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俳優:岩崎秀夫の素顔

  • 著名な政治アナリストである伊藤惇夫氏と私。
    私の好きなスケッチです。

Thursday, 18 March 2021

自然環境が人間の歴史を作った環境歴史学についての考察

これから、私が日頃感じたことを述べようと思う。

人間社会の動向(歴史)は、人間自身の意思によって作られたのであろうか?または、その時代の周りの他人の意思によって作り上げら得たのであろうか?寧ろ、その時間と場所の自然が作りあげたものであろうか。確かに多くの人々はそのように考えるであろう。
私は、別な考えがある。つまり、タイトルの「自然環境」とは、広い意味での「気候」であり、人間文明を形成したのである。これに関しては、ハンチントンが1940年前後の「気候と文明」に書かれ詳細な記述がなされている。彼によれば、色々の角度から「人間と気候」の興味のある分析がなされている。人間の精神や行動と気候との関係の問題は、今まで多くの人によって論ぜられているが、地図を用いて考察した古典的例は、ハンチングトンの「気候と文明」である。それについては、詳細は適切なところで述べたいと思います。
ところで、「気候と文明」の本題に入る前に、世界の気候区分を一瞥したいと思います。
世界の気候帯

(1)赤道に近く、一年中暑い=熱帯
 (A)熱帯雨林気候:一年中気温が高く、降水量が多く、多種多様な動植物が共存し広葉樹の密林が広がっている。シンガポール、マレーシア  
 (B)サバナ気候:一年中気温が高く雨季と乾季あり、大型の草食動物がいて草原とまばらな樹木が広がっている。タイ、ケニアなど。
(2)雨が少なく、昼と夜の気温差が大きい=乾燥帯
 (A)ステップ気候:昼と夜の気温差が大きく、わずかな雨が降る季節がある。草の短い草原がある。モンゴル。
 (B)砂漠気候:昼と夜の気温差が大きく、一年中雨が少ない。動植物が育ちにくい。モロッコ、エジプト。
(3)四季がある=温帯
 (A)地中海性気候:奈津は乾燥、冬は雨が多い。乾燥に強い植物が多く見受けられる。例えば、柑橘類、オリーブ。イタリア、ギリシャ。
 (B)温帯湿潤気候:季節が明確で有り、気温・降水量の変化が大きい。広葉樹と針葉樹が有り、稲の栽培が可能の土地がある。日本、中国。
(4)温帯=四季がある。
 (A)のみ。西岸海洋性気候:一年を通じて、気温と降水量の変化が少ない。落葉広葉樹(ブナ・ニレ)。イギリス。
(5)冷帯(亜寒帯)=冬の寒さが厳しい
 (A)冷帯のみ。(亜寒帯)気候:冬の寒さが厳しく、夏には気温が上昇する。植物は、針葉樹林(タイガー・白樺。)ロシア。
(6)寒帯=南極・北極に近い。
 (A)ツンドラ気候:短い夏が有り、わずかに植物が育つ。夏にはコケ類や地衣類などがわずかに生える。ロシア。
 (B)氷雪気候:一年中雪と氷に覆われる。植物は育たない。動物としては、北極のホッキョクグマ・アザラシ・南極のペンギン。
 *次の高山気候は、気候帯ののカテゴリーには入らず、気候区のカテゴリーに入ります。
(7)高山気候:同緯度の低地より気温が低い。標高によって植物が変わる。ペルー。
人間の精神・肉体形成には、気候帯と大いに関係してると言われているので、以上のような気候帯を紹介しながら、話を進めたいと思います。
もともと、動植物は、その気候帯によって形成されています。たとえば、人間は、気候帯によって白人・黒人・黄色人種その田の人種を存在しています。植物の一例は、(1)~(7)に紹介しました。
これ委関連して、取り上げたいのはベルクマンの法則(*ドイツの生物学者クリスティアン・ベルクマンが1847年発表)がありますのでそれを紹介したいと思います。「赤道から極に近づくにつれて、体型が大になると言われている。体重は身長の三乗の割合で増加するのに対して、体表面積は二乗の割でしか増加しないため、それによって体表面からの熱の放散が少なくなるという。」原理。つまり、例えば、恒温動物でも寒冷な地域に生息するものほど体重が大きく、近縁の種間では、大型の種ほど寒冷地域に生息する。赤道の近いところでは小型のピューマが見られるが、極に近いところ、及びアンデスの高山地帯では大型のピューマがみられる。同じようなことが人間にもその法則が適用できると言われている。また、鈴木氏は、アメリカ原住民の身長分布ではベルクマンの法則を紹介しています。(*鈴木秀夫著「風土の構造」から引用)
*以下の文章は、安田喜憲の「「気候と文化・文明」の特集記事から引用。
別の理論として、「環境決定論」に賛同したものとしてブルース・リプトンが提唱した:エビゲェネティク理論=「人間の行動を決定しているのは、体の中の遺伝子ではなく、人間を取り巻く環境が、遺伝子情報のスイッチをオンにしたりオフにしたりしていると提唱している」。この理論は、「遺伝子理論」と言われている。つまり、気候変動、森林、砂漠、虫の声、鳥の声、食べ物や文化や伝統、社会や経済のあり方、人と人との関わり、その中で生まれる心のあり方まで、人間が生きていくために関わらざるをえない環境こそ、遺伝子のオン・オフに大きな影響を与えていると言われる。つまり、環境決定論である。
農学博士の大橋力先生は、その著書「音と文明」の中で、森からは130KHz以上の高周波パワーが出ており、それが人間の大脳、とりわけ生命の中枢を司る脳幹に大きな影響を与えている可能性を指摘しました。
脳幹は、セロトニンやドーバミンなどの脳内の神経伝達物質の分泌に深く関わっている。森の超高周波を浴びることで、脳内の神経伝達物質の分泌が変わり、ドーバミン(脳内の快楽物質)
量は7倍以上なり、(V)βエンドルフィン(NK細胞の活性化に関わる)の量は、10倍以上、ノルドレナリン(心の安定化に関わり)の量は、3倍以上増加していること判明しました。
森は、高周波を通じて、人間の健康や心のあり方に大いに関係していることが判明しました。森の中で暮らす人間と砂漠の中で暮らす人間は、高周波の浴び方が異なり心のあり方まで違うのでないかと言われている。(途中省略)砂漠に生まれた人は砂漠の心を持ち、熱帯の森に生ませた人は、森の心を待つと言われいている。これに関連して考えることは、宗教に関して言えば、砂漠
の人は、一つに対して求心性が強い傾向があり、それの良い例が一神教である唯一神であるキリスト教であり、イスラム教であり、仏教であり、他方、森の人は、多神教である日本の神道であり、地中海沿岸に栄えた大地母神信仰である。つまり、前者は、絶対神が一つであり、後者は、全てのものに神が宿りという。言い換えると、前者は、自分以外は全て敵であり、敵対的姿勢にある場合は、攻撃対象であり、後者は、自分以外の対象物も自分と同じく尊敬し敬う姿勢が大切にされている。その姿勢は、人間社会で争いが必ず起こることを示唆している。
しばしば世界中で争いが起こるのは、キリスト教徒であり、イスラム教徒である。その性格は、宗教に関連性があり、それならば、その宗教の生まれた背景にはその風土と気候がある。本来、両宗教は、砂漠から生まれたのであり、それを誕生させたのは砂漠で生活をしているアラビア半島のアラビア人である。では、アラビア民族の気質や性格については、諸説中で幾つか言えることは、(*註 P.37~P38「アラブ的思考様式」講談社学術文庫:牧野信也著
)(1)アラブ人は、物事を極端に見る傾向があり、原色を好み、中間色がなく、そして黒か白であり、世界を常に外形で見る。(2)相手が挨拶すべき時、礼を欠き、借りが有るのに招待を忘れ、相手を必要とするときに来てくれなければ、アラブは容赦はしない。心変わりや失敗も容赦しない。他にもアラブの気質があると思いますが、もともとこれらの気質は、砂漠の気候から生まれたのである。つまり、砂漠の気候の厳しさがある。

(Cont.)


Monday, 23 March 2020

What is Virus ?

 

<The effect of Plague on Human history,and its analysis>
=It is important to stress that an outbreak of plague occurs only in confluence with a variety of environmental conditions quoted by Robert S. Gottfried in the Black Death.
=Y.pestis is native to particular parts of the world. Theses permanent reservoirs, called "inveterate foci," include central Asia, Siberia, the Yunan region of china, parts of Iran and Libya, the Arabian Peninsula, and east Africa quoted by the same author in the same book.(現代の新型コロナウイルスと同じ発生源とは、偶然の一致であろうか。)

*英語や他の外国語の文章が多く取り上げられると思いますので、それらを読めるだけの読解力のある方のみ対象になりますので、ご了承ください。それらの外国の文章を日本語に訳す時間もありませんし、また訳すと本来の原書のニュアンスが伝わらない危惧を感じたからなのです。お許しください。また、英語以外の外国語には、いろいろな記号(例えば、フランス語のアクサンテギュウーやドイツ語のウムラオト)が文字に付随されていますが、このブログでは、それらの記号を入力する機能がないとのことですので、省略させていただきます。

私は、人間の歴史が人間同士から作られたのでなく、その時代の自然現象やその時の病原菌の感染が、歴史と歴史の転換期に大きな影響を与え歴史を形成したのではないのかの仮説に立って、これから自然現象と感染症の一つである「疫病(Parasite)」を通じて考えてゆきたいと思います。そして、近年いろいろな形で世界中の人々を悩ませ始めた「鳥や豚のインフルエンザ」の発生は、今に突然発生したのではなくどこかで冬眠していた菌(parasite)が目を覚ましたのにすぎないのです。また、これからそのParasiteについて、また深遠な波状効果(つまり:中世西欧世界を理解するには、宗教であるキリスト教の研究だけではなく、疫病の原因であるparasiteを通じて中世期最大の出来事であるCrusade Movement・La Inquisicion(異端審問論争)・La sorciere の出現等の本当の姿が見えてくるのです。)、またそれを研究する現代的な意義と警告について考えてゆきたいと思ってます。その道先案内書として、基本書として、PHILIP ZIEGLERの「The Black Death」とRobert S.Gottfried「The black Death」、William H.Mcneill「Plagues and Peoples」、を取り上げ読みながら考えたいと思っております。むろん、その他の参考文献をいろいろな個所で引用することになると思います。

さて、西欧中世は、約1000年の長いスパンがあります。ローマ帝国が終焉して(すべての意味ではA.D.430年)東ローマ帝国の滅亡(1453年)の期間でありますが、いろいろな出来事が錯綜していた中で、「疫病」、中世期では「黒死病」という変形を通じて引き起こされた出来事ほど、当時の住民に深い影響を与えたものはないと言えるのではないでしょうか?私から言わせていただくと、その考察は、中世を理解する切り口になるのです。また、忘れてはならないことは、「黒死病とユダヤ人の迫害」との関連性も重要なことであると思われます。そして、「魔女の存在性と迫害」の問題にも言及する深遠な問題なのです。それらの発生・利用に「キリスト教」の果たした役割は大変大きく、それらを土台に飛躍的に発展した事実が見えてくるのです(その根拠として、Gottfred曰く:Pilgrimages and  visible demonstrations of piety increased, and the Christian Church seems to have gained in influence during the plague pandemic from a Natural History of Plague,P.12 of the same book)。
私の極端な仮説ですが、キリスト教徒は、その存在を熟知していて、それを(疫病)を利用したのではないかと思われるのです。

中世の時代のお話を述べる前に、「疫病の菌」がいかに世界の歴史を変えていったのかいくつかの事例を述べたいと思います。
まず第一のものは、4大文明の一つである「インダス文明1日での崩壊」、南米の「アステカ文明滅亡」、北米の「アメリカ先住民の全滅」、「モンゴール帝国の崩壊」など数え上げればきりがないほど、すべてがウイルス(virus)により引き起こされた現象なのです。細菌が人類の歴史、広く言えば地球の歴史を作り上げたといっても過言ではないのです。これに関連した記事を最近発見したことをノートしますと:
In the second century B.C. a great misfortune came upon the Roman and chinese Empires. This is a pestilence of unexampled virulence. It raged for eleven years in China and disorganized the social framework profoundly. The Han dynasty fell. The infection spread through Asia to Europe. It raged throughout the Roman Empire from A.D.164 to 180. (quoted by Chaper-34[Between Rome and Chin[TheWorld],H.G.WELLS)
つまり、「疫病」の源流が,中国であることがわかるのと同時に疫病は決して中世に始まったことではなく、もっと古くから存在していたことがこの文章からわかります。そして、ローマ帝国が、滅亡した理由が異民族の侵入によるのではなく、まず「疫病」によって荒廃したことによるのです。
ここで私なりの考察をしますと、ローマ帝国の時代にキリスト教徒の作為によってローマ帝国の滅亡を招いたのではないか?と想像するのです.

ここでひとまず中世の様子を描写したいと思います。
ZIEGLERが中世の衛生管理について、描写をしている個所がありますので、原書のまま引用したいと思います。大いに興味がある文章であり、また当時の「黒死病」の発生を知る一つの手がかりになります。
Privacy was not a concept close to the heart of medieval man and even in the grandest castle life was conducted in a perpetual crowd. In the houses of the poor,where beds were an unheard of luxury, it would not have been exceptional to find a dozen people sleeping on the floor of the same room. In the country villages, indeed in many urban houses as well, pigs and chickens and perhaps even ponies, cows and sheep, would share the common residence. Lanes barely wide enough to allow two ponies to pass meander between the steep walls of houses which grow together at the top, so as almost to blot out the light of day. The lanes themselves-they seem indeed more drains than lanes-are deep in mud and filth; no doubt to be attributed to the myriad buxom servant-wenches who appear at the upper windows and empty chamber pots filled with excrement on the passers-by. Still more important warmth and dirt provide the ideal environment for the rat.
以上の記事を通じて、衛生管理がいかに悪かったことが理解されると思われます。当然そのような衛生の悪さが、ペスト菌の温存に大いに寄与するのが想像されます。
ペスト菌は、本来中国大陸で発生したものと言われていますが、次第にヨーロッパ大陸に、イタリアのシシリア島を通じてイタリアに広がりヨーロッパ全土の広がったという事実があります。つまり、イタリアの船による交易に従事した船乗りから伝播したといわれています。
また、最近、大変興味深々な内容の文章に出会いましたので紹介したいの思います。
よく歴史家は、すべての人間社会は、「All empires, all states, all organization of human society are, in the ultimate, things of understanding and will」と名言を引用しますが、私は、その定義は「疫病」の観点からは覆されるのです。
ここで、大変興味のある記述がありますので紹介します。
以下の英文は、「The Black Death」 by Robert S.Gottfriedの本のChapter4  the Plague's Progress の中でJean Venette の記述による1348年のフランスでの情景のスケッチがあります:
The people of France and of almost the whole world were struck by a blow other than war. For in addition to the famineーー and to the wars---pestilence and its attendant tribulations appeared again in various parts of the world. In the month of August 1348, after Vespers, when the sun was beginning to set, a big and very bright star appeared above Paris, towards the west. 
It did not seem, as stars usually do, to be very high above our hemisphere, but rather, very near. As the sun set and night came on, this star did not seem to me or many other friars who were watching it to move from one place. At length, when night had come, this big star, to the amazement of all of us who were watching, broke into many different rays, and, as it shed these rays over paris towards the east, totally disappeared and was completely annihilated. Whether it was composed of airy exhalations and was finally resolved into vapor, I leave to the decision of asrtronomers.
上記の英文の中でアンダーラインを引いた個所は、いったい何でしょうか?大きな星は、いったい何を意味しているのでしょうか?これから改めて調べる必要があります。たぶん、ウイルスは、地球外から飛来したものと思われます。                       
また、大変興味がる発見がありましたので、紹介したいと思います。
La repartition des labyrinthes dans les eglises d’Europe 
coincide avec celle des megalithes.
この文章から理解できることは、何故にキリストの教会が、有史以前の巨石文化の石と全く同じ場所にラビリンスの彫刻の石の碑文を配置したのか?これからの研究課題であります。

また、中世では、ヨーロッパでは、かなり地震があったことが次の本からわかるのです。「La vie au Moyen」par Robert Delortの中で「L'Occident me
dieval a connu de nombreux tremblements de terre」、特に1356年10月18日の大地震(Le seisme balois)では、スイスを中心に広い範囲で地震が勃発していました。この文章で興味があることは、1300年代に黒死病の発生と地震との関連性があるように思われる。
以上の解説文章から、(1)ウイルスは、地球上の同じ場所に発生すること。(2)同じ周期で飛来こと。(3)宇宙から飛来。(4)自然の転換期(地震等の地殻変動)(5)人類が変革を求め行動するとき。(戦争)それにもう一つ追加したいのである。それは、地球の変革は、必ず気候との関連性がある。所謂、地球歴史環境論(私の造語?)の視点から分析を試みることである。
ところで、私が日頃から興味を抱いている「14世紀に大流行をもたらしたペスト」に関連して発見したことがあります。それは、14世紀から18世紀にかけて気候の異常事態があったこと。つまり、「Little Ice Age」に期間が地球上で起こり、毎月または毎年、暑くなったり寒くなったりと気候の不安定な状態が続きました。但しそれらは、たとえば、自然の力である(1)太陽から発する熱の変化(2)地球上の活火山の粉塵の汚染(3)地軸の方向性の変化等をもたらし、その様な自然の不安定の中では、作物が健全に育つのは難しく世界中の多くの場所で飢餓が発生し、それに関連して衛生問題上の事柄も発生したことが想像に難くないのである。(続く) 

(continued)

 

 

Thursday, 22 March 2018

私の研究ノートです。

*この文章の中には、図像等が省略されています。なぜならば、このブログでは掲載ができないのです。ご了承ください。
*この論述については、ある学会で発表しましたところ自分の専門外の研究は慎むべきとのご意見を諸先生方から頂きましたが、私自身どうしてもこのテーマを自分なりに研究したいので、このようなブログの欄をお借りして記述しています。これからもこのテーマを継続する所存ですので、興味のある方は、引き続きご購読をお願い申し上げます。最近修正と新規の資料を加筆しました。

人類は、ウイルスに対抗できるのか?
 
先住民族から学ぶ知恵とは?

What is the wisdom of native people against the virus?

Abstract

 I would like to investigate the cause of
the SARS & the New-style-influenza(
注1) by virus(pathogen), and analyze the
effect over the human history
 from the historical,
pathological, immunological, ecological viewpoints. Also, I intend to expound
the virus structure. I look over human beings susceptible to the virus, and, as
a result of the virus being damage to us, a number of civilizations and
indigenous habitants disappeared from the earth
Sumerians, Aztec Indians, Alexander the great, Amerindians, Inca Empire,
Indians, Roman Empire etc.
. In connection with
virus, I grove into the reasons it had been exterminated. Therefore, I couldn’t
help but researching to focus on the immunity function. Genetically, humankind did
not have the resistance against any virus. Additionally, according to Rachel Carson,
as a marine biologist, we can only be resistant to different virus (environment)
to take hundreds or even thousands of years comparing with very short terms of
virus. (
注2) 
Can we, Homo sapiens, find out the surviving way in future?
We may resist the virus and overcome it through native people’s wisdom to cope with
the virus.

