであろうか。それの答えは、心の光で感じとっているのであろう。画家の世界では、盲目は致命的であり、また実際ごく少数である。たとえば、エスレフ・アーマガン(63歳)というトルコ在住の画家がいる(1)

 

確かに、絵画だけを見てみると真っ暗なものは存在しないのである。しかしながら、ダークの絵画も存在するのである。たとえば、オランダ生まれの絵画の巨匠レンブラントは、明(光)だけではなく暗(シャドウ)の重要性を表現している。他にも「暗」を使って表現していた芸儒家は数多く存在する。

 

音楽の世界に話を移すと真っ暗という表現が的確ではないが、視点を目(視覚)から耳(聴覚)に視点を変えてみると、音の表現を通じて何も音が存在しないことがそれに当たるのではないでしょうか。いずれにしても、音楽の無音の羅列は存在しないのである。つまり、「光」と「音楽」との相関性を述べるのは不可能である。否、ベートーヴェンは、絵を描く画家が「視覚」が創作に必要不可欠と同様に音楽家には、聴覚を失うと致命的である。しかしながら、ベートーヴェンは、1796年頃から聴覚に変調を来しその聴覚を喪失してからはむしろ数多くの音楽作品を書き上げたのである。確かに、彼の喪失による落胆は、想像の域を超えていると思われる。彼は、伝記の中で「私には何も聞こえないとき、彼には牧人の歌が聞こえて、いつも私には何も聞こえないとき、何という恥ずかしさだろう。()私は危うく自分の命を絶とうとした。私を引き止めたのは、藝術だった。」(2)

 

 

 

いずれにしても、光が芸術(特に絵画の世界)を組成したと言っても過言ではないのである。

 

多くの芸術家は、光を通じて芸術作品にいろいろな色彩を添え来たのである。只、「光」と一言でいえるものではなく、光には「人工の光」と「自然の光」が存在するのである。それらの相違は、芸術の解釈に相違を与えるのである。つまり、前者のそれは、人間が創作したものであり、いくらでも変形のものが作られ、また多様な芸術の解釈が可能であり、何か浅薄感を与え、他方、後者のそれは人間の入り込めない領域であり絶対的な一つの解釈が存在するのみである。前者の事例として、取り上げたいのが協会内部のステンドグラスの絵である。あれはまさしく、「真実の自然の光」と「人間が描いた絵」との調和を作り上げたと言えるのではないか。つまり、人間の感性のフィルターを通じては多様な解釈が成り立つというかもしれない。しかしながら、主観的な観点からは、芸術の解釈は一つなのである。ここで、また新たな課題が浮き彫りにされたのである。つまり、芸術の主観的な解釈と他者による客観的のそれとの違いは何なのか。

 

人工的な芸術と自然のそれとは、別に乖離するものではなく自分が良しとすればそれでいいのではないのか。つまり、その作品に対して主観的・客観的解釈が必要でないのである。概して人間は、欲の動物と言われる。

 

また、人間、特に何かで表現しようとする芸術家は、自然界の春分、秋分、夏至、冬至の各時期に太陽が短く又は長く当たる地球によって、絵画や音楽の表現に影響を与えたと言える。例えば、春分では明るく元気な表現をするし、秋分では、明るい感じから多少くらい印象を持ち、そのような中で藝術が活躍するのである。つまり、季節の変動がなければそれが生まれなかったのである。

 

また、すべての地球上の動植物、広く言えば自然界に影響を与え続けた中で芸術が生まれたと言っても過言でないのである。たとえば、絵画一つを例に挙がれば、レンブラントの絵は、明暗を操りながら筆を走らせたのである。

 

 

 

いわゆる音楽以外の芸術家は、光の屈折によって色分けや角度を考えて描くのである。つまり、それぞれの人間の鏡の感受性のフィルターを通して絵を描き、石や木に彫刻をし、泥で焼き物を作り、その他音楽以外の芸術作品を生み出しのである。

 

しかしながら、私には一つの疑問が沸いてくるのである。光によって音楽さ絵も光の恩恵を受けてるのではないだろうか。

 

 

 

教会建築には、何故に光を必要としたのか?

 

 

 

(続く)

 

(注釈)

 

(1)その形、色も見た通りそのままでは? と思えるくらいスゴい絵を描き上げるわけだが、これは彼の持つ、人知を超えた触覚と数多くの経験に基づく色彩イメージがなせる技だと考えずにはいられない。小さい頃からこの天才的な絵画能力があったかといえば、それは否で、彼が画家になりたいがために35年間も努力してきたことがその証拠でもある。しかしながら、その35年の間に彼は、画家になりたいという熱い想いを胸に、自分が触った物体の感触と、その物の形と色彩を結びつける訓練を積んでいたのではないかと思う。一般的な絵の描き方を習得するのはもちろんのことだろうが、目が見えない彼にとって写実的な絵を描くとは、物体の感触から、その具体的なイメージを、より広く認識されている状態に近づけることだったのではないだろうか。小さいころから物の感触をもとに絵を描いては、人に見せ、実際の見た目との違いを教えてもらっていたのかもしれないし、はたまた別な方法で自分のイメージと現実との差異を埋めていったのかもしれない。そして、目の代わりとなる触覚についても、ミクロン単位の微妙な差異を感じ取れるほどの発達を遂げたのだと思う。目が見えなくとも見えるということ、しかしこうして現実のイメージに自分の脳内イメージを近づけていくことで、目が見えずとも、彼の視覚は確保されるのである。絵が完成した瞬間に彼の見ている景色は開け、その景色は、私たちが見ている現実よりも一層美麗で鮮やかなのかもしれない。そう考えると、彼の見ている世界は、どんなものなのだろう、と目が見えている私たちの方が彼の見ている景色を気にするのである。

 

※彼が描いた作品は、こちらにまとめられています※

 

 http://matome.naver.jp/odai/2140478463942380301

 

http://wadainotansu.com/wp/2195.html#i

 

 

 

(2)「ベートーヴェン」(p38)長谷川千秋著、岩波新書

 

Sunday, 15 May 2016

「我が芸術論本論:音(楽)【おんらく】論(その2)」

(本論・PART―Ⅱ:音(楽)【おんらく】論・第二章)

*高崎商科大学を退官後、しばらく「我が芸術論」の執筆を
控えていましたが、私のライフワークの一つとして執筆を続行いたします

The music is the dialogue between the sound and the silence. The silence in itself strongly appears in the music. The silence is has the almighty power in the space, and the extreme existence OmnipotentGod)」is sitting behind the space’s silence.
I am going to get the answers from the several assignments : (1) I wonder if anything can’t get rise to through the silence. (2) Is there any resemblance between the music structure and the social one ? (3) Is there any possibility to adopt the music therapy?
4Why does not the native music become popular in foreign countries ? Why is, on the contrary, the Japanese side welcome to the foreign music (the American music in particular ) ? (5What environmental influence make the difference of the music instruments in every country ? (6Does the difference of the vocal cord making depends on environment?(7What ‘s the difference between the nature’s sound and the artificial sound? (9) Does every culture make every sound difference? (10) Does the music save mankind ?

音楽は、音と沈黙との対話である。沈黙自身が音楽の中で力強く前面に現れる。

沈黙を宇宙で全能な力を持ち、宇宙の沈黙の先には、究極的な存在である「神」が鎮座しているのである。(注)

無とは何か

無からは何も生まれないのであろうか?否、無からすべてが始まる。無ではなく沈黙から有音が生まれてくるのである。つまり、無と沈黙とは根本的に違うのである。無はどこまで掘り下げても「無」であり、永久に「無」である。まさに宇宙の空間と同じである。無イコール「空間」であり、空間が存在しなければ、「無」は存在しない。

沈黙とは何か

それに対して、「沈黙」という言葉は、有音との相対値として存在するのである。但し、直ぐに「有音」の反対側に存在すると一言で言い切ることができないのである。つまり、いくつかの段階が存在するのである。第一段階は、無論「無」が存在することであり、第二段階に「無」と「有音」との中間の存在に「沈黙」が生まれ、それは「有音が生まれる混沌の状態」の存在である。音の存在にはすべてその3段階のプロセスがある。但し、「音」が「音楽」に姿を変えるとその背後には、人間にしろ他の動植物界にしろ常にそれらの感情が音楽と密接に関係しているのである。それ自体単純なものではない。動植物界以外の自然界による「音」は、人間がかってに「音楽」と解釈したにすぎないのである。

キリスト教の旧約聖書の『混沌の世界』なのである。

宗教の解釈

ここで、「無」と「沈黙」について、仏教では次のように解釈されている。

つまり、仏教でいう「沈黙」は、それによって相手に悟らせるのである。

「無」については、日本の禅宗では次のようなことが説明されているのである。

山川も草木も森羅万象ことごとく、微粒子の結合であり、因と縁とによる集合離散である。(略)だから、地水火風にとどまらず、宇宙間の一切は、空の現象であり、無の表現である。(略)真も、善も、美も、無の融合体である。(p184~185「無に生きる禅」後藤大用(著)つまり、どこまでに行っても「無」は「無」であり、「沈黙」とは切り離されて考えられているのである。

キリスト教では、沈黙の否定から世界の創造を説いている。

人間はかって、音が世界の始まりであって存在し、言葉の形式をとる、大自然の要素であると信じていた。聖ヨハネは、その福音書の最初の章を、次の言葉で始めている。「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。神は言葉であった」(ヨハネ、第一章第一節)(注1)つまり、無はすなわち有であり、有機物であり地表に置くことができる存在あり、わずかなの振動で音を作り出す存在であると解釈されるのである。

「無」の円の範囲の中に「沈黙」と「有音」が存在しているのである。その無の世界の輪郭は、宇宙と言い換えてもよいのである。「無」からすべてが始まるのである。

静と動との関連性

有音は、「動」の作用であり、沈黙は「静」のそれである。

つまり、有と沈がある限り、現在語で言う『音楽』が存在するのである。

広義での宇宙のバランスを持続されている作用がある。

音楽とそれらの関連考察

音楽の構造と社会の構造の類似性とは?(180p)(小泉)

音楽は、個人のものではなく民衆の生活と密着したものである。

音楽は天体の運行、季節の移り変わり、客観的で超越的世界と結びついていて、人間の喜び悲しみとかに影響されないものだと南インドの人たちは考えている。

ペルシャ・インドの天地創造説は、宇宙は音響的実態から作りだされたとされ、マリウス・シュナイダ―「世界は、最初の音によって作り出され、その音が原生の深淵から発生した時、音が光になり、物質になった」といわれる。(音楽療法p15

下記の各カテゴリーは、この論文のテーマに対する解決する疑問たんです。

(1)同じ音でも空間の相違、容器の大きさによってバリエーションが作られる。

(2)オルゴールの原点は?

(3)前回から続いている音楽療法の可能性? 

(4)自国の音楽が何故に国外で人気を博せないのであろうか?逆に、何故に海外(特にアメリカ)の音楽が、国内(日本)で歓迎されるのか? 

(5)各国の楽器の違いは、どのような環境の影響作られるのであるか?

(6)声帯の違いは、環境の作用によるのか?

(7)生きている都市?都市の成長変化 

(8)自然の音と人工的に作られた音のとの相違? 

(9)文化が違えば音の違う?

(To be continued)

(脚注)

(1)ジュリエット・アルヴァン『音楽療法』(櫻林 仁・貫 行子 共著)、音楽之友社、昭和50年4月30日第四刷発行、『第一部 歴史的背景、Ⅰ音楽の起源』14p

 

 

Sunday, 23 August 2015

津田沼カルチャーサロン

(1)各種英語講座:
  
①入門英語・旅行のための英会話・英検(各級)
 
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将来、ギター教室を開講できるようご指導します。

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簡単な曲を弾けるようになります!

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(5)タレント養成講座 将来、タレント希望受講生(15歳以上)
:芸能事務所:「アイ・オフィス」支援。(但し、事前選考試験有・20歳未満の方は、親の同意書必要)、中高年の受講生も大いに歓迎します!

入会金¥10,000、毎月(2)のレッスン料(稽古場料金含)¥20,000(月謝制)                      お気軽にお問い合わせ下さい。

PCメール: i-int.l-association@nifty.com

*☎:090・1106・6293(津田沼カルチャーサロンまでどうぞ)

 

Saturday, 22 August 2015

第28回起業家セミナー開催(掲示板)

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<起業家の方々の目指しているまたは現在起業を経営している人々の情報交換会>

開催日時:2016年8月26日(金曜日)午後7時から開催決定
開催場所:京成船橋駅:イタリアンレストラン「ポポラマーマ」tel:047-422-7864(住所:船橋市本町3-1-1柏屋ビル2F)
会費:夕食代のみ:各自参加者負担(概算:¥1,000前後、アルコールは、申し訳ありませんがご遠慮ください)
参加希望者の方は、開催日の一週間前までにメールでお申し込みください。それ以降の受け付けはできませんので、ご了承ください。また、申し込み以降のキャンセルは、必ず事前にメールにてお知らせください。
申し込みの時に、(1)氏名(2)連絡先*携帯電話番号と現住所(3)自分は何の起業を考えているか?
(1)~(3)を明記のうえお申し込みください。
#この例会は、2ヶ月に1回開催しています。くれぐれも強制参加ではありませんので、その点をご理解ください。
#気が向いたときにお越しください。
#ほかの参加者方々の情報を聞くだけではなく、自分の情報を積極的に公開する方、またはこれからの人生で何をしたらよいか迷っている人の参加をお待ちしております。また、人生で疲れている方の参加もお待ちしています。本音を話す相手がいない方の参加も大いに歓迎です。
(厳守項目)
*参加者の方は、この例会では自分の宗教・政治・哲学・人種のお話は禁止いたします。もし、そのような方がいましたら、次回からの参加をお断りいたします。
*参加者の方が自分の営業目的での参加は、厳禁いたします。
 (自分の営業上のチラシ・パンフ・その他関連物品の持ち込みも厳禁いたします)
*この交流会は、参加者の考えている起業の企画への金銭上の援助はできませんが、お互いに意見交換をしてより良いアイデアを出し合い、助け合うことが目的です。
#参加する方は、必ずご自分の名刺をご持参して下さい。他の参加者の方々との名刺交換をいたします。手作りの名刺でも結構ですので、お持ちください。
それでは、気楽なつもりでご参加ください。
お待ちしております。
主宰者:岩崎秀夫

Tuesday, 17 March 2015

嶌先生と私とのツーショット(2015年3月13日)

Nfvltszfbllcmsm1426598036_1426598_2著名な嶌先生は、気さくな大変感じのよい方でした。

Tuesday, 15 July 2014

イワサキヒデオの出演歴

i-int.l-association@nifty.com

私の出演実績 (廃刊のホームページから転記した作品と最近の作品)

記憶にある作品のみを掲載、2005年度からはすべて掲載

2015年4月から「Wikipedia」へ私の原稿投稿開始

2015年3月「我が芸術論」(3部作完成)

*著名な嶌 信彦氏とツーショットで出演(2015年3月)

*著名な手嶋 龍一氏とツーショットで出演(2014年3月)

*著名な須田 慎一郎氏とツーショットで出演(2013年3月)

*2011年9月22日:「テアトルアカデミー」にて「死に方」演技指導」ワークショップ開催(役者志願者30数名参加)

*2011年5月6日:「テアトルアカデミー」にて演技指導ワークショップ開催(役者志願者30名参加)

*2010年11月9日:最大手の芸能学校「テアトルアカデミー」にて演技指導の第3回目ワークショップ開催(役者志願者30名参加)

*2010年10月から引き続き「京葉銀行」CMオンエアー決定
2年以上のロングなCMです!ご覧ください。

*2010年3月31日、最大手のサービス業界の企業様にて「演技手法からの営業マン」研修(1日)開催
*2010年3月中旬、某企業さまにて「演技手法からの営業マン」研修開催
*2010年2月25日最大手の芸能学校「テアトルアカデミー」にて演技指導のワークショップ開催

*2008年10月~2009年9月までの「京葉銀行」CM(主演:岩崎秀夫)。好評につき2009年10月~2010年9月(1年間)引き続きオンエアー決定!ご期待ください!
現在、シネマコンプレックスの東宝シネマ・マイカルの各映画劇場(市川コルトンプラザ・船橋ららぽーと・流山おおたかの森・八千代緑が丘)にて、本篇前のCM京葉銀行で出演中(2009年12月12日~2010年1月8日)
また千葉テレビ・レクサス千葉中央のルビョン・海浜幕張のビス・ビジョンに常時上映中。
*アラフェラッツ・フィルム社の映画「天空の約(ちぎり)」5年越しで2009年9月に完成(各国の映画祭へ出品予定)(中年の課長役で登場)

*フジテレビ「スーパーニュース」番組の中の「陪審制」のドラマで裁判長役で登場。2009年8月3日(月)全国オンエアー!!画面いっぱいで、ドアップで、低音の声で迫ります
*引き続き「京葉銀行」のCMが、2009年3月中旬からメジャーの放送局「テレビ朝日10チャンネル」にて全国ネットオンエアー開始、主役の岩崎秀夫が大ブレイク!!
*2009年2月21日(土曜日)埼玉県行田市長野公民館にて講演会講演者:俳優:岩崎秀夫
講演テーマ「人生は素晴らしい、たくさんの可能性がある」

(映画)

*松竹映画「時のかがやき」(ドクター役)
*東映映画「集団左遷」(夫役)
*アルフェラッツ・フィルム映画「天空の約」(上司役)
*東映Vシネマ「XXシリーズ=美しい獲物たち」(ヤクザの親分役)

(TV)

*タモリのボキャブラ天国(テレビ番組)(4回出演=隊長、国税局長、やくざの父親)
*火曜サスペンス「2階のおんなたち」(パチンコ屋のお客)
*「グッドモーニング」(風間杜夫、浅野温子と共演)(やくざの幹部)
*「スタードッキリカメラ」(5~6回出演)
*「さんまのクイズダービー」(5回出演)
*フジテレビ「木曜スペシャル=愛するものに遺した最期のメッセージ」(父親役)
*日本テレビ「ヒーローたちが泣いた日」 (中畑清が愛した親父役=主役)
*金曜エンターテイメント*室田日出男と共演(役所の清掃局長役)
*NHK「ドリームTV-201X」(チーフプロデューサー役)
*「男と女の珍事件簿」(刑事役)
*日本テレビ「笑ってコラえて=あかちゃんの旅編」(産婦人科のドクター役)
*「行列のできる法律相談」(夫役)
*「奪還[これが拉致の手順]」(在日朝鮮人の大物理事長役)
*「マネーの虎=堀の内九一郎ドラマ」(頑固一徹の父親役=準主役)
*「常識の時間」(社長役)
*「奇跡の生還」(学校の先生役=主役)
*「ジャッジ」(医者役)
*「行列のできる法律相談」(社長役)
*「笑ってコラえて」(ダブルキャスト:怖い大工の父親、専務)
*「スーパーフライデー」(劇団ひとりと共演)(ヤクザの親分役)
*日本テレビ「ザ・ワイドの再現ドラマ」(頑固な父親役)  (’05年)
*「TVのチカラ:看護助手失踪事件」(犯人の父親役)(’05)
*「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」(夫役)(’05)
*「伊東家の食卓」再現ドラマ(激怒の社長役)(’06)                  *「行列のできる法律相談所スペシャル:北村弁護士ドラマ」(布施博、萩原流行と共演:私は、裁判長役で低音の台詞で対抗しますのでご期待ください。2007年1月14日オンエアー)
*2008年6月5日(木曜日)フジテレビのドラマ「花衣夢衣」に産婦人科の医者役で出演(全国ネット)!!
*2012年10月2日 テレビ東京「最終警告!人間VS自然災害」オン・エアー
台風23号  バス水没事故からの奇跡の生還 再現:運転手役で出演

(CF)

*健康本舗
*世界へ向けてのプロモーションビデオ「ロックバンド=ペットショップボーイズ」[すべて英語使用](上司役)
*ネスレ海外版
*アリナミン(親父役)
*日本競馬
*「アットホーム」(社長役)
*キリンビバレッジ「ファイアー缶コーヒ」
*JR東日本
*丸井(幹部役)
*「NTT」ナレーション
*全国ネット「東京海上日動あんしん生命保険」(大森南朋と共演)(工事現場責任者役=準主役)(’05)
*「健康機器ーリブマックス」(父親役)(’05)
*全国ネットテレビ「レオパレス21」(藤原紀香と共演)(部長役))(’05)
*全国Webネット「トヨタ・新型プリウス映像」(関西弁の社長役)(’05)
*セントラル警備保障(’06)
*関東全域「AC公共広告機構」オール媒体(話題の『電車男』の主役:伊藤淳史と共演(2006年7月~2007年6月)                                 *好評につき再度、全国ネット「東京海上日動あんしん生命保険」(大森南朋と共演)(ヘルメットをかぶった工事現場責任者役=準主役)(2006年12月~2007年2月オンエアー中)
*「フォークと父親」(主役で登場=父親)(2007年撮影)
  2010年から全国のカラオケボックスで長期放映

*2008年10月から1年間:千葉放送・京葉線海浜幕張駅・JR千葉駅・柏駅前のヨドバシカメラ等の各大スクリーン・千葉県内の京葉銀行100店舗以上の各支店内にて 「京葉銀行」TV-CMに主役[父親役]でオン・エアー
*2008年12月20日から2009年2月上旬12チャンネルにて関東地方全域に「京葉銀行」CMオン・エアー(特に、ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」にて集中的にオン・エアー)
                  

(舞台)

*「おせんにキャラメル」
*「チャリティーショウ」(数回)
*「商業舞台:エルセーヌイベント」(神父役)
*「商業舞台:レディーテラクィーンコンテストの中のドラマ」(プロデューサー役)
*「ミュージカル:シンデレラ」(半年間全国公演)

(VP)

