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Friday, 25 September 2020

我が芸術論:序論

Die Einleitung
最近私は、『演技』について考える場合、まず第一に考察しなければならないことは『文化』とは何かということです。社会科学的見地からは、『文化とは何世代にもわたる個人や集団の努力によって多くの人々により受け継がれた知識・経験・信念・価値観・態度・意味・階級・宗教・時間の観念・役割分担・空間の使い方・世界観・物質的な財産などすべてを包含したものである。』と。この解釈を通じて、わたしの見解として、人間社会が存在する限り、換言すれば一人の人間では『文化』は生まれにくいものであり、自分以外の他者が存在しなければ成り立つのが困難である。但し、それは明確な概念ではなく、まるでオブラートそのものであるように思われる。つまり、先ほど述べた知識やその他の諸概念を包含する透明可視的なものであり、次の世代がその中を見通して学ぶものである。また、『文化』は、ある種の生き物のように感じられる。つまり、アメーバーでありその時代、また別の時代に外見的に変身しながら存在し続けるのである。いづれにしても、『文化』という器に先ほど述べた諸概念が存在している。『芸術』も然りである。しかしながら、芸術の存在意義は、『常に新しいものを作り上げる創造的なものであり,実在表現のLux(光)を放射し続け文化に虹彩を与えるもの』であると確信します。
私の専門分野のひとつである『西欧の教会建築、イコノグラフィー(図像学)』では、西欧の12世紀以前のロマネスク様式と12世紀以降のゴシック様式とは、別物に見られる傾向があるが、私は、前者が存在したから後者が生まれたと思われます。つまり、文化の性癖である『過去から学ぶ連続性』を痛感せずにはいられないのです。フランスのラン大聖堂、アミアン大聖堂、シャルトル大聖堂等のそれらの建築物は勿論のことそれらに付帯した壁面に彫られたイエスの姿や諸聖人の人物像またマリア像などの彫刻作品は、『宗教的信仰の対象物としての宗教的作品』という本来の価値を認識する以上に『崇高な芸術品』としての価値をそれらに見出すのであります。
『芸術』の別の視点として、本来は、それは自己表現の顕在化であり、自己の感情の発露である。その点では、『芸術』という言葉では、本質的な意味では偏狭的な理解に陥ってしまうのであり、その言葉では包含することができないものであります。例えば、西欧の中世に隆盛しました『巡礼』という行為現象を考えてみても、人間は、そのときはひとつの明確な『信仰心』といわれる動機がその行為に導いたことは確かでありますが、中庸的な見方をすれば、『自己感情の表現行為』ということも言えるのではないでしょうか?また、現在、アフリカやその他の文明社会から犯されていない社会圏でのいろいろな集団儀式を執り行うときに付帯的要素として『踊り、衣装、化粧』の行為が、まさに『自己表現の顕在化』であり、自己存在の確認を意識することであります。
話は芸術の『常に新しい創造性の追及』に戻ると、模倣的・クリシェなものは排除される。つまり、現代という時間の中で所謂「古典」といわれる芸能(日本でいえばー能・浄瑠璃・歌舞等)が伝統に完全に100%制約されたものであるならば、形骸化され一般の人々からの関心事から取り残される運命にあります。常に、その時代に適合するように努力し新しい要素の構築しなければならない。諺曰く”The rolling stone gathers no moss.":つまり、流転しているものは、苔が付かない。
スタニスラフスキイの言葉を借用させていただくならば『創造的芸術』の追及であります

Die Fortsetzung der Einleitung