Key words:世界的感染worldly contamination, overpopulation,人口過剰,
ウイルスvirus

 

1.現状と問題定義

人間の歴史が人間同士から作られたのでなく、その時代の自然現象やその時のウイルスの感染が、歴史と歴史の転換期に大きな影響を与え、世界史(人類史含)を形成したのではないのか,また人類はそのウイルスを撲滅できるのかの仮説に立って、これから自然現象と感染症の一つである最近の(2010年前後)SARS/新型インフルエンザ」を通じて考えることから始めることが重要である。それらウイルス病原体(pathogen)について考察を試み世界に与えた影響と波及効果を環境歴史学の立場から論述する次第である。
 
 (図-1)によれば、インフルエンザ感染者数・死亡率では2000年から南北アメリカ地域がトップであること、症例数では2009731日までと20091122日までの累積ではトップで変動せず、2位がヨーロッパ地域であること、また2009年の症例数では2位が西太平洋地域でヨーロッパの症例数を超えている。

(
図―1)新型インフルエンザによる世界的被害のデータの紹介(注3)

 

 

3.先行研究の考察
 
最初に、細菌とウイルスとの厳密な違いから述べる。
 
細菌は、他の細胞がなくても自分と同じ子どもを増やせる微生物である。つまり、動物の体内で種々の毒を生産し、動物の細胞の働きを止めたり細胞を殺したりする。自分で生きることができるのである他方、ウイルスは、動物の体内に入り、細胞の助けを借りて増殖する。つまり、ウイルス粒子が別の細胞に連鎖的に感染させるのである。この違いを把握した上で以下の考察を進める。ウイルスは、自分では生きることができない(4)

以上の相違がありますが、この研究論文では「ウイルス」に焦点を当てて論述する。

近年いろいろな形で世界中の人々を悩ませ始めた「鳥や豚のインフルエンザ」の出現、また最近話題になっています「SARS」「コロナウイルス」は、別に新たに出現したものではなく, そのウイルス原形質はすでに人類が誕生するずっと前からこの地球上に存在していたのであって、ただその原形質が何かの弾みに変形してそのような姿で現れたのに過ぎないのである。事実、45億年前の地球誕生からウイルスの世界最古の微生物の化石は、南アフリカやオーストラリアの35億年前の地層から見つかっているのだ。生命ある物と呼ぶことのできる最初の対象は、ウイルスなのである。原始人より恐竜より始祖鳥より古く地球上の大先輩なのである。但し、それが地球で生まれたのか、または別の惑星から飛来したのかについては、いまだに解明されてないのである。また、更に言えることは、細菌は他の生き物に依存することなく自分で子孫を作る能力があるので、地球で最初に誕生した生物といえるのであり、次にウイルスは他の生物に依存して生きるので、次に誕生したと言えるのである。つまり、動植物が誕生してからウイルスが発生したのである。そして、麻疹・結核・ペスト・マラリア・インフルエンザその他の感染するウイルスは本来的には同種類のものである。(注5)それらのウイルスは、原形質である病原体が環境・気候・人口密度の程度その他の要因によって変異(MUTATION)した変異体に過ぎないのである。

ウイルスの解明のために、(1)ウイルスの発生する地域とそこに住んでいる人々の血液型との関連性、(2)気候と疾病との関連性、(3)各種ウイルスの発生源と赤道線上の範囲の関連性(4)世界的温暖化がウイルスの温床になる現状を明らかにすることが極めて重要である。

(1)ウイルス発生地域と血液型との関連性(注6)

次のそれぞれの地図は、血液型による分布図です。

(図―2)A型の血液型の分布図

(図―3)B型の血液型の分布図

(図―4)O型の血液型の分布図

(出典:海外移住と血液型分布の世界地図)

白血球の中のリンパ球の割合で血液型が決まると言われている。また、ウイルスに対して人間の免疫力が高い順番の血液型は、O>B>A>ABである。次に血液型別にかかりやすい、またはかかりにくいとされている病気を紹介しよう。

 

 

(図―5)

 


 

血液型

 

 

かかりやすい主な病気

 

 

かかりにくい主な病気

 

 

A type

 

 

天然痘、肺結核、マラリア

 

ノロウィルス感染

 

各種ガン

 

 

ペスト

 

 

 

 

 

 

B type

 

 

肺結核、肺炎

 

インフルエンザ【A1型】

 

フィラリア

 

 

天然痘

 

 

 

 

 

 

O  type

 

 

コレラ、ペスト

 

病原性大腸炎

 

インフルエンザ【A2型】

 

 

梅毒、天然痘、肺結核、

 

各種ガン

 

悪性貧血

 

 

AB type

 

 

梅毒、天然痘

 

肺炎

 

インフルエンザ【A1型】

 

 

コレラ

 

フィラリア

 

ノロウィルス感染

 

(著者が作成)

ウイルス類は、ABO式の血液型物質を持っていて、中でも多いのはA型血液物質ある。A型の人は、自らを攻撃しないようにA型血液物質に対する抗体を持っていない。それゆえに、B型やO型に比べて病気にかかりやすいと言われている。また、米国先住民の90%がO型であったので、コロンブス一行が、ヨーロッパから「梅毒」持ち込んだ時、梅毒に強いO型の住民が生き残ったと言われている。また、南米で流行していたノロウィルスは、O型の血液物質を好むのである。(注7)

(2) 気候と疾病との関連性
疾病は、気候との関連性、特に気温と降水量の多様化から、世界の地域ではライム病,黄熱、ペスト、鳥インフルエンザなどが大発生する恐れがあると言われている。これらの他にもバベシア症、コレラ、エボラ出血熱、アフリカ睡眠病、結核である。

 

この地図で注目されるのは、東西へのvertical axis(横軸)の範囲に限定されることである。

(
図―6)世界的なペスト・ラッサ熱の感染地域の分布(注8)

 

 

 
 


(
図―7)結核分布の世界地図(注9)

 

 

(3) 各種ウイルスの発生源と赤道線上の範囲の関連性

 

 

(図―8,9)から理解できることは、赤道近辺でいろいろのウイルスが発生していることである。赤道緯度北30度と南30℃の間は、荒涼の砂漠地帯であるアフリカ中部のみであり、アジア地域・中央アメリカ等では年間降雨量が高く、それらの地域ではウイルスの発生地域との関連性が明らかである。それらウイルスの発生範囲は、世界の気候区分の観点からは「赤道気候」「熱帯気候」「モンスーン気候」の3地域にあること、但し、アメリカ大陸での範囲は、無視します。なぜならば、本来アメリカ大陸では、ライム病・黄熱その他のウイルスが存在してなかったのである。

 

 

(図―8)世界地域の年間降雨量と世界のウイルスとの発生地域との関連表(注10)

 

 

 

 

図―9)世界地域の年間降雨量と世界のウイルスとの発生地域との関連表(注11)

 

 

 (4)世界的温暖化の現状(注12)

 

 

A)酸欠の海

 

 

海の酸欠状態は、世界的に広がっている。世界中で400以上の酸欠海域がある。特に、酸欠海域は北米とヨーロッパあり、最大規模はバルト海とメキシコ湾が指摘される。この酸欠の原因は、海藻の異常発生であり、その腐敗物の栄養分をバクテリアが食べるために異常発生して、海中の酸素を多量に消費することによって、海中の生物またそれを餌とする魚類が必要な酸素が得られず窒息死する。

 

 

B)洪水に見舞われる世界

 

 

海水温の上昇に伴う海水の膨張により、多量の水が海に流れ込むことである。今後100年間で海面が1.4m上昇する可能性があると2009年のIPCC(政府間パネル)で報告している。過去6000年間の平均海面上昇率が年間約0.5mmであったが、1900年以降年間1~2.5mmの上昇傾向にあり、特に温暖化の影響で氷床融解が深刻化している。もし、1mの上昇があると、バングラデシュの20%、オランダ全土の6%が海中に沈む。また、グリーンランド氷床が融解すると、世界の海面が7m上昇し人類にとって住める場所の確保が難しくなる可能性がある。つまり、地球の温暖化がこのまま進んでゆくと海抜の低い国々は水没し、世界の主要な沿岸都市の多くが海中に沈んでしまう危険性がある。

 

 

(C)海の酸性化
 
元来、海は弱アルカリ性であり、人間活動から生まれる二酸化炭素は海中に入ると化学変化を起こし、海水の酸性化が起こるのである。本来、海水のアルカリ性であることは、サンゴやプランクトンには必要なことであるのみならずウイルスにとっても必要不可欠ことであり、酸性化によりサンゴ・プランクトン・ウイルスのみならず海洋生態系全体に深刻な影響を与えることが懸念されている。つまり、酸性化により炭酸カルシウムの殻を形成する(炭酸塩の殻)ことができなくなったプランクトンは、原生動物に捕食され減少し、植物連鎖が崩れるのである。また、プランクトンが他の生き物に与えていた酸素が減少し、最終的には魚類に大きな影響を与え、深刻な影響を我々にも波及されるのである。つまり、魚を主食している民族にとって魚類を食べる機会が失われる時代が近い将来到来するのは確実である。以上の(A~C)は、地球の温暖化により引き起こされていることである。
 
 ここで忘れてはならないことは、地球で最初の生物であるウイルスが存在していたという事実は、当時弱アルカリ性の海が存在していたのではないか想像するのである。ところで、その病原体ウイルスは、いつの時代でも何かの引き金で、おとなしくしていたものが目覚め人間界のみならず、その他の動植物に悪さをするのである。大変興味のある指摘をしていることがある。今世紀に出現したウイルスのほとんどは、森や草原の開発を契機にさまよい出てきたウイルスたちによると言われている(注13)

 

 

 


 

20世紀に出現した主なウイルス性の出血熱
 

 

 

韓国出血熱

 

 

1930年代、日本軍の満州進出時に最初の記録。1978年に原因となるウイルスをネズミの体内から発見
 

 

 

クリミヤ・コンゴ出血熱

 

 

1960年代にアフリカのコンゴとウガンダで発見。第二次世界大戦後、現在のウクライナの森林や草原の農地転換後に出現した病気も同じ物と判明。
 

 

 

デング出血熱

 

 

もtもとは生命に危険のある病気ではなかったが、1950年ころから出血熱に移行する患者が出始めた。
 

 

 

ボリビヤ出血熱

 

 

1940-50年に初の患者が発生、52年にウイルスを認知。感染源はネズミで、生態系の破壊が引き金となった。
 

 

 

アルゼンチン出血熱

 

 

1940-50年代、森林やサバンナの開拓などによって繁殖した野ネズミが仲介。58年にブエノスアイレスでウイルスを発見
 

 

 

マールブルク出血熱

 

 

1967年、西ドイツでミドリザルから腎細胞培養に関与した実験syたち実験者たちが発病。
 

 

 

ラッサ熱

 

 

1969年、ナイジェリヤ、リベリヤなどで流行

 

 

エボラ出血熱

 

 

1976年、スーダンとザイールで流行。95年ザイールで4度目の大流行を起こした。

 

 

リフト渓谷熱

 

 

1977年、エジプトのアスワン地方で始めて人間に流行。ダムの建設がきっかけ。蚊が媒介する。

 

 

ベネズエラ出血熱

 

 

1990-91年にかけて104名の患者を確認。おもにベネズエラの農村地帯でネズミが媒介。
 

 

 

ニューハンター・ウイルス出血熱

 

 

1993-94年にかけて大流行。

 

 

 

 

 

 

今回のインフルエンザのウイルスもある程度の猛威を振るったときに、人類が抗生物質で攻撃したとき、一時的に鎮静化したのであるが、直後にリバウンドして以前より強くなり、多くの人々を悩ませたのである。そして、また沈静化して元の鞘に収まるのである。それは、いわゆる「病原体(protozoa)」であるが、大昔から存在していたもので地球の歴史では常に「あるリズム」をとって現われては隠れ(死滅では決してなく)、隠れては現れる繰り返しをしているのです。そのリズムの規則性は、いまだ解明されていない。

 

 

リズムの規則性についての一つの分析として、歴史家ウィリアム・マクニールによると疫病の周期的消長:感染症と人口集団の相互関係は次のようなサイクルを描くと述べている。これは、一般に疫学的に認められている最も単純なモデルである(注14)。つまり、(1)人口密度の上昇、→(2)人口密度が臨界点に達する、→(3)感染症の過剰感染、→(4)人口の急激な減少、であり、(4)から(1)へとサイクルが繰り返されることである。
 
 文明そのものが独自の感染症の伝染様式を発達させ、それらの感染症を貯蔵し、感染症の定期的な流行を通して人口集団に対して免疫機構を付与したという。彼は、文明はそのような感染のメカニズムを社会制度としても確立したという。これは次の二つの現象が同一の文明圏内で発達した結果であるとされる。

 

1)中間宿主を必要としない感染症の誕生

 

 文明圏が誕生する以前の小集団社会において、病原寄生体による感染症が維持されてゆくためには中間宿主が必要であった。しかし、人口密度がある一定の数に達すると、直接人間どうしが感染しあい、中間宿主を必要としない病原生物――この場合はバクテリアとウイルスが主となる――が引き起こす疾病が優勢になる。これは人口密度の上昇によって直接感染する病気の伝搬効率が、中間宿主を介する病気の伝搬効率を上回るからであり、このような現象は都市生活に伴って新しく生じたものと考えられる。

 

2)「ミクロ寄生」と「マクロ寄生」

 

 ミクロ寄生とは人間に感染する病原性生物がもつ本来の寄生の様式である。それに対してマクロ寄生は社会における一種の搾取メカニズム、例えば軍事組織などをさす。人間に寄生するウイルスや昆虫は身体に寄生することを通して人間の生存を脅かすが、マクロ寄生も人体の外部から経済的搾取や侵略などを通してそれと同じ効果をもたらすからである。ミクロ寄生という通常の感染現象以外に、マクロ寄生という類似のメカニズムを想定することによって、ミクロとマクロの寄生が競争的にあるいは相互補完的に、人口集団の成長に影響を与えていると考える。

 

 成立したての農耕社会は、外部の武力による略奪に抵抗の術をもたなかったが、余剰生産物の蓄積によって、農耕社会が武力集団を一定の割合で雇うことができるようになり、外部からの権力に対抗することができるようになった。マクニールは、これを農耕社会が外部に対して一定の抵抗力、すなわち「免疫」を確保するようになったと考える。自分の文明圏の軍隊は他の文明圏の軍隊が持ち込む感染症(ミクロ寄生)から防衛はしてくれるが、軍隊はその社会における余剰生産を食いつぶすマクロ寄生体そのものである。

 

 このように文明は新しいタイプの感染の様式をつくり出し、その感染症を圏内に維持し圏外からの感染症に対して疫学的ならびに社会的に防衛する広義の「免疫」メカニズムを発達させた。農耕化に伴う感染症からの危機を、文明圏をつくることで人類は病気と独自の共存関係をつくりあげた。マクニールはこのような文明の領域を「文明化した疾病の供給源」(Civilized Disease Pool)と呼んだ。

 

ところで、これらのウイルスは、もしかすると地球外から持ち込まれたのではないかと大胆な推測するのです。つまり、「天から光線が落ちてきた後、多くの人々が何かのウイルス(VIRUS)で死んでいった」と旧約聖書に明記されているのです。(注15)但し、それについては、今後の課題にしたい。

 

環境歴史学の視点から「疫病の菌」が、いかに世界の歴史を変えていったのかいくつかの事例を列挙しよう。

 

「ウイルス疫病」による世界史の変革をした事例

 

 

(事例―1)

 

 

「南米のアステカ・インカ両文明滅亡」

 

 

スペイン人たちが僅かな装備と少数の兵隊できわめて短期間にアステカならびにインカという二つの大きな新大陸文明を滅ぼしたことができたのは、武力によってではなく、この持ち込まれた疫病によってである。新大陸の征服戦争はウイルス戦争であり、極端な一方通行の疾病の交換であった。新大陸に持ち込まれた感染症は、天然痘、麻疹(はしか)、ジフテリア、百日咳、水痘、腺ペスト、発疹チフス、インフルエンザ、コレラ、デング熱、トラコーマなどであり、後には奴隷貿易の黒人を介してマラリアと黄熱病が持ち込まれた。つまり、アステカ・インカの原住民は、それらのウイルスに対する免疫力がなかったのである。

 

 

 

(事例―2)

 

 

「北米のアメリカン・インディアン先住民の全滅」

 

 

南北両アメリカ大陸へのヨーロッパ人の植民は、人類が経験したおそらく最後で最大の疾病の交換であった。とくに新大陸の先住民が感染症から受けた衝撃は大きかった。この理由は明らかである。モンゴロイドが到達した一万数千年前から十六世紀にいたるまでこの大陸はユーラシアから隔離された大陸であったこと。また中央アメリカを中心に拡がっていたメソアメリカと南米のペルーを中心とする文明を除けば、人口が集中していた巨大な都市が存在しなかったことである。ヨーロッパの植民者がやってくる以前には、新大陸では広範囲に流行病が蔓延したという歴史的資料はなく、また先住民の神話や説話にも疫病の流行というテーマやエピソードは見つからない。つまり同じ時期にユーラシアの人びとが体験していた強度の感染をくり返し受け、人口が激減するという経験を十六世紀以前の新大陸の先住民はもたなかった。

 

 

(事例―3)

 

 

「マケドニアのアレクサンダー大王の世界征服の崩壊」

 

 

アレクサンダー大王の率いる軍勢は、アジアのインドから東側の征服を意図して、インドへの道へ入るには、どうしてもインダス川を渡らなければならなかったのですが、インダス川を渡る前で、多くの彼の兵士が原因不明の病の倒れたのでした。その原因は、ウイルス感染といわれています。

 

 

前述の事例の1~3以外にも数え上げればきりがないほど、すべてがウイルスにより引き起こされた現象なのである。最近の事例「第一次世界大戦」があり(注16)、特にその弊害を受けている世界の先住民族あり、新型インフルエンザのほかにも、外来病によってこれまでに数多くの先住民族の文化を滅ぼしてきた。15世紀にヨーロッパから南北アメリカ大陸に持ち込まれた麻疹(はしか)と天然痘は多数の先住民族の人口を壊滅的に減少させた。また、2008年に「Emerging Infectious Diseases」誌に発表された研究によると、1918年のスペインかぜの大流行では、先住民の間での拡大が特に顕著だった。以上から言えることは、ウイルスが人類の歴史、広く言えば地球の歴史を作り上げたといっても過言ではないのである。

 

 

 他方では、前述の先住民の本来持っている感染症が侵略人であるヨーロッパ人へ何故伝播しなったのであろうか、またウイルスの種類の強弱の違いであろうかの疑問は残る。

 

 

ところで、「ウイルス(疫病)」の源流が中国(注17)であることがわかるのと同時に疫病は決して中世に始まったことではなく、もっと古くから存在していたことが証明されている。そして、疫病がばら撒かれ(つまり天然痘)がA.D.165~180にかけて出現して数百万のローマ人が死亡したと記録P 205、「Guns ,Germs, and Steel written by Jared Diamond」)にあり、つまり、ローマ人が荒廃し、ローマ帝国が、滅亡した理由が異民族の侵入によるのではなく、まず「疫病」によって荒廃したことである。

 

 

 ウイルスの顕著な事例として「中世西欧世界」を取り上げることは、ウイルスの理解には必要である。中世ヨーロッパの病原菌は、「ペスト」という名で普及していたのである。その当時の病原菌であるペストを考察していくと、疫病の原因であるペストを通じて中世期最大の出来事であるCrusade Movement(十字軍の動向)・La
Inquisicion(
異端審問論争)・La sorciere(魔女の登場)などの本当の姿が見えてくるのである。西欧中世は、約1000年の長いスパンがある。ローマ帝国が終焉して(すべての意味ではA.D.430年)東ローマ帝国の滅亡(1453年)の期間であるが、いろいろな出来事が錯綜していた中で、「疫病」、中世期では「黒死病」という変形を通じて引き起こされた出来事ほど、当時の住民に深い影響を与えたものはないと言えるのではないだろうか。また、忘れてはならないことは、「黒死病とユダヤ人の迫害」、つまりキリスト教徒による異端迫害運動との関連性も重要なことである。そして、「魔女の存在性と迫害」の問題にも言及する深遠な問題なのである。また、ペストの発生・利用に「キリスト教」の果たした役割は大変大きく、それらを土台に飛躍的に発展した事実のプロセスが理解されるのである。仮説として、キリスト教徒は、そのペスト菌の効用を熟知していて、勢力拡大のため、それ(疫病)を利用してのではないかと大胆な推測するのである。また、ローマ帝国の滅亡を招いたのは、キリスト教徒の綿密な策略によったのではないかとも推測される。しかしながら、それについては今後の研究の課題にしたい。

 

 

ところで、中世のペスト発生の環境の温存の様子を描写することは重要である。

 

 

ZIEGLERが中世の衛生管理について、描写をしている個所がある。「黒死病」の発生を知る一つの手がかりになる。(注18)

 

 

「個人のプライバシは存在しなく、中世の堅牢な城でさえ、プライバシはなく群衆で混雑していました。貧しい家屋では、ベッドなどの寝具は存在しなく同じ部屋の床の上で何人もの人々が寝る状態が普通でありました。都市のみならず農村でも、動物(ブタ、ニワトリ、仔馬)と寝床を一緒にしていたのです。道は、両側の険しい家屋の壁が先端で重なるところで2匹の仔馬がかろうじて通れる曲がりくねった道であり、そのために昼間でも光を遮るところでありました。道は、道でもまるで排水路と言った方が適切であるように泥と悪臭が漂っていた状態でした。元気な若い女中が上階の窓から通行人の上に便器の中の汚物を落としました。さらに悪いことに環境としてその道の空気は生暖かくそして不衛生であり、しかしながら、その環境は「ネズミ」にとって理想的なものでした。」

 

 

以上の記事を通じて、衛生管理がいかに悪かったことが理解されると思われる。当然そのような衛生の悪さが、具体的には都市の下水道設備の欠落がペスト菌の温存に大いに寄与するのが想像されるのである。

 

 

ところで、ペスト菌は、本来中国大陸で発生したものと言われているが、何故に中国からユーラシア大陸全域に伝播したかは、モンゴル帝国の果たした役割を見逃すわけにはいかない。つまり、ユーラシア大陸全般の疾病の交換に寄与したのは、遊牧民の大規模な移動である。疾病文明圏が確立して以降、遊牧民が文明圏の住民に劣らない高い免疫能力を次第に獲得していき、病気の運搬者としての機能を果たすようになったからである。特に地球レベルでの感染症の拡散に貢献したのが十三世紀から十四世紀の半ばまでのモンゴル帝国の軍事遠征と支配である。彼らは東西の疾病の交換を急速に推し進めた。彼らが運んだ最大の感染症はペストである。元来ペストは、アジア圏の南のヒマラヤ山麓の地方病であった。1252年のモンゴルの騎兵隊が雲南からビルマに侵攻した際にそこから持ち出され、その後の短い間にユーラシアの草原地帯に住む齧歯類に感染するようになったと言われている。この草原地帯がペスト菌の供給地となってヨーロッパに持ち込まれたのである。