*「家屋評価の基準」(主役=固定資産税局長役)
*「コンパックブランド」(運転手役)
*「日本ユニシス」(会社の役員役)
*「ファイザー製薬」(ドクター役)
*「家庭用カラオケ:ゼロオン」(父親役)
*「NTTレゾナントコミュニケーション」(主役=父親役)
*「シスコ IP コミュニケーション」(部長役)(’05)
*世界的に有名な外車「FIAT」(コメンテーター役)(’05)

最新の講演活動

*「生きがい」(世界のトヨタ自動車にて基調講演)(2006年12月5日)

その他多数

岩崎秀夫の掲載メディアとアイ・オフィスの取引先一覧

<HIDEO IWASAKIの紹介掲載メディア>

*YAHOOJAPANの「有名芸能人公式サイト」
*GOOGLE の「芸能人サイト」
*NIFTYの「芸能人サイト」
*INFOSEEKの「芸能人サイト」
*FreshEYEの「芸能人サイト」
*Excite JAPANの「芸能人サイト」
*BIG-GLOBEの「芸能人サイト」
*全日本テレビ番組製作者連盟(ATP)
*インターネットの芸能名鑑「芸能ネット」
*「日本タレント名鑑」(VIP)
*「芸能紳士録」、「芸能手帳タレント」(連合通信社)
*名著「出演者名簿」(著作権情報センター)
*インターネット「芸能サイト情報局」
*「オールスター名鑑」(東京ニュース通信社)
*「テレビ・タレント人名事典」(日外アソシエーツ)
*「アクティブシアター俳優名鑑」(ごま書房)

*「講演.COM-株式会社イー総研の講演講師部門
*株式会社「ペルソン」のH/P
*EBA・タレントスクールの「演技指導講師」H/P
*タレントデータバンク「Tank-web」
全サーバにて『芸術論』『演劇論』の項目の中に私の記事の数章採用掲載
*株式会社「ナノ・メディア」(タレントスケジュール掲載情報サイト)
*「オーディションネット」(芸能ネット)
*株式会社「オーディク」(イベント・CM・講演会)のH/P
*株式会社「コミクス」キャスティングポータルサイト
*情報公開サイト「アトスタ」
その他



<芸能関係の主要取引先>

*NHK
放送センター(ドラマ局・エンターティメント局)
*RAY TALENT PROMOTION(芸能プロダクション)
*PROCEED(大手のキャステイング会社)
*ADVANTAGE(大手のキャステイング会社)
*キャスティングルーム
*泉放送制作(大手のドラマ制作会社)
*ディックス・プロモーション(老舗の音楽制作会社)
*アックスオン(日テレの映像制作会社)
*ニュースタッフ企画制作(日テレ系制作会社)
*テアトル・アカデミー(大手の芸能学校)
*JOB-X(TBS系制作会社)
*デルフィー(キャステイング会社)
*FLAMES JAPAN(キャステイング会社)
*BLUE PRINT(国内・海外のキャスティング会社)
*前田事務所(キャスティング会社)

*フラミンゴ(大手キャスティング会社)
*エルフィールプロモーション(キャスティング会社)
*プレジャービジョン(広告代理店)
*ワーサル(キャスティング会社)
*シーフォー(キャスティング会社)
*株式会社「ペルソン」(講演会社)
*株式会社「イー総研」(講演会社)
*株式会社「オーディク」(アーティスト会社)
その他

Sunday, 29 June 2014

日本の国会図書館への書蔵研究論文「我が芸術論:本論(Part-2)音楽論(その1)-2014年度高崎商科大学「紀要」論文採用決定稿

   MY ATTEMPT AT THE INTERPRETATION

             THE MUSIC (THE SOUND)

Hideo Iwasaki

 

Nature is the musician who produces a variety of sounds. You can hear the chorus of the many sounds in the forest: the sound of the wind, the sound of heavy lightning bolt from the drums of sky, the sound of the dropping of the rain on the ground, the sound of the crash of the leaves into the wind and the sounds of the florae and the faunae.

 Also, you can listen to the forest voice and God voice in a sense.

The sounds exist from onset of the earth. : the sound of the explosion of the volcano, the sound of cooling lava . The great nature is the sound creation artist.

Was the sound born on the earth at first Or, is the word born at firstAccording as a certain scholar said, the music existed all culture have been ever discovered. As people are dancing to the Paleolithic cave paintings depicted, also the bone flute was found in the cave, and we could imagine that obviously people be dancing with the music of some sort. Then, I will moot the music in itself. I set up the several questions occurred to my mind. That is, (1) What is the original music pattern? (2) Is it necessary for the humankind to live along with the music? (3)I wonder if we can’t live without it. (4) Is it meaningful for us? (5)What is its role? (6)Why does the variety of the music give rise to? (7)Why can we attract it, and feel sympathy to it fiercely. (8)What is the music in itself? (9)What is the rapport between the music and religion? (10)What is the both side of the music? (11)What is the music in the space?

 

[キーワード:自然、神、音(楽)の全面否定、両面性、沈黙の無限性]

序文

自然は、多種多様な音を作り出す音楽家である。耳を澄ませば風の音、大空からの稲妻の激しい太鼓の音、雨の地面をたたく音、風の波間にぶつかり合う木の葉の音、森ではなんと多くの音の合唱が聞けることか?また、森の声、ある意味では神と声が聞こえる。

地球が生まれた時から、音が存在していたのである。火山の爆発の音、溶岩が冷えて固まる音・・・

大自然は、音の芸術家であることか?

 

問題定義

言葉と音(楽)のどちらか先に生まれたのであろうか?

何故に、音は人間に心の波を引き起こすのであろうか?

音の世界に生きている人間が音のない世界で生きてゆけるのか?

何故に音楽が人類には必要であったのであろうか?

音(楽)がなんの役に立つのであろうか

音(楽)の役割とは?

何故に世界にはいろいろな音(楽)が存在するのであろうか?

本来の音とは?

なぜ多くの人々を同じ曲に共鳴して感動するのであろうか?

音(楽)と宗教の関連性は、はたしてどこにあるのか?

音(楽)の2面性については?

音楽とは、音を楽しむといわれているが、楽しむとはどういうことなのか?

宇宙では、音楽は無論のこと「音」が存在しないのではないか?

それらの疑問に対して解明を試みるのである。

考察

これからいくつかの課題を論証する。

第1章

言葉と音楽のどちらか先に生まれたのであろうか?

このテーマについては、どちらが先に生まれたという問題より言葉と音楽との相違でなく、同心円的なものであり、お互いに必要な時に使い分けをしていたことである。それを裏付ける根拠が次のジャン―ジャック・ルソーの文面から理解されるのである。

革命的社会理論家であり、また優れた作曲家であったルソー曰く「初期の人間社会では、歌と話しことばの区別がなく、最初の言語は、歌われていた。特に旋律的で詩的なものであった」(注1)。以上のような歌と言葉との混在化に対して、音楽人類学者であるブラッキング氏は「最初の人類は、歌と踊りが言葉のやり取りの発達に先行した」(注2)。つまり、最初に音楽(歌)が存在したと公言している。

しかしながら、先程指摘したように言葉と音楽は同心円的なものであり、また古代ギリシャ時代を概観すると音楽と詩は深い関係にあり、むしろそれらは、同一なものであった。また、古代の詩はイコール歌であった(注3)。古代ギリシャの韻文には、音楽的リズムが韻文に内蔵されているのであった。さらに、小泉氏が指摘しているように、「言語と音楽における相互影響は、(略)どちらが強く影響したという捉え方をするより、本来はどちらも、一本の幹から出た二本の枝であると見る方かよいかもしれない。(略)もともとこのふたつのものは、広く言えば同じものであり、また共通した要素からなりたっているのである」(注4)。よく言われることは、外国語を勉強している人は、音楽が得意であるといわれる。つまり、音楽と語学の共通性が認識されるのである。例えば、英語は抑揚・強弱などがあり、それは音楽との共通要素であるリズムの範囲である。また、小泉氏によれば、言語の持つ音楽性についてもう少し整理がなされているのでそれを紹介すると、金田一春彦氏の「コトバのフシ」の分析を試みて、次のように箇条書きで紹介しているのである。(1)音高的側面(2)リズム的側面(3)音色的側面(4)構成(楽式)的側面である。(1)については、音調言語である中国語・ベトナム語・カンボジア語であり、(2)ヒンディ語・ウルドゥ語・イタリア語・ドイツ語・英語・ドイツ語あり。(3)については、アメリカン・インディアンの言語(ナバホ語)・西アフリカの言語がこの範疇に入るのである(注5)

以上のように言語と音楽の相関性を専門的に解釈するまでもなく、私自身が、例えばピアノ・フルアコギター(エレキギターの一種である。ジャズ音楽に最適なギターと言われている)をつま弾いているとき、言葉で感情を表現すると同じ事が楽器で表現できるのである。人間のEmotionalな側面である喜怒哀楽感情を可能にするのである。

次にこれらの関連性の中で(2)のリズムについて、もう少し掘り下げて探究したのである。何故ならば、音楽の原型は、メロディではなくリズムであるので、その源を遡って考察することが必要である。

原始の時代では、集団の中で言語に替わるものとして、音楽つまりリズムが先に存在したと思われる。小泉氏曰く、音楽の諸要素の中でリズムは本能的な側面が強く出やすい(注6)といわれるように、言語の複雑な構成より、本能に訴えかけ形状化したリズムの方が最初に出現したように推考するのである。特に原始人が集団を構成した時には尚更である。それに関連した事例が、エスキモーの狩猟の中に垣間見ることができるのである。小泉氏は、あるエスキモーの調査(注7)を通じて(A)カリブーエスキモーと(B)クジラエスキモーとの興味のある比較論を展開している。(A)は、集団生活が必要ではなく二人で働くので生活の中に音楽が必要ではなく、他方(B)大勢の力で働かねばならないので、リズムが必要であり、このリズムの規則性が大きな結束力を生むのである。また、言い換えれば、社会と歌のスタイルの決定は、その人間たちが何を食べるか、食料に得る方法に依存するのである。

ところで、エスキモーの記述に関連して、小泉氏は音楽のモンスター的な姿を次のように述べ、我々に警告しているのである。

「我々が音楽的だと考えていることが、本当は人間の不幸の始まりかもしれない。自然に中で生きているエスキモーは、みんな一緒に力を合わせていかなければ生活ができないので階級制度が存在しない。また、土地は凍っているだけであるので、自分一人で買い占める土地としての価値がない。したがって、財産がないから身分の上下がない。それゆえに音楽の構造もシンプルである。(しかしながら、人類の長い歴史のなかで=著者の追加文章)素晴らしい音楽を人類が持つということと人間の不幸とは、何か直接の関係がる様に感じるのである。」(注8)つまり、世界で人類が縦割りの階級社会が形成されるとそれに伴って音楽が複雑になり、ある意味でその社会の固定化から生まれた複雑な構造の音楽が生まれたのであるが、パラドックス的にいえば、そのような状況が続くと音楽が社会の固定化に一役買っているのであろう。一つの事例として(著者の区分け)ジャンルでいえば、宮廷音楽あるクラシック音楽とジプシによるジプシー(ヒタ―ノ)音楽の違いのようなものである。

個人的には、ジプシー音楽が最低の音楽ではなく、唯、階級社会からの観点では、前者は、上流社会であり、後者は放浪の民族であり、ある意味で社会組織からはみ出した民であるという意味で区分けしたのみである。

第2章

リズムの文化論

何故に世界に一つの音(楽)リズムが存在しなく、世界には多様なリズムが存在するのか?何か外的な環境要因が関係しているのではないかと仮説するのである。

小泉氏によると諸民族の音楽のリズム的特徴を理解するためには、環境だけではなく、社会と経済の基盤を考えなければならない力説するのである。つまり、日本やアジア地域の住民は、本来農耕民であり1年の周期の中で生活をしているので、その規則性の中から生まれるリズムが存在し、他方砂漠地帯である乾燥した地域、あるいは北極の地域また、牧畜の地域に住む住民は、一年周期の植物を相手にするのではなく仕事のテンポが速いのである(注9)。前者の農耕民の世界では、周りの隣人と上手く共同生活を継続させるために、個人の自己主張を控え、調和と釣り合いが大切といわれているのである(注10)。リズムについてもゆっくりと変化する四季と同じ緩慢なテンポが生まれ、リズムの細やかでひたむきなものが好まれる傾向がある。このような傾向にある農耕民は、喜びや個性を失くし老若男女が自由に区別なく参加できる象徴的な形を取るのであり、典型的な例が「盆踊り」である(注11)。つまり、自分らの個性を抑えて隣人との調和に重点を置いている「だれでも参加できる」形態である。他方、遊牧・牧畜・漁協の民は、対照・急激なバリエーション・享楽的・刹那的なものが求められるので、リズムも必然的にそのような傾向のものになるのである。個人の激しい表現が極限まで強調され、集団の和の精神より個人の力量が評価される世界である。つまり、「誰にもできないような技量」がすべてである。後者は、音楽に合わせて足を踏みならす踊りがあり、例えばロシアの有名なダンスの形態であるコサック踊りであり、またジプシーの民族音楽であるフラメンコのダンサーの踊りある。上半身は常に直立であり、コサック踊りには言葉がないが、フラメンコ音楽には、カンテの歌詞があり,強弱アクセントが激しく自己の喜怒哀楽の表出が存在しているのである。つまり、本来的に農耕民である日本人は、「個」より「和」を大切にする民族であり、例えば、何かを成し遂げた時の言葉は決まって「自分一人の力でなく皆様のおかげで成功しました」とよく何かの試合に勝った時の実況放送の時のアナウンサーのインタビュー時のシーンでよく聞かれる言葉である。他方、西欧では「和」より「個」に重点を置いているので、同じインタビューシーンでは、選手は異口同音に「自分の力を十分に発揮できました。」と自分自身の成果を褒めたたえるのである。

その「和」と「個」の違いは、日本と西欧のいくつかの曲集の比較を考察すると明確になる。(注12)

つぎに「集団行動」と「個人行動」との違いが、結局は音楽のダンスの形態の違いにも表れているのである。

ここで興味のあることは、日本人と西欧人との音楽に合わせて踊る、POSTURE(姿勢)の違いである。日本では、「阿波踊り」のように姿勢が前かがみになり、腰が低くなるが、西欧では、社交ダンスでは、背筋を伸ばすことを指導される。その違いは、水田農耕民では、背中を丸めて仕事をするのであり、西欧では、本来遊牧的気質を受け継いでいるので自由に飛んだり跳ねたりする躍動的リズムを基盤としている(注13)。言い換えると、広い意味でアジア圏では農村主体の生活圏であり、「静」の動きがあり、他方西欧では動物との生活を通じて(牧畜圏)、「動」の動きが自然と身についてきたのである。

次の考察として、リズムの表現で東洋と西洋地域では、一曲の流れに顕著な相違があり、また一回体と回帰体の現象が見出され、それは、自説として、両地域の宗教に関係がある。つまり、キリスト教の一度死して復活する考えがあり、他方仏教の場合は、一度人間が死ぬと輪廻からの解脱を願うことである。それば、両宗教の埋葬方法との違いと関連性がある。キリスト教の信者は、彼らは一度死ぬと再生を信じているから埋葬は火葬ではなく土葬であり、仏教では、一度人間が死を迎えると復活することはないと信じられているので、火葬にされるのである。

さてここで、リズムに関連して小泉氏によると、平安時代の雅楽では序の曲、破の曲、急の曲の区別があったといわれ、またその考えを深く探求したのが能の世阿弥である(注14)。日本の場合は、川に流れのような過ぎ去るものは再び帰らず、日本の諸芸に共通していると言われている(注15)。インドから西のヨーロッパではロンド(繰り返し)の傾向があるといわれる。日本の一回体は、まさに鴨長明の[方丈記]の名文句である「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」の世界で具現化されているのである。

また、重久 剛によるとリズムやメロディーでは、日本音楽の「しらべ」は、欧米人に「単調な」趣を、欧米音楽のダイナミックな響き(リズム・メロディー)とは、到底相容れないのであると述べている(注16)。日本音楽の原点は、ある意味では、「静」の世界であり、「自然と人間の一体感」を表現した「同化」から生まれたのであり、自然の中の一部である人間であるという「自然同化説」であり、自然と人間はイコールの関係であり、欧米の人間と自然との関係とは明らかに違うのである。ご存じのように、欧米では、人間が上位で自然が下位である。日本の場合は、自然崇拝のアニミズムから由来する。つまり、人間と人間以外の自然との共存共栄の考えであり、万物と自然との融合である(注17)。仏教の一つである『禅宗』の座禅の境地に『無心になれ』というものがあるが、それは、すべての煩悩といわれているものを断つ事によって悟りが見出されるといわれている。無心の境地の瞬間は、まさに静寂・時間・空間を超えた何か『真空』の雰囲気を感じるのである。其の境地はまさに不動の心と言えるかも知れませんが、それと世阿弥が言わんとしている『無心の境地』とある意味で関連性があるように思われる。 
第3章

音(楽)の利用の仕方で悪に変貌

音楽は、祝祭・宗教的儀式・運動競技大会では、必要なものであった(注18)。特に、*アラン曰く:詩的なリズムは、行進する人間の集まり、一つの協和、一つの盛典を喚起するのである(注19)。つまり、群衆のいろいろと異なった気持ちを一緒に束ねる力を持っているのである。これに関連して、アランの文章からある負の要素を垣間見るのである。つまり、リズム、広義での音(楽)は、多く群衆を牽引する力があるが、一つの体に二面の顔を持ち、正の面では、良い方向への集団の結束を一つにする面がるが、それが負の面で現れると、それが宗教的な面で利用されると、とかく盲従する信仰と結びつき、自己の判断が麻痺してしまうのである。この点について留意しておきたい重要な事柄であるので、より深く検証する必要がある。

アラン・ブルームによれば、ロックが学生に及ぼす影響について興味のあることを述べている(注20)。つまり、ロックが他の種類の音楽への興味を失わせ、聞こうとする気持ちを失くしてしまうことを恐れているのである。ある意味でロックが音楽世界の中で壁を作り、その中で若者のエネルギーを封じ込めているのである。

ところで、ロックとは何かといえば、エルビスやビートルズに代表される電気ギターを使った音楽であり、リズム・アンド・ブルースカントリー・ミュージックから強い影響を受けた1940年代1950年代のロックンロールであると言われている。ロック自体、ジャズ・フォークなどの現在流行している音楽からも大いに影響を受けている。では何故に、多くの人々、とりわけ若者がその音楽に傾倒するのであろうか?

それは、ある意味では現代音楽の原点であり、ロックを学ぶことによって、若者の激しく燃える精神のはけ口として、つまりどこにぶつけていいのか分からない心のよりどころの世界がそこに見出せるのである。また、ある人は、ロック音楽は、既成概念体に反する、反社会的な傾向の音楽であるといわれる。いずれにしても、ロックは、他の音楽にはない若者を引き付ける烈しさがあり、また没頭しやすいのである。もし、ロックのみにしか興味が湧かなくなった場合、広い音楽世界では、あまりにも偏狭的な音楽感覚が、かれらに植えつけられるだけであり、ある意味では音楽全体の破壊に繋がれかねないのである。言い換えれば、ロック等の前衛の音楽に傾倒過ぎると、本来人間が持っている音楽的感性(sensitivity)の原型の麻痺を引き起こし、他の音楽ジャンルであるクラシック・ポップス・民族音楽等のみならず、他の芸術分野(絵画・建築・演劇その他)での感性をも破壊し、Chaosの渦に巻き込む力・無秩序の世界へ先導する力を宿しているのである。

では、感性とは何か?それは、遺伝的なものより、生まれた後の後天的ものであり、周り環境が作り上げたもの。感性という自分のフィルターを通じて感じることである。

若者がロックに埋没しているかの判断は、彼らの着ている服装を見ると一目瞭然である。

つまり、既成の概念の枠を超えた姿である。ロックのコンサートに賛同する人々の姿を見ると、継承・衣服等でそれがすぐに理解されるのである。

ところで、音楽とは不思議な思考である。私は、音楽を思考という言葉と同一視するのである。それに対しては、音楽は、思考でなく感情の領域のものだと主張する反対意見をする音楽愛好家の声が聞こえるようであるが、敢えてそのように申し上げる確証があるのである。

 本来人間は、何かに没頭すると、思考回路が脳の内部のみならず、その人の外見も作り上げる。例えば、音楽はもちろんのこと、私の経験で常日頃フランス語に没頭している人は、外見がフランスの服装を好むようになり、持ち物もフランスのものを所持するようになる。例えば、ルイヴィトン・グッチ等のブランド品である。

つまり、それぞれの一つのことに没頭するとその世界のそれぞれの職業の雰囲気が外見に現われてくるのである。

ところで、本題である「音楽の負の力」に戻ると、集団の中で特にイべントと結びついた時に音楽の怪物的な底しれないフォースを発揮するのである。

普通のコンサートの形態であれば、その負の姿が見出せないのであるが、例えば、野外のコンサートライブで何万人もの聴衆がステージのミュージシャンの演奏に自己陶酔する姿は、何か信仰的な様子を感じるのである。よく、聴衆の方々がライブを終了後のテレビインタビューで一言「現実を忘れ、夢のようでした。本当に楽しかった。」と異口同音に言う言葉を聞くと、音楽の理解を超えた深遠な得体のわからない魔物の存在を感じるのである。その存在は、正と負の両面を持った魔物である。それのどちらの面が顔を出すのかは、人間の感受性の光方の方向で決まるのである。

その顕著な例として、ヒトラーの場合がわかりやすい事例である。1936年のニュルンベルク党大会では、音楽や旗、サーチライト、行進行列が事前にお膳立てされ、その中で感情的な熱のこもった演説(呪文)が行われたのである(注21)。その効果は、絶大であり群衆は、彼の呪文に対して恍惚に酔いしれたのである。ここで音楽の計りしれないパワーを痛切に感じるのである。群衆の批判的判断力を喪失させ、彼を神のような存在と感じさせる盲従の極みである。その勢いで群衆は、ヨーロッパ世界を蹂躙し、多くの人々を死へ追い立てたのである。特に、彼の指揮下に無実なユダヤ人たちを殺戮した。本論とは関係がないが、ユダヤ人のヒットラーによる迫害は、あまりにも有名あるが、ジプシーへの迫害を決して忘却の彼方へ押しやってはならないのである。

「ジプシー」という存在は、時と場所を選ばず社会から疎外・無視され迫害された民族であり、例えば、第二次世界大戦時ヨーロッパを占領したナチスドイツによるロマ民族に対する試みは、悲惨極まるものでした。ロマ民族の言葉であるロマニ語でポライモス(Porajmos)~食らい尽くす、絶滅させる~というジプシー絶滅政策は、ヨーロッパに住む多くのロマ民族が殺されました。その数は正確には把握することができなく、1939年の欧州におけるロマ人口885千人(推定値)のうち25万から50万人殺された。この時期のロマ人口をより上記より多く見積もり、100万人から400万人殺されたと云われる。

ナチス占領下の欧州で全ロマの7080%殺された(注22)。この数値のどれが本当なのかは不明ですが、この時期にポーランドのアウシュビッツなどの収容所でユダヤ人ゲットーの中に「ジプシー・ゲットー」という区域が存在していたのはまぎれもない事実のようです。この収容所で行われていたのは、強制労働・人体実験・毒ガスによる集団虐殺などユダヤ人のホロコーストと同様のことでした。戦後、ロマに対するポライモスの事実はユダヤ人の場合と違い、明らかにされることなく補償も無視され続けてきました。

「音楽の力」のテーマに戻ると、身近な例としては、日本の軍歌の代表的な「同期の桜」(注23)である。この軍歌に鼓舞され、多くの若者の命が戦場で散ったことか?