前述した『教会建築』について、『常に新しい創造的ではない』と異論を唱える人がいるかもしれないが、私が思うにはそれは皮相的な考えであり、よい芸術作品は、何というか?対象物の作品から、その創造的な何かが鑑賞者の心の感受性に訴えかけてある創造的な力を誘発するものである。それこそが、『芸術の創造性』である。トルストイ曰く『一度味わった心持を自分の中に呼び起こして、それを自分の中に呼び起こした後で、運動や線や色や音や言葉で現される形にしてその心持を伝えて、他の人も同じ心持を味わうようにするところに、芸術の働きがある。芸術とは、一人の人が意識的に何か外に見えるしるしを使って自分の味わった心持を他の人に伝えて他の人がその心持に感染してそれを感じるようになるという人間の働きだ。』(『芸術とは何か』の一節から引用)、と洞察力のある『芸術』の分析を試みています。つまり『相互の働きであると同時に綜合の交流』であると。ロシアの偉大な大芸術家であるトルストイの文章を引用するのはあまりにも傲慢すぎるが、それを借用させていただくことを許していただけるならば、ある一点では、私の芸術論と関連を痛感いたします。つまり、『教会にある諸聖人その他の登場人物を作製した当時の人々の心持と時間空間を越えてそれに感染した、または感染している、または感染するであろう鑑賞者の関連』を認めるのです。私が何故『時間的・空間的』という言葉を使ったかといえば、『芸術』とは、それらの枠(Der Rahmen)が存在しないのであります。次に、芸術の『美の追求』について述べようと思います。『美』とはなんぞやと考えます。よく言われるように、「肉体的な美しさ」から定義される傾向があるように思われます。私の『美』とはそのような皮相的な意味から言っているのではなくもっと内面的な、もっと深遠な宇宙を超越した何か宇宙と同一性を感じるときの、言い換えれば、よりメンタルなもの、よりスピリチュアル(霊的な)な存在と接するとき『美』の存在を感じるのです。つまり、すべての虚飾が剥がされたときの「自然が作った造形物の美しさ」であり、つまりは「人間の裸体」であり、「虚飾が一切ない姿」であります。自然は偉大であるとよく言われます。自然の造形した美しさは、どんなに人間がどんな努力してもかなわないものです。私は、最近考えるのですが、だいたい人間は、よく『自然』という言葉を使いますが、意識の中で何か自分とは乖離した存在と言っているように思われます。何か人間の傲慢さを感じるのです。いつごろから我々は、そういう意識が芽生えたのでしょうか?歴史的に見て、例えば、ヨーロッパではローマ帝国時代以前の社会では概して自然の中の人間生活を営んでいました。例えば、ケルト民族やゲルマン民族は、自然を畏れ敬った価値観を持っていました。それがローマ時代を境にキリスト教の影響で『人間中心主義』の見方が芽生えてしまったのです。まさに『自然無視・自然に対する畏敬の念の喪失』からの自然破壊が起こり、その流れが現在での続いていています。近い将来自然からの大きな報復がなければよいのですが。何か『芸術の使命』を感じてしまうのです。つまり、『芸術が自然界の伝道者にならねばならない』と。自然は、『美の探求者』あります。否、自然は、美の造形者ではなく、『美』そのものであります。暁の天空を思い出してください、朝靄の中の自然の鼓動の音色に耳を向けてください、天空を覆う宝石のような星たちを見上げてください、足元の昆虫たちの小さな営みを観察してみてください、きっと『自然の偉大さ』を感じることでしょう。

Die Fortsetzung
次に『芸術の存在意義』について考えてみたいと思います。ご存知のように、現在という時代に目を向ければ、科学・技術の進歩による恩恵を多くわれわれは受けています。例えば、医学の進歩による寿命の伸長、水力発電による電気の供給、天気予報のある程度の予測、安定した食料の生産、交通機関による時間の短縮化それに伴う流通産業の効率化、コンピューターの普及による情報の迅速化、別の見方をすれば戦争武器の破壊力(科学兵器・核兵器)の未曾有の進歩その他例を挙げればいくらでもあるように科学・技術の偉大さには賞賛を惜しみません。しかしながら、何か物質的な面だけが先行している傾向があるように思われてなりません。『こころの貧困化』とよく言われます。現象として敵対心・猜疑心(不信)・命の軽視・他人に対する思いやり・ものに対する愛着心の軽薄・自然に対する畏敬の念の欠乏とその破壊・日本における自殺者の増大・人間同士の殺し合い・戦争・虐殺その他。なぜこのような不均衡が生まれたのでしょうか。人間は、新しいもの・便利さ・合理性を好む傾向が先天的にあり、それらに魅了されてしまうのです。それの飽くなき追求により人間は『何か大きなもの』を置き去りにして邁進しているように思われます。人間の弱さといえばそれまでの話ですが、そのような状況に『芸術の果たす役割とは何か』といつも考えるのです。小説、悲喜劇、絵画、彫刻、舞踊、建築等がいわゆる芸術といわれる分野ですが、それらの果たすべき役割とは甚大であると思われます。