 

 

ヨーロッパ中世期には、次第にヨーロッパ大陸に、イタリアのシシリア島を通じてイタリアに広がりヨーロッパ全土の広がったという事実がある。つまり、イタリアの船による交易に従事した船乗りから伝播したといわれている。

 

 

また、「都市化」の現象も、ウイルス病原菌の蔓延に深刻な原因の一つである。つまり、都市化の拡大に伴って、周囲の森林や山脈などを破壊することを引き起こしているのである。都市の本格的な形態の出現は、古代ではウルク、ウル、モヘンジョウダロであり、ローマ帝国のローマであり、一般的には中世ヨーロッパの期間の都市の出現であるといわれている。つまり、病原菌は人口密度が高い環境で形成されたものである。但し、中世時代の期間では、それらの都市は、まだ小規模であり,その病原菌が地域限定であったので、風土病として認識され地域的な範囲内の問題として止まっていた。しかしながら、グローバル(地球的)な問題(自然破壊に伴って大洪水)が都市化の拡大に伴って顕在化してきたのである。人間の欲望は止まることを知らず、都市への人口過剰が続くと経済は次第により多くの人間の欲求に応えるために、つまり、都市の人々の食料を生産するために、農業の過剰生産を必要とし、そのためには第一に生産のための農地を開墾する。その農地を作るためには森林伐採が必要である。そのようなプロセスでグローバルな自然破壊が進行したのである。そして、合理的な方法で多くの商品の生産のために大規模な工場施設が必要になってきたのである。具体的には、工業化・機械化が生まれたのです。その後押しとして「化石燃料」である「石油」に大きく依存しているのである。これが「地球温暖化現象」の一因にもなっているのである。この温暖化現象により、小規模の範囲にとどまらず、地球規模で広がりを見せ、まさに、ウイルスが世界的に蔓延するきっかけを作ったのである。最近の世界健康機構(WHO)(注19)によると、虫が媒介する伝染病の増加は地球温暖化と関連がある可能性があるそうです。温暖化で熱帯伝染病を媒介する虫などの生息地域が北上するほか、温暖化がもたらす豪雨の増加や従来なかった地域での干ばつ発生などに伴い、ダニや蚊、ネズミなどの伝染病を媒介する動物や虫が増加する可能性があるためです。

 

 

 アフリカ西部で1937年に発見された西ナイル熱は99年にニューヨークに上陸。感染した蚊か鳥が持ち込んだとみられ、原因不明のまま米全土に広がりました。デング熱は熱帯を中心に発症していましたが、地球温暖化の影響からか、最近は台湾でも患者が確認され、沖縄への上陸も懸念されています。

 

 

 更に、温暖化の影響による気候変動で先住民の間で感染症が増加しているのが現状です。例えば、北極圏では地球の温暖化の影響により降水量の増加・氷の融解があり、カナダのイヌイットの間では、周辺の地表水や地下水が病原菌に汚染される頻度が高まり、感染の患者が増加しているのである。

 

 

 また、世界中の多くの人々の食料の保持のために、農業そして、その原形質ともいうウイルス病原菌に対して、最近では抗生物質を人類は作り、それに対抗している。しかしながら、そのウイルスに攻撃すればするほど、益々強くなり、そのウイルスは人類を滅亡へ導くのである。また、最近では、化学薬品による殺虫剤使用によって害虫を殺傷するべきものが皮肉にも、それによって害虫自体が抵抗力を持ち害虫の異常発生を起こし、数々の被害を蒙ったことの報告がある。(注2)ウイルスのみならず害虫でも、人間が攻撃すれば、益々強くなる習性なのである。

 

 

4.結論

 

 

4-1 抗生物質とウイルスとの終わりのなき戦い

 

 

古代社会では、すべて悪性の伝染病は、ひと括りに「ペスト」と記載されている。細菌の一つである結核菌は、紀元前3000年ごろには存在していたことが確認されている。更に、ここで興味のある事例を紹介すると、『エベルス・パピルス』という古代エジプト人によって紀元前1500年以前に書かれていた世界最古の薬物治療書の中で、ニンニクの効用が明記されていて、ほとんどの慢性疾患・感染症・老化の予防・治療に使われたことである。現在、やっと慢性疾患等が医療で取り上げられて始めたことが、すでに紀元前3,500年から紀元前1500年ごろに行われていた事実から、この分野では現在よりも文明が発達していたことが認識されるのである。この史実から判断すると、当時すでに、感染症のウイルスが蔓延していたことが理解されるのである。(注20)

 

 

ところで、現代社会での多くの伝染病は、前章で言及したように本質的に一つのウイルスから変形をしたものであり(「はしか」「チフス」「インフルエンザ」)、人類が彼らに攻撃、つまり抗生薬で攻撃すると、かれらはより強くなり人類の私たち人間を死に至らしめるのである。どのような抗生物質といえども耐性菌が出現しないということはありえず、放置すれば「どんな薬剤も効かない、治療のしようが全くない感染症」がいつか出現する。今のところできるのは、なんとか工夫して「その日」がやってくるのを一日でも先延ばしにすることだけである。

 

 

最近の製薬会社にとっては、抗生物質は薬価が安く認可もされにくい上、すぐに耐性菌が出現してくるので、研究費を注ぎ込んでも「割り合いにくい」薬といわわれている。

 

 

また、患者の減少により、赤痢や結核の患者を一度も診たことがない若い医者も増えている。こうした状況について、元東大医科学研究所教授の吉川昌之介氏は「今、日本では、病原細菌学を専攻する後継者が極端に不足いるのである。抗菌剤への過信とその無批判な濫用が、医者にも患者にも、ウイルス感染症の恐ろしさをすっかり忘れさせてしまった。ウイルス感染症はなくならない」と述べている。いずれにしろ、感染症医療を取りまく環境はお寒い限りである。病気のない世界は人類が地球上に出現して以来の夢でした。抗生物質という魔法の薬の出現によりそれはいったん実現したかに見えましたが、その魔法が解ける時は間近に迫っている。人類と病気との宿命の戦いはこれからもまだまだ続き、残念ながらそれは終わりの見えない戦いであるように考えられる。換言すれば、人間の傲慢さへの戒めとして、自然からのリベンジが始まっているように思われる。

 

 

いずれにしても、ルソーが提唱した言葉「自然に帰ろう」が思い出される。人間がすべての合理化主義に突き進むならば、人類、否、地球という惑星にウイルス以外何も生物が生息しない将来が見えてくるのである。

 

 

人間が自然と共存できる世界を早急に作らねばならないと思われる。

 

 

つまり、われわれの大先輩である原住民から、その病原菌の対処法を学ぶべきである。

 

 

彼らは、我々よりはるか何万年前から地球で生き続けているのであるから、学ぶ点が多くあると確信する。

 

 

4-2 原住民から学ぶウイルスへの対処法の幾つかの事例を紹介。

 

 

【事例1】(注21)

 

 

Modern folk practice helped to protect the health of Tamil labourers
brought from southern India to work on plantation in Malaysia. They conformed
to a custom that required them to bring water into their houses only once a
day, and not to store it between times. This deprived mosquitoes of a breeding
place
indoors. 
 As a result, Chinese as well as native Malays, who lived and worked
under similar conditions but did not observe the Tamil custom, suffered
distinctly higher rates of infection from dengue fever and malaria.

 

 

 

【事例2】(注22)

 

 

ペルー原産のキャッツクローの事例

 

 

インカ帝国時代から先住民が用いてきた免疫増強ハーブです。インカ帝国は、ペルーなどを中心に16世紀まで栄えた国です。しかし、銃砲や馬を持ったスペイン人に滅ぼされましたが、その文明は相当に高度で、トマトやジャガイモ、ゴムなどとヨーロッパ人が知らなかったものを多く利用していた。

 

 

この地域で使われていた薬草も、一時重視されませんでしたが、最近、代替医療の登場で、注目されている。現代科学の研究で、キャッツクローには、アルカロイドと呼ばれる物質が7種類含まれているのがわかりました。このアルカイロドはいろいろな薬理作用を持っている。主な作用は、抗ウイルス作用、抗炎症作用、抗がん作用です。クローン病やリューマチ性関節炎にも効果が大で、痛みや熱のある感染症に強いといわれている。

 

 

 

【事例3】(注23)

 

 

パウダルコ事例

 

 

パウダルコはアルゼンチンやブラジルの熱帯雨林で採れるハーブです。欧米でも優れた薬効が注目されている。パウダルコの場合、ラパコールという成分が免疫を補助する。

 

 

効果があるとされている病気は、①ウイルスによる各種感染症  ②水虫など真菌の病気③寄生虫  ④がん  ⑤白血病  ⑥呼吸器炎症 ⑦アレルギー  ⑧湿疹やしみなど皮膚疾患 ⑨糖尿病  ⑩胃腸障害  ⑪関節炎  ⑫乾癬(カンセン「たむし」) ⑬パーキンソン病  ⑭肝臓疾患

 

 

 

【事例4】(注24) 

 

 

社会制度による疫病の回避策の事例

 

 

マクニールはインド文明におけるカースト制度は感染症に対する一種の防疫機能から生まれたとする。インド文明における厳密なカースト制度は、文明からみた猖獗の地である「森の民」を直接的にはコントロールできなかったために、一種の心理的な障壁として辺境の民をタブー視し排除すると同時に、不可触賎民として社会の最下のカーストとして組み込んだという。このような類推にもとづく医療の発達や疾患の予防の実際の効果について実証することは困難をきわめる。しかし病気の認識の中に社会の認識が反映されることは、多くの社会においても指摘されており、実際的な効果の有無にかかわらず、そのような考えが疾病文明圏内に形成されたことは想像に難くない。

 

 

 

【事例5】(注25)

 

 

WHOによると20091025日において、世界中で44万人を超える実験室診断

 

 

で確定したパンデミックインフルエンザH1N1 2009感染者と5700人を超える死

 

 

者が報告されている。当然のことながら、新型のウイルスに対して各所

 

 

で様々な研究が行われているなか、精油についてもいくつかの報告がなされている

 

 

。あくまでも試験管内で行った実験ですが、培養したH1N1菌株と精油に関する研究

 

 

では、多くの精油にウイルスの生育を阻害する働きが認められました。

 

 

特にティートゥリーに注目した別の研究では、ティートゥリーの精油と分離した主

 

 

要な含有成分を其々試験管内のH1N1ウイルスに加えている。その結果、「ウイル

 

 

スの殺菌には至らないものの、驚異的に増殖が抑えられる」ことが分かり、今後、

 

 

新型インフルエンザ治療薬のひとつとして開発が期待できる、と結論付けたのである。この精油の特徴的な成分であるterpinen-4-olが強く作用しているとも分析している。

 

 

「お茶の木?!」

 

 

そもそもこのティートゥリーという植物、原産地のオーストラリアでは学名の属名「メラレウカ」のほうがよく知られ、とてもポピュラー。というのも、先住民族のアボリジニが長いこと万能薬として使っていたからである。彼らは125万年もの前からオーストラリアに生活していたといわれ、そこからティートゥリーの薬としての歴史の長さも計りしれる。ティートゥリーは英語でTee treeですが直訳すると「お茶の木」ということになる。しかしながら、現在ほとんど飲用することはありません。

 

 

ではなぜTee treeとよばれるのかというと、観測船エンデバーを率いてニュージーランドを発見したことで知られるキャプテン、ジェームズ・クック(James Cook) は、同地を探検したのち17704月、オーストラリア東海岸に到達し、現在のシドニーの南方に位置するボタニー湾に上陸した。クックとそのクルーは自生していたスパイシーな香りのする葉をもつメラレウカを見つけ、お茶にして飲んだことから。命名はキャプテン・クックだったというわけである。

 

 

ところで、アボリジ二は生の葉を噛むことで腸内の寄生虫を予防したり、擦り傷や虫さされに塗るなど天然の治療薬として大事にしてきたティートゥリー。その薬効は次第に認められ、第2次世界大戦の際、熱帯地方の部隊の救急キットに加えられたほどとのことである。その後さらに科学的な研究が進み、最近では細菌や真菌に対しての殺菌力、また耐性菌が発生しにくいことから院内感染などへの応用等、医薬品の世界でも注目。新型インフルエンザにも効果がありそうなのは、非常にうれしいニュースである。

 

 

【事例6】(注26)

 

 

ヘルゴンサッチャは民族植物学的に注目されているハーブの一つである。アマゾン熱帯雨林一帯では先住民も入植者もその土地の人々は皆、ヘルゴンサッチャの巨大な根茎を毒消しとして毒蛇に噛まれた時に利用している。アマゾンの奥地では、冷蔵保管が必要な毒蛇血清を入手するのは極めて難しいので、ヘルゴンサッチャによる毒消しが開発され、代々伝承され、今尚利用されている。ギヤナの先住民族は、淡水エイ、毒蜘蛛、『クラレ』と呼ばれる毒矢(植物や蛇や蛙等の毒を矢の先端に付ける)の毒消しにもヘルゴンサッチャを調製し利用している。また、ヘルゴンサッチャの葉や茎を足に打ち付けると、蛇に噛まれるのを予防する効果があると信じている先住民文化も存在する。ブラジルハーブ医療では、喘息、百日咳、生理不順の治療にヘルゴンサッチャの根茎を粉末調製し、経口摂取する。疥癬の治療にも、ヘルゴンサッチャの根粉末を局所的に用いる。また、ハエによりできた傷口には、毒蛇の治療と同様に、根茎から搾り取ったジュースを外用薬として傷口に直接つける。痛風の治療には、ヘルゴンサッチャの全草を煎じ入浴剤として用いる。ヘルゴンサッチャはペルーのハーブ医療でもよく知られた存在である。ペルーの都市部では、カプセル、チンキ、タブレットと言った形態で、エイズ(HIV)、癌腫瘍、消化器系の不調、ヘルニア(煎剤を外用薬として直接患部へ)、手の震え、動悸に対するナチュラルレメディーとして、自然食品店や薬局、市場などで販売されている。ヘルゴンサッチャをエイズ(HIV)の治療に用いる動きは1990年代初期にペルーで始まった。 事実、新薬開発を目指し、アマゾンで薬草調査に関わっている製薬会社の研究者達は、ヘルゴンサッチャが示す抗ウィルス特性や毒消し作用のメカニズムを客観的に立証する研究が始まった。

 

 

【事例7】(注27)

 

 

アメリカインディアンのCherokeeの事例

 

 

homeopathy」は、チェロキ―インディアンの間で先祖代々から継承されている医療療法で、人間の身体の兆候は自然の防衛と関係があり、この療法を利用することにより慢性痛風、慢性頭痛、autoimmune diseases(自己免疫疾患)、各種アレルギーのみならず、各種の伝染病に大変有効であるとされている。

 

 

 特に、ここで注視したいのが彼らは、「ニンニク」の効用についても、言及していることである。他の先住民もその効用を指摘している。また、前述の古代の文明である古代エジプトの紀元前3,500年前にニンニクについて注目され、多くの病気の治療ニンニクが使われ、更に、エジプトの学者であるペトリ卿がエジプトのエルマハスナである墓(紀元前3750年頃)を発見した時、9個の粘土模型のニンニクの麟茎がみつかり、またツタンカーメン王の墓でも乾燥した完全に保存されたニンニクの麟茎が6個発見され、他の多くの古い墓からも発見されている。何故に、墓にニンニクがあったのであろうか。また、歴史の父と言われるギリシアのヘロドトスの「エジプト」の中で次のような事実が書かれているのである。紀元前450年頃、彼はエジプト旅行でピラミッド建設の労働者に関するエジプト象形文字の刻銘を発見したのである。その中には、労働者の健康維持のためにニンニク・玉葱・ラディシュ(大根の一種)が絶体に必要であったのである。時代を超えてニンニクの重要性が強調されている。

 

 

ここで興味のあるのが、米国国立がん研究所が、がんの予防の可能性のある食品のうち6品目を列挙している。つまり、ガーリック(ニンニク)・キャベツ・カンゾウ・大豆・ショウガ・セリ科直物(人参・セロリ・バースニップ)である。ニンニクのがんに対する効果が明らかにされている。

 

 

 以上の先住民の病原菌(感染症)への対処法の事例に関連して一言:自然を尊び、必要以上に自然の産物を奪い取らないことである。つまり、生きるための食料として、動・植物を自然からいただき、快楽のために無駄な殺生はしないのである。現代社会への自然からの忠告の声が聞こえるようである。

 

 

 

我々人類は、次のメッセージを決して忘れてはならないのである。

 

 

 

メリーランド州ベセスダにあるアメリカ政府の海洋哺乳類委員会(MMC)の事務局長ティモシー・レーガン氏の言葉:「われわれは長い間に人間以外の生物の多様性を大きく損なう原因を作り出してきた。自然への責務を果たそうとするならば、ほかの生物との関係を見直し、自然界を守るために必要な変化を積極的に起こさなくてはならない」。(注27)

 

 

 

 北米インディアンのチェロキー族の言葉が、我々現在人に警撞を発し続けている。
 
As an Elder said, ” When we do harm to the Earth Mother, we do harm
to ourselves.”
(注28)

 

 

 

最後に、南米のマヤ文明が人間の病気について興味深い文を述べているので紹介してます。「A
major cause of sickness was imbalance and disharmony either with society, the
gods and ancestors, or surrounding world.
(注29)病気とスケールの大きい要素のとの関係性を結びつけている。

 

 

 

■参考文献

 

 

 

Rachel CarsonSILENT SPRINGA MARINER BOOK,
Houghton Miffin

 

 

 

Company Chapter16The Rumblings of an AvalancheP.274

 

 

 

Philip ZieglerThe Black DeathAlan Sutton
Publishing LTD. Chapter-9
London: Hygiene and
the Medieval City
P.118

 

 

 

William H. McNeillPlagues and PeoplesPenguin Books,
Chapter
1「Man the HunterP.30, Chapter2Breakthrough to
History
P.75~P.76, Chapter 6the Ecological Impact of Medical Science and Organization since1700P.217

 

 

 

Clive Pointing:A New Green History of the WorldPenguin Books, Chapter-9Disease and DeathP.218

 

 

 

J.T. Garrett and Michael Garrett:Medicine of the Cherokee(the way of Right Relationship)Bear & Company Publishing, Rochester, VERMONT, Chapter1keepers of the SecretsP21Chapter 3Physical Medicine PathP69P55~P56



 

 

 

■注

 

 

 

(1)①SARS(重症急性呼吸器症候群)は、SARSコロナウイルスを病原体とする新しい感染症

 

 

 

②メキシコや米国等で確認された新しいインフルエンザ(H1N1)を感染症法第6条第7号に規定する新型インフルエンザ等感染症。

 

 

 

(2)Rachel CarsonSILENT SPRINGA MARINER BOOK,
Houghton Miffin
 Company Chapter16The Rumblings of an Avalanchep.274

 

 

 

(3)WHO, SITUATION UPDATES, PandemicH1 N12009-2010参照

 

 

 

http://www.who.int/csr/disease/swineflu/updates/en/(20128、1)

 

 

 

(4)「細菌とウイルスの違い」http:www.meiji.co.jp/drug/isodine/wash/wash5h.html(2013, 8, 12)

 

 

 

(5)本文で取り上げている主なウイルスの種類

 

 

 

麻疹

 

 

 

麻疹ウイルスを原因とする感染症で、通称「はしか」として知られています。

 

 

 

結核

 

 

 

結核菌を原因とする感染症です。

 

 

 

ぺスト

 

 

 

ペスト菌を病原体とする感染症で、ペストは種類にも寄りますが致死率が高い病気です。

 

 

 

症状には高熱があり、感染方法により、リンパ腺が冒される「腺ペスト」、菌が血液に入り敗血症を起こす「ペスト敗血症」、 肺に菌が入り込む「肺ペスト」、皮膚が感染し膿疱が出来る「皮膚ペスト」があります。

 

 

 

このうち「ペスト敗血症」は全身に黒いあざが出来るため「黒死病」とも呼ばれます。

 

 

 

ペスト菌クマネズミなどのげっ歯類に感染する病気で、感染したネズミの血を吸ったノミを介して人間に感染します。

 

 

 

マラリア

 

 

 

マラリア原虫を原因とする感染症で、マラリア原虫を持つハマダラカ等の蚊に刺されることで感染します。

 

 

 

症状には40度近い高熱、脳マラリア(マラリア原虫が赤血球に寄生する事で脳内の血管が詰まり神経症状が起こること)、 溶血(赤血球の破壊)などが起こり、場合によっては死に至ります。

 

 

 