さらに、宗教世界での音楽の役割の重要性を認めざるを得ないのである。西洋のキリスト教会のオルガンの響き、聖歌隊の歌声、イスラム世界でのミナレットから放送されるコーランの調べの音楽、日本のお寺の読経の響き、密教での邪気をお払いするためのお焚き、また音楽的な読経、金剛鈴(こんごうれい)の音色。

音楽の負の力ではないが、「音」で思い出されるのがヨーロッパ中世期の教会の鐘楼の音の力の存在である。中世ヨーロッパについての日本の第一人者である阿部謹也によれば、中世の音の世界を語る時に、どうしてもそれを抜きに中世の音楽を語ることができないのである。中世の人は、音を大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)に分けていたのである。つまり、自然から発生した音である森を吹き過ぎる風の音、オオカミの叫び声も、大宇宙からの音として恐れられていたのである。小宇宙の音は、病気の流行や嵐に対し鐘を鳴らしてそれを防ごうとしていたといわれる。つまり、鐘の音の力で小宇宙を守ろうとしたのである。小宇宙の平和のシンボルとしての鐘の音の中に、ヨーロッパの真の姿を知るのであると論述している(注24)。また、一日の時間概念を鐘の音で住民は、規則正しい一日の生活リズムを刻んでいたのが理解できるのである。

鐘の音で邪気を病気その他怖い不吉なことをお払いするために、小宇宙の音で自分らの世界を守ろうとしたヨーロッパの教会の鐘の音と同じような意味合いが、遊行が携帯する道具(比丘十八物)の一つである、つまり錫杖である。

日本の錫杖(しゃくじょう)の尖塔についているなどで造られた頭部の輪形に遊環(ゆかん)といわれるものが6個または12個通してあり、音が出る仕組みになっている。錫杖は、修行者が山野遊行の際に、地を突き、振り鳴らし、猛獣毒蛇などから身を守るために携行したもので、また、托鉢のときにはこれを鳴らして来意を告げるためにも用いられ、仏具として広く流布したものである。この音には,悪霊を攘却する呪力があるとも考えられていた。修験者は,手錫杖を好んで用い,これを打ち振って尸童(よりまし)を神がからせることもあった。つまり、厄除け・災難除けの道具としての役割持っていたのである。数珠からの音によって同じ魔よけの効果があると信じられている。また、日本の寺の鐘の音やある宗教団体体が托鉢しながら小太鼓を片手に持って回遊する時の音などは、邪気や災いを排除する力があると信じられていたと言えるのではないだろうか?

第4章

いつごろから人類が音(楽)を作ったのであろうか?

ある数の人間が集まり、つまり集団を作り、日常の単調さから解放のために音楽が生まれたのではないかと想像する。

また、ある程度の集団社会を作り上げるとその集団の秩序を作り上げるためにハイアラキ―が必要であり、また宗教階級の存在が必要不可欠であった時点で、祈祷師による呪い(まじない)と共に音楽が必要であり、その効果は語りより強烈な効果を与えたに違いがないのである。現在でも、密教である不動明王の祈祷の時によく見かける光景として、護摩を焚きながら太鼓をたたき、リズムのある読経が堂内に響き渡り、神秘な雰囲気を作り上げる効果をあげている。在家の人々の間でよく知られている

私事であるが「般若心経」は、やはりある種のリズム・抑揚・強弱があり、それを唱えるときある種の音楽性が存在するのである。また、中陰和讃にもそれを感じとるのである。

また、小川のせせらぎの音・風のそよぐ音・滝の音等に心が動揺するのである。

その衝動は、万国共通のようである。これに関連して、ある音の選好度の調査でニュージーランド、カナダ、ジャマイカ、スイスに住む人々を対象に、それらの音に対し不快の気持ちを示さなかったばかりか、心地良いとの結果が出た。(注25)

 私見として、この調査はある偏りがある。つまり、これらの国は、自然に囲まれた環境のところであり、自然に対する感性度が他の国々に比べて高いのである。それらの国々に比較して、あまり自然に囲まれてない国々の都会での調査が欠落している。

この点で、自然の国(A)と都会に囲まれた国(B)との音に対する感度の違いが存在すると確信するのである。つまり、双方の音(音楽)を作る時に音の地理的反響があり、例えば、山に囲まれた場所では山と山のとの間隔が広く音の反響(エコー)(*こだまのことではない。)が弱く、逆にビルに囲まれて都会ではその反響が距離的に狭くその反響音が強いのである。それの理由で(A)では、澄んだ高音の心地よい音が作りだせるのであり、(B)では、低い音、刺激的なDistortion(歪みの音)が作られる傾向あると分析する次第ある。つまり、同じ音でもその音量の塊が(A)では細く長く(B)では厚く硬いものになると思われるのである。

 つまり(A)では、例えば、ヨーデル音楽の楽器にしても歌にしてもかなり高音を発するのに対して(B)では、Rock/R&B/Funk/HipHop/Hard Rock/Jazz/Classic等では楽器にしても歌にしても極端な高音を必要としない。しかしながら、その都会のジャンルでRock等を高音であるという人がいるかもしれないが、それは、高音でも(A)の澄んだ音ではなく、人為的な音なのである。その都会的な音は、どこから来るかと考えるに都会で生まれて、都会で育った歌手・楽器演奏者は、機械音をテレビ・ラジオから聞いているので脳裏にそれが染みつき、声にした時又は演奏する時、どうしても機械の音楽から離れられないのである。どんな澄んだ音を機械が作りだそうとしても限界がある。

ある意味では室内用のものであり、都会音楽演奏範囲は、よくコンサートホール・ライブハウス・ストリートで演奏される傾向が多く見受けられる。そのような地理的配置を無視できないのである。音の形成には、それぞれの民族と土地と地域の大気が関連している。

音と街並みとの関連性も無視できないテーマである。また、音の波動の障害物に衝突して帰ってくる音の現象は、特別に山と山のない都会との音の違いを取り上げるまでもなく、身近なものから理解できるのである。つまり、ホール・トンネル・渓谷・地下室等の場所で音を鳴らすと感じる違いである。

また、将来研究をすることによって、自然と都会の音楽を聴いてどこの国の山またはどこの都市から生まれた場所かを確認できるかもしれない。それは、次回の課題にする。

いずれしても(A)と(B)音楽構成の方法からジャンルの違う種類の相違が見られるのである。

 これに関連して、アンソニー・ストーは興味のあることを記述している。彼によれば、「音楽は世界の地理に明るくなるためのメモリーバンクである」している。つまり、原住民は鳥がなわばりの境界を主張するのに鳴き声を使うと同じように歌を用いているといわれる。それに関連して言えることは、音楽の種類によってそれがどの場所のものであるかがわかると言える。音楽の地域性の分布がわかるのである。(注26)

 地域制の違いで大変興味のあるご指摘をしている小泉文夫氏の「音楽の根源にあるもの」の中で日本のような農耕文化と遊牧・牧畜社会の音楽について、むしろ広義の芸術一般について比較論の展開をしているのである。(それについては、前述の「リズムの文化論」参照)(注27)

ところで、人間が、五感である視覚・味覚・触覚・嗅覚・聴覚の中で聴覚が特に発達して、感受する「音」の対して敏感であるということは、その起源はどこにあるのであろうか?(2)音楽教師あるデイヴィット・バウロズは、「胎児は、子宮の中で、戸がバタンと閉まる音にびくっとする。子宮の中で聞こえる豊かで温かい雑音が記録されている。赤ん坊にとって自分の皮膚のさらに向こうにある世界について、その存在を示してくれる最初のものの一つが、この母親の心臓の鼓動や呼吸なのである。」(注28)と指摘するように、その他の諸感覚の中で聴覚がヒエラルキーの頂点に立つのに疑問の余地がない。

特に、女性の方が男性に比べて聴覚に対して敏感である。男性の方は、視覚に優れている。例えば、夜の営みの時に女性は、目を閉じ男性の仕草・言葉を聴覚で判断し覚醒するが、男性は女性の身体を視覚で見て覚醒するのである。つまり、女性の方が、音に対して敏感であるとの結論が導きされるのである。よく激しいロックコンサート等の時に興奮して心神してタンカーに運ばれるのは、概して女性である。また、戯曲の傑作といわれるロメオとジュリエットの物語で、ロメオがベランダ越しのジュリエットに愛のセリフを言うシーンを見ても、男性が女性に声をかけることからも女性の聴覚へ働きけると効果が大きいのが理解できるのである。

それに関連して、興味のあるのは、鳥の事例では、雄は、自分の好みの雌を探すのに「視覚」を使い、鳴き声では、雄が雌の聴覚へ一方的に発するのである(特に、性的挑発時)。この行動から判断して、雌の聴覚の優位性が認められる。

では、次に鳥の鳴き声との関連として「音楽性」を検証する。

 アメリカの鳥類学者であるハート・ショーンは、鳥のさえずりは、音のパターンと行動状況が音楽に似ている。・・・音楽技法の中で単純なものは皆、イチョウとそれに伴うハーモニーですら、鳥の音楽のなかに見られるのだ。つまり、鳥のさえずりは、イコール音楽性を帯びていると定義する(注29)。それを認めない著名な学者であるレヴィー・ストロークは、鳥の鳴き声は、音楽の起源ではないと主張する(注30)。更に、そのような根拠も確証もないと重ねて強く言い放ったのである。それらの主張の対立に対して、ストラヴィンスキーは、中庸の論を述べている。鳥の鳴き声のような自然界の音は、・・・音楽を私たちに感じさせるものだと指摘する(注31)。私自身も、ストラヴィンスキーの意見に同意する。むしろ、自然界が、音楽の教師であり、私たちに音楽の何がしかのヒントを与えているのである。事例として、リストのピアノ曲《二つの伝説》の「小鳥に語るアッシジの聖フランシス」は、小鳥のさえずりが存在していたから、曲が完成したのであり、ドヴォルザークの作品の主旋律を小鳥の鳴き声からヒントを得たことである(注32)

 また、人間が作る音楽とは何か?人間以外の動物の鳴き声とどこが違うのであろうか?

人間界の音楽は、原始時代は音楽の音が存在したのであろう。つまり、一音の音である叫びであったろうと想像するのである。その限りでは、一般的な意味で他の動物と特別な違いがなかったのである。ある意味で、人間の鳴き声にしろ、動物(鳥の鳴き声含)のそれにしろ、自分らの縄張りを作るために作られたと思われる。また、動物行動学者のコンラ―ト・ローレンツ博士は、興味のある指摘をしている。つまり、鳴鳥の歌声は、領土独立宣言をして縄張りを確保しているのみならず、多くの種類では鳴き声から、鳴いている鳥がどのくらい強いか、年はいくつか、言いかえると、その鳴き声を聞いた侵入者が歌手にどれほど恐れねばならないかを、たいそうはっきりと聞き取ることができるということも重要である(注33)

次に、動物に鳴き声に関連して、世界中の人々がそれら動物の鳴き声に同じように聞こえているのであろうか?無論、否である。世界の擬声語では、例えば、ニワトリの鳴き声一つをとって調べてみても同じ発音には聞こえないのである(注34)。つまり、国または民族によって相違が認められるのである。つまり、同じ動物でもいろいろな国の外国人が違う音として認識することは、「音の認識」の観点から大変重要なことを示唆しているのである。つまり、動物の音楽的鳴き声が国の民衆の聴覚を通じて相違が証明されたことは、人類が作る音楽の受け止め方が人々によって違うのではないかと疑問が浮かんでくるのである。名曲といわれている作品でも、同じように全世界の人々が同じように聞こえてくるのであろうか?疑問が残る。唯ある地域の人々が名曲と強く認めているから、他の地域の人々もあまり考えないでそうかもしれないと思い理由もなく妥協しているのではないかと思われる。例えば、日本の代表的な曲である「さくらさくら」は、日本人の間では、名曲として親しまれているが、他の国の人々が本音のところでどう評価しているのか?

別の角度から検証すると、動物の鳴き声は、世界の人には違ったように聞こえるが、人為的な曲は、世界中の人々には同じように聞こえるのかもしれない。また、動物の声帯を使った音は、違った音として聞こえ、人間が制作した音楽楽器で奏でる音は、全世界では、同じに聞こえるのかもしれないである。その点は、今後の課題である。

第5章

音の世界に生きている人間が音のない世界で生きてゆけるのか?

ストー曰く:暗闇の世界は怖い。・・けれども、音のない世界はもっと恐ろしいのだ。・・静寂の世界は死んだ世界である。(注35)

実際、音のない世界に人類が生活するのは不可能である。拷問で自白をさせる一番の方法は、囚人を音の遮断された部屋に住まわせることだと言われている。

ストー曰く:静寂の世界は死んだ世界である。遮音、遮光の部屋に一人で引きこもれば、ニルヴァーナに似た法悦や緊張からの解放を短い時間味わうこともできる。ところが、長期間にわたって一人で閉じ込められると、何か刺激のあるものを見つけようと必死になると言われている(注36)。刑務所の囚人に話を戻せば、よく聞くことであるが、長期間入っている囚人は、たとえば、文章力のある囚人は、自分の伝記文章を書いたり、また絵を描くのが好きな囚人は、絵を描くのであろう。また想像力の囚人は、詩でも書くのであろう。さもなければ、幻覚を見て発病するのであろう。人間は、音のない世界では、自分自身の内部へ関心が向けられ、自分の世界に埋没するのである。

ところで、本来的に音楽が存在しなければ、人間は生きてゆくことができないのであろうか?

但し、人間が誕生した時点では、全くの想像の世界であるが、音楽は存在してなかったのではないかと想像する。

たとえば、原始時代の人々は、音楽ではなく「叫び声」という音を通じてお互いの意思の疎通の手段として存在したように思われる。その音を通じてお互いの意思を確かめ、共同体を形成するのに大いに貢献したのであろう。つまり、ここで意味する音とは〈楽〉を除いたものであり、ある意味では、言語と同一視の関係であった。一種の叫び声かもしれない。または、集団のアイデンティティには必要であったのであり、その集団の維持するためのそのものであったのであろうか?また、捕食のための動物を狩りたて、一か所に集めるために使われたのであろうと推測する範囲内である。

つまり、原始時代では、音楽の楽(らく)は存在しなかったのである。

しかしながら、いままで発見された文化には全て、音楽が存在したといわれている。旧石器時代の洞窟絵画には、踊っている人々が描かれていて、またその洞窟で発見された骨製の笛は、明らかに人々が何らかの音楽に合わせて踊っていたことが想像できるのである(注37)。ところが、遺憾ながら記譜法の発明以前であり、また文字を持たないある文明の先代からの伝承以外の場合の先史時代では、何もその音楽性の存在を確かめる方法がないのである。つまり、人類が始まって以来、集団(最小単位である家族)を構成している以上、何がしかの形態の音楽が存在したのではないかと推測できるのみである。

事実、音楽人類学者であるジョン・ブラッキング曰く:「最初の人類は、現在知られているようにホモサピエンス・サピエンスが会話能力を身につけて現れる数十万年前に、歌い踊ることができたという証拠がある。」(注38)。もしこれが事実だとしたら、先程の推測が証明されたことになる。

また、歌い踊る時代の根拠として 杉浦健一によると次のことが述べているのである。つまり、文化を持つヒトという名にふさわしい活動をするようになるのは、最後の氷期が衰退し始めた頃の25、000年前から出現したHomo sapiens以降のことであるといわれている。他の動物から区別されるその文化は、(1)火を作り食べ物を調理(2)人は道具を作る(3)人は身体に毛が少ないが衣服を作って身体を守ること(4)人は組織ある社会を作る(5)人は、超能力の信仰を持つこと。(6)人は美しいものを作り出し、それを楽しむこと。ここで注目されることは、(6)芸術的なものである。つまり、現在的な用語である踊り、演劇、建築、彫刻、絵画、散文、の原型が生まれたのである。無論、音楽も含まれるのである(注39)

 人間は、ある一定の文化を持つと芸術的な活動をするのであり、それなしには人間と言えないのであり、言い換えれば、人は、芸術なしには存続ができないのであるという結論に達するのである。

第6章 

何故に、音楽が人類には、必要であったのであろうか?音楽がなんの役に立つ

のであろうか

前の章(第5章)で述べたように、ある集団を作り上げると、どうしても結束を深めるために組織的な社会を必要としそのためには音楽によって社会を秩序立てるのである。

アンソニ・ストー曰く:「音楽は時間を組織化し、同時にそれぞれの活動(礼拝・結婚・葬儀・手仕事等)で覚醒された情動を秩序立てるのである。群衆の感情を高める働きをする点で、それは雄弁家のそれと似ている」(注40)と指摘している。それは、広い人類史の中での原始の時代における食料確保には、集団の結束のために音楽が必要であったと言えるのである。

 また、アラン曰く:「あらゆる音楽は、音楽が欲しかつもたらす純粋さ、注意、服従、沈潜、平静によって宗教的である。…本来の意味における宗教音楽はより厳しいものである。…そして、宗教音楽はすべての人を傾聴させる。(注41)。その意味では、前述したように必然的に集団をまとめ上げるためのカリスマ的リーダーが必要であり、また、精神世界を統率する祈祷師的な役割の登場が必要であった。それを神格化するためには、音楽の伴奏が必要不可欠であり、その雰囲気に陶酔する集団がいたのである。アランが云っているような宗教音楽が存在したのである。

いつの時代でも、音楽の影響力は強く、身近な例では、日本の「同期の桜」の音楽で多くの兵士が励まされ、戦地に向かったことである。また、ある意味では、「ラジオ体操の音楽」を聞くと、ほとんどの日本人は、何となく体が動いてしまうのである。(注参照)

本来音楽は、アランが指摘しているように「音楽は恐らく最も純粋な、最も脆弱で最も力強い、最も崩れやすい人間の形である。」(注42)

 ところで、音楽の正の面での効能として、現在では「音楽療法」の形で音楽が役だっている。

では、音楽療法とは何か?

音楽療法の間口は、大変広く、その内容は多岐に渡ると言われている。音楽療法は、主に、音楽を聴くという受動的な方法と、実際に本人が歌ったり楽器を演奏したりするといった、能動的な方法とに分けられます。音楽療法の受動的な方法は、単調な日々を過ごしがちな施設の入居者に対して、一日の生活リズムに応じて、音楽を聴かせることで、BGMの効果から、気分転換や、情緒の安定に効果があると言われている。また、明るい気持ちになることで、夢や希望を抱かせるのにも効果的である。そのような効能では、施設の入居者の方々のみならず、人生に悩み苦しんでいる人々にも何がしかの心の安堵感、励ましを与えるのである。アンソニ・ストー曰く:音楽は、脳に障害のある人にとって音楽の助けをなしには成し遂げられないような仕事をできるようにする。また情緒的に不安定な人や精神に障害のある人の生活に生きがいを与える。(付43)そのように音楽は、治療として役立っていると云えるのである。

つぎに受動的音楽療法を利用することによって、痴呆症やダウン症といったすべての障害のタイプの利用者に応用することができる。また、能動的音楽療法も、楽器習得は自己規律、自己能力への信頼、人の内的な状態が忠実に出たりすることを体験することが可能であると考えられている。

それでは、具体的にはどういった効果が期待できるのであろうか。 

例えば、アー、ガーという声しか発していなかった、11歳のダウン症の男の子に、約二年間にわたり30分の個人セッションと、クワイヤーホーンという楽器を鳴らすことで、その音で擬音を表すということを行なった。その結果、徐々に発音や言葉だけではなく、歌詞つきの歌も歌えるようになり、太鼓を鳴らしながら歌うことが出来るまでになり多くの人を驚かせたといわれている。
 
 また、60歳代半の男性が脳梗塞により四肢麻痺なり、意思疎通はアイコンタクトのみになってしまいました。何か楽しめることはないかと考え、かつて彼が好きだった曲を、キーボードで弾きはじめ、レパートリーを広げるうちに好みの歌手のときには真剣な表情を示したり、フィンガーシンバルで音が出ると本人が喜ぶといった表情を見てもわかる程の変化を示すようになったという事例も報告されている。また、高齢者・不登校児、薬物乱用者等にもそれなりに音楽療法は効果が期待されると言われている。(注44)

次に音楽の素晴らしい可能性について、ロシアの作曲家・ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(注45)の言葉を紹介。

「偉大な音楽の芸術を愛し、研究しなさい。それは諸君に崇高な感情、情熱、思想の一大世界を開いて見せるだろう。それは諸君を精神的により豊かに、清く、完全なものにするだろう。音楽のおがげで諸君は自分の中に新しい、これまで知らなかった力を発見するだろう。諸君の目には人生が新しい色調、新しい色彩において見えてくるに違いない。」 

第7章

音楽に対する聴力は重要であるか?