それらは人間の内面性を追求したものであり、社会に与える影響を考えると責任重大であります。ロシアの文豪トルストイは、次のように『芸術』を定義しています。『個人を人類の生活にとっても善に向かう運動にとってもなくてはならない必要な人間の交通手段、人間を同じ心持の中に結びつけるための手段である』。その言葉の中にすべてが言い尽くされていると思うのです。同じ心持を生まれださせるのが芸術の使命と、また芸術のテーマがいつも真剣に問われなければならないと思うのです。ところで、私がこの芸術論(1)で述べた『芸術は、文明にLuxを放射し文化に虹彩を与えるものである』と述べましたが、最近読んでいますトルストイの『芸術とは何か』で別の見方が論述されていますのでご紹介したいと思いますーー苦しみ、快感を実際または想像で味わった人がカンバスや大理石に表わしたものを見て、他の人たちがそれに感染した場合それがまさに芸術である』と。そのような観点では、絵画も石教会堂の建築物やそれに彫られた諸聖人像は、芸術作品と言えるのではないでしょうか?彼は言葉を続けます『見る人聴く人が創作家の受けた心持に感染すると、それで芸術になる。もし人間に、昔生きていた人たちの頭に浮かんだ思想を(言葉)で現したものを取り上げたり自分の思想を他の人に伝えたりする力がなかったとすれば、人間は野獣と同じである、また人間のもうひとつの力、(感情の領分の芸術)によって感染する力がなかったならば、人間はもっと野蛮なもの、最悪の状況としてこの人間界は、無秩序で敵同士になっていたかも知れないのです』と。つまりここで、私の理解としてある意味で『芸術は文化の諸形態に虹彩を放射するフォース』であり、人類の永続、平和維持にはなくてはならないものなのです。
ラテンの言葉:Ommes artes,quae ad humanitatem pertinent,habent quoddam commune vinculum.(人間性に関わるすべての芸術は、ある共

Die Fortsetzung
Est ergo pulchritudo realiter idem quod bonitas.(美は本質的には善に等しい)(von Ulrich von strassburg,)この名言は、確かにスコラ哲学概念が普及していた時代の考え方を反映したものであるが、つまり『美』はイコール『善』の考え方。この名言は、しかしながら、本質を衝いていると思われます。前章でも言及したように『砂漠化した人間社会のオアシスであり、人間の乾いた心への一滴のしずくであり、人間性を覚醒させる試金石であります。』と。そういう観点から考えて見ますと、自分の勝手の解釈として『西欧のキリスト教会建造物(バシリカ・聖堂等を含む)またその建物の内外に装飾されている彫刻群・絵画等の芸術作品群、修道院(洞窟)建造物に、ある意味で善の象徴を感じるのである』。私自身のお話をすることを許していただけるならば、何故キリスト教会建造物に興味を持ったかといえば、私の今までの仕事上で海外に多く訪問する機会を得たのがヨーロッパ、特に西ヨーロッパであり、どの町や村を訪れても必ずそれらを威圧して聳え立つ建造物が目に入ったのです。この建物を中心にそれぞれの時代の世界が動いていたのでありその地域の住民はそれに精神的に拘束されたと同時にひとつの社会が形成され善悪の規律・道徳観がフォーメションされたのである。そうして、その建造物は現実的に存在したのであるが、むしろ当時の人々に精神的なイメージとして根を張ったのであります。私が、『教会建築』と言う意味は、そのようなスピリチュアルなこととして捉えているのです。現在フランスだけでも約2000の建造物が存在するということで、いかにそれぞれの地域で影響力を持ったのかと想像できます。誰でも教会堂を訪門すれば、内部の装飾の魅力(ステンドガラス色彩、正面の祭壇の上の聖人の像の崇高さ、天空を感じさせるドームの天井、柱に描かれた装飾)、外壁のいろいろの装飾群)に深い感銘を受け神の存在を意識するようになる雰囲気作りが漂っているのが感じと思います。具体例の一つとして、規模は小さくまた教会堂ではなく聖堂であるが私の忘れることができない印象深かったものとして、イタリアのラヴェンナの聖堂を取り上げてみたいと思います。イタリアの古都ラヴェンナにあるガッラ・プラチディアの霊廟は、外観は質素でファサードが灰色がかりレンガ造りのようでありタンパンには何も装飾がなく静寂の中に佇んでいる。しかしながら、一歩中に入ると、モザイク芸術の傑作を見ることができます。