インフルエンザ

 

 

 

インフルエンザウイルスを原因とする感染症で、流行性感冒(流感)などとも呼ばれることがあります。

 

 

 

インフルエンザの症状には高熱、筋肉痛、頭痛、悪寒、咳、腹痛、嘔吐、下痢などがあり、合併症として肺炎やインフルエンザ脳症があります。

 

 

 

コレラ

 

 

 

コレラ菌を病原体とする感染症で、日本ではO1血清型、O139血清型を原因とするものを主にコレラとして扱っています。

 

 

 

潜伏期間は通常23日で、症状としては下痢、低体温、血行障害、血圧低下、筋肉の痙攣、極度の脱水などにより死ぬことがあります。 また、脱水症状により皮膚が乾燥し、コレラ特有の「コレラ顔貌」という顔になります。

 

 

 

致死率は治療を行わない場合、アジア型コレラで7580%、エルトール型で10%。適切な治療を行えば致死率は12%とかなり低くなります。

 

 

 

コレラに感染した場合は、極度の下痢と嘔吐による脱水を防ぐ為、電解質液(水にブドウ糖や塩化ナトリウムなどを溶解したもの)を与え、水分を補給させます。

 

 

 

コレラの感染は経口感染であるため飲食に注意し、特にコレラ感染者の排泄物や吐瀉物には注意が必要です。

 

 

 

2010年現在、7回の世界的流行(パンデミック)を起こし、日本でも江戸時代から大正時代頃まで、数度に渡って数万から数十万(資料によって数は様々)の死者を出しています。

 

 

 

Lassa fever

 

 

 

ラッサウイルス原因とする感染症で、1969年にナイジェリアのラッサ村で発生したことから病名が付けられました。

 

 

 

毎年世界で10万人以上が感染し、5000人近くが死亡しているとされています。症状には発熱、頭痛、関節痛、咽頭痛、吐血、下血、倦怠感などがあり、場合によってはショック死をしたり、後遺症として知覚神経マヒなどが発生します。

 

 

 

ラッサ熱に感染しても8割は軽症で回復しますが、2割は重症となり、12%の患者は死に至ります。

 

 

 

治療方法には抗ウイルス薬のリバビリンの注射が有効とされています。

 

 

 

Ebola hemorrhagic fever

 

 

 

エボラウイルスを病原体とする感染症で出血熱でもあります。

 

 

 

主にアフリカ中央部のスーダン、コンゴ民主共和国、ガボンなどで発生しています。

 

 

 

症状には発熱、頭痛、筋肉痛、腹痛、嘔吐、下痢などがあり、酷くなると口内、皮膚、消化器官などから出血が起こります。

 

 

 

致死率は5089%と非常に高くなっています。

 

 

 

エボラ出血熱には特効薬やワクチンなどは無く、効果的な治療法は現在確立されていません。

 

 

 

感染症・伝染病の種類一覧

 

 

 

(http://ichiranya.com/technology/017-infectious_disease.php)201291

 

 

 

(6)海外移住と血液型分布の世界地図参照

 

 

 

(http://emigration-atlas.net/society/abo-blood-type.html)(201283)

 

 

 

(7)A型は子宮がん・乳がん・糖尿病、AB型は梅毒に注意

 

 

 

(http://unkar.org/r/newsplus/1212016890201295
 
(8)ペスト、ラッサ熱などの侵入防止:ペスト患者の発生状況参照

 

 

 

(http://www.forth.go.jp/useful/infectious/name/name37.html2012910

 

 

 

(9)結核分布の世界地図参照

 

 

 

(http://whqlibdoc.who.int/publications/2011/9789241564380_eng.pdf)

 

 

 

2012915

 

 

 

(10)世界地域の年間降雨量と世界の細菌との発生地域との関連表参照

 

 

 

(http://ga.water.usgs.gov/edu/watercycleprecipitation.html2012915

 

 

 

(11)世界地域の年間降雨量と世界の細菌との発生地域との関連表参照

 

 

 

(http://www.shastacollege.edu/2012915

 

 

 

(12)ジョン・ファーンドン、「海と環境の図鑑」武舎広幸、武舎るみ(訳者)河出書房新社、「酸欠の海」P16~P17、「洪水に見舞われる世界」P42~P43、「海の酸性化」P46~P47

 

 

 

(13)「ウイルスの陰謀―40億年目の地球制覇」

 

 

 

(http://www.geocities.co.jp/Heartand/2989/virus1html)(2013,
8, 13)

 

 

 

 

 

 

 

(14)William H. McNeill:Plagues and PeoplesChapter1「Man the Hunter

 

 

 

P.30

 

 

 

(15)JEAN DE VENETTE, CHRONICLE PLAGUE READINGS from P. M. Rogers,
Aspects of Western Civilization, Prentice Hall, 2000, P.353-365.

 

 

 

The people of France and of almost the whole world were struck by a
blow other than war. For in addition to the famine
 and to the wars---pestilence and its attendant tribulations appeared
again in various parts of the world. In the month of August 1348, after
Vespers, when the sun was beginning to set, a big and very bright star appeared
above Paris, towards the west.
 It did not seem, as
stars usually do, to be very high above our hemisphere, but rather, very near.
As the sun set and night came on, this star did not seem to me or many other
friars who were watching it to move from one place. At length, when night had
come, this big star, to the amazement of all of us who were watching,
broke into many different rays, and, as it shed these rays over Paris towards
the east, totally disappeared and was completely annihilated. Whether it
was composed of airy exhalations and was finally resolved into vapor, I leave
to the decision of astronomers.

 

 

 

*上記の英文の中でアンダーラインを引いた部分は、私の大変興味がある個所です。「大きな星は、いったい何を意味しているのでしょうか?」改めて調べる必要があります。

 

 

 

前記の記事は、「The Plague in France の中でJeanVenette の記述による1348年のフランスでの情景のスケッチ。

 

 

 

(.http://www.u.arizona.edu/~afutrell/w%20civ%2002/plaguereadings.html)

 

 

 

(2012920

 

 

 

(16)Clive Pointing:「A New Green History
of the World
Chapter-9Disease and DeathP-218

 

 

 

「1918~1919年の冬期に世界的なインフルエンザがパンデミックに なり、第一次世界大戦ではアメリカ軍の80%がインフルエンザに罹ったと言われています。」(本文から著者が邦訳)

 

 

 

(17)H.G.WELLS:「The World Chaper-34Between Rome and ChinaP132

 

 

 

In the second century B.C.a great misfortune came upon the Roman and
Chinese Empires. This is a pestilence of unexampled virulence. It raged for
eleven years in China and disorganized the social framework profoundly.
The
Han dynasty fell. The infection spread through Asia to Europe. It raged
throughout the Roman Empire from A.D.164 to 180.

 

 

 

(18)「中世の衛生管理の描写」和訳

 

 

 

Philip Ziegler:The Black DeathChapter-9London: Hygiene and the Medieval CityP-118-22

 

 

 

(19)地球の現状2(earth.o-oi.net/ 2.(2013, 7, 31)
 
(20)斎藤 洋(監修)、「ニンニクの科学」、

 

 

 

朝倉書店、第1章ニンニクの歴史、P4~P5

 

 

 

(21)William H. McNeill:Plagues and PeoplesPenguin Books,
Chapter 6
   「the Ecological Impact of Medical Science and
Organization since1700

 
 P217

 

 

 

(22)ペルー原産のキャッツクローの事例参照

 

 

 

(http://www.reluck.com/genki_kirei/catsclaw.html2012920

 

 

 

(23)パウダルコ事例参照

 

 

 

(http://www.amazon-herb.com/herb/plant_taheebo.html2012920

 

 

 

(24)William H. McNeill:Plagues and PeoplesChapter2Breakthrough to HistoryP75~P76

 

 

 

(25)「アロマ&リラクゼーション」、日本看護学校協議会共済会、

 

 

 

http://www.e-kango.neti/selfcare/aroma/monthly(2013, 8, 13)

 

 

 

(26)ヘルゴンサッチャ事例

 

 

 

(www.amazon-herb.com/herb/plant_jergon_sacha.html)(2013,7,22)

 

 

 

(27) 16世紀ヨーロッパ人が入植しはじめた頃には、北米大陸の東部から南東部にかけ、ミシシッピ川流域に住んでいた。

 

 

 

18世紀のチェロキー族は、イギリスやアメリカとの間に、自分達の土地を守るための戦いの連続であった(チカマウガ戦争を参照)。1794年にアメリカ合衆国との間に休戦条約を結んだ後は、文明化の道を歩んだ。

 

 

 

彼らは、チカソー族ムスコギー部族連合、チョクトー族、セミノール族5大部族連合を結成し、白人の文明を受け入れ、白人社会の仕組み等を採り入れ、「文明化五部族」と呼ばれた。

 

 

 

1821年にはシクウォイア(セコイヤ、シクォイヤ)によってチェロキー文字が発明された。85音節文字からなる使いやすく覚えやすい文字で、すぐに習得できるため急速に普及した。彼らは白人の生活様式を好んで採り入れたため、周辺白人との混血も進むこととなった。

 

 

 

1830年代ジョージア州で起きたゴールドラッシュにより、白人が彼らの土地に乱入してきた。アンドリュー・ジャクソン大統領らは彼らを西部のインディアン準州へ強制移住させる方針を決め、武力でこれを強要した。チェロキー族らはこれに対して抵抗戦を行い、「セミノール戦争」など「インディアン戦争」を戦った。

 

 

 

1838年、アメリカ陸軍の軍事力に屈服を余儀なくされたチェロキー族をはじめ6万人の「5大部族」はミシシッピ川の西のインディアン準州(現オクラホマ州)に強制移住を余儀なくされる。この移住強制は徒歩で行われ、涙の旅路と呼ばれた。当時の記録では「墓に入るかと思える老婆でさえ、重い荷物を背負わされて歩かされていた」と記述されており、この苛烈な強制行路では、チェロキー族だけで28千人の犠牲を出した。

 

 

 

ノースカロライナ州をはじめ、東部から南東部のチェロキー族の一部は、インディアンの境遇に同情的な白人の助けを借り、また山深く隠れて強制移住を免れ、現在の東部チェロキー族(en)(人口約1万人)の祖となった。チェロキー族が表面上いなくなったジョージア州など南部の広大な土地は、後に一大綿花産地に変貌する。こうして、チェロキー族は大きく西部と東部に分断されることとなってしまった。

 

 

 

J.T. Garrett and Michael Garrett:Medicine of the Cherokee(the way of Right Relationship)INNER TRADITION BEAR COMPANY, Chapter1keepers of the SecretsP21Chapter 3Physical Medicine PathP69P55~P56
(
追加)

 

 

 

(The Message from the Cherokee)

 

 

 

EVERY PART OF THIS
EARTH IS SACRED TO OUR PEOPLE
EVERY SHINING PINE
NEEDLE, EVERY SANDY SHORE, EVERY MIST IN THE DARK WOODS, EVERY CLEARING, AND
EVERY HUMMING INSECT IS HOLY IN THE MEMORY AND EXPERIENCE OF OUR PEOPLE. THE
SAP WHICH COURSES THROUGH THE TREES CARRIES THE MEMORIES OF THE PEOPLE-------

 

 

 

(28)「哺乳類の4分の1が絶滅の危機」参照

 

 

 

(http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=82283301&expand#title2012918

 

 

 

(29)Mary Miller and
Karl Taube,
Ancient Mexico and The MAYA

 

 

 

THAMES AND HUDSON,P72

 

 

 



*
アンダーラインは、著者による追加

 

 

 

 

 

 

Sunday, 29 June 2014

日本の国会図書館への書蔵研究論文「我が芸術論:本論(Part-2)音楽論(その1)-2014年度高崎商科大学「紀要」論文採用決定稿

   MY
ATTEMPT AT THE INTERPRETATION

 

             THE
MUSIC (THE SOUND)

 

Hideo
Iwasaki

 

 

 

Nature is the musician who produces a variety of sounds. You can hear
the chorus of the many sounds in the forest: the sound of the wind, the sound
of heavy lightning bolt from the drums of sky, the sound of the dropping of the
rain on the ground, the sound of the crash of the leaves into the wind and the
sounds of the florae and the faunae.

 

 Also,
you can listen to the forest voice and God voice in a sense.

 

The sounds exist from onset of the earth. : the sound of the explosion
of the volcano, the sound of cooling lava . The great nature is the sound
creation artist.

 

Was the sound born on the earth at first Or, is the word born
at first
According as a certain scholar said, the music existed all culture have been ever
discovered. As people are dancing to the Paleolithic cave paintings depicted,
also the bone flute was found in the cave, and we could imagine that obviously
people be dancing with the music of some sort. Then, I will moot the music in
itself. I set up the several questions occurred to my mind. That is, (1) What
is the original music pattern? (2) Is it necessary for the humankind to live along
with the music? (3)I wonder if we can’t live without it. (4) Is it meaningful
for us? (5)What is its role? (6)Why does the variety of the music give rise to?
 (7)Why can we attract it, and feel sympathy to it fiercely. (8)What is
the music in itself? (9)What is the rapport between the music and religion?
(10)What is the both side of the music? (11)What is the music in the space?

 

 

 

[キーワード:自然、神、音(楽)の全面否定、両面性、沈黙の無限性]

 

序文

 

自然は、多種多様な音を作り出す音楽家である。耳を澄ませば風の音、大空からの稲妻の激しい太鼓の音、雨の地面をたたく音、風の波間にぶつかり合う木の葉の音、森ではなんと多くの音の合唱が聞けることか?また、森の声、ある意味では神と声が聞こえる。

 

地球が生まれた時から、音が存在していたのである。火山の爆発の音、溶岩が冷えて固まる音・・・

 

大自然は、音の芸術家であることか?

 

 

 

問題定義

 

言葉と音(楽)のどちらか先に生まれたのであろうか?

 

何故に、音は人間に心の波を引き起こすのであろうか?

 

音の世界に生きている人間が音のない世界で生きてゆけるのか?

 

何故に音楽が人類には必要であったのであろうか?

 

音(楽)がなんの役に立つのであろうか

 

音(楽)の役割とは?

 

何故に世界にはいろいろな音(楽)が存在するのであろうか?

 

本来の音とは?

 

なぜ多くの人々を同じ曲に共鳴して感動するのであろうか?

 

音(楽)と宗教の関連性は、はたしてどこにあるのか?

 

音(楽)の2面性については?

 

音楽とは、音を楽しむといわれているが、楽しむとはどういうことなのか?

 

宇宙では、音楽は無論のこと「音」が存在しないのではないか?

 

それらの疑問に対して解明を試みるのである。

 

考察

 

これからいくつかの課題を論証する。

 

第1章

 

言葉と音楽のどちらか先に生まれたのであろうか?

 

このテーマについては、どちらが先に生まれたという問題より言葉と音楽との相違でなく、同心円的なものであり、お互いに必要な時に使い分けをしていたことである。それを裏付ける根拠が次のジャン―ジャック・ルソーの文面から理解されるのである。

 

革命的社会理論家であり、また優れた作曲家であったルソー曰く「初期の人間社会では、歌と話しことばの区別がなく、最初の言語は、歌われていた。特に旋律的で詩的なものであった」(注1)。以上のような歌と言葉との混在化に対して、音楽人類学者であるブラッキング氏は「最初の人類は、歌と踊りが言葉のやり取りの発達に先行した」(注2)。つまり、最初に音楽(歌)が存在したと公言している。

 

しかしながら、先程指摘したように言葉と音楽は同心円的なものであり、また古代ギリシャ時代を概観すると音楽と詩は深い関係にあり、むしろそれらは、同一なものであった。また、古代の詩はイコール歌であった(注3)。古代ギリシャの韻文には、音楽的リズムが韻文に内蔵されているのであった。さらに、小泉氏が指摘しているように、「言語と音楽における相互影響は、(略)どちらが強く影響したという捉え方をするより、本来はどちらも、一本の幹から出た二本の枝であると見る方かよいかもしれない。(略)もともとこのふたつのものは、広く言えば同じものであり、また共通した要素からなりたっているのである」(注4)。よく言われることは、外国語を勉強している人は、音楽が得意であるといわれる。つまり、音楽と語学の共通性が認識されるのである。例えば、英語は抑揚・強弱などがあり、それは音楽との共通要素であるリズムの範囲である。また、小泉氏によれば、言語の持つ音楽性についてもう少し整理がなされているのでそれを紹介すると、金田一春彦氏の「コトバのフシ」の分析を試みて、次のように箇条書きで紹介しているのである。(1)音高的側面(2)リズム的側面(3)音色的側面(4)構成(楽式)的側面である。(1)については、音調言語である中国語・ベトナム語・カンボジア語であり、(2)ヒンディ語・ウルドゥ語・イタリア語・ドイツ語・英語・ドイツ語あり。(3)については、アメリカン・インディアンの言語(ナバホ語)・西アフリカの言語がこの範疇に入るのである(注5)

 

以上のように言語と音楽の相関性を専門的に解釈するまでもなく、私自身が、例えばピアノ・フルアコギター(エレキギターの一種である。ジャズ音楽に最適なギターと言われている)をつま弾いているとき、言葉で感情を表現すると同じ事が楽器で表現できるのである。人間のEmotionalな側面である喜怒哀楽感情を可能にするのである。

 

次にこれらの関連性の中で(2)のリズムについて、もう少し掘り下げて探究したのである。何故ならば、音楽の原型は、メロディではなくリズムであるので、その源を遡って考察することが必要である。

 

原始の時代では、集団の中で言語に替わるものとして、音楽つまりリズムが先に存在したと思われる。小泉氏曰く、音楽の諸要素の中でリズムは本能的な側面が強く出やすい(注6)といわれるように、言語の複雑な構成より、本能に訴えかけ形状化したリズムの方が最初に出現したように推考するのである。特に原始人が集団を構成した時には尚更である。それに関連した事例が、エスキモーの狩猟の中に垣間見ることができるのである。小泉氏は、あるエスキモーの調査(注7)を通じて(A)カリブーエスキモーと(B)クジラエスキモーとの興味のある比較論を展開している。(A)は、集団生活が必要ではなく二人で働くので生活の中に音楽が必要ではなく、他方(B)大勢の力で働かねばならないので、リズムが必要であり、このリズムの規則性が大きな結束力を生むのである。また、言い換えれば、社会と歌のスタイルの決定は、その人間たちが何を食べるか、食料に得る方法に依存するのである。

 

ところで、エスキモーの記述に関連して、小泉氏は音楽のモンスター的な姿を次のように述べ、我々に警告しているのである。

 

「我々が音楽的だと考えていることが、本当は人間の不幸の始まりかもしれない。自然に中で生きているエスキモーは、みんな一緒に力を合わせていかなければ生活ができないので階級制度が存在しない。また、土地は凍っているだけであるので、自分一人で買い占める土地としての価値がない。したがって、財産がないから身分の上下がない。それゆえに音楽の構造もシンプルである。(しかしながら、人類の長い歴史のなかで=著者の追加文章)素晴らしい音楽を人類が持つということと人間の不幸とは、何か直接の関係がる様に感じるのである。」(注8)つまり、世界で人類が縦割りの階級社会が形成されるとそれに伴って音楽が複雑になり、ある意味でその社会の固定化から生まれた複雑な構造の音楽が生まれたのであるが、パラドックス的にいえば、そのような状況が続くと音楽が社会の固定化に一役買っているのであろう。一つの事例として(著者の区分け)ジャンルでいえば、宮廷音楽あるクラシック音楽とジプシによるジプシー(ヒタ―ノ)音楽の違いのようなものである。

 

個人的には、ジプシー音楽が最低の音楽ではなく、唯、階級社会からの観点では、前者は、上流社会であり、後者は放浪の民族であり、ある意味で社会組織からはみ出した民であるという意味で区分けしたのみである。

 

第2章

 

リズムの文化論

 

何故に世界に一つの音(楽)リズムが存在しなく、世界には多様なリズムが存在するのか?何か外的な環境要因が関係しているのではないかと仮説するのである。

 