「私には何も聞こえない時、彼(カール)には牧人の歌が聞こえて、いつも私には何も聞こえない時、・・私はほとんど絶望せんばかりだった。・・私を引き止めたのは、芸術だった。」(注46)

普通の人は違ってベートーベンは、音楽家であったのであるから聴力を失うことは、自滅を意味する。偉大なベートーべンの聴力を失った時の嘆きは計り知れないものであったろう。

しかしながら、ご存じのようにその聴覚を失っても精力的に音楽作品を作り続けた精神的強靭さには素晴らしいという言葉でなく、ある種の恐ろしさを感じる。

その精神力が基礎にあったのであるが、実際、彼はどのようにしてその難聴後に音楽活動をしたのであろうか?

ベートーベンは、その後特製のピアノを発注し難聴の克服に乗り出している。ピアノは、張り詰めた弦をハンマーで叩いて音を出す弦楽器の一種なので、弦を叩いた振動が伝わってくるようにすれば難聴のベートーベンでも音の強弱を把握することができる。一説によれば口にくわえたタクトをピアノに接触させて、歯を通して振動を感じたとも言われている。ベートーベンは今で言う骨伝導を利用して音を感じていたのである。ベートーベンは、感じ取った音と耳が聴こえていた時期の音の記憶と音楽知識で作曲を続けた。作曲以外のときは、筆談と聴診器のような補聴器の原型で会話を行っていたようである。

難聴後に次々に楽曲を量産する。特に1804年から1814年までの十年間は「傑作の森」と呼ばれるベートーベンの黄金期となる。この時期には「エロイカ」「運命」「田園」などの交響曲やピアノソナタ、オペラ用楽曲などが製作・発表されている。この時代に作られた楽曲は、ベートーベンが生涯に製作した楽曲の半数を占めるほどの量と完成度を持っている。晩年は、「交響曲第九番」「荘厳ミサ曲」などを作曲している。(注47)

普通、聴覚を失った人は、または生まれつき備わっていない人は、音楽とはかかわりを持つことができないのであろうか?可能性としては、骨伝導を使って音楽活動が可能である。

私の知人にも骨伝導を利用して、活躍をしている人物を知っている。

 つまり、聴覚を失うことは、音楽活動にあまり障害にならないのかもしれないのである。そして、何かの力が障害の上での特別な才能を啓発するのかもしれないのである。

結論

音楽とは、不思議なものである。唯の音なのに何故そんなに多くの生き物(動植物)たちに共感を与え続け、それのみならずそれらの生き物たちの成長に良い面でも悪い面でも大いに寄与していることか?そこに、音楽またはサウンドの存在価値があるのであろう。

その点については、今までの考察でその一部が証明されたのである。

それでは、本来の音とは?

ショーペンハウアー曰く:「この世界には人間に聞き取れない音や、目に見えない色が存在している。しかしながら、私はそれに声の限界を取り上げる。楽器にしても、人間のそれらの範囲内で作られたものであり、だいたい音楽という言葉自体人間が勝手に作り上げたものであり、音楽という存在自体もともとなかったのである。人間の聴覚・視覚等を超越するものが存在しているのであり、もしそれらが表現できたら、その時には現在存在している諸作品を超越した作品が生まれると断言する。本来の音とは、宇宙の究極的なもののひとつである。」。(注48)

 彼は、本来の音について宇宙に存在していると明言しているが、宇宙にはもともと音のない空間であるので、私は納得のいく文面ではないのである。

 つまり、宇宙は、音が存在しないといわれている。宇宙は真空状態で「音を伝える物がない」ので「音は伝わらない」のである。(音を伝えるものは、空気だけではないのである。 水、金属、ガラス、空気以外の気体でも音を伝える。固体、液体、気体は、どれも押されれば押し返す力が発生するので、音を伝えることができるのである。)
 
その根拠として、ギリシャの賢人であるプラトン曰く:音楽は自然に存在する物の調和の基礎であり、また宇宙における最高の統治ある。(注49)プラトンの自然の調和については、ストーが別の機会に述べている個所との相関性に気づくのである。少し長い文章であるが、重要な個所であるので、そのまま引用する。

「1934年の冬、南極大陸の前線気象観測地の要員として、たったひとりで南極に滞在することになったバード提督の日記には、:午後4時、氷点下89度(華氏)、いつものように散歩に出た。私は静寂に耳を澄まして立ち止った。昼は死に夜が生まれつつある。しかし、まことに静かである。ここには測り知れない宇宙の営みと力が、調和と静寂を保って存在している。調和、まさにそれだ!それは静寂から生まれてくるものだ。やさしいリズム、完全な和音の旋律、おそらくは天体の音楽。そのリズムを捕えれば、一瞬でも自分がその一部分になれば、それで充分であった。その瞬間、私は人間と宇宙の一体性に何の疑いも感じなった。その時確信したことは、そのリズムがあまりに秩序正しく、あまりに調和的で、まったくの幸福の産物とは思われないほど完全であるということ、それゆえにこの全体の中に目的があるに違いないということ、人間が偶然の派生物ではなく、その全体の中の一部であるということ、であった。それは、理性を超越する感情であった。」(注50)

つまり、音の存在を超越した宇宙の根源とは、静寂と完全な調和から生まれてくるのであり、人間もその宇宙の一部であるのみである。

では、音楽の存在性は、どこにあるのであろう?

本当は、音などは本来存在していないのではないだろうか?動植物たちの知識が勝手に作り上げたものではないのでないだろうか?音の存在認識は、動植物界の聴覚の役割を認識する機能が大いに関係があるのであろう?

音が存在したのに、突然音がなくなった時は、多くの人が静寂の中にいるというが、逆説的にいえば、前より一層の喧噪の世界に埋没したと言えるのではないだろうか?つまり、人間の脳の中では、音と音との間隔の空白に次に送るであろう期待を持って多くのことを思い巡らせて以前よりはるかに精神的・神経的に高まり激しく喧噪巡回しているのである。

芸術は、間(ま)が最重要要素であるが、それは静寂の世界ではなく、次にステップアップするために最速で走り出す姿なのである。つまり、音楽は、まさにその間の中に存在しているのである。ピカートの言葉を引用すれば、(注p29)沈黙という自然の世界よりも大いなる自然世界はない。・・・音楽の最後の響きが消え去った時ほど、沈黙がありありと聞こえてくることはない。(注51)・・・沈黙の中で初めて、人間と神の柲儀(ミステ―リウム)とが出会うのである。(注52)言葉が人間の本質をなすものであるように、沈黙は神の本質である。(注53)

 音楽は、音と沈黙との対話である。沈黙自身が音楽の中で力強く前面に現れる。(注54)

沈黙を宇宙で全能な力を持ち、宇宙の沈黙の先には、究極的な存在である「神」が鎮座しているのである。 

 

(脚注)

(1)アンソニ・ストー『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『1.音楽の起源と社会的機能』、27p~28p

(2)同上書、28p

(3)同上書、32p

(4)小泉文夫『音楽の根源にあるもの』、青土社、1978年3版発行、『日本語の音楽性』131p

(5)同上書、132p~133p

(6)同上書、『日本のリズム』34p

(7)同上書、『歌謡のおこり』76p

(8)同上書、『自然民族における音楽の発展』173p

(9)同上書、『日本のリズム』37p

(10)同上書、『日本のリズム』38p

(11)同上書、『諸芸のリズム』26p

(12)世界のフォークソング集

<和(集団)の曲集>

1)北海盆歌 ほっかいぼんうた

(エンヤーコーラヤ ハァ ドッコイジャンジャンコーラヤ♪ ドリフ「8時だョ!全員集合」オープニングテーマの原曲)

2)草津節

(草津よいとこ 一度はおいで ア ドッコイショ)

3)河内音頭 かわちおんど

(イヤコラセードッコイセー!鉄砲 光三郎による鉄砲節が有名)

4)斎太郎節(大漁唄い込み)

(松島の 瑞巌寺ほどの寺もない 石巻 其の名も高い日和山)

5)こきりこ節

(マドのサンサはデデレコデン ハレのサンサもデデレコデン)

6)ソーラン節

(ニシン来たかとカモメに問えば わたしゃ立つ鳥波に聞け)

7)お江戸日本橋

(お江戸日本橋七つ立ち 初上り 行列揃えてアレワイサノサ)

8)金比羅船々 こんぴらふねふね

(こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ

とらとら 虎々

とらとーら とーらとら♪ 日本の伝統的なお座敷遊び・お茶屋遊び)

9)花笠音頭(花笠踊り)

(揃ろた揃ろたよ 笠踊り揃ろた ハァ ヤッショーマカショ!)

10)安来節(やすぎぶし)

(どじょうすくいのルーツは、砂鉄を集める「土壌すくい」?)

11)炭坑節

(月が出た出た月が出た 三池炭坑の上に出た?)

12)東京音頭

(ハァー踊り踊るなら?丸の内生まれの東京音頭で夏を乗り切れ!)

<個の曲集>

1)オーソレミーオ(私の太陽)

帰れソレントへ

(ソレントの美しい自然と一人の男性の恋心を描くナポリ歌曲。)

2)忘れな草(私を忘れないで)

(私を忘れないで 君こそが我が人生 私を忘れないで)

3)カタリ・カタリ(つれない心)

(女性に捨てられた男性の深い悲しみを切々と歌い込む悲哀の歌。)

4)タイム・トゥ・セイ・グッバイ Time To Say Goodbye

(盲目のテノール歌手ボチェッリとサラ・ブライトマンのデュエット曲)

5)クラリネットをこわしちゃった

(有名な「オ・パッキャマラード」のフレーズは、フランス語の歌詞では「Au pas, camarade(オ・パ、キャマラード)」の部分。)

6)三人の王の行進

(イエス・キリスト降誕を祝う東方の三博士マギの行進。ビゼー『アルルの女』の『ファランドール』でメロディが引用されている。)

7)月の光に

(月の光が照らす夜、ペンを探す男女が見出したものとは?)

8)森のくまさん

(くまは言った。「君、銃を持ってないみたいだけど、大丈夫?」)

9)茶色の小瓶(こびん)

(『茶色の小瓶 The Little Brown Jug』は、グレンミラー楽団のジャズナンバーとしても有名。)

10)大きな栗の木の下で

(『大きな栗の木の下で』は、アメリカでボーイスカウトの歌として広まった曲(スカウト・ソング)。)

11)私を野球に連れてって Take Me Out to the Ball Game

(ケイシーは大の野球好き。地元の野球チームを応援するためなら、貯金も使い果たしてしまう。)

http://www.worldfolksong.com/songbook/index.html (2014,3,24)

(13)小泉文夫『音楽の根源にあるもの』、青土社、1978年3版発行、『諸芸のリズム』24p

(14)同上書、『諸芸のリズム』29p

(15)同上書、『諸芸のリズム』30p

(16)重久 剛(編著)『比較文化論』、建帛社、昭和63年第3刷発行、『第5章比較心理・行動様式』200p

(17)岩崎秀夫「我が芸術論(本論・PART-:演劇論)、高崎商科大学「紀要」、第28号(2013年12月発行)、『結章』134p

(18)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『1.音楽の起源と社会的機能』30p

(19)アラン(本名:エミール・オ-ギュスト・シャルチエ)『諸芸術の体系』(桑原武夫訳)、岩波書店、1978年、『第4章詩的リズムについて』113p

(20)同上書、『2.音楽、脳、体』77p

(21)同上書、『2.音楽、脳、体』77p~79p

(22)「Romania Japan」(http://gipsy-romania.seesaa.net/article/84656214.html)(2014,5,2)

(23)「GUNKA」(http://www.geocities.jp/abm168/GUNKA/dokisakura.html

同期の桜)

貴様と俺とは 同期の桜  同じ兵学校の 庭に咲く

咲いた花なら 散るのは覚悟  みごと散りましょう  国のため

哀調を帯びた旋律で特攻隊員が好んで歌い次第に
 
兵隊ソングとして兵士間で流行り巷にも愛唱された

(24)阿部謹也『甦る中世ヨーロッパ』、日本エディタースクール出版部、1987年12月15日第5刷発行、『第11章中世の音の世界』29p

(25)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『1.音楽の起源と社会的機能』14p

(26)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』39p

(27)前章の「リズムの文化論」参照

(28)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『2.音楽、脳、体』49p

(29)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』16p

(30)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』18p

(31)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』19p

(32)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』18p

(33)コンラッド・ローレンツ『攻撃―悪の自然誌(1)』、(日高敏隆、久保和彦訳)みすず書房、1970年第3刷発行、『第三章・悪の役割』58p

(34)「卵のコラム」からhttp://www.isedelica.co.jp/info/column/column15.htm

(35)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『2.音楽、脳、体』49p

(36)同上書、『2.音楽、脳、体』50p

(37)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』11p

(38)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』28p

(39)杉浦健一『人類学』、一般教育叢書・同文館、昭和30年第11版発行、『第二章生物界におけるヒトの地位とその特性』18p~19p

(40)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『2.音楽、脳、体』55p

(41)アラン(本名:エミール・オ-ギュスト・シャルチエ)『諸芸術の体系』(桑原武夫訳)、岩波書店、1978年、『第9章音楽の諸様式について』171p

(42)同上書、『第10章音楽的表現について』175p

(43)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『5.現実からの逃避』171p

(44)「音楽療法WEBガイド」(http://www.daisakukawahara.net/010/0005.html)(2014.4.20)

(45)ロシアの大音楽家の名言

(46)長谷川千秋『ベートーベン』、岩波新書(No.16)、1975年第43刷発行、『つんぼについて』38p

(47)『ベートーベンマスター』

http://www.beethovenmaster.com/beethovenmaster/03kunou/kunou.html)(2014.4.5)

(48)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『7.世界の最も内奥にある本質』202p

(49)同上書、『2.音楽、脳、体』75p

(50)アンソニ・ストー、『孤独』、創元社、1999年第一版発行、『第三章孤独の効用』66p~67p

(51)ピカート『沈黙の世界』、(佐野利勝訳)、みすず書房、1971年15刷発行、『沈黙からの言葉の発生』20p~21P

(52)同上書、『沈黙と信仰』269p

(53)同上書、『沈黙と信仰』271p 

 

<参考文献>

(1)『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』アンソニ・ストー

(2)『音楽の根源にあるもの』小泉文夫

(3)『比較文化論』重久 剛(編著)

(4)『我が芸術論(本論・PART-:演劇論)』、高崎商科大学「紀要」岩崎秀夫

(5)『諸芸術の体系』アラン(本名:エミール・オ-ギュスト・シャルチエ)

(6)『甦る中世ヨーロッパ』阿部謹也

(7)『攻撃―悪の自然誌(1)』コンラッド・ローレンツ

(8)『人類学』杉浦健一

(9)『ベートーベン』長谷川千秋

(10)『孤独』アンソニ・ストー

(11)『沈黙の世界』ピカート

 

<引用・参考Webサイト>

(1) 「世界のフォークソング集」

http://www.worldfolksong.com/songbook/index.html 

(2)「Romania Japan

http://gipsy-romania.seesaa.net/article/84656214.html

(3)「GUNKA

http://www.geocities.jp/abm168/GUNKA/dokisakura.html

(4)「卵のコラム」

http://www.isedelica.co.jp/info/column/column15.htm

(5)「音楽療法WEBガイド」

http://www.daisakukawahara.net/010/0005.html

(6)『ベートーベンマスター』

http://www.beethovenmaster.com/beethovenmaster/03kunou/kunou.html

 

*本文中の下線部は、著者により加筆

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国名

 
 

言語

 
 

読み方(ローマ字)

 
 

読み方(カタカナ)

 
 

日本

 
 

日本語

 
 

kokekokko-

 
 

コケコッコー

 
 

アメリカ

 
 

英語

 
 

cock-a-doole-do

 
 

クック  ドゥール ドゥ

 
 

ドイツ

 
 

ドイツ語

 
 

kikkireki

 
 

キッキレキ

 
 

フランス

 
 

フランス語

 
 

coquerico

 
 

コックェリコ

 
 

イタリア

 
 

イタリア語

 
 

cocorico(chichilichi)

 
 

ココリコ(キッキリキ)

 
 

スペイン

 
 

スペイン語

 
 

quiquiriqui

 
 

クィクィリクィ

 
 

ポルトガル

 
 

ポルトガル語

 
 

qui qui requi

 
 

クィ クィ レクィ

 
 

ロシア

 
 

キルリ語

 
 

kykapeky

 
 

クカレクー

 
 

朝鮮民主主義人民共和国

 
 

ハングル語

 
 

kockyo kuukuu kooko

 
 

コッキョ クウクウ コーコ

 
 

中華人民共和国

 
 

中国語

 
 

ko-ko-ke-

 
 

コーコーケー

 
 

インド

 
 

ヒンドスターニ語

 
 

cock-ro-roo

 
 

クックーローロー

 
 

 
 

アラビア語

 
 

cock-e-cocho-co

 
 

クックーエーココーコ

 
 

アルメニア

 
 

 
 

tsoogh ruooghoo

 
 

 
 

スリランカ

 
 

シンハニースの言葉

 
 

coock-a-coke-coke

 
 

コークーアーコケーコケ

 
 

ニュージーランド

 
 

マオリ族の言葉

 
 

kokekko

 
 

コケコッコ

 

Sunday, 20 April 2014

少し早いクリスマス(私の落書き帖より)

「クリスマス」

1)クリスマスが近づいてくる
 
 

 ボクの心には、何もキャンドルの光が灯らない

 東京の街を歩いているとクリスマスのネオンサインがにぎやかに光っている

 一通のクリスマスカードに‘ボクからのメッセージ‘を送ろうと

 ずーと胸のポケットにカードをしまっている

 いつ出そうか…、いつにしようかと思い悩んでいる

 そうしているうちにクリスマスが近づいてくる

2)クリスマスが近づいてくる

 ボクの心にはクリスマスの光が灯らない

 今のボクには、クリスマスのネオンが悲しく思われる

 電話をしようか?‘ボクからのメッセージ‘を送ろうか?

 いくつもの電話ボックスの前を通り過ぎる

 独りコーヒーショップに入ってコーヒーを飲みながら

 何を電話で話そうかと考える

 今のボクには、クリスマスが悲しすぎる

3)もうクリスマスなんかいらない

 もう忘れたい

 雪の中に自分の体全体沈めたい

 もう忘れたい

 どこか遠くへ行きたい

 もう忘れたい

 もう忘れたい

             (1994年12月15日10:00pm記す)

 

Thursday, 13 March 2014

著名な外交ジャーナリストである手嶋龍一氏と私とのスナップ(2014年3月11日)

Part1_2

 

Wednesday, 23 October 2013

孤独の深遠なる無限の可能性の考察論(高崎商科大学叢書論文)

*本文中の図は、後日加筆しますので、今しばらくお待ちください。

問題定義

 

 孤独の実現には、①他人(自分以外)との関係を断つ。つまり、近親者(両親・兄弟姉妹・友人等)、結婚回避、②自分の日常の場所から離れる③時間の観念の忘却。つまり、②③は、イコール旅行為が考えられる。

 

人間は、孤独という言葉にある種の暗いイメージを持つ。多くの人々は、この言葉をあまり考えないようにしているのではないか?それを深く考えると、淋しさがこみ上げるからであろうか。また、ろくなことを考えないのであろう。つまり、引きこもりや最悪の場合は、人生回避の道(自殺)について考えが思い浮かぶのである。確かに、孤独の負の面を見れば、永い間、孤独の生活をしているとそのような人の中には精神的な病気・自殺に陥らせる要素を誘発することも確かに存在する。

 

つまり、人間社会では、他の人の助けのおかげで、生きて行けると信じ、一人になることを嫌うのである。ある人が孤独が好きといえば、周りの人は変な人と判断をしてしまう傾向がある。しかしながら、孤独の正の面を見れば、孤独の生活を通じて、生活が充足している人々もいるであり、また孤独を通じて偉大な偉業を成し遂げた人もいるのである。それを真っ向から向き合うならば、底知れない素晴らしいパワーを獲得することできるのである。その利点を生かして多くの偉大な人間は、孤独の中ですばらしい作品を作り上げて来たのである。

 

そして、「孤独」の無限なる可能性に注目して、これからそれの解明を試みることは人間社会にとって意義があると信じるのである。人間は、孤独の中で脳が特別な潜在能力を引き出し、良い作品、言い換えれば、芸術の創造を作り上げるであろうという仮説の上で論述する。別に「芸術の創造」だけではなく、宗教の世界でも、「孤独の重要性」が強調されているのである。宗教では、一般的に孤独の中で神や天使との出会いがあり、啓示があり、悟りがあるといわれている。人類の偉人としてキリスト教の開祖イエス・キリスト、仏教の開祖ブッタ、イスラム教の開祖マホメットなどは、孤独の中で静寂の世界で神秘的な自然との体験を通じて神の啓示を受けたと推測される。その上、科学の分野でも孤独の中で偉大な発見をしているのが数多く見受けられるのである。

 

但し、全ての人が孤独を利用すれば、偉人になるとは限らないのである。しかしながら、孤独の有用性は、かならずしも否定できないのである。その起因と可能性を検証する。

 

孤独が人間社会にとってなくてはならない存在であり、それがなくては「社会の文化の発展」はありえないのではないか?以上の仮説を検証する。

 

先行研究

 