半円天井が素晴らしく、濃紺の背景に金の輪があり、白いマーガレットの花がちりばめられ、紺色の空を照らしている。クーポラに描かれた金の星たちその中心に燦然と輝く金の十字架、クーポラの四隅に描かれた福音史家の象徴:聖マルコの獅子・聖ルカの牛・聖ヨハネの鷲・聖マタイの人間。ここを訪れる人々は、やはり同じような『神の存在』を感じたことでしょう。私が,この章で指摘したかったことは、『キリスト教会の書物や教会に書かれたラテン語の聖書の物語ではない、教会建造物から放射する芸術的な美の作品群を通じて人々に(神の存在)を意識させ、それによってその影響下にある人々に悪の道から救い出し人間として正しく生きるべき道を教え善へ導いた』という点です。その上、昔から中世を通じて多くの人々は、ほとんどが文字の読めない文盲の人でありました。壁面の刻印された聖書の物語、絵画に描かれた書聖人伝、そしてステンドガラスに焼き付けられたマタイの山上の説教・詩篇が人々に優しく語りかけたことでしょう。
ミケランジェロ曰く:『建築を多少勉強したことなしに大芸術家はありえない』。

Die Fortsetzung
この章では、最も根本的なテーマである『宗教と芸術』の問題を取り上げで見たいと思います。ここでは難解な哲学的セオリーを述べようとはいたしません。ただ私が、第2章で述べましたように芸術とは宇宙を超越した何かの存在と同一的なものと一致するように感じるのです。それは芸術イコール神的な存在かもしれません。私は、常日頃機会あるごとにいわゆる『五葉ではなく四葉の芸術』というものを鑑賞するようにしています。『芸術』の顕在化としてのクラリク教授がその著書で『世界美・一般美学試論』で述べている『五葉の芸術』つまり味覚芸・嗅覚芸・触覚芸・聴覚芸・視覚芸を指摘しています。わたしは、それらに勝手に自分流の諸芸を組み入れています。その五葉の中の四葉は、味覚芸としての菓子・料理、嗅覚芸としての御香、聴覚芸としての音楽、視覚芸としての絵画・演劇・建築・彫刻また散文が対象であり時間が許す限りそれらに触れる様にしています。では『触覚芸とは何か』。教授は『それは、ビロードの触り心地であり、柔らかさ・しなやかさ・滑らかさの形容詞はそこから生まれる』と述べています。(残念ながら、私は、触芸の経験がないのでなんとも謂えませんが。)。話が逸れてしまったので本題に戻りますと、宗教では、現在社会には、仏教・キリスト教・イスラム教-神道その他もろもろの宗教が認められますが、私の見方として芸術を通して宇宙の究極的な存在に(イギリスの偉大な歴史学者アーノルド=トインビーの言葉)接近できるように人間のemotionが飛び立つのです。もう少し詳細に見てゆきますと,例えば仏教では、宗派によって多少の相違があるかと思いますが、一般に読経(般若心経や法華経等)があり太鼓やその他の音の共鳴があり、神道では祝詞があり太鼓の音がある。キリスト教の特にカトリックでは教会の基本文書である『三要文(信条・主の祈り・十戒)』を唱え、オルガンに合わせてコーラス隊が『神をたたえる歌』を合唱します。イスラム教では、モスクから町中に響き渡るコーランの調べ。実際、私がトルコのイスタンブールを訪問したとき、その幻想的な響きに魅了されました。以上から分かつたことは、響きや音によって異次元の世界へ心が惹きつけられ、まさに『何か崇高な存在』へ誘ってくれるのです。『芸術と宗教』は、人間社会が始まったプリミティブな時代から存在していたと想像します。現在でも未開な社会では神がかりな祈祷師といわれる人が神の信託を受けるために必ずある儀式が執り行われます。その挙行のために必ず舞踊や音楽が付き物です。現存する諸宗教は、原始の原型を変形してある種の形態に作り上げらています。そして、ある意味では、それらの芸術の顕在化がなければ、宗教も多くの人々に影響をもたらし、また大きな広がりを持てなかったのではないかとさえ思われるのです。むしろ、『宗教』は芸術より上位ではなくそれらの芸術の放出の最中に、まさにその中に『宗教=崇高なもの』を人々は感じ取ったように理解せざる負えません。このテーマに関連して、ひとつご指摘したいのは、近代音楽の未曾有の進歩を遂げたのは、Johann Sebastien Bach(1685~1750)の登場に大いに負うところがあります。彼の音楽の原点は宗教音楽であり、宗教と芸術との深い関連性が浮かび上がってくるのです。偉大な哲学者であるアラン曰く:あらゆる音楽は、音楽がほしかつもたらす純粋さ、注意、服従、沈潜、平静によって宗教的である。宗教音楽はすべての人を傾聴させる。音楽的な魂は、審判の前ではきわめて些細なものにすぎぬもろもろ惨劇を超越して魂を高める。(第6章へ続く)