小泉氏によると諸民族の音楽のリズム的特徴を理解するためには、環境だけではなく、社会と経済の基盤を考えなければならない力説するのである。つまり、日本やアジア地域の住民は、本来農耕民であり1年の周期の中で生活をしているので、その規則性の中から生まれるリズムが存在し、他方砂漠地帯である乾燥した地域、あるいは北極の地域また、牧畜の地域に住む住民は、一年周期の植物を相手にするのではなく仕事のテンポが速いのである(注9)。前者の農耕民の世界では、周りの隣人と上手く共同生活を継続させるために、個人の自己主張を控え、調和と釣り合いが大切といわれているのである(注10)。リズムについてもゆっくりと変化する四季と同じ緩慢なテンポが生まれ、リズムの細やかでひたむきなものが好まれる傾向がある。このような傾向にある農耕民は、喜びや個性を失くし老若男女が自由に区別なく参加できる象徴的な形を取るのであり、典型的な例が「盆踊り」である(注11)。つまり、自分らの個性を抑えて隣人との調和に重点を置いている「だれでも参加できる」形態である。他方、遊牧・牧畜・漁協の民は、対照・急激なバリエーション・享楽的・刹那的なものが求められるので、リズムも必然的にそのような傾向のものになるのである。個人の激しい表現が極限まで強調され、集団の和の精神より個人の力量が評価される世界である。つまり、「誰にもできないような技量」がすべてである。後者は、音楽に合わせて足を踏みならす踊りがあり、例えばロシアの有名なダンスの形態であるコサック踊りであり、またジプシーの民族音楽であるフラメンコのダンサーの踊りある。上半身は常に直立であり、コサック踊りには言葉がないが、フラメンコ音楽には、カンテの歌詞があり,強弱アクセントが激しく自己の喜怒哀楽の表出が存在しているのである。つまり、本来的に農耕民である日本人は、「個」より「和」を大切にする民族であり、例えば、何かを成し遂げた時の言葉は決まって「自分一人の力でなく皆様のおかげで成功しました」とよく何かの試合に勝った時の実況放送の時のアナウンサーのインタビュー時のシーンでよく聞かれる言葉である。他方、西欧では「和」より「個」に重点を置いているので、同じインタビューシーンでは、選手は異口同音に「自分の力を十分に発揮できました。」と自分自身の成果を褒めたたえるのである。

 

その「和」と「個」の違いは、日本と西欧のいくつかの曲集の比較を考察すると明確になる。(注12)

 

つぎに「集団行動」と「個人行動」との違いが、結局は音楽のダンスの形態の違いにも表れているのである。

 

ここで興味のあることは、日本人と西欧人との音楽に合わせて踊る、POSTURE(姿勢)の違いである。日本では、「阿波踊り」のように姿勢が前かがみになり、腰が低くなるが、西欧では、社交ダンスでは、背筋を伸ばすことを指導される。その違いは、水田農耕民では、背中を丸めて仕事をするのであり、西欧では、本来遊牧的気質を受け継いでいるので自由に飛んだり跳ねたりする躍動的リズムを基盤としている(注13)。言い換えると、広い意味でアジア圏では農村主体の生活圏であり、「静」の動きがあり、他方西欧では動物との生活を通じて(牧畜圏)、「動」の動きが自然と身についてきたのである。

 

次の考察として、リズムの表現で東洋と西洋地域では、一曲の流れに顕著な相違があり、また一回体と回帰体の現象が見出され、それは、自説として、両地域の宗教に関係がある。つまり、キリスト教の一度死して復活する考えがあり、他方仏教の場合は、一度人間が死ぬと輪廻からの解脱を願うことである。それば、両宗教の埋葬方法との違いと関連性がある。キリスト教の信者は、彼らは一度死ぬと再生を信じているから埋葬は火葬ではなく土葬であり、仏教では、一度人間が死を迎えると復活することはないと信じられているので、火葬にされるのである。

 

さてここで、リズムに関連して小泉氏によると、平安時代の雅楽では序の曲、破の曲、急の曲の区別があったといわれ、またその考えを深く探求したのが能の世阿弥である(注14)。日本の場合は、川に流れのような過ぎ去るものは再び帰らず、日本の諸芸に共通していると言われている(注15)。インドから西のヨーロッパではロンド(繰り返し)の傾向があるといわれる。日本の一回体は、まさに鴨長明の[方丈記]の名文句である「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」の世界で具現化されているのである。

 

また、重久 剛によるとリズムやメロディーでは、日本音楽の「しらべ」は、欧米人に「単調な」趣を、欧米音楽のダイナミックな響き(リズム・メロディー)とは、到底相容れないのであると述べている(注16)。日本音楽の原点は、ある意味では、「静」の世界であり、「自然と人間の一体感」を表現した「同化」から生まれたのであり、自然の中の一部である人間であるという「自然同化説」であり、自然と人間はイコールの関係であり、欧米の人間と自然との関係とは明らかに違うのである。ご存じのように、欧米では、人間が上位で自然が下位である。日本の場合は、自然崇拝のアニミズムから由来する。つまり、人間と人間以外の自然との共存共栄の考えであり、万物と自然との融合である(注17)。仏教の一つである『禅宗』の座禅の境地に『無心になれ』というものがあるが、それは、すべての煩悩といわれているものを断つ事によって悟りが見出されるといわれている。無心の境地の瞬間は、まさに静寂・時間・空間を超えた何か『真空』の雰囲気を感じるのである。其の境地はまさに不動の心と言えるかも知れませんが、それと世阿弥が言わんとしている『無心の境地』とある意味で関連性があるように思われる。 
第3章

 

音(楽)の利用の仕方で悪に変貌

 

音楽は、祝祭・宗教的儀式・運動競技大会では、必要なものであった(注18)。特に、*アラン曰く:詩的なリズムは、行進する人間の集まり、一つの協和、一つの盛典を喚起するのである(注19)。つまり、群衆のいろいろと異なった気持ちを一緒に束ねる力を持っているのである。これに関連して、アランの文章からある負の要素を垣間見るのである。つまり、リズム、広義での音(楽)は、多く群衆を牽引する力があるが、一つの体に二面の顔を持ち、正の面では、良い方向への集団の結束を一つにする面がるが、それが負の面で現れると、それが宗教的な面で利用されると、とかく盲従する信仰と結びつき、自己の判断が麻痺してしまうのである。この点について留意しておきたい重要な事柄であるので、より深く検証する必要がある。

 

アラン・ブルームによれば、ロックが学生に及ぼす影響について興味のあることを述べている(注20)。つまり、ロックが他の種類の音楽への興味を失わせ、聞こうとする気持ちを失くしてしまうことを恐れているのである。ある意味でロックが音楽世界の中で壁を作り、その中で若者のエネルギーを封じ込めているのである。

 

 

ところで、ロックとは何かといえば、エルビスやビートルズに代表される電気ギターを使った音楽であり、リズム・アンド・ブルースカントリー・ミュージックから強い影響を受けた1940年代1950年代のロックンロールであると言われている。ロック自体、ジャズ・フォークなどの現在流行している音楽からも大いに影響を受けている。では何故に、多くの人々、とりわけ若者がその音楽に傾倒するのであろうか?

 

それは、ある意味では現代音楽の原点であり、ロックを学ぶことによって、若者の激しく燃える精神のはけ口として、つまりどこにぶつけていいのか分からない心のよりどころの世界がそこに見出せるのである。また、ある人は、ロック音楽は、既成概念体に反する、反社会的な傾向の音楽であるといわれる。いずれにしても、ロックは、他の音楽にはない若者を引き付ける烈しさがあり、また没頭しやすいのである。もし、ロックのみにしか興味が湧かなくなった場合、広い音楽世界では、あまりにも偏狭的な音楽感覚が、かれらに植えつけられるだけであり、ある意味では音楽全体の破壊に繋がれかねないのである。言い換えれば、ロック等の前衛の音楽に傾倒過ぎると、本来人間が持っている音楽的感性(sensitivity)の原型の麻痺を引き起こし、他の音楽ジャンルであるクラシック・ポップス・民族音楽等のみならず、他の芸術分野(絵画・建築・演劇その他)での感性をも破壊し、Chaosの渦に巻き込む力・無秩序の世界へ先導する力を宿しているのである。

 

では、感性とは何か?それは、遺伝的なものより、生まれた後の後天的ものであり、周り環境が作り上げたもの。感性という自分のフィルターを通じて感じることである。

 

若者がロックに埋没しているかの判断は、彼らの着ている服装を見ると一目瞭然である。

 

つまり、既成の概念の枠を超えた姿である。ロックのコンサートに賛同する人々の姿を見ると、継承・衣服等でそれがすぐに理解されるのである。

 

ところで、音楽とは不思議な思考である。私は、音楽を思考という言葉と同一視するのである。それに対しては、音楽は、思考でなく感情の領域のものだと主張する反対意見をする音楽愛好家の声が聞こえるようであるが、敢えてそのように申し上げる確証があるのである。

 

 本来人間は、何かに没頭すると、思考回路が脳の内部のみならず、その人の外見も作り上げる。例えば、音楽はもちろんのこと、私の経験で常日頃フランス語に没頭している人は、外見がフランスの服装を好むようになり、持ち物もフランスのものを所持するようになる。例えば、ルイヴィトン・グッチ等のブランド品である。

 

つまり、それぞれの一つのことに没頭するとその世界のそれぞれの職業の雰囲気が外見に現われてくるのである。

 

ところで、本題である「音楽の負の力」に戻ると、集団の中で特にイべントと結びついた時に音楽の怪物的な底しれないフォースを発揮するのである。

 

普通のコンサートの形態であれば、その負の姿が見出せないのであるが、例えば、野外のコンサートライブで何万人もの聴衆がステージのミュージシャンの演奏に自己陶酔する姿は、何か信仰的な様子を感じるのである。よく、聴衆の方々がライブを終了後のテレビインタビューで一言「現実を忘れ、夢のようでした。本当に楽しかった。」と異口同音に言う言葉を聞くと、音楽の理解を超えた深遠な得体のわからない魔物の存在を感じるのである。その存在は、正と負の両面を持った魔物である。それのどちらの面が顔を出すのかは、人間の感受性の光方の方向で決まるのである。

 

その顕著な例として、ヒトラーの場合がわかりやすい事例である。1936年のニュルンベルク党大会では、音楽や旗、サーチライト、行進行列が事前にお膳立てされ、その中で感情的な熱のこもった演説(呪文)が行われたのである(注21)。その効果は、絶大であり群衆は、彼の呪文に対して恍惚に酔いしれたのである。ここで音楽の計りしれないパワーを痛切に感じるのである。群衆の批判的判断力を喪失させ、彼を神のような存在と感じさせる盲従の極みである。その勢いで群衆は、ヨーロッパ世界を蹂躙し、多くの人々を死へ追い立てたのである。特に、彼の指揮下に無実なユダヤ人たちを殺戮した。本論とは関係がないが、ユダヤ人のヒットラーによる迫害は、あまりにも有名あるが、ジプシーへの迫害を決して忘却の彼方へ押しやってはならないのである。

 

「ジプシー」という存在は、時と場所を選ばず社会から疎外・無視され迫害された民族であり、例えば、第二次世界大戦時ヨーロッパを占領したナチスドイツによるロマ民族に対する試みは、悲惨極まるものでした。ロマ民族の言葉であるロマニ語でポライモス(Porajmos)~食らい尽くす、絶滅させる~というジプシー絶滅政策は、ヨーロッパに住む多くのロマ民族が殺されました。その数は正確には把握することができなく、1939年の欧州におけるロマ人口885千人(推定値)のうち25万から50万人殺された。この時期のロマ人口をより上記より多く見積もり、100万人から400万人殺されたと云われる。

 

ナチス占領下の欧州で全ロマの7080%殺された(注22)。この数値のどれが本当なのかは不明ですが、この時期にポーランドのアウシュビッツなどの収容所でユダヤ人ゲットーの中に「ジプシー・ゲットー」という区域が存在していたのはまぎれもない事実のようです。この収容所で行われていたのは、強制労働・人体実験・毒ガスによる集団虐殺などユダヤ人のホロコーストと同様のことでした。戦後、ロマに対するポライモスの事実はユダヤ人の場合と違い、明らかにされることなく補償も無視され続けてきました。

 

「音楽の力」のテーマに戻ると、身近な例としては、日本の軍歌の代表的な「同期の桜」(注23)である。この軍歌に鼓舞され、多くの若者の命が戦場で散ったことか?

 

さらに、宗教世界での音楽の役割の重要性を認めざるを得ないのである。西洋のキリスト教会のオルガンの響き、聖歌隊の歌声、イスラム世界でのミナレットから放送されるコーランの調べの音楽、日本のお寺の読経の響き、密教での邪気をお払いするためのお焚き、また音楽的な読経、金剛鈴(こんごうれい)の音色。

 

音楽の負の力ではないが、「音」で思い出されるのがヨーロッパ中世期の教会の鐘楼の音の力の存在である。中世ヨーロッパについての日本の第一人者である阿部謹也によれば、中世の音の世界を語る時に、どうしてもそれを抜きに中世の音楽を語ることができないのである。中世の人は、音を大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)に分けていたのである。つまり、自然から発生した音である森を吹き過ぎる風の音、オオカミの叫び声も、大宇宙からの音として恐れられていたのである。小宇宙の音は、病気の流行や嵐に対し鐘を鳴らしてそれを防ごうとしていたといわれる。つまり、鐘の音の力で小宇宙を守ろうとしたのである。小宇宙の平和のシンボルとしての鐘の音の中に、ヨーロッパの真の姿を知るのであると論述している(注24)。また、一日の時間概念を鐘の音で住民は、規則正しい一日の生活リズムを刻んでいたのが理解できるのである。

 

鐘の音で邪気を病気その他怖い不吉なことをお払いするために、小宇宙の音で自分らの世界を守ろうとしたヨーロッパの教会の鐘の音と同じような意味合いが、遊行が携帯する道具(比丘十八物)の一つである、つまり錫杖である。

 

日本の錫杖(しゃくじょう)の尖塔についているなどで造られた頭部の輪形に遊環(ゆかん)といわれるものが6個または12個通してあり、音が出る仕組みになっている。錫杖は、修行者が山野遊行の際に、地を突き、振り鳴らし、猛獣毒蛇などから身を守るために携行したもので、また、托鉢のときにはこれを鳴らして来意を告げるためにも用いられ、仏具として広く流布したものである。この音には,悪霊を攘却する呪力があるとも考えられていた。修験者は,手錫杖を好んで用い,これを打ち振って尸童(よりまし)を神がからせることもあった。つまり、厄除け・災難除けの道具としての役割持っていたのである。数珠からの音によって同じ魔よけの効果があると信じられている。また、日本の寺の鐘の音やある宗教団体体が托鉢しながら小太鼓を片手に持って回遊する時の音などは、邪気や災いを排除する力があると信じられていたと言えるのではないだろうか?

 

第4章

 

いつごろから人類が音(楽)を作ったのであろうか?

 

ある数の人間が集まり、つまり集団を作り、日常の単調さから解放のために音楽が生まれたのではないかと想像する。

 

また、ある程度の集団社会を作り上げるとその集団の秩序を作り上げるためにハイアラキ―が必要であり、また宗教階級の存在が必要不可欠であった時点で、祈祷師による呪い(まじない)と共に音楽が必要であり、その効果は語りより強烈な効果を与えたに違いがないのである。現在でも、密教である不動明王の祈祷の時によく見かける光景として、護摩を焚きながら太鼓をたたき、リズムのある読経が堂内に響き渡り、神秘な雰囲気を作り上げる効果をあげている。在家の人々の間でよく知られている

 

私事であるが「般若心経」は、やはりある種のリズム・抑揚・強弱があり、それを唱えるときある種の音楽性が存在するのである。また、中陰和讃にもそれを感じとるのである。

 

また、小川のせせらぎの音・風のそよぐ音・滝の音等に心が動揺するのである。

 

その衝動は、万国共通のようである。これに関連して、ある音の選好度の調査でニュージーランド、カナダ、ジャマイカ、スイスに住む人々を対象に、それらの音に対し不快の気持ちを示さなかったばかりか、心地良いとの結果が出た。(注25)

 

 私見として、この調査はある偏りがある。つまり、これらの国は、自然に囲まれた環境のところであり、自然に対する感性度が他の国々に比べて高いのである。それらの国々に比較して、あまり自然に囲まれてない国々の都会での調査が欠落している。

 

この点で、自然の国(A)と都会に囲まれた国(B)との音に対する感度の違いが存在すると確信するのである。つまり、双方の音(音楽)を作る時に音の地理的反響があり、例えば、山に囲まれた場所では山と山のとの間隔が広く音の反響(エコー)(*こだまのことではない。)が弱く、逆にビルに囲まれて都会ではその反響が距離的に狭くその反響音が強いのである。それの理由で(A)では、澄んだ高音の心地よい音が作りだせるのであり、(B)では、低い音、刺激的なDistortion(歪みの音)が作られる傾向あると分析する次第ある。つまり、同じ音でもその音量の塊が(A)では細く長く(B)では厚く硬いものになると思われるのである。

 

 つまり(A)では、例えば、ヨーデル音楽の楽器にしても歌にしてもかなり高音を発するのに対して(B)では、Rock/R&B/Funk/HipHop/Hard Rock/Jazz/Classic等では楽器にしても歌にしても極端な高音を必要としない。しかしながら、その都会のジャンルでRock等を高音であるという人がいるかもしれないが、それは、高音でも(A)の澄んだ音ではなく、人為的な音なのである。その都会的な音は、どこから来るかと考えるに都会で生まれて、都会で育った歌手・楽器演奏者は、機械音をテレビ・ラジオから聞いているので脳裏にそれが染みつき、声にした時又は演奏する時、どうしても機械の音楽から離れられないのである。どんな澄んだ音を機械が作りだそうとしても限界がある。

 

ある意味では室内用のものであり、都会音楽演奏範囲は、よくコンサートホール・ライブハウス・ストリートで演奏される傾向が多く見受けられる。そのような地理的配置を無視できないのである。音の形成には、それぞれの民族と土地と地域の大気が関連している。

 

音と街並みとの関連性も無視できないテーマである。また、音の波動の障害物に衝突して帰ってくる音の現象は、特別に山と山のない都会との音の違いを取り上げるまでもなく、身近なものから理解できるのである。つまり、ホール・トンネル・渓谷・地下室等の場所で音を鳴らすと感じる違いである。

 

また、将来研究をすることによって、自然と都会の音楽を聴いてどこの国の山またはどこの都市から生まれた場所かを確認できるかもしれない。それは、次回の課題にする。

 

いずれしても(A)と(B)音楽構成の方法からジャンルの違う種類の相違が見られるのである。

 

 これに関連して、アンソニー・ストーは興味のあることを記述している。彼によれば、「音楽は世界の地理に明るくなるためのメモリーバンクである」している。つまり、原住民は鳥がなわばりの境界を主張するのに鳴き声を使うと同じように歌を用いているといわれる。それに関連して言えることは、音楽の種類によってそれがどの場所のものであるかがわかると言える。音楽の地域性の分布がわかるのである。(注26)

 

 地域制の違いで大変興味のあるご指摘をしている小泉文夫氏の「音楽の根源にあるもの」の中で日本のような農耕文化と遊牧・牧畜社会の音楽について、むしろ広義の芸術一般について比較論の展開をしているのである。(それについては、前述の「リズムの文化論」参照)(注27)

 

ところで、人間が、五感である視覚・味覚・触覚・嗅覚・聴覚の中で聴覚が特に発達して、感受する「音」の対して敏感であるということは、その起源はどこにあるのであろうか?(2)音楽教師あるデイヴィット・バウロズは、「胎児は、子宮の中で、戸がバタンと閉まる音にびくっとする。子宮の中で聞こえる豊かで温かい雑音が記録されている。赤ん坊にとって自分の皮膚のさらに向こうにある世界について、その存在を示してくれる最初のものの一つが、この母親の心臓の鼓動や呼吸なのである。」(注28)と指摘するように、その他の諸感覚の中で聴覚がヒエラルキーの頂点に立つのに疑問の余地がない。

 

特に、女性の方が男性に比べて聴覚に対して敏感である。男性の方は、視覚に優れている。例えば、夜の営みの時に女性は、目を閉じ男性の仕草・言葉を聴覚で判断し覚醒するが、男性は女性の身体を視覚で見て覚醒するのである。つまり、女性の方が、音に対して敏感であるとの結論が導きされるのである。よく激しいロックコンサート等の時に興奮して心神してタンカーに運ばれるのは、概して女性である。また、戯曲の傑作といわれるロメオとジュリエットの物語で、ロメオがベランダ越しのジュリエットに愛のセリフを言うシーンを見ても、男性が女性に声をかけることからも女性の聴覚へ働きけると効果が大きいのが理解できるのである。

 

それに関連して、興味のあるのは、鳥の事例では、雄は、自分の好みの雌を探すのに「視覚」を使い、鳴き声では、雄が雌の聴覚へ一方的に発するのである(特に、性的挑発時)。この行動から判断して、雌の聴覚の優位性が認められる。

 

では、次に鳥の鳴き声との関連として「音楽性」を検証する。

 

 アメリカの鳥類学者であるハート・ショーンは、鳥のさえずりは、音のパターンと行動状況が音楽に似ている。・・・音楽技法の中で単純なものは皆、イチョウとそれに伴うハーモニーですら、鳥の音楽のなかに見られるのだ。つまり、鳥のさえずりは、イコール音楽性を帯びていると定義する(注29)。それを認めない著名な学者であるレヴィー・ストロークは、鳥の鳴き声は、音楽の起源ではないと主張する(注30)。更に、そのような根拠も確証もないと重ねて強く言い放ったのである。それらの主張の対立に対して、ストラヴィンスキーは、中庸の論を述べている。鳥の鳴き声のような自然界の音は、・・・音楽を私たちに感じさせるものだと指摘する(注31)。私自身も、ストラヴィンスキーの意見に同意する。むしろ、自然界が、音楽の教師であり、私たちに音楽の何がしかのヒントを与えているのである。事例として、リストのピアノ曲《二つの伝説》の「小鳥に語るアッシジの聖フランシス」は、小鳥のさえずりが存在していたから、曲が完成したのであり、ドヴォルザークの作品の主旋律を小鳥の鳴き声からヒントを得たことである(注32)

 

 また、人間が作る音楽とは何か?人間以外の動物の鳴き声とどこが違うのであろうか?