 まず、孤独について、アブラハム・マズローの自己実現論の中から考察する。

 

マズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。また、これは、「マズローの欲求段階説」(1)とも称される。
 (図―1)

 

                             

1)生理的欲求(Physiological needs

 

生命維持のための食事・睡眠・排泄等の本能的・根源的な欲求

 

2)安全の欲求(Safety needs

 

予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求

 

3)所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging

 

生理的欲求と安全欲求が十分に満たされると、この欲求が現れる。

 

情緒的な人間関係・他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚

 

かつて飢餓状態であった時には愛など不必要で非現実的だと軽蔑していたことを忘れ、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。

 

不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、鬱状態になる原因の最たるものである。

 

4)承認(尊重)の欲求(Esteem

 

自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求 

 

5)自己実現の欲求(Self-actualization

 

以上4つの欲求がすべて満たされたとしても、人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくる。

 

自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。

 

これら5つの欲求全てを満たした「自己実現者」には、15の特徴が見られるのであるが、その中で特に注目する項目があるので、取り上げる。

 

1. 文化と環境からの独立、能動的人間、自律性

 

2. 至高なものに触れる神秘的体験がある

 

3. 創造性

 

4. 文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

 

マズローは、5段階の欲求階層の上に、更にもう一つの段階「自己超越(self-transcendence)の段階があると指摘する。その中で注目すべき項目を列挙する。
     1.統合された意識を持つ
     2.落ち着いて、瞑想的な認知をする
     3.深い洞察を得た経験が、今までにある
     4.創造的である
 以上彼の理論では、孤独の観点から取り上げると(3)所属と愛の欲求(5)自己実現の欲求である。(3)については、メンタル的社会との不適合とそれに伴う孤独感を指摘(5)については、全ての欲求が満たされてもまた次の欲求が生まれ、自己具現化の欲求が生まれるという。この段階で人間に特別な領域に近づくのである。つまり、①宗教面②芸術面③科学面での「Glimpse」または「intuition」が起こるのである。
 ①宗教面での実例
キリスト教のイエスは「四十日のあいだ」荒野において、神の啓示を得た。イスラム教のムハンマドは、メッカ郊外のヒラー山の洞窟に幾度も籠り、瞑想にふけるようになり神の啓示を受けた。仏教の釈迦は、インド東部のビハール州にあるブッダガヤで悟りを開いたのである。
  ②芸術面での実例と各偉人の孤独の名言を紹介する。
 音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
 「言ってみれば、完全に本来の私で、全くの独りで、活力に満ちていられるのは、例えば、馬車で旅行しているときや、十分な食事の後の散歩や、眠れない夜の時間です。そういうときにこそ最もアイデアが自由にあふれ出てくるのです。」
小説家のフランツ・カフカ
 
「あなたは部屋を出る必要はありません。テーブルの前に座り耳をすませてください。いや耳をすませる必要さえありません。ただじっと待つのです。努めて平静になり、動かず、孤独でいるのです。世界はおしげもなくあなたに本当の姿を見せてくれるでしょう。世界は恍惚のうちにあなたの足元に転がり込むのです。」
ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
 「ある者は社会の中で道を示されます。またある者は孤独の中にあってのみ奮い立つのです。」
パブロ・ピカソ
 
孤独でなくして、意義ある仕事は不可能です。」
パウル・トーマス・マン
 
孤独にいることは、独創性や、いまだ出会ったことのない冒険的な美意識、そして詩を生み出してくれます
③科学面での実例
ニコラ・テスラ
  「誰にも邪魔されない不断の孤独の中でこそ精神は鋭敏に研ぎ澄まされます。想像力を損なわせようと襲い掛かる外部の影響力から自由な隔離された場所でこそ創造性は栄えるのです。独りになりなさい。それが発明の秘訣です。独りでいなさい。そこからアイデアは生まれます。」
ヨハン・アルベルト・アインシュタイン
 
「私は定まった仕事のスケジュールを立てていますが、その一方で、時間をとって海辺を散歩しています。そうすることで、自分の頭の中で何が起こっているのかに耳を傾けることができます。仕事が上手くいっていないときは、仕事の最中でも横になって天井をじっと見つめて、自分の想像力の中で何が起こってるかを感じ心に描くようにしています。」「孤独こそがクリエイティブな人の習慣、偉人名言集」(2)
 

 但し、ここで特に注目するのは、偉人は、とかく孤独の負の要素が強いようである。
 次の(図―2)は、天才の対人関係の分析図である。

 

(図―2)(3) 

 

「天才の対人関係」より

 

(図―2)からいくつかの共通点が確認される。①6名中5名が父母の両方又は片方が早い時期に死亡している②結婚については、6名中2名が独身、4名が近親者又は親しい友人・知人からの紹介によるもの③友人は、6名中2名が極めて少なく、友人がいても幼い時代からの友人関係だけが継続。つまり、両親の愛情が長く続いてない環境に育ったこと、また友人が少なく、結婚相手については、自分の気持ちから積極的に選択したのではなく、まわりから紹介され仕方がなく結婚に踏み切ったように分析される。結婚について、また、このデータ以外に、世界的な思想家ないし哲学者であるライプニッツ・スピノザ・カント・ウィトゲンシュタイン・ニーチェ等は、すべて結婚せず、長い人生を孤独のうちに過ごしたのである。

 

次にマズローの(5)項目に関連してアンソニー・スト―の考察を紹介する。彼は次の事例を引用している。(4)

 

「1934年の冬、南極大陸の前線気象観測地の要員として、たったひとりで南極に滞在することになったバード提督の日記には、:午後4時、氷点下89度(華氏)、いつものように散歩に出た。私は静寂に耳を澄まして立ち止った。昼は死に夜が生まれつつある。しかし、まことに静かである。ここには測り知れない宇宙の営みと力が、調和と静寂を保って存在している。調和、まさにそれだ!それは静寂から生まれてくるものだ。やさしいリズム、完全な和音の旋律、おそらくは天体の音楽。そのリズムを捕えれば、一瞬でも自分がその一部分になれば、それで充分であった。その瞬間、私は人間と宇宙の一体性に何の疑いも感じなった。その時確信したことは、そのリズムがあまりに秩序正しく、あまりに調和的で、まったくの幸福の産物とは思われないほど完全であるということ、それゆえにこの全体の中に目的があるに違いないということ、人間が偶然の派生物ではなく、その全体の中の一部であるということ、であった。それは、理性を超越する感情であった。それは人間の絶望の核心にまで至り、それが根拠のない絶望であることを突き止める感情であった。宇宙は秩序の世界であり、混とんの世界ではない。人間は、昼と夜がそうであるように、まさしくその秩序の世界の一部である。「個人と絶対なる者との間にあるすべての障害物を克服するこの体験は(私の個人的な補足:宇宙との一体感の神秘的体験を指すのであろうか?)、非常に神秘的で偉業である。神秘的な状態において、私たちは、絶対なるものと一つになり、そして一体になったことを自覚する」と述べている。また同書ではフロイトとロマン・ロランの往復書簡で、「宗教的な感情は、永続性の感知であり、限界もなく、境界もないもの、いわば(大洋のような)ものを感知することである」と述べている。

 

「安心感と自然・人間との一体感との関連」で指摘しておきたいことは、宇宙である母の胎内の子宮で安心感を感じるのではないかと考えないわけにはゆかないのである。また、人類に偉大な足跡を残した人々は、似たような体験[自分と宇宙との一体感=大洋感情]をしているのである。

 

もともと地球の動植物界は、宇宙のリズム、つまり母の体内の心臓の鼓動に従って営まれている。

 

但し、孤独から生まれてくる宇宙との一体感(安堵感)は、ある意味で自滅の道との表裏一体であることを忘れてはならないのである。

 

 

 

孤独の負の面の考察として年齢と孤独との関連性

 

<若者と孤独>
(図―3)

 

自殺する若者達と1990年代              

 

若者(30歳未満)の自殺者の推移:2010年版警察庁自殺(5)

 

グラフから次のように分析

 

 1990年,失われた10年への突入

 

 1996年,文部省「いじめの問題に関する総合的な取組について」~今こそ、子どもたちのために我々一人一人が行動するとき~ いじめの増加

 

 地域住民の連帯希薄化

 

 地域の教育力低下

 

 異質の排除

 

若者がひきこもる意味と新たな学び方・働き方の保障(6)

 

特に、地域住民との連帯感の希薄化は、負の孤独感へつながり、また異質の排除は自分世界へ向かう内向性を示し考え方によって自殺へと駆り立てられるのである。注目するのは、スマートフォンで友人・知人とのみコミュニケーションをして、地域住民と面と向かって会話をする機会が希薄である。

 

<高齢者と孤独>

 

(1) 身体的負担

 

・高齢者の自殺の「原因・動機」の7割は「健康問題」(全年齢では4割)

 

・高齢自殺者の90%以上がなんらかの身体的不調を訴え、約85%が入通院による治療を受けていた

 

・高齢者の多くは自分の健康状態について悪い評価を下しがちで、病気を大きなストレスに感じ「楽になりたい」、「元の体に戻らないなら死んだ方がましだ」といった言動が目立つ・高血圧症、糖尿病、脳梗塞後遺症、心臓病、関節痛などの慢性的疾患をかかえることが多い

 

・継続的な身体的苦痛がうつ病の引き金となり自殺につながると考えられる

 

(2) 家族への精神的負担

 

・高齢自殺者の多くが生前家族に「長く生きすぎた」、「迷惑をかけたくない」ともらしていた・心身両面の衰えを自覚し、同居する家族に看護や介護の負担をかけることへの遠慮が生じる

 

(3) 喪失感と孤立

 

・高齢者の自殺の「原因・動機」の1割は、配偶者、子、兄弟など近親者の病気や死(喪失体験)

 

・強い喪失感から閉じこもりがちとなり、孤独・孤立状態からうつに至ると考えられる

 

(国立精神・神経センター精神保健研究所提供資料)(7)

 

特に(3)喪失感と孤立については、高齢者に対して人生の先輩としてみなすことができなく、尊敬の念がないのである。この傾向は、経済的先進国の国々で顕著に見受けられるのである。反対に後進国の国々では、高齢者に対して尊敬の念が強いのである。経済的後進国(タイ・ミヤンマー・フィリピン等)には宗教的に高齢者を人生の大先輩として尊敬する教えがある。また、高齢になると若いころとは違って孤独になり易くなるのである。例えば、配偶茶・身内親戚・友人らとの死別や別離が若いころとは違って多くなり、一人になる必然性がある。そのような孤独生活の中で、負の作用では精神的な病に陥り、最悪の場合「自殺」がある。

 

孤独と旅との関連性
 本来の旅の源泉は、洋の東西を問わず宗教的な性格であり、(8)響庭孝男矢氏曰く、「人間は、俗の中で暮らし、俗界こそ人間の戦いの場であり、また夢見る臥所(ふしど)であり、救いの道はないかと思い巡らすものである。そして古代の人間が、俗界と対立する「聖なる空間」を設定したのでした。俗の中に生きる人間は聖なる場所を必要とし、そこへ「行」ことによって身に染み付いている俗臭を払いのけ、禊(みそぎ)をし、「自己浄化」をしてきたのである。」として的確に指摘しています。現代的に解釈すると、毎日の平凡な生活から離れ、場所を変えることによる「気分転換」の場として、つまり「みそぎ」として旅行地に憧れ、多くの人が旅に出かけるのである。

 

現在「旅行」という形態で、多くの旅行客が国内のみならず海外へも手軽に行く時代である。また、反対に海外からの旅行客も多く日本へ訪れている。 

(図―4)(9)
 
 
 つまり、(図―4)の通り「旅行」が盛況であるが、2020年の東京オリンピック開催時には、数多くの観光客が海外から来ると思われる。その動向により、日本の経済波及効果が大いに期待されるのである。このような大きな国を挙げての行事があるので、一層本来の意味で「旅行」つまり「旅(タビ」の原点を考察することは意義があると思われる。
  但し、旅には常に「孤独」が同居している。旅には、一時的にせよ全ての今までの自分と関わり(地位・身分・)のすべてを置いてくることであり、何も身につけていない真っ白な状態のことである。つまり、自分の名刺の肩書きの喪失と同じ心境になる。その不安感から精神的な不安定さが生じ、孤独感が生まれるのである。では、そのような特色を持つ旅に何故に多くの人々があこがれるのであろうか?旅の孤独を通じて、何かを期待するのであろうか?例えば、未知の人との出会いであり、未知の環境からの何かを期待するために出発するのであろうか。別の表現として旅の孤独感は、孤独であればある程新たな未知なるものへの感受性が一層研ぎ澄まされるのである。
  ところで、旅=(時間・空間の移動)の視点からすると宗教上新たな発見のために世界の開祖は、自然界の啓示を求める目的で旅に出たのである。彼ら偉人は、その旅では忘れてはならないことは、孤独の中で「啓示」、「悟り」の境地に至ったのである。
  一般的に孤独の中で神や天使との出会いがあり、啓示があり、悟りがあるといわれている。例えば、世界の3大宗教の一つであるキリスト教の聖書の中での「荒野の試み」【マルコ福音書第一章123節】では、イエスは「四十日のあいだ」荒野におられた。「四十」は苦難と試練の時を指す象徴的数字である。大洪水は四十日四十夜続いた。イスラエルは四十年荒野にさまよった。モーセは四十日四十夜シナイ山で断食した。イスラエルは四十年のあいだペリシテ人に渡されていた。エリヤは四十日四十夜荒野を渡ってホレブ山についた。イエスにとって神の啓示に与る場としての荒野は、同時にサタンに試みられ、サタンと苦闘する試練の場でもあった。(10)
 
 
イスラム教では、ムハンマドは、メッカ郊外のヒラー山の洞窟に幾度も籠り、瞑想にふるようになりました。西暦610年頃、四十歳の時に、ヒラー山の洞窟に横たわってうとうしていると、突然、天使ガブリエルが現れて、ムハンマドに話しかけました。ムハンマドはその意味がわからず、自分が詩人か、もの憑きなったのではないかと悩み、自殺をしようと考えましたが、その時、空中に天使ガブリエルが現れて、「ムハンマドよ、あなたは神の使徒である。」と言いました。(11)
 
 仏教では、釈迦はブッダガヤで悟った後、さらに49日間禅を組んだまま悟りの法悦の余韻にひたり、人生はここに極まったとして何も食べず死を選ぼうとした。するとインド神話の創造神・梵天(ぼんてん)が目の前に現れ、彼に「悟りの内容を人に伝え広めなさい」と3回告げたという。(12)
 

 結論
  孤独の負の面の裏面は正であるので、それをいかにして表に引き出すかが問題である。孤独の負の作用が生まれるのは、人間は本来負の要素の比重が正のそれより多いのではないかと仮設する。忘れてはならないことは、孤独の状態になるということは、人間は集団の中で生活をしている環境に慣れているので一人でいることに慣れていなく安定な精神状態になることは難しいのである。その不安定な状態からいかに脱出して安定な状態にするかが問題である。それができるかどうかは、何か専門的な自分に興味があることと精神的に結びつける事によって孤独の正の作用が覚醒するのである。その結果、安定するのである。この段階でクリエイティブな新分野の発想が生まれるのである。
  それぞれの分野の専門性を持つこと、また何かの閃きでその分野で立派な偉業を成し遂げるのである。それは、それぞれの専門知識をその人物が所有しながら、専門外のことをする(ゲームを楽しむ・散歩をする・風呂に入る)によって偉大な業績を成し遂げられるのである。例えば、IT産業の最大手のグーグル社では、何か企画開発する場合、会社の方針として、スタッフは、パソコンのまでに座る時間が少なく、気分転換のためにビリヤードをしたり、近くの海岸でリラックスしながら散歩をして何時間も過ごすことが許されているのである。このような気分転換が、精神を安定させ、新たな新しい発想が浮かぶのである。また、よく言われるように音楽の作曲家は、新しい曲想がピアノの前ではなく気分転換のために、お風呂に入った時とか友人との会話を楽しんでいる時に心に浮かぶといわれている。
  脳が一つのことに集中していると新しい考え方が生まれなく、別の脳の部分を使うことによって相乗効果として新しい発想が開発されると言っても過言ではないのである。
  その仮説に関連して、医学的な観点から右脳と左脳の役割の違いについて概観する。 

(図―5)(13)

 私たちの脳は右半球と左半球に分かれ、その真ん中に脳梁(のうりょう)という神経線維がある。右脳と左脳では働きが違い、脳梁は両者の連絡橋の役割を担っている。
  右半身の運動は左脳、左半身の運動は右脳が命令を下す。これは、大脳と体の各部分をつなぐ神経が延髄のところで交差している。
 
 右脳と左脳の役割の違いは次のとおりである。
左脳
  左脳は、言語の認識と言語的推理、計算と数理的推理、論理的思考などを受け持っている。
  読む、書く、話す、計算するなどの行為は左脳の役割になるわけである。
  そのため、左脳は言語脳、論理脳、デジタル脳などと呼ばれることがある。
 
 人間の知性の源となるものが、この左脳に集まっていると考えてもよい。
右脳
  右脳は、図形や映像の認識、空間認識、イメージの記憶、直感・ひらめき、全体的な情報処理などを受け持っている。
  絵を描いたり、楽器を演奏したりするのは右脳の働き。
  右脳は、イメージ脳、感覚脳、アナログ脳などと呼ばれることがある。
  デザインや音楽などの芸術的な活動や、アイデア・ひらめきなどを必要とする企画の仕事、学問的な研究や技術の開発などでは、右脳の働きが重要になる。
 
右脳・左脳はバランスが大切。相互の関連づけで相乗効果がある。
  学校の勉強(主要教科)は主に左脳を使う。そのため、右脳を鍛える機会がかなり少なくなっている。
  大切なのは両者の脳力のバランスである。右脳と左脳のそれぞれを意識的に鍛えることで、相互の関連づけを図ることができれば、左脳との相乗効果が期待できる。
  
 <脳のニューロンの重要性について>(14)
 私たちの脳が何かを記憶するときには、同じニューロンをいくつもの記憶に対して使い回している。こうすれば限られた数のニューロンを効率的に使えるからである。
  この仕組みは、人間の脳のすばらしい能力を作り出す原動力にもなっている。1つのニューロンを使って違う情報をいくつも扱うということは、「連想」という人間にしかできない脳の機能を生み出すことができるからである。 ニューロンのネットワーク上で、「まったく違った情報」をいろいろ組み合わせたり、離したりすることで、空想したり、ひらめいたり、創造したりすることができるのである。
 
 つまり、気分転換は、ニューロンの作用によってメンタルな正の効果が開発されるのが、立証されるのである。
 (日常の効果的な事例)
  ・勉強は体をまったく使わないので、その正反対のスポーツが気分転換には理想的。
   特に仲間や相手のいるスポーツ=野球、サッカー、バスケ、バレー、テニス、卓球な
   どが適している。
 ・同じ意味で友人とサイクリングする。体を使うだけでなく、新しい風景を見ること。
 ・友人や家族とカラオケで思いっきり発散する。
 *絵やイラストを描く、楽器の練習をする、手芸や工作をする。
 *囲碁や将棋、オセロなどの好きな人はライバルとの対局をする。
 ・女の子は仲間とおしゃべりする。
 *好きなジャンルの小説を読む。
 *泣いたり笑ったりする。
 *映画を見る。
 *ショッピング。
 ・数ヶ月に一度くらいコンサートに行ったり、旅行を楽しんだりする。
 (*=孤独との関連例がある事例として、著者が加筆)
 脳をリフレッシュする気分転換法 - 記憶術と勉強法(15) 

「脳の仕組みを孤独との関係」で最大に開発して成功に結び付いた多くの偉人が名言を残している。
 次の偉人の名言から孤独の効用とひらめきとの関連性について含蓄のある言葉を紹介。
 天才的数学者であるガウスは、何年も悩んでいた課題が解決した時のことを述べている。

 

「二日前、私はついに成功した。私が苦労したのではなく、女神カリスたちのおかげだ。突然輝いた雷光のように、謎が解けた。」(16)
  最後に、孤独の正の作用についてアンソニー・ストー曰く:創造的な人間においては、三つの段階がある。第一段階は技術を磨く段階であり、先生に対する恩を感じて仕事をする。第二段階は自分の芸術を確立する段階であり、自分自身を表現する外部への作用、個性的な手法に至る。第三段階は、自分の内面に向かうとのことである。(17)

 

以上から孤独は、創造的なひらめきを脳に与えるのである。


 

 ()
(1)「マズローの欲求段階説
    wipedia.org/wiki/自己実現理論(2013,10,15)
 (2)孤独こそがクリエイティブな人の習慣、偉人名言集

 

www.tommyjp.com/lifehack/no-1-habit-of-highly-creative-people
(2013,10,10)
①音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
オーストリアの作曲家、演奏家。古典派音楽の代表であり、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人。
②小説家のフランツ・カフカ
出生地に即せば現在のチェコ出身のドイツ語作家。代表作に「変身」「城」「審判」「アメリカ」「火夫」等がある。
③ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
ドイツの詩人、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残した。
④パブロ・ピカソ
スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。ジョルジュ・ブラック同様、キュビスムの創始者のひとり。
⑤パウル・トーマス・マン
ドイツの小説家。1901年に自身の一族の歴史をモデルとした長編『ブッデンブローク家の人々』で名声を得る。その後市民生活と芸術との相克をテーマにした『トーニオ・クレーガー』『ヴェニスに死す』などの芸術家小説や教養小説の傑作『魔の山』を発表し、1929年にノーベル文学賞を受賞した。
⑥ニコラ・テスラ
19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家。交流電流、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。
⑦ヨハン・アルベルト・アインシュタイン
ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。

 

(3)「天才の対人関係」
http://www.sipec-square.net/~mt-home/alumni/ando/human%20relation.html
(2013,10,5)

 

(4)アンソニー・スト―(三上晋之介訳)「孤独」創元社、66~67p.