Die Fortsetzung
そして、私は、宗教と芸術(音楽)とに間に関連性を感じるのが、教会とパイプ=オルガンの並存なのです。ここで芸術の一形態の音楽に焦点を絞って話を進めようと思います。音楽でも一般に知らせれいているジャンルとは違うまさにマージナルな(辺境的・社会の範疇にはない)もの、すなわちロム(rom)音楽を考えてみたいと思います。たぶん多くの方は、『それは何ですか?』と質問すると思いますので少しロムから説明しますと、一般に定住社会圏を持たない『放浪の民』といわれ昔から世界中を旅した民であります。ドイツ語ではZigeunerといわれているが、彼らの生活は歌い踊り、手相占いをしていました。ここで注目されるのは、かれらは、野や森や川つまり大自然を愛し、自分らを『自然の王』という。以上の理由から彼らが歴史上登場することは皆無に近く彼らにつての資料を入手するのは大変難しいのです。現在では、彼らの系統をひくスペインでのGitano(ヒターノ)に見ることができます。特にかれらは、音楽分野で才能を発揮して『フラメンコ音楽』を紹介してきました。少し、フラメンコのついて説明しますと(私自身もフラメンコギターを勉強していましたが)、スペイン南部アンダルシアのヒターノの間で19世紀半ばに生まれました。これに、フェニキア人、アラビア人、ユダヤ人の芸能とミックスされたものといわれでいます。カンテ(歌)、バイレ(踊り)、ギターラ、サパテアード(足拍子),パルマーダ(手拍子)、12拍のリズムによって構成されています。フラメンコのリズムは、十数種類があり:神秘的なソレア・陽気なアレグリーアス・ブレリア・タンゴス・ティエントス・不思議な感じのシギリージャス・ファンダンゴス・マラゲーニア・ベルディアレス・グラナイーナス・タラントs・タンゴ=デ=マラガ・ファルーカ・ガロティン・ペテネーラス・セビジャーナ・グァヒーラス・ルンバスなどがあります。ここで忘れてはならないことは、フラメンコの仲間の間では、「Duende」の存在を信じています。それは、霊であり妖怪でありその力によって舞台が展開しているといわれています。フラメンコの話が長すぎたので話をその流浪の民へ話を戻すと、この章でのもうひとつのテーマである宗教に関連した疑問として、『彼らには、宗教があるのか』ということを考えてみたいと思います。、キリスト教徒に言わせれば、宗教に縁のない民であると。私は、むしろある枠に囚われない教義を持たない、ある種の自然崇拝(アニミズム)であると思われます。別の章で述べましたケルト民族やゲルマン民族との共通点が感じられます。共通点の考察を試みてみたいのでが、別の機会に譲るとして、とにかく、流浪の民は森の精や川の精・太陽・星・この宇宙全体を信仰しています。ここで、この民の迫害の歴史を紹介したいと思います。彼らのヨーロッパでの出現は、15世紀の始めといわれています。何故15世紀からの登場かといえば、中世の終焉の時期で、都市の発展・貨幣経済の活発化・商業の発展の地域的広がり・利潤の追求等が見られ物的なのみならず人的な交流も活発化したのです。そのような状況で、彼らがヨーロッパと接することが可能であったと私は思うのです。残念ながら、gadscho(軽蔑的な意味を込めたヨーロッパ人への呼び名)社会では、乞食・最下層民として位置づけれ、それはまさにユダヤ人と同じでありました。彼ら流浪の民は、歴史上には載ることがなくその意味でヨダヤ人より悲しい存在でした。最近の例としては、ナチスの迫害があります。ユダヤ人迫害としては、よく知られていますが、その蔭に(彼らの居場所)彼らがいました。

Die Fortsetzung
ある統計資料によれば、ナチによる迫害の期間13年間の間に第二次世界大戦前は全ヨーロッパの流浪の民の人口は、大体百万~百五十万人と推定されていましたがそのうち約40万人が殺され、しかもそのほとんどが非戦闘員でありました。彼らの存在そのものは、歴史のページに載ることがなかったのです。彼らの迫害の歴史の中から生まれたフラメンコ音楽カンテの中のカルセレーラ(牢獄の歌)ノ:寝ござの上に腰を下ろし/頭起こして呆然と/思い出すのは我が母、我が子/今も元気でいるだろうか?