 

人間界の音楽は、原始時代は音楽の音が存在したのであろう。つまり、一音の音である叫びであったろうと想像するのである。その限りでは、一般的な意味で他の動物と特別な違いがなかったのである。ある意味で、人間の鳴き声にしろ、動物(鳥の鳴き声含)のそれにしろ、自分らの縄張りを作るために作られたと思われる。また、動物行動学者のコンラ―ト・ローレンツ博士は、興味のある指摘をしている。つまり、鳴鳥の歌声は、領土独立宣言をして縄張りを確保しているのみならず、多くの種類では鳴き声から、鳴いている鳥がどのくらい強いか、年はいくつか、言いかえると、その鳴き声を聞いた侵入者が歌手にどれほど恐れねばならないかを、たいそうはっきりと聞き取ることができるということも重要である(注33)

 

次に、動物に鳴き声に関連して、世界中の人々がそれら動物の鳴き声に同じように聞こえているのであろうか?無論、否である。世界の擬声語では、例えば、ニワトリの鳴き声一つをとって調べてみても同じ発音には聞こえないのである(注34)。つまり、国または民族によって相違が認められるのである。つまり、同じ動物でもいろいろな国の外国人が違う音として認識することは、「音の認識」の観点から大変重要なことを示唆しているのである。つまり、動物の音楽的鳴き声が国の民衆の聴覚を通じて相違が証明されたことは、人類が作る音楽の受け止め方が人々によって違うのではないかと疑問が浮かんでくるのである。名曲といわれている作品でも、同じように全世界の人々が同じように聞こえてくるのであろうか?疑問が残る。唯ある地域の人々が名曲と強く認めているから、他の地域の人々もあまり考えないでそうかもしれないと思い理由もなく妥協しているのではないかと思われる。例えば、日本の代表的な曲である「さくらさくら」は、日本人の間では、名曲として親しまれているが、他の国の人々が本音のところでどう評価しているのか?

 

別の角度から検証すると、動物の鳴き声は、世界の人には違ったように聞こえるが、人為的な曲は、世界中の人々には同じように聞こえるのかもしれない。また、動物の声帯を使った音は、違った音として聞こえ、人間が制作した音楽楽器で奏でる音は、全世界では、同じに聞こえるのかもしれないである。その点は、今後の課題である。

 

第5章

 

音の世界に生きている人間が音のない世界で生きてゆけるのか?

 

ストー曰く:暗闇の世界は怖い。・・けれども、音のない世界はもっと恐ろしいのだ。・・静寂の世界は死んだ世界である。(注35)

 

実際、音のない世界に人類が生活するのは不可能である。拷問で自白をさせる一番の方法は、囚人を音の遮断された部屋に住まわせることだと言われている。

 

ストー曰く:静寂の世界は死んだ世界である。遮音、遮光の部屋に一人で引きこもれば、ニルヴァーナに似た法悦や緊張からの解放を短い時間味わうこともできる。ところが、長期間にわたって一人で閉じ込められると、何か刺激のあるものを見つけようと必死になると言われている(注36)。刑務所の囚人に話を戻せば、よく聞くことであるが、長期間入っている囚人は、たとえば、文章力のある囚人は、自分の伝記文章を書いたり、また絵を描くのが好きな囚人は、絵を描くのであろう。また想像力の囚人は、詩でも書くのであろう。さもなければ、幻覚を見て発病するのであろう。人間は、音のない世界では、自分自身の内部へ関心が向けられ、自分の世界に埋没するのである。

 

ところで、本来的に音楽が存在しなければ、人間は生きてゆくことができないのであろうか?

 

但し、人間が誕生した時点では、全くの想像の世界であるが、音楽は存在してなかったのではないかと想像する。

 

たとえば、原始時代の人々は、音楽ではなく「叫び声」という音を通じてお互いの意思の疎通の手段として存在したように思われる。その音を通じてお互いの意思を確かめ、共同体を形成するのに大いに貢献したのであろう。つまり、ここで意味する音とは〈楽〉を除いたものであり、ある意味では、言語と同一視の関係であった。一種の叫び声かもしれない。または、集団のアイデンティティには必要であったのであり、その集団の維持するためのそのものであったのであろうか?また、捕食のための動物を狩りたて、一か所に集めるために使われたのであろうと推測する範囲内である。

 

つまり、原始時代では、音楽の楽(らく)は存在しなかったのである。

 

しかしながら、いままで発見された文化には全て、音楽が存在したといわれている。旧石器時代の洞窟絵画には、踊っている人々が描かれていて、またその洞窟で発見された骨製の笛は、明らかに人々が何らかの音楽に合わせて踊っていたことが想像できるのである(注37)。ところが、遺憾ながら記譜法の発明以前であり、また文字を持たないある文明の先代からの伝承以外の場合の先史時代では、何もその音楽性の存在を確かめる方法がないのである。つまり、人類が始まって以来、集団(最小単位である家族)を構成している以上、何がしかの形態の音楽が存在したのではないかと推測できるのみである。

 

事実、音楽人類学者であるジョン・ブラッキング曰く:「最初の人類は、現在知られているようにホモサピエンス・サピエンスが会話能力を身につけて現れる数十万年前に、歌い踊ることができたという証拠がある。」(注38)。もしこれが事実だとしたら、先程の推測が証明されたことになる。

 

また、歌い踊る時代の根拠として 杉浦健一によると次のことが述べているのである。つまり、文化を持つヒトという名にふさわしい活動をするようになるのは、最後の氷期が衰退し始めた頃の25、000年前から出現したHomo sapiens以降のことであるといわれている。他の動物から区別されるその文化は、(1)火を作り食べ物を調理(2)人は道具を作る(3)人は身体に毛が少ないが衣服を作って身体を守ること(4)人は組織ある社会を作る(5)人は、超能力の信仰を持つこと。(6)人は美しいものを作り出し、それを楽しむこと。ここで注目されることは、(6)芸術的なものである。つまり、現在的な用語である踊り、演劇、建築、彫刻、絵画、散文、の原型が生まれたのである。無論、音楽も含まれるのである(注39)

 

 人間は、ある一定の文化を持つと芸術的な活動をするのであり、それなしには人間と言えないのであり、言い換えれば、人は、芸術なしには存続ができないのであるという結論に達するのである。

 

第6章 

 

何故に、音楽が人類には、必要であったのであろうか?音楽がなんの役に立つ

 

のであろうか

 

前の章(第5章)で述べたように、ある集団を作り上げると、どうしても結束を深めるために組織的な社会を必要としそのためには音楽によって社会を秩序立てるのである。

 

アンソニ・ストー曰く:「音楽は時間を組織化し、同時にそれぞれの活動(礼拝・結婚・葬儀・手仕事等)で覚醒された情動を秩序立てるのである。群衆の感情を高める働きをする点で、それは雄弁家のそれと似ている」(注40)と指摘している。それは、広い人類史の中での原始の時代における食料確保には、集団の結束のために音楽が必要であったと言えるのである。

 

 また、アラン曰く:「あらゆる音楽は、音楽が欲しかつもたらす純粋さ、注意、服従、沈潜、平静によって宗教的である。…本来の意味における宗教音楽はより厳しいものである。…そして、宗教音楽はすべての人を傾聴させる。(注41)。その意味では、前述したように必然的に集団をまとめ上げるためのカリスマ的リーダーが必要であり、また、精神世界を統率する祈祷師的な役割の登場が必要であった。それを神格化するためには、音楽の伴奏が必要不可欠であり、その雰囲気に陶酔する集団がいたのである。アランが云っているような宗教音楽が存在したのである。

 

いつの時代でも、音楽の影響力は強く、身近な例では、日本の「同期の桜」の音楽で多くの兵士が励まされ、戦地に向かったことである。また、ある意味では、「ラジオ体操の音楽」を聞くと、ほとんどの日本人は、何となく体が動いてしまうのである。(注参照)

 

本来音楽は、アランが指摘しているように「音楽は恐らく最も純粋な、最も脆弱で最も力強い、最も崩れやすい人間の形である。」(注42)

 

 ところで、音楽の正の面での効能として、現在では「音楽療法」の形で音楽が役だっている。

 

では、音楽療法とは何か?

 

音楽療法の間口は、大変広く、その内容は多岐に渡ると言われている。音楽療法は、主に、音楽を聴くという受動的な方法と、実際に本人が歌ったり楽器を演奏したりするといった、能動的な方法とに分けられます。音楽療法の受動的な方法は、単調な日々を過ごしがちな施設の入居者に対して、一日の生活リズムに応じて、音楽を聴かせることで、BGMの効果から、気分転換や、情緒の安定に効果があると言われている。また、明るい気持ちになることで、夢や希望を抱かせるのにも効果的である。そのような効能では、施設の入居者の方々のみならず、人生に悩み苦しんでいる人々にも何がしかの心の安堵感、励ましを与えるのである。アンソニ・ストー曰く:音楽は、脳に障害のある人にとって音楽の助けをなしには成し遂げられないような仕事をできるようにする。また情緒的に不安定な人や精神に障害のある人の生活に生きがいを与える。(付43)そのように音楽は、治療として役立っていると云えるのである。

 

つぎに受動的音楽療法を利用することによって、痴呆症やダウン症といったすべての障害のタイプの利用者に応用することができる。また、能動的音楽療法も、楽器習得は自己規律、自己能力への信頼、人の内的な状態が忠実に出たりすることを体験することが可能であると考えられている。

 

それでは、具体的にはどういった効果が期待できるのであろうか。 

 

例えば、アー、ガーという声しか発していなかった、11歳のダウン症の男の子に、約二年間にわたり30分の個人セッションと、クワイヤーホーンという楽器を鳴らすことで、その音で擬音を表すということを行なった。その結果、徐々に発音や言葉だけではなく、歌詞つきの歌も歌えるようになり、太鼓を鳴らしながら歌うことが出来るまでになり多くの人を驚かせたといわれている。
 
 また、60歳代半の男性が脳梗塞により四肢麻痺なり、意思疎通はアイコンタクトのみになってしまいました。何か楽しめることはないかと考え、かつて彼が好きだった曲を、キーボードで弾きはじめ、レパートリーを広げるうちに好みの歌手のときには真剣な表情を示したり、フィンガーシンバルで音が出ると本人が喜ぶといった表情を見てもわかる程の変化を示すようになったという事例も報告されている。また、高齢者・不登校児、薬物乱用者等にもそれなりに音楽療法は効果が期待されると言われている。(注44)

 

次に音楽の素晴らしい可能性について、ロシアの作曲家・ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(注45)の言葉を紹介。

 

「偉大な音楽の芸術を愛し、研究しなさい。それは諸君に崇高な感情、情熱、思想の一大世界を開いて見せるだろう。それは諸君を精神的により豊かに、清く、完全なものにするだろう。音楽のおがげで諸君は自分の中に新しい、これまで知らなかった力を発見するだろう。諸君の目には人生が新しい色調、新しい色彩において見えてくるに違いない。」 

 

第7章

 

音楽に対する聴力は重要であるか?

 

「私には何も聞こえない時、彼(カール)には牧人の歌が聞こえて、いつも私には何も聞こえない時、・・私はほとんど絶望せんばかりだった。・・私を引き止めたのは、芸術だった。」(注46)

 

普通の人は違ってベートーベンは、音楽家であったのであるから聴力を失うことは、自滅を意味する。偉大なベートーべンの聴力を失った時の嘆きは計り知れないものであったろう。

 

しかしながら、ご存じのようにその聴覚を失っても精力的に音楽作品を作り続けた精神的強靭さには素晴らしいという言葉でなく、ある種の恐ろしさを感じる。

 

その精神力が基礎にあったのであるが、実際、彼はどのようにしてその難聴後に音楽活動をしたのであろうか?

 

ベートーベンは、その後特製のピアノを発注し難聴の克服に乗り出している。ピアノは、張り詰めた弦をハンマーで叩いて音を出す弦楽器の一種なので、弦を叩いた振動が伝わってくるようにすれば難聴のベートーベンでも音の強弱を把握することができる。一説によれば口にくわえたタクトをピアノに接触させて、歯を通して振動を感じたとも言われている。ベートーベンは今で言う骨伝導を利用して音を感じていたのである。ベートーベンは、感じ取った音と耳が聴こえていた時期の音の記憶と音楽知識で作曲を続けた。作曲以外のときは、筆談と聴診器のような補聴器の原型で会話を行っていたようである。

 

難聴後に次々に楽曲を量産する。特に1804年から1814年までの十年間は「傑作の森」と呼ばれるベートーベンの黄金期となる。この時期には「エロイカ」「運命」「田園」などの交響曲やピアノソナタ、オペラ用楽曲などが製作・発表されている。この時代に作られた楽曲は、ベートーベンが生涯に製作した楽曲の半数を占めるほどの量と完成度を持っている。晩年は、「交響曲第九番」「荘厳ミサ曲」などを作曲している。(注47)

 

普通、聴覚を失った人は、または生まれつき備わっていない人は、音楽とはかかわりを持つことができないのであろうか?可能性としては、骨伝導を使って音楽活動が可能である。

 

私の知人にも骨伝導を利用して、活躍をしている人物を知っている。

 

 つまり、聴覚を失うことは、音楽活動にあまり障害にならないのかもしれないのである。そして、何かの力が障害の上での特別な才能を啓発するのかもしれないのである。

 

結論

 

音楽とは、不思議なものである。唯の音なのに何故そんなに多くの生き物(動植物)たちに共感を与え続け、それのみならずそれらの生き物たちの成長に良い面でも悪い面でも大いに寄与していることか?そこに、音楽またはサウンドの存在価値があるのであろう。

 

その点については、今までの考察でその一部が証明されたのである。

 

それでは、本来の音とは?

 

ショーペンハウアー曰く:「この世界には人間に聞き取れない音や、目に見えない色が存在している。しかしながら、私はそれに声の限界を取り上げる。楽器にしても、人間のそれらの範囲内で作られたものであり、だいたい音楽という言葉自体人間が勝手に作り上げたものであり、音楽という存在自体もともとなかったのである。人間の聴覚・視覚等を超越するものが存在しているのであり、もしそれらが表現できたら、その時には現在存在している諸作品を超越した作品が生まれると断言する。本来の音とは、宇宙の究極的なもののひとつである。」。(注48)

 

 彼は、本来の音について宇宙に存在していると明言しているが、宇宙にはもともと音のない空間であるので、私は納得のいく文面ではないのである。

 

 つまり、宇宙は、音が存在しないといわれている。宇宙は真空状態で「音を伝える物がない」ので「音は伝わらない」のである。(音を伝えるものは、空気だけではないのである。 水、金属、ガラス、空気以外の気体でも音を伝える。固体、液体、気体は、どれも押されれば押し返す力が発生するので、音を伝えることができるのである。)
 
その根拠として、ギリシャの賢人であるプラトン曰く:音楽は自然に存在する物の調和の基礎であり、また宇宙における最高の統治ある。(注49)プラトンの自然の調和については、ストーが別の機会に述べている個所との相関性に気づくのである。少し長い文章であるが、重要な個所であるので、そのまま引用する。

 

「1934年の冬、南極大陸の前線気象観測地の要員として、たったひとりで南極に滞在することになったバード提督の日記には、:午後4時、氷点下89度(華氏)、いつものように散歩に出た。私は静寂に耳を澄まして立ち止った。昼は死に夜が生まれつつある。しかし、まことに静かである。ここには測り知れない宇宙の営みと力が、調和と静寂を保って存在している。調和、まさにそれだ!それは静寂から生まれてくるものだ。やさしいリズム、完全な和音の旋律、おそらくは天体の音楽。そのリズムを捕えれば、一瞬でも自分がその一部分になれば、それで充分であった。その瞬間、私は人間と宇宙の一体性に何の疑いも感じなった。その時確信したことは、そのリズムがあまりに秩序正しく、あまりに調和的で、まったくの幸福の産物とは思われないほど完全であるということ、それゆえにこの全体の中に目的があるに違いないということ、人間が偶然の派生物ではなく、その全体の中の一部であるということ、であった。それは、理性を超越する感情であった。」(注50)

 

つまり、音の存在を超越した宇宙の根源とは、静寂と完全な調和から生まれてくるのであり、人間もその宇宙の一部であるのみである。

 

では、音楽の存在性は、どこにあるのであろう?

 

本当は、音などは本来存在していないのではないだろうか?動植物たちの知識が勝手に作り上げたものではないのでないだろうか?音の存在認識は、動植物界の聴覚の役割を認識する機能が大いに関係があるのであろう?

 

音が存在したのに、突然音がなくなった時は、多くの人が静寂の中にいるというが、逆説的にいえば、前より一層の喧噪の世界に埋没したと言えるのではないだろうか?つまり、人間の脳の中では、音と音との間隔の空白に次に送るであろう期待を持って多くのことを思い巡らせて以前よりはるかに精神的・神経的に高まり激しく喧噪巡回しているのである。

 

芸術は、間(ま)が最重要要素であるが、それは静寂の世界ではなく、次にステップアップするために最速で走り出す姿なのである。つまり、音楽は、まさにその間の中に存在しているのである。ピカートの言葉を引用すれば、(注p29)沈黙という自然の世界よりも大いなる自然世界はない。・・・音楽の最後の響きが消え去った時ほど、沈黙がありありと聞こえてくることはない。(注51)・・・沈黙の中で初めて、人間と神の柲儀(ミステ―リウム)とが出会うのである。(注52)言葉が人間の本質をなすものであるように、沈黙は神の本質である。(注53)

 

 音楽は、音と沈黙との対話である。沈黙自身が音楽の中で力強く前面に現れる。(注54)

 

沈黙を宇宙で全能な力を持ち、宇宙の沈黙の先には、究極的な存在である「神」が鎮座しているのである。 

 

 

 

(脚注)

 

(1)アンソニ・ストー『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『1.音楽の起源と社会的機能』、27p~28p

 

(2)同上書、28p

 

(3)同上書、32p

 

(4)小泉文夫『音楽の根源にあるもの』、青土社、1978年3版発行、『日本語の音楽性』131p

 

(5)同上書、132p~133p

 

(6)同上書、『日本のリズム』34p

 

(7)同上書、『歌謡のおこり』76p

 

(8)同上書、『自然民族における音楽の発展』173p

 

(9)同上書、『日本のリズム』37p

 

(10)同上書、『日本のリズム』38p

 

(11)同上書、『諸芸のリズム』26p

 

(12)世界のフォークソング集

 

<和(集団)の曲集>

 

1)北海盆歌 ほっかいぼんうた

 

(エンヤーコーラヤ ハァ ドッコイジャンジャンコーラヤ♪ ドリフ「8時だョ!全員集合」オープニングテーマの原曲)

 

2)草津節

 

(草津よいとこ 一度はおいで ア ドッコイショ)

 

3)河内音頭 かわちおんど

 

(イヤコラセードッコイセー!鉄砲 光三郎による鉄砲節が有名)

 

4)斎太郎節(大漁唄い込み)

 

(松島の 瑞巌寺ほどの寺もない 石巻 其の名も高い日和山)

 

5)こきりこ節

 

(マドのサンサはデデレコデン ハレのサンサもデデレコデン)

 

6)ソーラン節

 

(ニシン来たかとカモメに問えば わたしゃ立つ鳥波に聞け)

 

7)お江戸日本橋

 

(お江戸日本橋七つ立ち 初上り 行列揃えてアレワイサノサ)

 

8)金比羅船々 こんぴらふねふね

 

(こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ

 

とらとら 虎々

 

とらとーら とーらとら♪ 日本の伝統的なお座敷遊び・お茶屋遊び)

 

9)花笠音頭(花笠踊り)

 

(揃ろた揃ろたよ 笠踊り揃ろた ハァ ヤッショーマカショ!)

 

10)安来節(やすぎぶし)

 

(どじょうすくいのルーツは、砂鉄を集める「土壌すくい」?)

 

11)炭坑節

 

(月が出た出た月が出た 三池炭坑の上に出た?)

 

12)東京音頭

 

(ハァー踊り踊るなら?丸の内生まれの東京音頭で夏を乗り切れ!)