 

(5)若者(30歳未満)の自殺者の推移:2010年版警察庁自殺
(6)若者がひきこもる意味と新たな学び方・働き方の保障

 

立命館大学産業社会学部山本耕平

 

http://www8.cao.go.jp/youth/suisin/pdf/soudan/05/s4-1.pdf(2013,9,2)
(7)国立精神・神経センター精神保健研究所提供資料

 

www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/sougou/taisaku/kentokai_4/pdf/(2013,810)

 

(8)響庭孝男「ヨーロッパとは何か(文化の重層的空間)」小沢書店、1991年初版

 

(9)観光庁統計「訪日外国人旅行者数及び日本人海外旅行者数の推移」
http://www.mlit.go.jp/kankocho/siryou/toukei/syouhityousa.html(2013,8,10

 

(10)マルコ福音書講解 4 荒野の試み マルコ福音書第一章123

 

http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/mark_004.htm  (2013,9,12)

 

(11)【イスラム教の起こりと開祖】

 

www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/index.files/tenyou-ki.files/okori  (2013,9,12)
(12) あの人の人生を知ろう ~ 釈迦編 】
  http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic24.html (2013,9,12)
(13)右脳と左脳(脳の仕組み2)http://goodbrains.net/brain/shikumi2.html(2013,9,10)
(14)(3)脳とコンピュータとの違い - 日本学術会議_おもしろ情報館 http://www.scj.go.jp/omoshiro/kioku2/kioku2_3.html(2013,10,10)
 (15)脳をリフレッシュする気分転換法 - 記憶術と勉強法http://jukenkioku.net/benkyo/refresh.html(2013,9,7)
(16)アンソニー・スト―(今井幹晴訳)「天才はいかにしてうつをてなずけたか」求龍堂、362p.
 (17)アンソニー・スト―(今井幹晴訳)「天才はいかにしてうつをてなずけたか」求龍堂,211~212p.

<参考文献>

アンソニー・スト―(三上晋之介訳)「孤独」創元社
アンソニー・スト―(今井幹晴訳)「天才はいかにしてうつをてなずけたか」求龍堂
響庭孝男「ヨーロッパとは何か(文化の重層的空間)」小沢書店

 <引用・参考Webサイト>

 

マズローの欲求段階説

 

ipedia.org/wiki/自己実現理論

 

孤独こそがクリエイティブな人の習慣、偉人名言集

 

www.tommyjp.com/lifehack/no-1-habit-of-highly-creative-people

 

「天才の対人関係」

 

http://www.sipec-square.net/~mt-home/alumni/ando/human%20relation.html

 

若者(30歳未満)の自殺者の推移
2010年版警察庁自殺

 

若者がひきこもる意味と新たな学び方・働き方の保障

 

立命館大学産業社会学部山本耕平

 

http://www8.cao.go.jp/youth/suisin/pdf/soudan/05/s4-1.pdf

 

国立精神・神経センター精神保健研究所提供資料

 

www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/sougou/taisaku/kentokai_4/pdf/

 

観光庁統計「訪日外国人旅行者数及び日本人海外旅行者数の推移」

 

http://www.mlit.go.jp/kankocho/siryou/toukei/syouhityousa.html

 

マルコ福音書講解 4 荒野の試み マルコ福音書第一章123

 

http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/mark_004.htm  

 

イスラム教の起こりと開祖

 

www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/index.files/tenyou-ki.files/okori
あの人の人生を知ろう ~ 釈迦編
右脳と左脳(脳の仕組み2)http://goodbrains.net/brain/shikumi2.html
脳とコンピュータとの違い - 日本学術会議_おもしろ情報館 
   http://www.scj.go.jp/omoshiro/kioku2/kioku2_3.html
 脳をリフレッシュする気分転換法 - 記憶術と勉強法 
   http://jukenkioku.net/benkyo/refresh.html
 *本文中の全てのアンダーラインは、著者により加筆。

 

Tuesday, 11 June 2013

日本の国会図書館への書蔵研究論文「我が芸術論:本論(Part-1)演劇論」-2013年度高崎商科大学「紀要」論文採用決定稿

                       「我が芸術論:本論(Part-1)演劇論」

 Culture is the mirror to project each time in the variety of culture forms. The drama expresses “Performance” in the variety of the works of both the stage and TV or cinemas through the Contemporary cultural filter. That is, the old works can be reborn as the new ones owning to the contemporary cultural breath. The newly ‘culture creation’ can be produced through such a process. The attribute of the culture in itself is seeking for ‘the true reason’ and is demanding ‘transformation’ beyond the times. The contemporary societies give birth to ‘the culturein other words. Paradoxically, the culture sets up the society and produces the history.
 We can’t help but recognize the unfathomable culture power.
 Therefore, the real drama posture is the culture movement; it influences on not only physical side but mental one of the audience to change the new notions
from their own present philosophical, ideological and literary inclination.
 The drama last aim is to transform the audience into new human after seeing the drama.
 The drama has the great potentiality and, therefore, continues to exist forever.
[
キーワード:想像力、幽玄、沈黙、不動心、無心(無邪気)]

(序文)
 
『風姿花伝』曰く:花と申すも、去年(こぞ)咲きし種なり。能も、もと見し風体なれども、物数を極めぬれば、その数を尽くす程久しし。久しくて見れば、また珍しきなり』。(注1)
文化は、いろいろな形でそれぞれの時代を映す鏡である。文化の中の一部分である演劇について言及すると、演劇は『演ずる』という手段を持って現代という時代の文化フィルターを通じていろいろな作品を舞台や各種映像で表現することである。例えば、過去の作品でも現在の文化の呼吸を吹き込むことによって過去の作品としてとどまるのではなく、まったく新しい姿として生まれ変わる。そのようなプロセスを通じて新たな「文化創造」につながる。文化というものは、どんな時代でも、『真実又は真理の姿』を求め、『常に変貌』を要求するものなのである。別な見方をすれば、その時々の社会が「文化」を産み落としたのであるが、逆説的な言い方では、『文化』がその社会を構築し、歴史を作り上げたともいえると思われる。そこに、『文化』の測り知れないパワーを痛感する。また、真の演劇の姿は、自らの持つ哲学的思想的文学的の諸要素の性向を新しい演技性に置き換えて、観客に肉体的・精神的に影響を与える「文化運動」と言えるのである。それぞれの作品を鑑賞することによって観客を変貌させることこそ、演劇の究極の目的であり、またそれゆえに変えうるだけの演劇という世界が計り知れない力を持っているし、また力強いパワーを持ち続けなければならないと思うのである。

(第1章)                                                            本論では、『俳優とは何ぞや?』の問題から考えたいのである。本論では千田是也の
『演劇入門』(注2)の本を中心に論を進める。先達者曰く、『俳優の仕事は、台本には、音色・高低・強弱・速度・休止などーについての指定はほとんどない。せりふやト書から、自分の役の性格、他の役との関係、その内的・外的行動の「途切れぬ線」、脚本全体の意図(「超課題」)、その中での自分の位置や役割を読み取り、それを自分の体験や知識や想像力で補って、生き生きとした役のイメージを作り上げ、形にあらわすことです。』(注2)と名言を残している。この論では俳優の技術な面が強調されているきらいがあるので、本来のもっと重要で深遠である『体験と想像力について』特に言及したいと思うのである。演出家や監督がよく『役者はいろいろな体験をしなければ、その役柄に迫れない』とよく言われるが、役者がすべての時間的・空間的次元を網羅してあらゆる職業の経験を要求されるならば、誰も役者の資格がないと謂わなければならない。
 人間の寿命は平均して70~80歳ぐらいであり(最近の調査では、人間が病気や交通事故に遭わなければ120歳までは生存すると言われている)、また時間的・空間的に限られた現在という世界で生きている。自分が『現在の次元』で体験したもので演技するしかないのである。現在というフィルターを通じて自分なりの演技を遂行しなければならない限界がある。但し、限られた『体験』を只演技に投入すればそれでよいという単純なものではない。日本の代表的な演出家である水品春樹氏が謂っているように『それ(体験)を生かし作品の創造性を助けるのが想像である』
(注3)。同氏によると、体験は、ただ自分の実体験だけではなく、読書や見聞の経験も含まれている。同氏は想像について言葉を続けます『芸術表現に大切な想像やイメージを作り出すその源は、表現者の体験・心的経験による知識上感覚上の記憶力であり、この働きが強いほどそれによりイメージがより浮かび(正確な演技想像への足がかり)が得られる、また体験・知識を蓄積することによって(感受性)が磨かれる(注3)明言している。
 私は、純粋無垢な子供たちからよく教えられる。つまり、子供たちの遊戯の中に何か演技の原点の一端を感じるのである。例えば、そこに大きな石があれば、それは子供たちの魔法によって台所の食卓テーブルに変身し、汚く薄暗い路地は、魔物が住みつく洞穴に、雑草は、魔法の絨毯に変わる。子供が、空に向かって人差し指を指示せば、空には星の存在を感じ、また、雨上がりの地面の窪みに水たまりがあれば、子供たちによって池ないし大海に変貌する。つまり、彼らの脳裏に描かれたものは、わずかな経験(テレビで見たもの、絵で見たもの、実際に見たもの)であるが、自分らの感受性のフィルターを通じて表現されたものである。子供の感受性は、成人に比べてはるかに深く繊細なものである。また、
感受性に影響を与える心像(記憶力)も大人に比べて優れているのである。
 そして、舞台の背景や道具が、子供たちの想像のイメージによって創り出され、その舞台で自分らの役割が決まり演技が展開される。確かにその演技は、稚拙で、演技にとって大切な要素である第三者である観客から見ればその子供の表現していることは全く伝わってこない、つまり観客の脳の中でイメージが沸き起こってこないのである。言い換えれば、鑑賞する人を意識した演技ではない。しかしながら、子供たちの小さな子どもの周辺の風景を目にしたものが彼らの脳裏で「想像の世界」が開花する点は、演ずるという点では大いに学ぶことがあろうと思われる。
 その点については、偉大な芸術家であるK.スタニスラフスキーも明言している:『一ダースの子供たちをここへ連れて来てみたまえ―そして私が、これは君たちの新しいお家だと言ったとしよう。君たちは彼らの想像力にびっくりするだろう。一度遊戯の中へ入りこんだら、彼らは決してやめるなんてことはしない。君たちも子供みたいにならなければいけないのだ!』(注4)
 私自身も日ごろ稽古場で『想像の世界の開発』のための仕方を実践していることを幾つか紹介したいと思う。
 それを述べる前に、第一日目の稽古場でまず感じることは、受講生自身の持参した身の周りのカバンや稽古着に着替えた時の衣類等が散乱していることが散見され、彼らが全くそれに気がつかず、ただ稽古をする自分しか見えないことである。稽古場の空気というかその全体を見る眼力が欠如しているように思われる。そして、緊張・配慮が彼らの心にはないようで、稽古をする姿勢が見受けられない。
私がそれを指摘すると、彼らは初めてその点に気づく次第である。自分のいる場所と全体の雰囲気を即座に把握することが役者の本来の姿勢なのである。舞台では、舞台道具(背景を含む)全体の中での自分の存在を調和させることが必要なのである。自分以外の存在の把握を感じないで演技をするだけでは、まったく愚行であり素人の演技である。まさに、一人演技であり滑稽そのものである。一人芝居とは、全くかけ離れたものである。一人芝居は、その舞台と一体になった時の本当の演技である。それゆえに受講生にはそれを理解していただきたいので、厳しく叱責するのである。
 次に、本来の演技の想像力開発の事例として、私が、その稽古場で特に力説したいことは、役者は、身体の各パーツの動作表現の「総合芸術」あり、つまり体全体で表現することである。
受講生には、演技の基本的練習、つまり早口言葉、パントマイム、朗読等の演技の基本訓練は極力させないようにしている。そのような訓練は、ほとんどの劇団養成所で実行していることであり、稽古場ですることの意味がないのである。むしろ、私の考えでは、それらの練習は自分でできることなのである。
 
私が、常日頃、役者志望の受講生に以下の各項目の訓練を稽古場で実践するよう努めてさせている。全体の稽古を通じての留意点は、『想像力を全身で発揮する認識』、『自分の行動範囲の限界点の認識』。つまり、自分のメンタル面での行動範囲を肉体で認識すること。それを逸脱した時、いわゆる『臭い演技』に陥ってしまうのである。
(1)集中力の訓練:一点集中訓練
(事例1)棚から大きく大変重量のある荷物を床に下ろす練習
 *ポイント:この時には、稽古場には実際には「棚」も「荷物」にないのに、他の受講生(観客)の面前で役者は「想像の力」を借りて目の前で存在しているかのように体全体で表現しなければなりません。それらふたつの対象物に最大の集中することが要求される練習。また、観客である参加者を意識しながらの集中力を高める訓練にもなる。それは、舞台で精神的に緊張しないようにする効果があると同時に本来の役に適合した自然の動きができる効用がある。但し、この稽古で忘れてはならないのは、全てを自己集中しすぎてぎこちない動きならないよう自分でコントロールする配慮が必要である。
(事例2)コーヒーを飲む練習
ステップ:茶碗を見る→茶碗の取っ手に指をかける→茶碗の中を見る→飲みの物の温度を感じ取る→茶碗を唇に触れるときの感じは?→茶碗を口に向けてゆっくりと傾ける→飲み物を飲んだ時の反応→飲み物を飲んだあと
 *ポイント:この物体感覚の稽古を通じて、心身のコントロールの方法と意識の行動範囲の限界点の認識を習得することができる。
(2)キャラクターのための練習:いろいろな性格づくり(例:詩人・医者・変質者・ホームレス・大学教授・音楽家等)
 この訓練には、「状況の設定」を準備することである。
よく使う状況場面は、「いろいろなキャラクターを持った人物が登場して、公園のベンチに座り、しばらくして(間)立ちあがり去る」ことである。
 *ポイント:この稽古の目的は、各人物のキャラクターのイメージを浮かべて、内面からそのイメージを作り上げて、それを行動表現に結びつけること。この訓練は、自分の今まで見聞した経験を脳裏で浮かべてそれを具現化し表出しなければばらない。つまり、それをするには普段から自分の周りの人物観察が絶対的に必要であり、その時に観察したことをいわゆる『観察ノート』に書き留めておくことである。なぜならば、人間の記憶はいい加減なものであり、すぐに忘却の彼方へ行ってしまうからある。
 『観察ノート』の重要性を強調するために少し詳細に述べますと、水品春樹の名著である『演技入門』では、
『ただノートブックに何かを記すことだけが終局の目的ではなく、選びだした対象に対して思ったこと感じたことを自分の心や身体にしっかり刻みつけ、記憶として残しておくために行われるものです。(中略)新しい知識や新しい体験によって、記憶しておいてよいものを積み重ねて行く。(中略)観察はまず興味から始まるものです。(中略)そこに何かを発見し、心を動かし、それについて深く理解し正しく判断したうえ、取るべきものを取り、捨てるべきものを捨てて記すようにするのがよいのです。(注3)と深い洞察の記述がある。つまり、時と場所によって使い分けができるいろいろな『箱』を持つことである。
 また、役者を目指すには「いろいろな自己体験」をするのも想像力の開発には必要な訓練である。つまり、どこまでその人物を想像の世界で作り上げられるかということである。
(3)顔の表現訓練
(例:顔面神経・顔面筋肉・眼・瞼・まつ毛・眉毛・口・唇・歯・舌・鼻)
 体の一部分であり、最も表現力が顕在化する「顔の部分」の表情作りの練習(内的な感情と自分で作り上げる世界の表出との連結の練習)。
ポイント:心の中の様子は、顔の表情に表れると言われているので、内的な感情を想像の世界で作り、それを表出するまでのプロセスに重点を置いている。つまり、表出完了ではなく、その完了に至るまでの過程を確認することである。その術(すべ)を習得するとすぐに変貌することができるのである。
(4)不可能表現訓練(イマジネーション訓練)
 一流の役者は、何も道具がなくても、また舞台の背景がなくとも自分の手・各指や足の動きで「風」「川」「山」等を作り出し、観客にそれらが舞台にあるように作り出すことができるのである。その訓練として「石」「山」「蛇」等の素材を使って、受講生のイメージを膨らませて表現。
ポイント:自分の想像力の挑戦、想像力の最大の具現化の可能性を目指す。
(5)仮想対象に対する一人芝居(気持ちを動作の融合)
 この稽古では、気持ちと動作とが、自然にバランスよく同時に表出できるようにする。
使用道具は、椅子1台とテーブル1台のみ使用。
(事例1)知り合いのところへ電話をする。番号違いで相手から突っけんどんにされ、不愉快になり電話を置く。
 *ポイントは、気持ちと動作が融合されているか?
(事例2)朝の食事。2つのパターンを使い分ける。
(パターン1)椅子に腰かけテーブルに向い洋食をナイフ・フォーク等を使って食べる。
(パターン2)        〃     和食を箸・お茶碗等を使って食べる。
 *ポイント:2つのパターンを使い分けして、演技ができるか?それぞれの気持ちと動作の切り替えの可能を目指す。
(6)無対象動作の練習:仮想相手がわかる動作表現の試み(台本なし)
冒頭の千田是也の言葉「他の役との関係」の具体的な事例。
(事例1)歩いているところを後ろから肩をたたかれ振り向いてびっくりする。
 ポイント:びっくりする表現ができるか?突然の外的な要因に対して気持ちの切り替えの可能性を目指す。
(事例2)出発して行く汽車の窓の恋人を見送る。
 ポイント:悲しみが表現できるか?
(7)しぐさの実習
(
事例1) *自分のポケットにていれているときの手の動作とその時の当人の心の感情の動き。
 以上の練習は、パントマイムとは根本的に違う。つまり、芸術を追求する役者は、『模倣の超現実主義的な試み』のパントマイムではなく、人生経験の蓄積や自分自身の情念を源泉としなければならない。
 それに関連して、私が日頃危惧していることは、多くの役者は、その登場人物に少しでもなりきろうと、先ほどから論述している自分の経験・体験に加えてその人物に関する資料・書籍等を勉強するが、その役者さんの存在は、言い換えれば『個性』はどこにあるのでしょうか?個性の喪失。役者は、演出家や監督のマリオネット(傀儡人形)ではありません。あくまでも『新たな創造性を創り上げる芸術家』である。それぞれの役者の体験・価値観・環境・物事に対する感受性・自分が存在している現在の時点などを通じてその人物になりきるところに個性が生かされ、また同じ人物でもその登場人物の画一的な見方とは違ったものができ、その人物に新たな生命が吹き込まれ観客に感動を呼び起こす。そこに演技の面白さ,変幻自在な姿を発見する。そうでなければ、「役者」があまりにも悲しく、虚無の念に駆られるのである。まさに演劇界、または広く芸術界では天才または狂人として知られているフランスのアルト-は、役者の個性について、むしろ、役者とは何かということについて、「役者は、肉体的な体操選手と同じであるが、感性的器官を備えた感性の体操の選手である。」(注5)と述べている。役者とは、どんな役柄が監督から要求されてもそれに応えられるだけの日ごろからの肉体的鍛練していなければならないが、それと同時に感性を育んでいなければならないと指摘している。それには、自分の目から入ってくる外的な諸現象を感性の領域で享受し、それを分析して自分のものにするだけの度量を備えていなければならないのである。
 私が特に驚愕したのは、彼が『演劇とペスト』の章を設けていることである。ペストと演劇との関連性はあるのか?アルト―曰く「なりより大切なことは、演劇がペストと同じように、一つの狂気であり、それが伝染性だということ。(中略)ベストの同様に、演劇は、あるものと、ないものとの間を、可能性の力と、物理化された自然の中に存在するものとの間を、ふたたび鎖で結び付ける。」。アルト―のペストと演劇との関連性は、どちらも激しいエネルギーを発散し、社会のすべてを変革するほどの激しさの存在であると解釈するのである。演劇が伝染病とはまさに的を得た指摘である。演劇には、何か痕を牽く魔力ような得体のしれない何かが存在するのである。演技者の周りのみならず観客もオブラートのような膜に包まれるのである。つまり、演技者と観客とを別世界に誘うだけの力があるのである。
 また、アルト―は、ペストを悪の根源として忘却の彼方へ葬り去るのではなく、それが文化を開花させたとするパラドックス的な立場からの視点でとらえ、同じ考えを持つ蔵持不三也の名言を紹介する。彼曰く:「ペストは文化を作ってもきた。都市の歴史的なランドマークとしての建造物を出現させ、アイデンティティ・シンボルとしての祝祭を演出し、文学や絵画にたとえば死の確実さと生の虚しさという重要なモチーフを与え、汚水と汚物処理を合理化するための都市化を促した。都市間の情報ネットワークを強化し、検疫と隔離システム、更に公衆衛生とからなる近代の予防医学をも生み出した。(中略)つまり、ペストが想像力をどのようにして刺激し、活性化したか?(中略)自然=獣性の側から人間社会に侵入して文化を破壊しようとする力を、文化創造に力へ転位させる。」つまり、人間の無限のパワーをこの文章から痛感するのである。われわれ人間は、『想像力』を先天的に習得している。(注6)また、演劇もペスト同じく「新たな文化創造」を作り上げるのに一役買っていると断言できるのである。
 では、「個性」とは何かをもう少し掘り下げて考察する。
 水品春樹曰く『演技芸術家となるためには、それの根本土台となる自己の人間性を怠ってはなりません。しかしこれは、その人の教養の程度、環境からの影響、天性によって人それぞれ違います。(中略)一人々々が持ついかにもその人らしいもの、これが「個性」です。(中略)芸術の道を歩む者にとって一番大切なのは、この「個性」である。』(注3)
個性ついて私が日頃考えていることは、個性は先天的なもの・後天的に育てられたもの、つまり自分の周りの環境から受ける自分の感受性面の受ける浸透性の度合いとそれらの情報を選択する能力から受けて育てられたものである。そして、外部へ自分の心像のフィルターを通じて放出するものである。その「個性」は、人間がそれぞれ持っているのである。特に芸術家は、特に個性を深く自覚することである。音楽・絵画・彫刻・演劇等すべてのアーチィストは、自分の心像のフィルターを通じて放出=表現することが不可欠なのである。 