多分彼らは、人間界を超越した存在であり、大自然の中に生きいていたのであり、現在でも生存しています。多くの人は、生活のため定住生活をして生計を立てているのが現在であるが、本質的な面では彼らは『自然界に漂流する民』であるにちがいないのです。自然と同じ過去を振り返らず未来を心配することより現在の自然の流れと同じ現在を見つめていると私は、勝手に思い巡らすのです。そのような私の仮定に立てば、フラメンコ音楽のリズムのひとつである「アレグリーアス」の現在肯定的な,刹那的な享楽を表現した形式があるのが納得できるのです。また第6章で言及しました「Duende」の存在も何か自然界の霊的なものではないのかと思われます。ここで『放浪の民とはないか?』と私が言っている人は、実際の固有名詞で言うと誰かといえば、私が故意に今まではっきりと説明しなかった理由は、この文章を読んでくださった皆様が、その固有名詞を先に知ってほしくなかったからなのです。たぶんある種の偏見を持って彼らを見ることは、正しく彼らをご理解いただけないと思ったからなのです。彼らは、通常『ジプシー』といわれています。皆様の中に『あれか。観光でヨーロッパに行くとき、ジプシーに注意するようにといわれたあの連中か。あの泥棒・乞食か。』と思われる方がいるかもしれないという危惧から私は、あえて今まで明らかにしてこなかったのです。確かに物乞いの人や泥棒といわれる人もいますが多くの人は、何がしかの仕事をしながら生活をしている人々です。以上の彼ら『放浪の民』の考え方・歴史の私の拙い説明によって、多少彼らに対する見方が変わったならば私は望外の喜びであります。自然を畏敬し崇めるアニミズムの人々は、別の章で述べましたケルトの民にも見出せます。ケルトの民は、古代ヨーロッパで活躍した印欧語族の一派です。紀元前3000年ごろ北方文化圏を形成し前2000年ごろから移動をはじめしだい全ヨーロッパを支配してゆきました。但し前1世紀ごろローマ帝国に敗れてしまいます。社会の基盤は、農耕・牧畜が主でありました。彼らには、自然の中に神々がいると信じ例えば:全能の神(豊穣)・太陽の化身ルフ(技芸の神)・マトロナ(地母神)・ケルヌンノス(森の神)・マナ=ナーン(海の神)を信じ、また『輪廻信仰』を持っていました。仏教に似ているようですが、根本的な違いはケルトでは、死は怖いものではなくまたこの世に生まれ変われるという考え方で、他方仏教では、死ぬとまたこの苦難の現在に戻ってきて永遠に苦しみが繰り返されるとの考えでその輪廻から解脱するには、修行・勤行をして悟り・涅槃の境地に達すれば救われると。つまり、私見として、ケルトは、現実肯定的てあり、仏教は、現実否定的に思われます。ところで、ケルトは、古代では、文字に記録を書くのは禁じられていましたので、彼らの記録はありませんが、キリスト教の支配後においても芸術的評価の高い『ケズル書』や『ダウロ書』が現存しています。現在では、アイルランド・スコットランドは、かってのケルト圏であり、

Die Fortsetzung
私自身も以前両地域へ訪れたとき、ケルトの自然を畏敬する気持ちが時間・空間を超えてほんのわずかですが理解できた気がしました。世界でもう一度訪れてみたい場所と聞かれたならば、私は躊躇することなく両地域、特にスコットランドと答えます。大自然の懐に抱かれたハイランド地方、そこにあるネス湖、その湖の周辺のなんと美しく神秘てあったことか!この湖畔にたたづむ修道院。湖全体を包む緑の絨毯のような森。周りの山々のなんと神々しく神聖な感じのすることか!ネス湖は、怪獣伝説で有名なところです。湖の水面は,言葉では形容できないほど神秘な雰囲気をたたえ、なんとなく怪獣伝説が生まれた理由がわかるような気がしました。参考までに、その湖のことは、『Loch Ness』といわれていて、意味は、『ネスの穴』。ここにきて始めてケルト人が何ゆえ『自然』を崇拝したのかの訳がわかりました。アニミズムは、別に外国だけではなく日本でも神道は、まさに自然崇拝から生まれました。現在でも、日本の各地の神社には、必ずといっていいほど神社を囲むように必ず森があります。また、本来の神社の建物にも神の姿があるのではなく三宝があるだけで天空が神そのもの存在であります。また、日本では大木が神木とみなされ、高い山々が神が宿る霊山として崇めらえています。旅をしながら、自然を深く愛した多くの旅人。日本では、一遍上人・空也・松尾芭蕉、近代では、放浪の詩人と謳われた種田山頭火・高群逸枝ーー。彼らは、それぞれに明確な目的を持っていましたが、自然の懐に分け入り彼らは芸術性の高いいろいろの作品を遺しています。