 

<個の曲集>

 

1)オーソレミーオ(私の太陽)

 

帰れソレントへ

 

(ソレントの美しい自然と一人の男性の恋心を描くナポリ歌曲。)

 

2)忘れな草(私を忘れないで)

 

(私を忘れないで 君こそが我が人生 私を忘れないで)

 

3)カタリ・カタリ(つれない心)

 

(女性に捨てられた男性の深い悲しみを切々と歌い込む悲哀の歌。)

 

4)タイム・トゥ・セイ・グッバイ
Time To Say Goodbye

 

(盲目のテノール歌手ボチェッリとサラ・ブライトマンのデュエット曲)

 

5)クラリネットをこわしちゃった

 

(有名な「オ・パッキャマラード」のフレーズは、フランス語の歌詞では「Au
pas, camarade
(オ・パ、キャマラード)」の部分。)

 

6)三人の王の行進

 

(イエス・キリスト降誕を祝う東方の三博士マギの行進。ビゼー『アルルの女』の『ファランドール』でメロディが引用されている。)

 

7)月の光に

 

(月の光が照らす夜、ペンを探す男女が見出したものとは?)

 

8)森のくまさん

 

(くまは言った。「君、銃を持ってないみたいだけど、大丈夫?」)

 

9)茶色の小瓶(こびん)

 

(『茶色の小瓶
The Little Brown Jug
』は、グレンミラー楽団のジャズナンバーとしても有名。)

 

10)大きな栗の木の下で

 

(『大きな栗の木の下で』は、アメリカでボーイスカウトの歌として広まった曲(スカウト・ソング)。)

 

11)私を野球に連れてって
Take Me Out to the Ball Game

 

(ケイシーは大の野球好き。地元の野球チームを応援するためなら、貯金も使い果たしてしまう。)

 

http://www.worldfolksong.com/songbook/index.html (2014,3,24)

 

(13)小泉文夫『音楽の根源にあるもの』、青土社、1978年3版発行、『諸芸のリズム』24p

 

(14)同上書、『諸芸のリズム』29p

 

(15)同上書、『諸芸のリズム』30p

 

(16)重久 剛(編著)『比較文化論』、建帛社、昭和63年第3刷発行、『第5章比較心理・行動様式』200p

 

(17)岩崎秀夫「我が芸術論(本論・PART-:演劇論)、高崎商科大学「紀要」、第28号(2013年12月発行)、『結章』134p

 

(18)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『1.音楽の起源と社会的機能』30p

 

(19)アラン(本名:エミール・オ-ギュスト・シャルチエ)『諸芸術の体系』(桑原武夫訳)、岩波書店、1978年、『第4章詩的リズムについて』113p

 

(20)同上書、『2.音楽、脳、体』77p

 

(21)同上書、『2.音楽、脳、体』77p~79p

 

(22)「Romania Japan」(http://gipsy-romania.seesaa.net/article/84656214.html)(2014,5,2)

 

(23)「GUNKA」(http://www.geocities.jp/abm168/GUNKA/dokisakura.html

 

同期の桜)

 

貴様と俺とは 同期の桜  同じ兵学校の 庭に咲く

 

咲いた花なら 散るのは覚悟  みごと散りましょう  国のため

 

哀調を帯びた旋律で特攻隊員が好んで歌い次第に
 
兵隊ソングとして兵士間で流行り巷にも愛唱された

 

(24)阿部謹也『甦る中世ヨーロッパ』、日本エディタースクール出版部、1987年12月15日第5刷発行、『第11章中世の音の世界』29p

 

(25)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『1.音楽の起源と社会的機能』14p

 

(26)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』39p

 

(27)前章の「リズムの文化論」参照

 

(28)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『2.音楽、脳、体』49p

 

(29)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』16p

 

(30)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』18p

 

(31)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』19p

 

(32)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』18p

 

(33)コンラッド・ローレンツ『攻撃―悪の自然誌(1)』、(日高敏隆、久保和彦訳)みすず書房、1970年第3刷発行、『第三章・悪の役割』58p

 

(34)「卵のコラム」からhttp://www.isedelica.co.jp/info/column/column15.htm

 

 

 

 

(35)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『2.音楽、脳、体』49p

 

(36)同上書、『2.音楽、脳、体』50p

 

(37)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』11p

 

(38)同上書、『1.音楽の起源と社会的機能』28p

 

(39)杉浦健一『人類学』、一般教育叢書・同文館、昭和30年第11版発行、『第二章生物界におけるヒトの地位とその特性』18p~19p

 

(40)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『2.音楽、脳、体』55p

 

(41)アラン(本名:エミール・オ-ギュスト・シャルチエ)『諸芸術の体系』(桑原武夫訳)、岩波書店、1978年、『第9章音楽の諸様式について』171p

 

(42)同上書、『第10章音楽的表現について』175p

 

(43)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『5.現実からの逃避』171p

 

(44)「音楽療法WEBガイド」(http://www.daisakukawahara.net/010/0005.html)(2014.4.20)

 

(45)ロシアの大音楽家の名言

 

(46)長谷川千秋『ベートーベン』、岩波新書(No.16)、1975年第43刷発行、『つんぼについて』38p

 

(47)『ベートーベンマスター』

 

http://www.beethovenmaster.com/beethovenmaster/03kunou/kunou.html)(2014.4.5)

 

(48)アンソニ・ストー、『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』(佐藤由紀、大沢忠雄、黒川孝之訳)、白揚社、1994年、『7.世界の最も内奥にある本質』202p

 

(49)同上書、『2.音楽、脳、体』75p

 

(50)アンソニ・ストー、『孤独』、創元社、1999年第一版発行、『第三章孤独の効用』66p~67p

 

(51)ピカート『沈黙の世界』、(佐野利勝訳)、みすず書房、1971年15刷発行、『沈黙からの言葉の発生』20p~21P

 

(52)同上書、『沈黙と信仰』269p

 

(53)同上書、『沈黙と信仰』271p 

 

 

 

<参考文献>

 

(1)『音楽する精神:人はなぜ音楽を聴くのか?』アンソニ・ストー

 

(2)『音楽の根源にあるもの』小泉文夫

 

(3)『比較文化論』重久 剛(編著)

 

(4)『我が芸術論(本論・PART-:演劇論)』、高崎商科大学「紀要」岩崎秀夫

 

(5)『諸芸術の体系』アラン(本名:エミール・オ-ギュスト・シャルチエ)

 

(6)『甦る中世ヨーロッパ』阿部謹也

 

(7)『攻撃―悪の自然誌(1)』コンラッド・ローレンツ

 

(8)『人類学』杉浦健一

 

(9)『ベートーベン』長谷川千秋

 

(10)『孤独』アンソニ・ストー

 

(11)『沈黙の世界』ピカート

 

 

 

<引用・参考Webサイト>

 

(1) 「世界のフォークソング集」

 

http://www.worldfolksong.com/songbook/index.html 

 

(2)「Romania Japan

 

http://gipsy-romania.seesaa.net/article/84656214.html

 

(3)「GUNKA

 

http://www.geocities.jp/abm168/GUNKA/dokisakura.html

 

(4)「卵のコラム」

 

http://www.isedelica.co.jp/info/column/column15.htm

 

(5)「音楽療法WEBガイド」

 

http://www.daisakukawahara.net/010/0005.html

 

(6)『ベートーベンマスター』

 

http://www.beethovenmaster.com/beethovenmaster/03kunou/kunou.html

 

 

 

*本文中の下線部は、著者により加筆

 

 

 

 

国名

 
 

言語

 
 

読み方(ローマ字)

 
 

読み方(カタカナ)

 
 

日本

 
 

日本語

 
 

kokekokko-

 
 

コケコッコー

 
 

アメリカ

 
 

英語

 
 

cock-a-doole-do

 
 

クック  ドゥール ドゥ

 
 

ドイツ

 
 

ドイツ語

 
 

kikkireki

 
 

キッキレキ

 
 

フランス

 
 

フランス語

 
 

coquerico

 
 

コックェリコ

 
 

イタリア

 
 

イタリア語

 
 

cocorico(chichilichi)

 
 

ココリコ(キッキリキ)

 
 

スペイン

 
 

スペイン語

 
 

quiquiriqui

 
 

クィクィリクィ

 
 

ポルトガル

 
 

ポルトガル語

 
 

qui qui requi

 
 

クィ クィ レクィ

 
 

ロシア

 
 

キルリ語

 
 

kykapeky

 
 

クカレクー

 
 

朝鮮民主主義人民共和国

 
 

ハングル語

 
 

kockyo kuukuu kooko

 
 

コッキョ クウクウ コーコ

 
 

中華人民共和国

 
 

中国語

 
 

ko-ko-ke-

 
 

コーコーケー

 
 

インド

 
 

ヒンドスターニ語

 
 

cock-ro-roo

 
 

クックーローロー

 
 

 
 

アラビア語

 
 

cock-e-cocho-co

 
 

クックーエーココーコ

 
 

アルメニア

 
 

 
 

tsoogh ruooghoo

 
 

 
 

スリランカ

 
 

シンハニースの言葉

 
 

coock-a-coke-coke

 
 

コークーアーコケーコケ

 
 

ニュージーランド

 
 

マオリ族の言葉

 
 

kokekko

 
 

コケコッコ

 

Saturday, 09 February 2013

日本の国会図書館への書蔵研究論文:我が芸術論(序論)-2012年度高崎商科大学「紀要」論文採用決定稿

日本の国会図書館への書蔵研究論文

「我が芸術論(序説)」
高崎商科大学兼任教員
岩崎秀夫
MY ATTEMPT AT THE INTERPRETATION:ART
Hideo Iwasaki
What is Art? Many artists and scholars deal with the analyses or opinions of it.
One of my respectful man, TANEDA-SANTOHOKA (the great vagabond poet) was very deeply sensitive to the natural atmosphere (wind stream, river motion, sky change etc.) and symbolized it as verbal words and raised it to such an extent that the art be called. On the other hand, in Occidental world, the great composer, BEETHOVEN, he made great music works with physical & mental struggles. At any rate, I wonder if the two big artists might find out the extreme substance (art) in a mental solitude.
I, therefore, noticed that a great historical art works could be embodied by the loneliness. Also, great art works can’t be forgotten. The art can be existed beyond the times. In my case, I intend to expound that I contemplate what the art is in daily lives by my actor’s experience viewpoint. In short, the art is one transformation of the contemporary culture: it must make in a certain way contribution to the culture intensification in itself. In my feeling, the artists can get imagination, creation, and intuition owning to the power Nature, and the culture is transparent and fluid, and is like amoeba in other words. The culture is changeable and , to meet the contemporary times, the art also has to reflect the requirements of the contemporary culture on the stage mirror. So far as the art is concerned, it has to keep illuminating the existing colorful, presentable ‘RAY’ towards the culture. The art has to offer the ray to lighten on the right way of the culture proceeding.
<キーワード:光・アメーバ・自然の美>
(序文)
『演技』について考える場合、第一に考察しなければならないことは、『文化』とは何かということである。社会科学的見地からは、『文化とは何世代にもわたる人や集団の努力によって多くの人々により受け継がれた知識・経験・信念・価値観・態度・意味・階級・宗教・時間の観念・役割分担・空間の使い方・世界観・物質的な財産などすべてを包含したものである。』と言われている。この解釈を通じて、私の見解として、人間社会が存在する限り、換言すれば、一人の人間のみでは『文化』は生まれにくいものであり、自分以外の他者が存在しなければ成り立つのが困難である。但し、それは明確な概念ではなく、まるでオブラートそのものであるように思われる。つまり、先ほど述べた知識やその他の諸概念を包含する透明可視的なものであり、次の世代がその中を見通して学ぶものである。また、『文化』は、ある種の生き物のように感じられる。つまり、アメーバであり、その時代、また別の時代に外見的に変身しながら存在し続けるのである。いづれにしても、『文化』という器に先ほど述べた諸概念が存在している。『芸術』もその器の中に存在しているのである。しかしながら、芸術の存在意義は、『常に新しいものを作り上げる創造的なものであり,実在表現のLUX(光)を放射し続け文化に虹彩を与えるもの』であると確信する。
 私の専門分野の一つである『西欧の教会建築、イコノグラフィー(図像学)』では、西欧の12世紀以前のロマネスク様式と12世紀以降のゴシック様式とは、別物に見られる傾向があるが、前者が存在したから後者が生まれたと考えられる。つまり、文化の性癖である『過去から学ぶ連続性』を痛感せずにはいられないのである。フランスのラン大聖堂、アミアン大聖堂、シャルトル大聖堂等のそれらの建築物は勿論のこと、それらに付帯した壁面に彫られたイエスの姿や諸聖人の人物像またはマリア像などの彫刻作品は、『宗教的信仰の対象物としての宗教的作品』という本来の価値を認識する以上に『崇高な芸術品』としての価値をそれらに見出すのである。
 『芸術』の別の視点として、本来は、それは自己表現の顕在化であり、自己の感情の発露である。その点では、『芸術』という言葉では、本質的な意味では偏狭的な理解に陥ってしまうのであり、その言葉の一言では表現することができないものである。例えば、西欧の中世に隆盛しました『巡礼』という行為現象を考えてみても、人間は、そのときはひとつの明確な『信仰心』といわれる動機がその行為に導いたことは確かであるが、クリッシェな見方をすれば、『自己感情の表現行為』ということも言えるのではないだろうか?また、現在、アフリカやその他の文明社会から感化されていない社会圏でいろいろな集団儀式を執り行うときに付帯的要素として『踊り、衣装、化粧』の行為が、まさに『自己表現の顕在化』であり、むしろ「自己存在の確認を意識すること」という表現が適切であると思われる。
 本題の芸術の『常に新しい創造性の追及』に戻ると、模倣的・クリシェなものは排除される。つまり、現代という時間の中で所謂「古典」といわれる芸能(日本の能・浄瑠璃・歌舞等)が伝統に完全に100%制約されたものであるならば、形骸化され一般の人々からの関心事から取り残される運命にある。常に、その時代に適合するように努力し新しい要素の構築しなければならない。
諺曰く”The rolling stone gathers no moss.":流転しているものは、苔が付かない。
スタニスラフスキイの言葉を借用すると、それは『創造的芸術の追及』である。

(第1章)
 前述した『教会建築』について、『常に新しい創造的ではない』と異論を唱える人がいるかもしれないが、私が思うにはそれは皮相的な考えであり、よい芸術作品は、対象物の作品からその創造的な何かが鑑賞者の心の感受性に訴えかけて「ある創造的な力を誘発するもの」である。それこそが、『芸術の創造性』である。トルストイ曰く『一度味わった心持を自分の中に呼び起こして、それを自分の中に呼び起こした後で、運動や線や色や音や言葉で現される形にしてその心持を伝えて、他の人も同じ心持を味わうようにするところに、芸術の働きがある。芸術とは、一人の人が意識的に何か外に見えるしるしを使って自分の味わった心持を他の人に伝えて他の人がその心持に感染してそれを感じるようになるという人間の働きだ。』(『芸術とは何か』の一節から引用)(注1)。トルストイは、鋭い洞察力のある『芸術』の分析を試みているのである。つまり『相互の働きであると同時に綜合の交流』であると示唆しているのである。ロシアの偉大な大芸術家であるトルストイの文章を引用し、なお且つ私の稚拙な芸術論を比較するのは、あまりにも傲慢すぎるが、それを許していただけるならば、ある一点では、私の芸術論と関連を痛感する次第である。つまり、『教会にある諸聖人その他の登場人物を制作した当時の人々の心持と時間空間を越えてそれに感染した、または感染している、または感染するであろう鑑賞者の関連』を認めるのである。何故『時間的・空間的』という言葉を使ったかといえば、『芸術』とは、それらの枠(Der Rahmen)が存在しないのである。
 次に、芸術の『美の追求』について述べようと思うのである。『美』とはなんぞやと考察するのである。よく言われるように、「肉体的な美しさ」から定義される傾向があるように考えられる。私の『美』とはそのような皮相的な意味から言っているのではなくもっと内面的な、もっと深遠な宇宙を超越した同一性を感じるときの、言い換えれば、よりメンタルなもの、よりスピリチュアル(霊的な)な存在と接するとき『美』の存在を感じるのである。つまり、すべての虚飾が剥がされたときの「自然が作った造形物の美しさ」であり、つまりは「人間の裸体」であり、「虚飾が一切ない姿」である。自然は偉大であるとよく言われる。自然の造形した美しさは、どんなに人間がどんな努力してもかなわないものである。私は、最近考えるのは、よく『自然』という言葉を安易に使うが、意識の中で何か自分とは乖離した存在と言っているように思われる。何か人間の傲慢さを感じるのである。いつごろから我々は、そういう意識が芽生えたのであろうか?歴史的に見て、例えば、ヨーロッパではローマ帝国時代以前の社会では概して自然の中の人間生活を営んでいた。例えば、ケルト民族やゲルマン民族は、自然を畏れ敬った価値観を持っていた。それがローマ時代を境にキリスト教の影響で『人間中心主義』の見方が芽生えてしまったのである。まさに『自然無視・自然に対する畏敬の念の喪失』からの自然破壊が起こり、その流れが現在でも続いているのである。近い将来、自然からの大きな報復がなければよいと危惧するのである。その点では何か『芸術の使命』を感じてしまうのである。つまり、『芸術が自然界の伝道者にならねばならない』と信じるのである。自然は、『美の探求者』である。否、自然は、美の造形者ではなく、『美』そのものとの理解が必要である。
暁の天空を思い出してください、
朝靄の中の自然の鼓動の音色に耳を向けてください、
天空を覆う宝石のような星たちを見上げてください、
足元の昆虫たちの小さな営みを観察してみてください、
きっと『自然の偉大さ』を感じることでしょう。(著者の自作)

(第2章)
 次に『芸術の存在意義』について考えてみたいと思う。ご存知のように、現在という時代に目を向ければ、科学・技術の進歩による恩恵を多くわれわれは受けている。例えば、医学の進歩による寿命の伸長、水力発電による電気の供給、天気予報のある程度の予測、安定した食料の生産、交通機関による時間の短縮化それに伴う流通産業の効率化、コンピューターの普及による情報の迅速化、別の見方をすれば戦争武器の破壊力(科学兵器・核兵器)の未曾有の進歩その他例を挙げればいくらでもあるように科学・技術の偉大さには賞賛を惜しまない。しかしながら、何か物質的な面だけが先行している傾向があるように思われるのだ。現代の社会は、イコール『こころの貧困化』とよく言われる。現象として敵対心・猜疑心(不信)・命の軽視・他人に対する思いやり・ものに対する愛着心の軽薄・自然に対する畏敬の念の欠乏とその破壊・日本における自殺者の増大・人間同士の殺し合い・戦争・虐殺その他。なぜこのような物質面と精神面との不均衡が生まれたのであろうか?人間は、新しいもの・便利さ・合理性を好む傾向が本能的にあり、それらに魅了されてしまうのである。それの飽くなき追求により人間は『何か大きなもの』を置き去りにして邁進しているように思われる。人間の弱さといえばそれまでの話だが、そのような状況に『芸術の果たす役割とは何か』ということをいつも考えるのである。小説、悲喜劇、絵画、彫刻、舞踊、建築等が具体的な芸術といわれる分野だが、それらの果たすべき役割とは甚大であると思われる。それらは人間の内面性を追求したものであり、「社会に与える影響」を考えると責任重大である。ロシアの文豪トルストイは、次のように『芸術』を定義している。『個人を人類の生活にとっても善に向かう運動にとってもなくてはならない必要な人間の交通手段、人間を同じ心持の中に結びつけるための手段である』(注1)。その言葉の中にすべてが言い尽くされていると思われる。同じ心持を誕生させるのが芸術の使命であり、また芸術のテーマがいつも真剣に問われなければならないと思うのである。ところで、私がこの芸術論(序論)で『芸術は、文明にLux(光)を放射し文化に虹彩を与えるものである』と述べたが、最近読んでいるトルストイの『芸術とは何か』で別の見方が論述されているので紹介したいと思う。「苦しみ、快感を実際または想像で味わった人がカンバスや大理石に表わしたものを見て、他の人たちがそれに感染した場合それがまさに芸術である」(注1)。そのような観点では、絵画も教会堂の建築物やそれに彫られた諸聖人像は、芸術作品と言えるのではないだろうか?彼は言葉を続ける『見る人聴く人が創作家の受けた心持に感染すると、それで芸術になる。もし人間に、昔生きていた人たちの頭に浮かんだ思想を(言葉)で現したものを取り上げたり自分の思想を他の人に伝えたりする力がなかったとすれば、人間は野獣と同じである、また人間のもうひとつの力、(感情の領分の芸術)によって感染する力がなかったならば、人間はもっと野蛮なもの、最悪の状況としてこの人間界は、無秩序で敵同士になっていたかも知れないのです』(注1)。つまりここで、私の解釈として、ある意味で『芸術は文化の諸形態に虹彩を放射するフォース』であり、人類の永続、平和維持にはなくてはならないものなのである。
ラテンの言葉:Ommes artes,quae ad humanitatem pertinent,habent quondam commune vinculum.(人間性に関わるすべての芸術は、ある共通の絆を持っている)