 

(第2章)
  次に、『途切れぬ線とは何か』(注7)の考察をしたいと思う。ここで世界的な演劇界の巨匠スタニスラフスキーを取り上げますと、彼は、『あらゆる芸術において、一本の途切れぬ線がなければならないということがわかるだろうか?線が、一つの全体となるときに、創造活動が始まる。諸君の内的な力をみんな使って、一本の途切れぬ線を作り出しなさい。』(注7)と言っているように、俳優は、舞台では、ある役が俳優に与えられた場合、その間は『内的な一本の線』(注7)を持ち、また同時に他の俳優の内蔵している一本の線とを結びつけ舞台全体に目の見えない透明な「クモの巣」を作り上げなければならない。素人の俳優と本物の俳優との違いは、それが自覚されるかどうかで判断できる。別に俳優に限ったことではなく芸術といわれるすべての分野でもそのことが云えると思われる。例えば、音楽演奏家にしても曲目全体の一本の線を持たなければ、演奏する上での創造性やその演奏者の独創性が内部から構築されないし、また鑑賞する人々に感動を与えることは決してありません。つまり、芸術の全体像とはならない。『もしも、内部の線が途切れると、演ずる人は、何の欲望も情緒も持たなくなるのです。その線が中断すれば、生活も止まる。』(注7)
 但し、これらの芸術作品は、動的な芸術作品の場合で、本来の芸術作品は『動的なもの』と『静止のもの』とがあるのは明白である。静止の芸術作品の事例としては、絵画・彫刻・陶器等である。
少し角度を変えて、自分の経験から少し述べさせていただくならば、よく将来俳優になりたい希望の生徒たちを指導しているとき感じるのは、短い寸劇のなかで無対象動作を利用して自分の部屋の高い棚からダンボ-ルを下ろす練習をさせると、最後まで「一本の線」が持続しなく手から無意識に離してしまう。このわずかな時間でさえも集中力が持続することができないのである。そのような状況では、決して想像的・創造的なものは生まれないのである。一本の線は、人間にクリエイティブな能力作り上げてくれるのである。
 ここで、一つのテーマが私の心に浮ぶ。つまり、創造イコール感動から『観客(客体)に感動を与える』とはどういうことでしょうか?どんなに俳優が躍起になって人に感動を呼び起こそうと頑張ってもそれの演技を見る観客サイドに内的な想像性、期待感や過去の経験がなければ、何にも起こらないし、また役者と観客との心のハーモニーが生まれない。
よく浅薄な俳優は、自分の置かれた役柄と演技だけを切磋琢磨するが、それは片手落ち以外の何者でもありません。繰り返しになりますが、役者と観客との一体感が生まれないのである。訓練では、観客の仮の存在の意識を感じながら、また客の呼吸を意識して行うべきである。その相乗効果を忘れてはならない。つまり『総合コミュミケーション』の実現に全神経を砕くべきです。さもないと、演技者の一人舞台になり、悪い場合は、自己陶酔に陥ってしまう。特に、俳優は、自己陶酔型が多く見受けられますので、くれぐれも慎重にならなければいけない。わかりやすいケースとして、子供たちの前で、『ハムレット』を一生懸命俳優が演じた場合、期待すべき効果が得られるでしょうか?それは不可能であり、また子どもたちにそれを期待して演じているのではないのです。つまり、子どもたちには、ハムレットのことを外部から習得していない。
 その子供の演技について何が欠けているかを千田是也氏は、次のような文章で指摘しているのである。つまり、『俳優の芸術は決して一人ではできない。俳優は、ある場面での人と人、人と物、人とその置かれた場面のと関係を読み分ける(場面の感覚)を身につけなければならない。』(注2)と説いている。幸いなことに、人間は、長い期間、集団生活をすることによって、『俳優の身振り・仕草』ある程度の共通の理解力・先行的期待感を先天的に持っているので、ある線の感動を理解するだろう。しかしながら、俳優は、それに期待することなく、『全体の蜘蛛の糸のネット』をいつも内的に張り巡らせる努力を惜しんではならない。つまり、それらの期待できる仕草や身振ふりにしろ、いろいろの役柄では、そんなに単純なものではなく、もっと複雑なものであり、演技の最大限の琢磨を要求される。俳優と観客の『交流』、スタニスラフスキーの言葉を借りると『交通』(注7)という言葉に凝縮されるのではないかと思われる。     

 

(第3章)
次に、千田是也氏の『演技の三つの型』(注2)について考察します。先達者曰く、俳優と役との関係から、演技には、『代理、形成、表示』という三つの型がある。
 これら三つのパターンが生まれるには、特別な歴史的、また社会的な理由があるとのこと。最初に『代理』について取り上げると、宗教的な祭りで演じられる人物たちでそこで演じられるのは、伝統的・伝説的な人物たちである。それゆえに、空間的・時間的に限定さているので、それに参加している観覧者たちは、演じる人物がまったくの素人芸であっても、『あの人物を演じているのだなあ』と想像できる。例えば、世界中のお祭りでは、すべてが同一化できる。その原型を思い浮かべて同一化できる。但し、この場合、長い年月受けつがれたものであり、当時の服装や動作に忠実に再現できるように神経を使わなければならない。ただ、双方とも『魔法の輪』にいるので演技者と観客に間には、同化はあっても分化は見られないのです。千田先生は、この次元では『芸術』とはいわないと明言している。次に、『形成』に話を進めると役を作り上げるための全身全霊を総動員して物まね・仕草・身振・台詞で『イリュージョン(幻影)』を喚起する必要があると言及している。この場合、『演じて見せる』という役者の働きだけは、役の後ろに隠さなければならない。この時点で、俳優術は芸術の世界への仲間入りできたと言えるのである。最後に『表示』については、役者と観客は、別の人間である。役になりきろうとは考えず、『役を表示』するのみである。あとは、観客にその演技の批判や選択に任せるものである。
 以上、千田先生の演技の三つの型を要点だけを紹介しましたが、この中で『形成』について一言申し上げたいのは、『形成は芸術の世界へ仲間入りできた』(注2)と言っているが、『代理」も芸術の世界に入ると思われる。なぜならば、千田先生は、神とか超人間とかの演ずることは『代理』であるが、
『代理』であるからその世界には入らないと言っていますが、奈良時代に中国から入ってきた『散楽』が、日本化して平安時代に猿楽となり鎌倉時代を通じて「悲劇的」な歌舞劇である「能」は、約600年の歴史を持っていますが、それは、まさに芸術の極致であり、芸術の世界に入ると思われる。ご存知のように、主人公のほとんどは「幽霊」であり、人間の本質や情念を演じ、「幽玄」を追求したすばらしい芸術であります。
 観阿弥の子、世阿弥は、「演技」について彼の著書である「風姿花伝」(注8)で「役に扮する演技には、あえて似せようとはしない段階があるはずである。役に扮しきって、本当にそのものに成り入ってしまへば、そのときの心には、もはや似せようといふ思ひがあるはずはない。道を極めた名優が心がけるのは、(省略)何気なく舞って出たといふ風情を見せることである。」(注8)と述べている。この文章で「演技の、否、俳優の役に対する真髄」を明確化している。但し、「役に扮しきって」とは、それ相応の努力をしなければならないと謂っているが、私が、世阿弥の考え方で矛盾というか理解に苦しむのは、「花伝書」(注8)では、「あえてなにもせぬところが面白い」と述べ、また言葉を続けている。「舞と歌の二芸や仕草・役柄の演技は、身体で演じる技芸である。「何もせぬところ」とは、技芸の間隙であり、そこが面白いのである。」(注8)。つまり、肉体の動くと心の動きが、バランスよく繋がった時に本当の演技の姿が見えてくるようなことを示していると想像する。言い換えれば、「静」であるメンタル面と「動」である肉体面とのリズムがあってはじめて最高な演技の姿ができるのである。
 私が感じるのは、話が私の専門分野のひとつである「ギター音楽」との関連で少し述べると、ギター音楽の中でも特に、フラメンコ音楽は、演奏の間隙を大変大切にしている。その間隙効果によって一層すばらしい効果が出る。ある意味で、「沈黙」効果とも関係があるように思われる。マックス=ピカートの「沈黙の世界」(注9)では、演劇におけるドイツ語でのSchweigenについて「言葉は沈黙から、沈黙の充溢から生じる」(注9)と名言を残している。
 
この間隙について、別の視点から日本画の西松凌波(内海久子)(注10)を紹介すると、彼女は、画家であるが彼女の絵は、没骨法(もっこくほう)という技法で描くのである。中国の唐の時代からの画法であり墨の線で下書きなしで一気の書き上げるのである。一発勝負の世界である。それだけ超集中力が要求されるのである。彼女の考える「隙間」の文章を少し長くなるが紹介しよう。
 「私は特に、余白の美を重視している。『描かないでことで、描く』という美意識である。表現空間と余白とで画面全体に統一感がでてくるのだ。それは、私自身が、大気の中にいるように、 画面の中でトータルな状態として呼吸し、同化できるとき達成されることなのである。仮に、柿を描いたとしよう。柿を描いて、余りの空間が余白になったのではなくて、柿を描くことで、同時にその余白をも描いたものである。余白空間は、はじめから存在しており、それは柿という表現空間と等価値である。余白は、余韻につながる重要な空間配置であると考える」(注10)。つまり、余白と考えられているものは、実は、すでに絵の一部として最初から存在しているのであり、絵を描き始めると同時に余白の絵が浮き出てくると言われている。余白(隙間)の効果音が存在するのである。私は、隙間は、実は表面に描かれてないのであるが、心の動きの部分を鑑賞者の想像力にゆだねられて言うこともできると思われる。作者は、故意に隙間を作ったと言っているが、何か芸術の鑑賞は、鑑賞者の完成に解釈に任せられて、その点で十人十色の解釈でよいのではないかと思われる。そこに芸術鑑賞の楽しみがある。次に、隙間の想像力について、筒井康隆氏の文章を紹介する。
 隙間の語句を、小説家:筒井康隆では『空白』という言葉で置き換えられているが、意味は同様なもので、彼曰く『(この『空白』こそ)読者が想像力を働かせるべき場所だと言っているの。想像力をどのように働かせてどうするのかっていうと、その空白こそが文学作品の、空所以外の部分のいろいろな断片を結びつける場所だって言うの。』(注10)つまり、地面の枠内にタイルの薄片を並べるそれらの薄片の隙間が、まさに全体の文様に効果を引き立てていることである。 

 

(第4章)
また、ベルギーの劇作家、詩人、思想家であったモーリス=メーテルリンク によると、「もしも私がほんとうにその人を愛しているなら、私が言った言葉のあとの沈黙が、私の言葉にどれだけ深い根があるかをその人に解らせるだろう。そしてその人の心に、それもまた無言である確信を生むだろう」と。私は、科白だけが観客にわかってもらえれば、それで事が足りたと思うことは、あまりに軽薄で、本来の演技の真髄は、行間にある「なに」かを伝えられるとき「芸術の創造性の何ものか」を感じるのである。アーティストを志すならば、その点を決して忘れてはならない。気持ちを言葉だけで相手に伝える演劇は、どんなジャンルでも無意味なのである。但し、間の取り方は、どのくらいの間隔であるべきなのかは、大変難しいことである。前の台詞と次のそれとの間は、それを話す役者の感情が自然体であれば、自ずとできることである。計算され、また意識的に隙間を考えると不自然になり、まったく滑稽な語りに陥ってしまうのである。世阿弥曰く:「せぬひま」。舞を舞いやんだ空白、音曲を謡いやんだ空白に、心の緊張を維持する。その形に現れた技と技の中間にある、目には見えぬ緊張の実在感が舞台に匂いでて、観客を面白しと実感させるのだと言う。能を貫いて流れる理念では常にこれである。(注10)まさに、緊張感の空間を観客と共有することによって、役者と同時に観客との心の一心同体感(調和)が生まれるのである。また、間を投入することによって心の効果音が双方に増すのである。それは、私に言わせれば、暗闇の世界であり、また無限の深淵の世界であり、ミステリアスのフォースを放す存在である。言葉には、隙間が必要であり、逆に隙間がない言葉は、言葉ではないといえるのである。まさに、ブラックホールである。人間の心臓の鼓動とある意味では、似ているところがある。つまり、強弱のわずかな隙間がなければリズムを刻まないのであり、また心臓の動きは止まってしまうのである。次の飛躍のためには、必要不可欠なものある。
 水品春樹曰く:表現の中で、『間』ほど難しいものはないと言われるくらい、(中略)『間』の取り方一つでその言葉は生きもし死にもするのである。(中略)言葉が『動』であり、「陽」であるのに対して『間』は『静』あり『陰』である。(注3)。つまりは、仁王の阿吽の呼吸であろう。
悉曇(シッタン)(インドの古い言葉)の五十音の始めと終わりの文字であり、『阿』は、生命の誕生を、『吽』は、人生の終末の意味あり、人生の一連の流れを暗に示唆している言葉である。但し、この語句は、本来仏教の言葉であり、それの意味することは、全ての源から発して、いわゆる『発菩提心』であり、最終的には、『悟り』に至ることである。
 また、本来人間は、話す自分と聞く相手の間には「呼吸のリズム」のような何かが存在する。それは、言葉では表現できないことである。時々、日常でも言われる言葉に、「あいつよくしゃべるなあ、なにをいっているかわからないよ」という文句がよく聞かれますが、その点を物語っているのである。それはまさに、双方のリズムが合わないのである。言葉の連射は、ただ聞く相手に理解を難しくさせるだけではなく、嫌悪感も相手に植えつける結果になってしまう。また、「愛の囁き」には、愛の告白とともに間隙も必要なのである。結局は、人間での感情表現に間隙の要素が必要不可欠である。つまり、呼吸のリズムです。但し、ここで忘れてはならないことは、「間隙」とともに「仕草」が伴うとより相手にわからせることができる。つまり、「非言語の世界」の助けを借りることである。但し、「間隙」を度を越して多用すると多弁と同じに不機嫌の感情が生まれます。「間隙」と「仕草」を上手に調和させること。「しぐさ」について、千田是也曰く『俳優の芸術は決して一人ではできない、他の人々(その他の俳優たち・作家・演出家)と一体になって成り立ち、また見物人たちも俳優の身振り・言葉の形からその意味を読み取り感じると同時にいろいろの関係(人と人、人と物、人とそのおかれた場面との関係)を読み分ける感じ取る感覚を身につけていなければならない』(注2)と。
 ところで、私が常日頃考えていることであるが、全般的に日本の演劇が国際的に何故に頻繁に上演されないかと考える。その原因がどこにあるのか?日本という特殊な国では、ほとんどが同じ種族の単一民族であるので、見物人もある程度の役者の動作の「間隙(沈黙)・仕草」からある程度、そのときそのときの役者の感情と同化しやすく理解が容易であると思われる。喜怒哀楽の同一性が双方に認められるのである。つまり、エドワード・ホールが指摘しているように日本社会は、単一民族国家であり、『High Context』の社会であり、お互いの情報を共有している。ところが、海外(米国)では、複合社会であり、ホールの『Low Context』の社会であり、お互いの情報が共有されていないのである。つまり、自分の気持ちを言葉にしないと相手の人が理解できないのである。つまり、日本社会は、お互いに自分の意見を改めて口で表現しなくてもある程度理解が容易な社会である。それ故にその単一民族の考えを外国でそのまま持ち込んで海外で生活すれば、当然いろいろの場面でカルチャーの衝突が起こる可能性が充分であり、舞台演劇や映像演劇も同じであり、特に舞台上で演じれば大いに支障が生じて、最悪の場合、嫌悪感を抱いてしまうことになりかねないかと懸念する。但し、映像でなある程度の編集が可能であり外国向けようにすることも可能である。反対に、外国(例えば、米国)の演劇が日本社会に違和感なく受け入れられる理由は、外国の情報が日本人に無意識にマス・メディア等を通じて、すでに習得されているからである。もっと本質的に考察すると、『何か日本人の外国に対する憧れ』から起因していることが考えられるのである。いずれにしても、広義の意味で外国で日本社会、特に日本人についてもっと紹介すべきである。
 
では、日本の演劇が海外で受け入れられるのが難しい理由として、別の視点から分析すると、日本人と外国人との「非言語の世界の研究」が日本の演劇界ではほとんどされていないのが問題なのである。その分野の専門家であるバードウィステルの研究によれば、対人コミュニケーションで言葉が占める割合は、30%ぐらいで、残りは、非言語の割合で70%ぐらいである。いかに非言語の世界の研究の重要性が理解できるのである。
 では、非言語とは何か?ここで少し専門的なことになるが、一般的には非言語メッセージは、(1)顔の表情、身振り、手振り→身体動作(2)相手との距離や空間と使い方→近接空間(3)時間の使い方に関する時間概念(4)外見や服装などの体物表現(5)抱擁や体への触れ合いなどの身体接触(6)声の質や出し方など声の使い方に関するパラ言語等に分類されるのである。P.エクマンとW.V.フリーセンがより詳細に区別している。つまり、(1)表象(2)例示動作(3)感情表出(4)レギュレーター(5)適応動作等である。(注11)
 私が、特に注目しているのは(2)であり、つまりなにかを描写するために用いられるものであり、文化によって違った意味を持つと言われている。例えば、アラビアで日本の俳優が舞台であるいは映像で「裸のスタイル」で演技をすると仮定すると、アラビア人から激しい抗議の嵐に見舞われることは、必定である。この点を考慮して演技を表現する時に留意しなければならない。
 また、「世界のタブー」の研究も必要である。例えば、演劇で「子供の頭をなぜるシーン」は別に違和感がなく日本人の心の中にはいるが、このシーンを東南アジア、特にタイ国で上演した場合、ほとんどのタイ人の観客は、憎悪感を感じて会場を後にすることである。なぜならば、タイ国では「子どもの頭」は、神聖な霊である(ピー)が宿っているので、絶対に触れてはいけない場所なのである。以上の2つの研究を通じて演劇の構成時に非言語の自覚に留意しない限り、「日本で作られた時代劇・現代劇等の演劇」が、海外で上演され成功を収めることが不可能である。現実的にそれらの演劇が海外で人気を博しているとついぞ聞いたことがないし、これからも難しいと言えるのである。例外的に年に何回かは「日本の伝統の歌舞伎等の芸術作品」としては海外公演されて好評を博しているが、それが外国人に歓迎されているのは、歌舞伎が事前にマス・メディア・日本の紹介書籍等を通じて外国人に長い年月に知識として理解されているからであり、広義では日本についての異文化に対してある程度の許容量を持っているからである。逆に「海外の演劇作品」を日本人向けに再構築して公演することはよくある。例えば、「劇団:四季」の数々の作品は、歌舞伎のような伝統的なものではないが、まさに外国の作品を日本人向けに再構築され成功したものである。結論として、本当の意味で日本の一般的な演劇が国際舞台で上演されるには、はるか未来にならないと実現しないように思われる。1578年、日本での布教方針を考えるにあたり、イエズス会東インド巡察師アレシャンドロ=ヴァリニャーノは、『日本人は喜怒哀楽を表情に出さないので、いったい何を考えているのか自分たちヨーロッパ人にはさっぱりわからない』と述べている文章で以上の問題が明確に浮き彫りにされるのである。                         

 

(第5章)
 「役者の演技」は、外見の演技が台本に則って話す・仕草ができればそれでよいというものではありません。外見の動きは、言うまでもなく内面が成就されたとき始めて完成されるものなのである。能の世界では、『能の静止は、息づいている』という。つまり、舞台空間の制約から『動くべきものが動かずにいる強さ、占める位置の確かさ』の演技が生まれたのである。能の根本「静の強さ」は、北原白秋の『白金ノ独楽』の作品に表現されている。

感涙ナガレ、身ハ仏、独楽ハ回レリ、指尖二。
カガヤク指ハ天ヲ指シ、極マル独楽ハ目二見エズ。
回転、無念無想界、白金ノ独楽音モ澄ミワタル。(注2)