ここで放浪の詩人である種田山頭火の作品をひとつ取り上げてみたいと思います。『雑草風景』 =ある日は人のこひしさも木の芽草の芽/人声のちかづいてくる木の芽あかるく/伸びるより咲いてゐる/葦のそよげば何となくひとを待つ/ひとりたがやせばうたふなり/花ぐもりの窓から煙突一本/ひっそり咲いて散ります/枇杷が枯れて枇杷が生えれひとりぐらし/照れば鳴いて曇れば山羊がいつぴき/空へ若竹のなやみなし/身のまはりは葦だらけみんな咲いてる/ころり寝ころべば青空/何を求める風の中ゆく/葦を咲かせてそしててふちよをあそばせてーーー。話が、アニミズムに偏ってしまいましが『宗教(自然崇拝の信仰)による芸術の創造への流れ』を痛感するのです。別の章で述べたように『芸術の本来の姿が自然美』であると。ジプシーたちの音楽に偏見を持たずに耳を傾けてください。ケルトの音楽を聴いてください。そして、日本画の巨匠:横山大観の絵画の中に『自然の美』を見つけ出してください。たぶん、皆様の中には、キリスト教を取り上げないのかと不思議に思われたと思いますが、残念ながら私は、その宗教の中に「自然崇拝」の考え方、作品が見当たらないのです。この宗教は、人間中心で自然も人間の手の中にある考えで中世の絵にはその世界が描かれています。本来、その宗教は砂漠から生まれたものであり、ローマ帝国時代にヨーロッパに入ったものです。勿論、自然謳歌の観点からではなく、一つの宗教芸術作品としてみた場合、歴史上すばらしいものが創造されています。教会建造物としてのイタリアのバチカン市国のサンピエトロ大聖堂、アッシジ、ロレット、パドヴァ、イベリア半島のサンディアゴ=デ=コンポステラ、フランスの聖マルタン=デュ=カニグー修道院、ルルドやリジュ、中世末期最大の巡礼地のサン=ミシェル=ド=モントンブのモン=サン=ミシェル、ベルギーのモンテギュ、ルクセンブルグのエヘテルナハなどがあり、彫刻では、聖母と東方三賢王(象牙浮彫)、(第9章へ)

Die Fortsetzung
フランスのコンクにある聖ソフィア教会の壁面「最後の審判」、シャルトルの教会の「訪問のマリアとエリザベート」、ドイツのシュトラスブルグにある「預言者」その他。以上のようにすばらしき作品は数多くあります。私自身、自分の専門分野でありますが。確かに、宗教の芸術に果たした役割は、測り知れないものがあります。次の2人の巨人の名言を紹介しましょう。トルストイ曰く:宗教的な芸術は、人々の心の中に、仮にあるものとして、兄弟のような心情や愛の心持を起こさせて、実際でも同じような場合に同じような心持になるような癖をつけて、芸術で育てられた人々の生活の仕方が自然にその上を走るようなレールを人々の心の中につける。また、アラン曰く:あらゆる音楽は、音楽が欲しかつもたらす純粋さ、注意、服従、沈潜、平静によって宗教的である。本来の意味における宗教音楽は、より厳しいもので、外部からの支配ということを一層問題にする。
しかしながら私は、思うに「人間が創造したもの」は、せいぜい数千年の歳月には、ひょっとすると数百年で消滅してしまう運命なのです。自然界にわずかの期間登場した生き物なのです。広い自然界の時間のスパンから見れば、われわれの存在した期間は取るに足らずいつかは、自然界から忘れられます。もし、われわれ人間が、カントの言う「宇宙律」、また私の言葉で言えば「リズム」を意識的であろうと無意識的であろうと、それを撹乱しようとしたとき、自然界の「元の自然の状態」に戻そうという、まさにInvisible Handが働くのは必定です。われわれ人間は、聖書で言うところの「知恵」を授かってしまった結果、自然の状態ではいられなくなり常に新たな部分を何世代にも渡って付け加える衝動に追い立てられてきたのです。「善的なもの」と「悪のもの」との区別がなく、進歩・前進のために脇目も振らずに邁進し区別がつかなくなり、それに気がついたときには、覆水盆に帰らずの喩えどうり後の祭りになってしまうのです。それが人間の歴史では繰り返されたのです。例えば、鉄器に見ることができます。それによって、鋤・鍬の発展をもたらし農耕生産量の飛躍的増大に結びつき、自分らの食べる以外の余剰部分が生じ売買の考えが生まれました。広い意味でのヨーロッパ中世の閉鎖的な社会構造の崩壊であり同時に近世の幕開けの道が開かれたといっても過言ではないと思います。しかし、他方その発明により、「石」や「木」で作られた戦争の武器がそれに取って代わり以前よりより多くの人々を殺戮すること可能にしてしまったのです。人間の進歩への探究心は止むことを知らず、核融合の発明により輝かしい未来が見えてきましたが、同時に人類を破滅へ導くことを可能ならしめたのです。