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Sunday, 15 May 2016

「我が芸術論本論:音(楽)【おんらく】論(その2)」

(本論・PART―Ⅱ:音(楽)【おんらく】論・第二章)

*高崎商科大学を退官後、しばらく「我が芸術論」の執筆を
控えていましたが、私のライフワークの一つとして執筆を続行いたします

The music is the dialogue between the sound and the silence. The silence in itself strongly appears in the music. The silence is has the almighty power in the space, and the extreme existence OmnipotentGod)」is sitting behind the space’s silence.
I am going to get the answers from the several assignments : (1) I wonder if anything can’t get rise to through the silence. (2) Is there any resemblance between the music structure and the social one ? (3) Is there any possibility to adopt the music therapy?
4Why does not the native music become popular in foreign countries ? Why is, on the contrary, the Japanese side welcome to the foreign music (the American music in particular ) ? (5What environmental influence make the difference of the music instruments in every country ? (6Does the difference of the vocal cord making depends on environment?(7What ‘s the difference between the nature’s sound and the artificial sound? (9) Does every culture make every sound difference? (10) Does the music save mankind ?

音楽は、音と沈黙との対話である。沈黙自身が音楽の中で力強く前面に現れる。

沈黙を宇宙で全能な力を持ち、宇宙の沈黙の先には、究極的な存在である「神」が鎮座しているのである。(注)

無とは何か

無からは何も生まれないのであろうか?否、無からすべてが始まる。無ではなく沈黙から有音が生まれてくるのである。つまり、無と沈黙とは根本的に違うのである。無はどこまで掘り下げても「無」であり、永久に「無」である。まさに宇宙の空間と同じである。無イコール「空間」であり、空間が存在しなければ、「無」は存在しない。

沈黙とは何か

それに対して、「沈黙」という言葉は、有音との相対値として存在するのである。但し、直ぐに「有音」の反対側に存在すると一言で言い切ることができないのである。つまり、いくつかの段階が存在するのである。第一段階は、無論「無」が存在することであり、第二段階に「無」と「有音」との中間の存在に「沈黙」が生まれ、それは「有音が生まれる混沌の状態」の存在である。音の存在にはすべてその3段階のプロセスがある。但し、「音」が「音楽」に姿を変えるとその背後には、人間にしろ他の動植物界にしろ常にそれらの感情が音楽と密接に関係しているのである。それ自体単純なものではない。動植物界以外の自然界による「音」は、人間がかってに「音楽」と解釈したにすぎないのである。

キリスト教の旧約聖書の『混沌の世界』なのである。

宗教の解釈

ここで、「無」と「沈黙」について、仏教では次のように解釈されている。

つまり、仏教でいう「沈黙」は、それによって相手に悟らせるのである。

「無」については、日本の禅宗では次のようなことが説明されているのである。

山川も草木も森羅万象ことごとく、微粒子の結合であり、因と縁とによる集合離散である。(略)だから、地水火風にとどまらず、宇宙間の一切は、空の現象であり、無の表現である。(略)真も、善も、美も、無の融合体である。(p184~185「無に生きる禅」後藤大用(著)つまり、どこまでに行っても「無」は「無」であり、「沈黙」とは切り離されて考えられているのである。

キリスト教では、沈黙の否定から世界の創造を説いている。

人間はかって、音が世界の始まりであって存在し、言葉の形式をとる、大自然の要素であると信じていた。聖ヨハネは、その福音書の最初の章を、次の言葉で始めている。「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。神は言葉であった」(ヨハネ、第一章第一節)(注1)つまり、無はすなわち有であり、有機物であり地表に置くことができる存在あり、わずかなの振動で音を作り出す存在であると解釈されるのである。

「無」の円の範囲の中に「沈黙」と「有音」が存在しているのである。その無の世界の輪郭は、宇宙と言い換えてもよいのである。「無」からすべてが始まるのである。

静と動との関連性

有音は、「動」の作用であり、沈黙は「静」のそれである。

つまり、有と沈がある限り、現在語で言う『音楽』が存在するのである。

広義での宇宙のバランスを持続されている作用がある。

音楽とそれらの関連考察

音楽の構造と社会の構造の類似性とは?(180p)(小泉)

音楽は、個人のものではなく民衆の生活と密着したものである。

音楽は天体の運行、季節の移り変わり、客観的で超越的世界と結びついていて、人間の喜び悲しみとかに影響されないものだと南インドの人たちは考えている。

ペルシャ・インドの天地創造説は、宇宙は音響的実態から作りだされたとされ、マリウス・シュナイダ―「世界は、最初の音によって作り出され、その音が原生の深淵から発生した時、音が光になり、物質になった」といわれる。(音楽療法p15

下記の各カテゴリーは、この論文のテーマに対する解決する疑問たんです。

(1)同じ音でも空間の相違、容器の大きさによってバリエーションが作られる。

(2)オルゴールの原点は?

(3)前回から続いている音楽療法の可能性? 

(4)自国の音楽が何故に国外で人気を博せないのであろうか?逆に、何故に海外(特にアメリカ)の音楽が、国内(日本)で歓迎されるのか? 

(5)各国の楽器の違いは、どのような環境の影響作られるのであるか?

(6)声帯の違いは、環境の作用によるのか?

(7)生きている都市?都市の成長変化 

(8)自然の音と人工的に作られた音のとの相違? 

(9)文化が違えば音の違う?

(To be continued)

(脚注)

(1)ジュリエット・アルヴァン『音楽療法』(櫻林 仁・貫 行子 共著)、音楽之友社、昭和50年4月30日第四刷発行、『第一部 歴史的背景、Ⅰ音楽の起源』14p

 

 

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