 
また、ある文献に次のようなことが記載されていましたので、紹介すると中国で頂点に立つ武術家である王(1886~1963)氏が曰く『体や手の動きを俊敏にするには鍛錬に際して動かないのがもっともよい。その動きは動いているようで動いておらず、動いていないようで動いている。静止しているようでも静止していない。動きの形跡があってはならない。精神的意味は深く、形の上だけの動きはいけない。形の上の動きは形のみのものであり、力が分散してしまうからだ』。私自身武術の心得がありますが、縦横無尽に動き回るには、最初は常に『不動の姿勢』を作ることである。そうすることによって、いつでも打ち込めると同時に対する者に自分のすきを隠し、また見えない威圧というか気迫というかそういうもので相手の気持ちを動揺させる。つまり隙がないのである。剣術の達人が、よく対決の場面で『不動の姿勢』をしている場面を見かけたことがあるが、まさに双方が達人であれば、何時間もお互いに微動だにしない。表面では、何も動きが見えないが、双方の心の中では『内面の活動自在』がある。
 宮本武蔵も『五輪書』(注12)の『水の巻の兵法心持のことの章』で次のようなことを述べている。『兵法の道におゐて、心の持ちやうは、常の心に替わる事なかれ。常にも、兵法の時にも、すこしもかはらずして、心を広く直(すぐ)にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。(中略)うえの心(外見)はよはくとも、そこの心をつよく、(中略)知恵をとぎ、天下の利非をわきまへ、物毎(ものごと)の善悪をしり、よろずの芸能、其道々をわたり、(中略)兵法の知恵となる心也。』。以上二人の剣豪の名言から、心が外見をあやつり、縦横無尽の行動(演技)ができ、対者(観客)に迫力というか気迫というもの(感動)を与えることができることを示唆しているのである。これらのことは、武蔵の『よろずの芸能』と『五輪書』で言及していますが、武道と芸道との相関図を見出すのである。
 次に、世阿弥の『幽玄』(注10)について私見を述べると、まず世阿弥の演劇論は、根源的な『人間探求』である。世阿弥にとって日常生活がまさに演劇世界そのものであり、『世界が舞台であり、男女はすべて役者』(注10)でありました。彼によれば、能の役の類型は、三つに大別されます。老人、武士、女性であり、最初の老人は、『弱さ』の存在であり、次の武士は『強さ』の象徴であり、最後の女性は、『中庸』の存在を表出しているのである。弱者と強者だけでは、この世の存在は難しく、その両者の間の融合の存在がどうしても必要なのである。世阿弥は、この女性の役を最高の理想美の存在としている。但し、ある文献で指摘しているように、ある意味でそれぞれの役柄に逆説的な要素を要求している。つまり、老人の役柄には、反対の『華やかさ』を、武人には反対の『優しさ』を要求し、『巌に花の咲くが如き』、『古木に花の咲くが如き』芸こそが、彼の理想とするところである。では何ゆえに、『中庸の存在』が最高美であるかといえば、『妙』や『安心』そのものが存在するからである。ここではじめて『幽玄』との関連が生まれる。世阿弥の芸術論の『花鏡』に、『幽玄』について次のように述べている。 『役柄に型にはまった演技ばかりをして、それが最高の位であると思い、姿を忘れているから幽玄の域に入らないのだ。幽玄の域に入らなければ理想的境地とはならない。理想的境地に至らなければ名の通った上手にはならない。だから名人はそういないのだ。(中略)だからといって、幽玄になろうとばかり思うならば、生涯、幽玄には至らないであろう。』言い換えれば、外見だけ役柄をいくら飾ったとしても、自分の姿と同時に内面の鍛錬がなければ『最高美である幽玄の境地に至らないであろう』と私は解釈する。また、世阿弥は、含蓄のある言葉を残している:『幽玄之入堺事』。また、世阿弥は、『心理の動きの自己目的化・完結化』を『花鏡』で述べている。つまり、自分自身の明確な目的を持つことは、イコール自己完結になると解釈する。『花鏡』で『無心の位にて、我心をわれにも隠す安心にて』。つまり、自分の心を観客のみではなく自分自身から隠すと心の平安になる。それが本来の演技の姿になる。自分なりに勝手に解釈すると、ずばり『無心の心』の大切さを婉曲的に謂っているように思われる。                                         

 

(結章)
以上『無心』の状態の重要性を強調しているが、この文面で、私の目に留まるのは『安心』という語句なのである。私が思うには、この語句は日常使用している意味ではなく、演技者の行動()の究極的な境地であり、別の言葉に置き換えると『安堵』とも言える。観客が鑑賞する心に『安心感』を与える演技であると同時に演技者自身役柄の完成された姿であり、双方の『安心作用』は、まるで電流の陰極・陽極のようなものである。たぶん、人は『無心』すなわち『安心』であるというかもしれません。私は、もっと広義の見地から今の季節(秋に入ろうとしている10月の初旬)で言わせていただきますと、自然の移り変わり、季節の中で春の時期と同じように自然の不思議さや神秘さや偉大さを痛感する。そこの懐の中に『自然の姿』への傍観者としての私に何か安堵感を与えてくれる。世阿弥は、すべての演技者に其のことを伝えようとしているように思われる。否、すべての芸術を追求するものに諭している。私自身は、いつも、演技の仕事が終えた後、毎回反省の繰り返しであり、世阿弥が理想としている境地の足元にも及ばなく自己嫌悪に陥るのである。人はよく、自然の懐に入ると『落着くとか安心感』を感じるとか言うが、何か自然の姿と人間との大気や地面を介しての『一体感』から生まれるともいえるのでないかと感じる。自然の呼吸をじかに感じる瞬間が何か安堵感に包まれている。言い換えれば、何か自然の懐に包まれている感じがある。また別の言葉を借りれば、万物と自然との融合である。仏教の一つである『禅宗』の座禅の境地に『無心になれ』というものがあるが、それは、すべての煩悩といわれているものを断つ事によって悟りが見出されるといわれているが、私自身時々禅を組むのであるが到底そのような境地には到達することはできない。但し、稀に無心の心を感じることがある。其の瞬間は、まさに静寂・時間・空間を超えた何か『真空』の雰囲気を感じるのである。其の境地はまさに不動の心と言えるかも知れませんが、それと世阿弥が言わんとしている『無心の境地』とある意味で関連性があるように思われる。
 つまり、『不動の心』と『無心』の2つのアンチテーゼを持つことは、演技者として決して忘れてはならないことである。その域に達した時に初めて自分と自然との一体感が得られ、計算された人工的な演技ではなく、ためらいのない自然の流れの「自然の演技」ができるようになるのである。
最後に、日本古来の古武道の名言を紹介する。「因縁和合によって消滅する宇宙万物の実体は、現実にして、しかも平等であり無差別でもあり、あらゆる万物の法則でもある。このように、自然がなすがままに従えば堅石をも障害とはならず、どのような強剛強敵をも制することができる。」
 演技の理想の究極な姿は、山形県黒川能の「黒塚」のあばら屋に糸車織る老女そのものである。全ての感情を吸収して、見る人の視線を固定してしまう。外見は、静止画が漂っているが、内面での表現を見る者に強烈に感じさせるのである。その内面の激しさは、どのような技量で発露するのであろうか?

『どこからともなく散ってくる木の葉の感傷
あるがままに雑草として芽をふく
ぬくうてあるけば椿ぽかぽか
風はほどよく春めいた藪と藪
ひっそり咲いて散ります
枇杷がかれて枇杷が生えてひとりぐらし
照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき
身のまはりは草だらけみんな咲いている
ころり寝ころべば青空
なにを求める風の中ゆく
青葉の奥へなほ径があって墓
それもよからう草が咲いてゐる
月がいつしかあかるくなればきりぎりす
木かげは風がある旅人どうし
日の光ちよろちよろかげとかげ
月のあかるさがうらもおもてもきるぎるす』(注13)

 (脚注)
(1)
増田正造『能の表現(その逆説の美学)』、中公新書260、『第一章 逆説の構造』、6p.~7p.、19p.、20p.~21p.、30p.~31p.
(2)千田是也『演劇入門』、岩波新書、1966年、『Ⅰ―演劇という形』32p.、、『Ⅲ―俳優の仕事』70p.
(3)水品春樹『演技入門』、ダヴィット社、1959年、『演技と演技者』38~39p.、『話し言葉の表現要素』152p.~153p.、『こころ(二)観察について』240~241p.
(4)K.スタニスラフスキー『俳優の仕事』(上巻)(千田是也訳)、理論社、
1976年、『第3章:行動・≪もし≫・提案された状況』73p.
(5)アントナン・アルトー『演劇とその形而上学』(安堂信也訳)、白水社、
1965年、『感性の体操』223p.
(6)蔵持不三也『ペストの文化誌』朝日選書、1995年、終わりに―ペストの文化化、366p.
(7)K.スタニスラフスキー『俳優修業』(第Ⅰ部)(山田肇訳)、未来社、1975年、第十三章『途切れぬ線』、372p.381p.372~373p.
(8)世阿弥『風姿花伝』、岩波文庫、1958年(一般に『花伝書』と知られている『風姿花伝』は、最初の能芸論書である。)
追記:『せぬところが面白き』などいふ事あり。これは為手(して)の秘するところの安心なり。(中略)せぬ所と申すは、その隙(ひま)なり。このせぬ隙は何とて面白きぞと見る所、これは油断なく心をつなぐ性根なり。』
(9)マッスク=ピカート『沈黙の世界』(佐野利勝訳)、みすず書房、1964年、『沈黙からの言葉の発生』17p.
(10)前田重治『芸に学ぶ心理面接法(初心者のための心覚え)』、誠信書房、1999年、『第二部・芸論を読む』90p.『第三部・芸論心覚え』p.179
(11)池田理知子・E.M.クレーマー『異文化コミュニケーション入門』、友斐閣アルス、2000年、『第Ⅰ部アイデンティティとコミュニケーション』31p.~32p.
(12)宮本武蔵『五輪書』、講談社学術文庫(735)、1986年、『水之巻』92p.
(13)種田山頭火『雑草風景」

(参考文献)
(1)『演劇入門』千田是也
(2)『俳優修業』スタニスラフスキー
(3)『風姿花伝』世阿弥
(4)『沈黙の世界』マックス=ピカート
(5)『五輪書』宮本武蔵
(6)『演技入門』水品春樹
(7)『演劇とその形而上学』アントナン・アルトー
(8)『俳優の仕事』K.スタニスラフスキー
(9)『異文化コミュニケーション入門』池田理知子・E.M.クレーマー
(10)『能の表現(その逆説の美学)』増田正造
(11)『ペストの文化誌』蔵持不三也
(12)『芸に学ぶ心理面接法(初心者のための心覚え)』前田重治
*本文中のすべての下線は、著者により加筆

 

 

 

Thursday, 28 March 2013

著名な須田慎一郎様と著名ではない(?)私とのツーショット(習志野市の交流会)

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平成25年3月12日(火)午後4時から~

著名な経済ジャーナリスト

須田慎一郎氏の講演会

主催:習志野商工会議所

*講演後の交流会での写真です。

私のコメント:須田氏は、お人柄が素晴らしい方でした。

Saturday, 23 March 2013

Who is Rom ?( (MY STUDY-NOTE)

流浪の民といわれるロム(通称:ジプシー)とは、どのような民族なのか?

フラメンコ音楽を通じてのヒターノ(ジプシー)の存在の考察

 

Who is Rom as the people like the windy-drifting paper?

The analysis of the Gitano judging from the Flamenco music

 

所属:高崎商科大学

氏名:岩崎秀夫

NameHideo Iwasaki

E-maili-int.l-association@nifty.com

 

キーワード : ロム、犯罪、迫害、音楽、自由人

Keywords : Rom, crime, persecution, music, non-confined-people


現状

ヨーロッパでは、多くの国々でジプシーによる犯罪が続いている。

日本人の被害例(ルーマニアの場合)

(ア)観光目的で訪れた男性が、ブカレスト市内のノルド駅に到着した際、同駅構内でいきなり何者かに押し倒され、同人が倒れている間に所持していた現金入りのスポーツバッグを強奪された。

(イ)観光目的で訪れた男性が、ノルド駅に到着した際、同駅構内で親切心を装ったルーマニア人風の男に声を掛けられた。同男はこの地区は危ないから安全な地区まで車で送る等言葉巧みに同男性を騙し、仲間

のタクシーに乗車させ、その後、法外な車代を要求した。

(ウ)在留邦人の男性が公共交通機関(バス)に乗車中、ジプシーらしき服装の女性らに周りを取り囲まれ、同女らのうちの一人に胸ポケットに入れておいた多額の現金をすられた。

(エ)観光目的で訪れた女性が、ノルド駅に到着した際、同駅構内で男に声を掛けられ、仲間のタクシーに乗せられブルガリアの国境近くまで連れて行かれた。その途中、同男は車代等の名目で多額の現金を請求し、同女性から現金を騙し取った。

(オ)在留邦人の男性が、深夜、帰宅途中にジプシー風の女性に声を掛けられ、ズボンの後ろポケットに入れておいた現金入りの財布をすられた。(注1

 

2 問題意識と先行研究

ヨーロッパへ旅行する旅行者が頻繁にジプシーから被害(スリ・盗難)を蒙り、それに遭遇して初めて「ジプシー」の存在を知ることが多いと思います。また中世のヨーロッパ地域ではヨーロッパの人口の3分の1の住民が死亡したと言われる疫病「ペスト」が蔓延していたとき、その原因の主犯グループとしてユダヤ人・魔術師のみならず「ジプシー」も悪漢としてキリスト教徒から告発されたのです。

我々からすると「ジプシー」は悪者と見做しますが、本当にその民族はそのような性癖の人々なのでしょうか?

そこで、「ジプシーとは何か?」の疑問に、民族的・歴史的・人類学的・遺伝的な視点から分析すると同時に、またジプシー音楽と言われている「フラメンコ」音楽を通じて考察し、彼らの「実像」の解明を試みます。(但し、残念ながら、ジプシーは本来文字文化を持たない民族ありますので、彼ら自身による記述の記録がありませんので、研究者からの文献を検討。)

始めに現在のジプシーの人口分布の紹介を通じて検証したいと思います。また、近年ではEU統合に伴う移動の制限の廃止により、スペイン、イタリアなど国によってはルーマニアからの移民が増えているが、その中にはジプシーの移動も多く含まれていると考えられる。(注2)

民族的には、現在でも不明あるが、しかしながら、多くの歴史学者によると、彼らの言語がサンスクリット(梵語)に起源を持っているので、たぶん今日のインドやパキスタンに住んでいるジプシー部族と類似しているのではないかといわれている。

遺伝的な血液型から概観しますと、ジプシーはB型優位の民族であり、同じ血液型の民族としてインド人、アイヌがあげられます。血液型から見た性格として○マイペース型○他人の思惑、常識、習慣をあまり意識せず、思うところをストレートに実行○自由奔放で規則破りの名人○楽天的な人々と分析されるようです。B型の民族は、一般に迫害される民族との関連性が理解できる。

歴史的にはジプシー民族は、迫害の連続といっても過言ではないかと思われる。(3)

社会人類学の見地からは、インドのカースト制により職業が決められたように、ジプシーの世界でもそれぞれの世界で職業が決められ、その世界の存在の維持に役立っている。(4)

いずれにしてもそのような苦難の歴史から、彼らが自分らを現実から少しでも忘却の世界で音楽に安堵を見出したのは必然のことであったと思われます。ある意味では、ジャズ音楽の発生との類似性を感じるのです。ジプシーの一族が、過去にスペイン地域へ渡り、スペインの土との同化を通じて本来のジプシーの音楽とは異なる新たな音楽が生まれ、フラメンコ音楽が生まれたと推測いたします。(5)ジプシーは、ある意味では芸術性に才能を発揮したように思われる。(注6)

彼らの抑圧された迫害の歴史の中から生まれたカンテ(歌)を紹介。

”フラメンコ音楽のカルセラーレ(牢獄の歌)”

ねござの上に腰を下ろし、頭起こし唖然と、

思い出すのは我が母、我が子、今も元気でいるだろうか?

このわずかな歌の中に絶望感と計り知れない空虚感が表現されているのである。

3 結論

本来の彼らは、人間界を超越した存在であり、大自然の中に生きていたのであり、そして宇宙と呼吸していたのである。我々は、彼らの生き方に大いに学ぶものあるのだ。つまり、自然の中心として我々人間界が存在していることの認識は、あまりにも自然や神に対する傲慢な姿勢であり、また大変な錯覚である。このような傲慢な考えによって、近い将来必ずや『大自然の制裁』が起こることを危惧する次第である。

ところで、現在、彼らの多くは、手仕事によって生活をしている。ここで注目することは、地球を移動する彼らにとっての一番好まれる仕事は、四六時中拘束されない「季節労動」といわれている。彼らの気質というか本質のところというか『自然界に漂流する民』と痛感する。何か彼らを形容するとすれば、大自然と同じに過去を振り返らずに、また未来を心配せずに、つまり現在の自然の流れ・雲の流れ・星の流れに身を任せて漂っている存在である。彼らは、自然のとの一体感の中で毎日生活している。そのような解釈の上に立つと、フラメンコ音楽のリズムの一つである『アレグリーアス』の明るく現在肯定的な、また刹那的な享楽を表現した形式が生まれたのが納得できる。「DUENDE」(注7)の存在も何か自然界の霊的なものを指しているように思われる。つまり、「神的な存在」なものではないかと想像する。彼らは、言語の一般的な呼び名は、スペインでは「ジプシー」と呼ばれなく、「Gitano(ヒターノ―)」と呼ばれている。

フランスのパリに行ったことのある観光客の人々は、『ああ、現地のガイドさんから注意するように言われたあの連中か!あの泥棒とか乞食とか言われている連中か!』と言われている一族です。確かに彼らの中には、盗みや物乞いをする人もいますが、それを見て彼らの全体像であるというのは、あまりにも偏狭的な見方であると思われる。彼らの多くは、何がしかの仕事をしながら生活をしている。先ほど言及した季節労働者として大半のジプシーたちは従事している。以上の記述から彼らに対する偏見が少しでもなくなり、彼らの本来の姿が見えてくると言えると思う。

 

 

(注1)外務省海外安全ホームページhttp://www.mofa.go.jp/anzen/

(注2)現在のジプシーの人口分から紹介(別紙参照)

水谷驍「ジプシー 歴史・社会・文化 」平凡社(2006)によれば、ジプシーの推定人口はヨーロッパ全体で560万人~886万人と幅がある。人口比は0.791.25%である。ヨーロッパ以外では米国に100万人前後というのが通説であり、中東(トルコに35万人という説あり)を除くアジア、及びアフリカにはほとんどいないので、世界全体で約1000万人と見積もられる。

ジプシーと呼ばれる集団は、中東欧のスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアといったドナウ川下流地域やバルカン半島、西欧ではスペイン、フランス、そして大西洋を渡って米国に多く分布している。中東欧では人口の1割程度にも達する国が複数ある。

(注―3)「ジプシー」という存在は、時と場所を選ばず社会から疎外・無視され迫害された民族であり、例えば、第二次世界大戦時ヨーロッパを占領したナチスドイツによるロマ民族に対する試みは、悲惨極まるものでした。ロマ民族の言葉であるロマニ語でポライモス(Porajmos)~食らい尽くす、絶滅させる~というジプシー絶滅政策は、ヨーロッパに住む多くのロマ民族が殺されました。その数は正確には把握することができなく、1939年の欧州におけるロマ人口885千人(推定値)のうち25万から50万人殺された。この時期のロマ人口をより上記より多く見積もり、100万人から400万人殺されたと云われる。

ナチス占領下の欧州で全ロマの7080%殺された。

この数値のどれが本当なのかは不明ですが、この時期にポーランドのアウシュビッツなどの収容所でユダヤ人ゲットーの中に「ジプシー・ゲットー」という区域が存在していたのはまぎれもない事実のようです。

この収容所で行われていたのは、強制労働・人体実験・毒ガスによる集団虐殺などユダヤ人のホロコーストと同様のことでした。戦後、ロマに対するポライモスの事実はユダヤ人の場合と違い、明らかにされることなく補償も無視され続けてきました。

HPRomania Japan」から引用

http://gipsy-romania.seesaa.net/article/84656214.html

(注4)音楽部族、金物細工部族、籠作り部族、馬など運搬用の動物を飼育する部族など

(フラメンコの芸術)現在ギター2月増刊号、D.E.ポーレン著、青木和美訳、P44~P45

5)この新しく進入してきたジプシー達にフラメンコの起源を見いだすのであれば、ヨーロッパ各地に移り住んだ彼等の文化が、現在、なにもスペインだけの文化で無くとも他の国々にもあって良さそうではないか、と言う疑問が出てきそうですが、ここで大事なのは、新しい土地へ新しい文化が流れ込んできた時に、その文化単独での発展はあり得ないと言うことでしょう。その新しい土地にもとから存在した土着の文化と混じり合うためにその地でしかありえない独特の変化発展を遂げていくものです。ここで注目したいのが実際、ジプシー達が進入してきた時代、このスペインと言う国にどのような文化がすでに存在していたか、と言う点です。 ここイベリア半島では、ちょうどその時代、大きな文化の流れが3つ程入り乱れていたのです。一つはキリスト教徒の文化、一つはイスラム教徒の文化、そして、もう一つが、ユダヤ教徒の文化です。そこへまたしても新しいジプシーの文化が入り込んできたと言う訳です。結果、ここで4つの違った文化が、ぶつかり合い、混じり合い、お互いに強い影響を与えあったがために、他の地ではあり得なかったような多種多様な独特の変化発展を遂げて出来上がっていったのが現在のフラメンコと呼ばれる文化ではないでしょうか。HP「フラメンコ小史」から引用www.spainnews.com/flamenco/flamenco.html

6)俳優ユル・ブリンナーがロマ(ジプシー)出身。世界ロマ連盟の初代会長がユル・ブリンナー。

チャーリー・チャップリンもロマ出身。ロマと言えばヨーロッパでは極貧の民族の代表になっているが、チャップリンもまた幼児期を極貧の中で暮らして、その映画もまたコメディにも関わらずそこに流れているのは極貧の描写である。彼の自伝記から引用:「Grandma was half gypsy. This fact was the skeleton in our family cupboard (おばあちゃんは、半分ジプシーでした。そのことは、外聞を憚る一家の秘密でした。) : My Autobiography, P.16Charles Chaplin: Penguin bookによる。

7)フラメンコの魂、フラメンコの根源の魔性。DUENDEは、人の魂、その悲哀や苦悩、愛と憎しみのためらいも怒りのない無心で赤裸々な表出。(フラメンコの芸術)現在ギター2月増刊号、D.E.ポーレン著、青木和美訳、P21)

 

Tuesday, 19 February 2013

彷徨える河原乞食のプロフィール

BIg News!

現在,私のブログの累積アクセス数(携帯電話からのものを含める)が25000になりました。
私に関心をいただいた方々へ、このページを借りて御礼申し上げます。
今後ともよろしくお願い致します。(2013年11月24日現在)

また、「芸術ページ」では、私の「芸術論」が世界的な著名な方々の著作の中に列挙されることになりました。

また、サイト「日本の論文」の中で私の論文が評価され、掲載されました。

(俳優、ナレーター、演技指導者、ギター演奏家、ギター指導者、ポリグロット(数ヶ国語使用者)、英語教育者、ヨーロッパ中世研究家、トラベルコンサルタント、イワサキミュージック主宰者)

生年月日:1955年3月24日(63才)
血液型:O型
星座:おひつじ座

身長:180cm 体重:83