また、われわれは、自分の都合主義の下に自然を破壊し続けましたし、現在も進行しています。ヨーロッパ中世は約1000年といわれていますが、、いろいろの面では窮屈な閉鎖的な拘束された社会でありましたが、その初期に「大自然に対する」尊敬の感情、畏敬、崇拝の気持ちがありました。ヨーロッパの多くの部分は、黒い森に覆われ人間は身を寄せ合ってその森に周囲を囲まれて生活をしていました。そのような状況の中から生まれた感情なのです。山・森・川・動植物・太陽・星々。そこには「自然と人間との共存」の考えがありました。「森の妖精物語」もそのような中から誕生したのです。しかしながら、人間の中心主義の宗教中世を支配していたキリスト教の影響の下に人間の活動範囲を広めるために次々に自然を破壊することを推し進めたのです。人間の欲求のままに自然が蹂躙され続けたのです。

Die Fortsetzung
いくつかの歴史上の事例として取り上げれば、ある文献によれば、人類が文字(楔形文字で書かれた)を使用しバビロニア時代に(紀元前2000~1180年頃)書き残した最古の物語「ギルガメシュ叙事詩」によると、物語の主人公ギルガメシュ王(実在の王)は、自分の都市建設のために土器を焼く燃料のために木(材木)が必要であった。「あの森に行くと祟りがある」という人々の警告を無視してレバノンスギの森を伐採し、なおかつ半身半獣森の神・フンババを殺してしまったんです。王は、「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」と高らかに歌い上げました。青銅の手斧という文明の武器の前にフンババは敗れました。この作者は、森を破壊した後には砂漠化が引き起こされることを知っていたことが推測されます。4000年いい情も前から、メソポタミア周辺の森はすべに破壊さていた記録されています。現在では、メソポタミア地域は、広い範囲に砂漠化になり人間が生存できる環境がごく限られてしまったのです。クレタ島のミノア文明を崩壊させた原因は、地中海の小島サントリーニ島の火山噴火と一般に言われたいるが、B.C.1700年ごろ大地震によるクノッソスの宮殿の崩壊の再建のために森の資源を使いました。その結果「森の破壊」は土壌の劣化をもたらし、何も作物が育たない土壌になり、ミノア文明の滅亡の最大の原因になりました。現在のクノッソス周辺の山々は、ハゲ山ばかりだそうです。また、ミケーネ文明を同じような様相を呈しました。人間は、生がある限り、自然を破壊し続けなければならないのか?そういう性(サガ)なのかといつも私は思うのです。ミノア文明やミケーネ文明は地域的の局限されたものであるが、現在では、地球的規模で進んでいます。また、現在では、科学・技術の進歩により、遺伝子操作・動植物に対する人工的な操作・生命たのレプリカの創造が行われていて、入ってはいけない領域まで踏み込んでしまったのです。人間が、このままの状態で未来へ邁進すれば、自然のリズムの報復がおこり、前章で言及しましたように、元の状態へ戻そうとする力が働くことをい危惧しています。そして、ものへ戻すことが不可能と判断した場合、「リズムは自ら人間を含めてすべての存在を一緒に消滅させようとする作用が働くのではないかと懸念して止まないのです」。われわれ人間は、至上主義・傲慢さを捨て、もう一度冷静に・真剣に「大宇宙」を見つめてください。私は、よく大空や夜の星を見ながら想像世界を描きます。ちょっと、首を天空へ向けてみてください。
では、結論として、『そのような状況で芸術には何ができるのか?』自問します。芸術が、われわれ人間を覚醒させるには、『自然』に対する芸術による表現・顕在化を描写し続けることなのです。
宗教家であるが、芸術の面でも大きな影響を与え続ける:道元、空海、アッシジの聖フランチェスコ、また俳人:松尾芭蕉、『日本風景論』の著者:志賀しげたか、天才ピカソその他の偉人から、また現存の世界の有形・無形遺産から、きっと多くの指針を学ぶことができると思います。それぞれの芸術家が、社会的、否、人類の命運を担っている気概をもって艱難辛苦の道を邁進することを期待いたします。私の好きなラテン語の名言:Gutta cavat lapidem non vi sed saepe cadendo.
日本の『古事記』曰く:草や木がそれぞれに言葉をしゃべり、国土のそこここで岩や、石や、木や、草の葉がたがいに語りあい、夜は鬼火のようなあやしい火が燃え、昼は群がる昆虫の羽音のように、いたるところでにぎやかな

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