(第3章)
 Est ergo pulchritudo realiter idem quod bonitas.(美は本質的には善に等しい)(von Ulrich von Strasburg)この名言は、確かにスコラ哲学概念が普及していた時代の考え方を反映したものであるが、つまり『美』はイコール『善』の考え方である。しかしながら、この名言は本質を衝いていると思われるのである。前章でも言及したように『砂漠化した人間社会のオアシスであり、人間の乾いた心への一滴の滴(しずく)であり、人間性を覚醒させる試金石であります。』。そういう観点から考えて見ると、私的な解釈として『西欧のキリスト教会建造物(バシリカ・聖堂等含)、修道院(洞窟)建造物、またその建物の内外に装飾されている彫刻群・絵画等の芸術作品群にある意味で善の象徴を感じるのである』。この建物を中心にそれぞれの時代の世界が動いていたのであり、その地域の住民はそれに精神的に拘束されたと同時にひとつの社会が形成され、善悪の規律・道徳観がフォーメションされたのである。そのような意味で、その建造物は現実的に存在したのであるが、むしろ当時の人々に精神的な拠り所として根を張ったのである。『教会建築』とは、そのようなスピリチュアルなこととして捉えているのである。現在フランスだけでも約2000の建造物が存在するということで、いかにそれぞれの地域で影響力を持ったのかと想像できる。誰でも教会堂を訪問すれば、内部の装飾の魅力(ステンドガラス色彩、正面の祭壇の上の聖人の像の崇高さ、天空を感じさせるドームの天井、柱に描かれた装飾、外壁のいろいろの装飾群)に深い感銘を受け神の存在を意識する雰囲気作りが感じられると思う。具体例の一つとして、規模は小さくまた教会堂ではないが、聖堂と言われているイタリアのラヴェンナの聖堂を取り上げてみる。イタリアの古都ラヴェンナにあるガッラ・プラチディアの霊廟は、外観は質素でファサード(注2)が灰色がかり、レンガ造りであり、タンパン(注3)には何も装飾がなく静寂の中に佇んでいる。しかしながら、一歩中に入ると、「モザイク芸術の傑作」を見ることができる。半円天井が素晴らしく、濃紺の背景に金の輪があり、白いマーガレットの花がちりばめられ、紺色の空を照らしている。クーポラ(注4)に描かれた金の星たちその中心に燦然と輝く金の十字架、クーポラの四隅に描かれた福音史家の象徴:聖マルコの獅子・聖ルカの牛・聖ヨハネの鷲・聖マタイの人間。ここを訪れる人々は、やはり同じような『神の存在』を感じたことであろう。この章で指摘したかったことは、『キリスト教会の書物や教会に書かれたラテン語の聖書の物語ではない、教会建造物から放射する芸術的な美の作品群を通じて人々に(神の存在)を意識させ、それによってその影響下にある人々に悪の道から救い出し人間として正しく生きるべき道を教え善へ導いた』という点である。昔から中世を通じて多くの人々は、ほとんどが文字の読めない文盲の人であった。壁面の刻印された聖書の物語、絵画に描かれた諸聖人伝、そしてステンドガラスに焼き付けられたマタイの山上の説教・詩篇が人々に優しく語りかけたことであろう。
ミケランジェロ曰く:『建築を多少勉強したことなしに大芸術家はありえない』。

(第4章)
 この章では、最も根本的なテーマである『宗教と芸術』の問題を取り上げて見たいと思う。ここでは難解な哲学的セオリーを述べようとは考えません。第2章で述べたように「芸術とは宇宙を超越した何かの存在と同一的なもの」と一致するように感じるのである。それは芸術イコール神的な存在かもしれない。私は、常日頃機会あるごとにいわゆる『五葉ではなく四葉の芸術』というものを鑑賞するようにしている。『芸術』の顕在化としてのクラリク教授が、その著書で『世界美・一般美学試論』で述べている『五葉の芸術』つまり味覚芸・嗅覚芸・触覚芸・聴覚芸・視覚芸を指摘している。私は、それらに自分流の諸芸を組み入れている。その五葉の中の四葉は、味覚芸としての菓子・料理、嗅覚芸としての御香、聴覚芸としての音楽、視覚芸としての絵画・演劇・建築・彫刻また散文が対象であり時間が許す限りそれらに触れるようにしている。クラリク教授と同様、現在の学者から注目されているフランスの学者ギョイヨーは「現代美学の諸問題」の中で、触覚、味覚、嗅覚が美的な印象を与える、または与えることができると述べている。(注1)
 本題に戻りますと、宗教では、現在社会には、仏教・キリスト教・イスラム教-神道その他もろもろの宗教が認められますが、私の見方として芸術という手段を通して宇宙の究極的な存在に(イギリスの偉大な歴史学者アーノルド=トインビーの言葉)接近できるように人間のemotionが飛び立つように役割を担っているのである。もう少し詳細に調べると,例えば仏教では、宗派によって多少の相違があるかと思うが、一般に読経(般若心経や法華経等)があり、太鼓やその他の音の共鳴があり、神道では祝詞があり太鼓の音がある。キリスト教の特にカトリックでは教会の基本文書である『三要文(信条・主の祈り・十戒)』を唱え、オルガンに合わせてコーラス隊が『神をたたえる歌』を合唱する。イスラム教では、モスクから町中に響き渡るコーランの調べがある。実際、私がトルコのイスタンブールを訪問したとき、その幻想的な響きに魅了された。以上から悟ったことは、響きや音によって異次元の世界へ心が惹きつけられ、まさに『何か崇高な存在』へ誘ってくれるのである。『芸術と宗教との関連性』は、人間社会が始まったプリミティブな時代から存在していたと想像する。現在でも未開な社会では神がかりな祈祷師といわれる人が神の信託を受けるために必ずある儀式が執り行われる。その挙行のために必ず舞踊や音楽が登場するのである。現存する諸宗教は、原始の原型を変形してある種の形態に作り上げられている。そして、ある意味では、それらの「芸術の顕在化」がなければ、宗教も多くの人々に影響をもたらし、また地域的な広がりを持てなかったのではないかとさえ思われるのである。むしろ、『宗教』は芸術より上位ではなく、それらの芸術の放出の最中にまさにその中に『宗教=崇高なもの=神的な存在=神』を人々は感じ取ったように理解するのがよいのではないかと思われる。このテーマに関連して、ひとつ指摘したいのは、近代音楽の未曾有の進歩を遂げたのは、Johann Sebastian Bach(1685~1750)の登場に大いに負うところがある。彼の音楽の原点は宗教音楽であり、宗教と芸術との深い関連性が浮かび上がってくるのである。偉大な哲学者であるアラン曰く:あらゆる音楽は、純粋さ、注意、服従、沈潜、平静によって宗教的である。宗教音楽はすべての人を傾聴させる。音楽的な魂は、審判の前ではきわめて些細なものにすぎぬもろもろ惨劇を超越して魂を高める。(注5)

(第5章)
 そして、私は、宗教と芸術(音楽)とに間に関連性を痛切に感じるのが、教会とパイプ=オルガンの並存である。ここで芸術の一形態の音楽に焦点を絞って話を進めようと思う。音楽でも一般に知られているジャンルとは違うマージナルな(音楽の規則性のない)もの、すなわちロム(Rom)音楽を考えてみたいと思うのである。たぶん多くの方は、『それは何ですか?』と質問すると思われるので、少しロムから説明すると、一般に定住社会圏を持たない『放浪の民』といわれ、昔から世界中を旅した民である。ドイツ語ではZigeunerといわれているが、彼らの生活は歌い踊り、手相占いをしていた。ここで注目されるのは、かれらは、野や森や川つまり大自然を愛し、自分らを『自然の王』という。以上の理由から彼らが歴史上登場することは皆無に近く、彼らについての資料を入手するのは大変難しいのである。現在では、彼らの系統をひくスペインでのGitano(ヒターノ)に彼らの存在を見ることができる。特にかれらは、音楽分野で才能を発揮して、『フラメンコ音楽』を世界中の人々へ紹介してきた。少し、フラメンコについて説明すると、スペイン南部アンダルシアのヒターノの間で19世紀半ばに生まれた。これに、フェニキア人、アラビア人、ユダヤ人の芸能とミックスされたものといわれている。カンテ(歌)、バイレ(踊り)、ギターラ(ギター)、サパテアード(足拍子),パルマーダ(手拍子)、12拍のリズムによって構成されている。フラメンコのリズムは、十数種類がある。つまり、神秘的なソレア・陽気なアレグリーアス・ブレリア・タンゴス・ティエントス・不思議な感じのシギリージャス・ファンダンゴス・マラゲーニア・ベルディアレス・グラナイーナス・タラントs・タンゴ=デ=マラガ・ファルーカ・ガロティン・ペテネーラス・セビジャーナ・グァヒーラス・ルンバスなどがある。ここで忘れてはならないことは、フラメンコの仲間の間では、「Duende」の存在を信じていることである。それは、霊であり妖怪でありその力によって舞台が展開しているといわれている。
 話をその流浪の民へ話を戻すと、この章でのもうひとつのテーマである宗教に関連した疑問として、『彼らには、宗教があるのか』ということを考えてみたいと思う。キリスト教徒に言わせれば、宗教に縁のない民であるとして無視され、また軽侮された。むしろある枠に囚われない教義を持たない、ある種の自然崇拝(アニミズム)の民族であると思われている。別の章で述べましたケルト民族やゲルマン民族との共通点が感じられる。共通点の考察を試みると、別の機会に譲るとして、とにかく、流浪の民は、森の精や川の精・太陽・星・宇宙全体を信仰している。ここで、この民の迫害の歴史を紹介したいと思うのである。彼らのヨーロッパでの出現は、15世紀の始めといわれている。何故15世紀からの登場かといえば、中世の終焉の時期で、都市の発展・貨幣経済の活発化・商業の発展の地域的広がり・利潤の追求等が見られ物的なのみならず人的な交流も活発化したのである。そのような状況で、彼らがヨーロッパと接することが可能であったと思われます。残念ながら、gadscho(軽蔑的な意味を込めたヨーロッパ人への呼び名)社会では、乞食・最下層民として位置づけられ、それはまさにユダヤ人と同じであった。彼ら流浪の民は、歴史上の記録の残ることがなく、その意味でヨダヤ人より悲しい存在でした。最近の例としては、ナチスの迫害があります。ユダヤ人迫害はよく知られていますが、その蔭に彼らの存在があったのである。

(第6章)
 ある統計資料(注6)によれば、ナチによる迫害の期間13年間の間に第二次世界大戦前は全ヨーロッパの流浪の民の人口は、大体百万~百五十万人と推定されていましたが、そのうち約40万人が殺され、しかもそのほとんどが非戦闘員であった。彼らの存在そのものは、歴史のページに載ることがなかったのである。彼らの迫害の歴史の中から生まれたフラメンコ音楽カンテの中のカルセレーラ(牢獄の歌):寝ござの上に腰を下ろし/頭起こして呆然と/思い出すのは我が母、我が子/今も元気でいるだろうか?(注7)
 多分、彼らは人間界を超越した存在であり、大自然の中に生きていたのであり、現在でも生存している。多くの人は、生活のために各地域で定住生活をして生計を立てているのが現在であるが、本質的な面では彼らは『自然界に漂流する民』であるにちがいないのである。彼らは自然と同じ過去を振り返らず、また未来を心配することより、現在の自然の流れと同じ現在を見つめていると推測されるのである。。そのような私の仮説に立てば、フラメンコ音楽のリズムのひとつである「アレグリーアス」の現在肯定的な,刹那的な享楽を表現した形式があるのが納得できるのでる。また第6章で言及しました「Duende」の存在も何か自然界の霊的なものではないのかと思われる。ここで『放浪の民とはないか?』というと通常『ジプシー』といわれている民族である。多分『あれか。観光でヨーロッパに行くとき、ジプシーに注意するようにといわれたあの連中か。あの泥棒・乞食か。』と思う方がいるかもしれないが、そのような輩(やから)は、ジプシー民族の一部である。しかしながら、多くの人は、何がしかの一定の仕事をしながら生活をしている人々である。
 自然を畏敬し崇めるアニミズムの人々は、別の章で述べましたケルトの民にも見出せる。ケルトの民は、古代ヨーロッパで活躍した印欧語族の一派である。紀元前3000年ごろ北方文化圏を形成し前2000年ごろから移動をはじめ次第に全ヨーロッパを支配していった。但し、前1世紀ごろローマ帝国に敗れた。社会の基盤は、農耕・牧畜が主であった。彼らには、自然の中に神々がいると信じ、例えば:全能の神(豊穣)・太陽の化身ルフ(技芸の神)・マトロナ(地母神)・ケルヌンノス(森の神)・マナ=ナーン(海の神)を信じ、また『輪廻信仰』を持っていた。仏教に似ているようですが、根本的な違いはケルトでは、死は怖いものではなく、またこの世に生まれ変われるという考え方で、他方、仏教では、死ぬとまたこの苦難の現在に戻ってきて永遠に苦しみが繰り返されるとの考えでその輪廻から解脱するには、修行・勤行をして悟り・涅槃の境地に達すれば救われるとの相違が認められる。つまり、私見として、ケルトは、現実肯定的であり、仏教は、現実否定的に思われる。ところで、ケルトは、古代では文字に記録を書くのは禁じられていたので、彼らの記録はないのであるが、キリスト教の支配後には芸術的評価の高い『ケズル書』や『ダウロ書』が歴史上に登場した。現在では、アイルランド・スコットランドは、昔のケルト圏であり、ケルトの自然を畏敬する気持ちが時間・空間を超えて存在している。ケルトの自然崇拝を漂わせているスコットランドの有名なネス湖があり、怪獣伝説で有名なところである。参考までにその湖のことは、『Loch Ness』といわれ、意味は『ネスの穴』と現地では翻訳されている。
アニミズムは、別に外国だけのものではなく、日本でも神道は、まさに自然崇拝から生まれたのである。現在でも、日本の各地の神社には、必ずといっていいほど神社を囲むように必ず「森」がある。また、本来の神社の建物にも神の姿があるのではなく、三宝があるだけで大気の空気の中に「神」そのものが存在しているのである。また、日本では大木が神木とみなされ、高い山々を神が宿る霊山として崇められている。旅をしながら、自然を深く愛した多くの旅人がいました。日本では、一遍上人・空也・松尾芭蕉、近代では、放浪の詩人と謳われた種田山頭火・高群逸枝等。彼らは、それぞれに明確な目的を持っていたが、自然の懐に分け入り彼らは芸術性の高いいろいろの作品を遺している。ここで放浪の詩人である種田山頭火の作品をひとつ取り上げてみたいと思う。『雑草風景』(注8) =ある日は人のこひしさも木の芽草の芽/人声のちかづいてくる木の芽あかるく/伸びるより咲いてゐる/葦のそよげば何となくひとを待つ/ひとりたがやせばうたふなり/花ぐもりの窓から煙突一本/ひっそり咲いて散ります/枇杷が枯れて枇杷が生えれひとりぐらし/照れば鳴いて曇れば山羊がいつぴき/空へ若竹のなやみなし/身のまはりは葦だらけみんな咲いてる/ころり寝ころべば青空/何を求める風の中ゆく/葦を咲かせてそしててふちよをあそばせて。
 話がアニミズムに偏ってしまったが『宗教(自然崇拝の信仰)による芸術の創造への流れ』を痛感するのである。別の章で述べたように『芸術の本来の姿が自然美』であると確信するのである。ジプシーたちの音楽に偏見を持たずに耳を傾けてほしいのである。ケルトの音楽を傾注してほしいのである。そして、日本画の巨匠:横山大観の絵画の中に『自然の美』を見つけ出してくれることを切望するのである。ところで、何故にキリスト教を取り上げないのかと不思議に思われるが、残念ながら、その宗教の中に「自然崇拝」の考え方、作品が見当たらないのである。この宗教は、人間中心で自然も人間の手の中にある考えで中世の絵にはその世界が描かれているのみである。本来、その宗教は砂漠から生まれたものであり、ローマ帝国時代にヨーロッパに入ったものである。勿論、自然謳歌の観点からではなく、一つの宗教芸術作品としてみた場合、歴史上すばらしいものが創造されているのは認める。教会建造物としてのイタリアのバチカン市国のサンピエトロ大聖堂、アッシジ、ロレット、パドヴァ、イベリア半島のサンディアゴ=デ=コンポステラ、フランスの聖マルタン=デュ=カニグー修道院、ルルドやリジュ、中世末期最大の巡礼地のサン=ミシェル=ド=モントンブのモン=サン=ミシェル、ベルギーのモンテギュ、ルクセンブルグのエヘテルナハなどがあり、彫刻では、聖母と東方三賢王(象牙浮彫)、フランスのコンクにある聖ソフィア教会の壁面「最後の審判」、シャルトルの教会の「訪問のマリアとエリザベート」、ドイツのシュトラスブルグにある「預言者」その他。前記に列挙した通りすばらしいキリスト教の世界の作品が数多くある。それらキリスト教の建築や絵画等の芸術作品には「自然崇拝」の作品が一つも見出せないのである。確かに、キリスト教の芸術に果たした役割は、測り知れないものがあったのは認める。
次の2人の巨人の名言を紹介する必要がある。トルストイ曰く:社会の宗教心は、まるで流れる河の方向のようなものだ。河が流れていれば、その流れていく方向がある。社会も生活していれば、その社会のすべての人が考えても考えなくてもその進んで行く方向を示す宗教心がある。だから宗教心はそれぞれの社会にいつでも出ていたし又いまでも出ている。芸術に表わされる心持はいつでもその宗教心によって価値をきめられて来た。(注1)
 また、アラン曰く:あらゆる音楽は、音楽が欲しかつもたらす純粋さ、注意、服従、沈潜、平静によって宗教的である。本来の意味における宗教音楽は、より厳しいもので、外部からの支配ということを一層問題にする。(注5)

(第7章)
 広い自然界の時間のスパンから見れば、人間の存在した期間はつかの間の期間であり、自然界から存在していなかったものとして無視されるのである。もし、我々人間が、カントの言う「宇宙律」、また私の言葉で言えば「リズム」を意識的であろうと無意識的であろうと、それを撹乱しようとしたとき、自然界の「元の自然の状態」に戻そうという、まさにInvisible Handが働くのは必定である。人間は、聖書で言うところの「知恵」を授かってしまった結果、自然の状態ではいられなくなり常に新たな部分を何世代にも渡って付け加える衝動に追い立てられてきたのである。「善的なもの」と「悪のもの」との区別がなく進歩・前進のために脇目も振らずに邁進し、それに気がついたときには、覆水盆に帰らずの喩えのようにあとの祭りになってしまうのである。それが人間の歴史では繰り返されたのであると思われる。例えば、鉄器の発明の事例で理解する必要があろう。それによって、鋤・鍬の発展をもたらし農耕生産量の飛躍的増大に結びつき、自分らの食べる以外の余剰部分が生じ売買の考えが生まれたのである。その鉄器の発明によって広い意味でのヨーロッパ中世の閉鎖的な社会構造の崩壊であり、同時に近世の幕開けの道が開かれたといっても過言ではないのではないかと思われる。しかし、他方その発明により、「石」や「木」で作られた戦争の武器がそれに取って代わり、以前よりより多くの人々を殺戮すること可能にしてしまったのである。人間の進歩への探究心は止むことを知らず、核融合の発明により輝かしい未来が見えてきたが、同時に人類を破滅へ導くことを可能にしたのである。また、我々は、過去に自分の都合主義の下に自然を破壊し続けたし、現在でも蛮行が進行しているのだ。ヨーロッパ中世は約1000年の期間といわれているが、いろいろの面では窮屈な閉鎖的な拘束された社会であり、その初期に「大自然に対する」尊敬の感情、畏敬、崇拝の気持ちが存在していたと言われているのである。ヨーロッパの多くの部分は、黒い森に覆われ人間は身を寄せ合ってその森に周囲を囲まれて生活をしていたと思われる。そのような状況の中から生まれた感情なのである。山・森・川・動植物・太陽・星々。そこには「自然と人間との共存」の考えが存在していたのである。「森の妖精物語」もそのような中から誕生したのである。しかしながら、人間の中心主義の宗教中世を支配していたキリスト教の影響の下に人間の活動範囲を広めるために次々に自然を破壊することを推し進めたのである。人間の欲求のままに自然が蹂躙され続けたのである。

(結章)
 いくつかの歴史上の事例として取り上げれば、ある文献(注9)によれば人類が文字(楔形文字で書かれた)を使用しバビロニア時代に(紀元前2000~1180年頃)書き残した最古の物語「ギルガメシュ叙事詩」によると、物語の主人公ギルガメシュ王(実在の王)は、自分の都市建設のために土器を焼く燃料のために木(材木)が必要であった。「あの森に行くと祟りがある」という人々の警告を無視してレバノンスギの森を伐採し、なおかつ半身半獣森の神・フンババを殺してしまったのである。王は、「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」と高らかに歌い上げたのであった。青銅の手斧という文明の武器の前にフンババは敗れたのである。この作者は、森を破壊した後には砂漠化が引き起こされることを知っていたことが推測される。4000年も前からメソポタミア周辺の森はすでに破壊されていた記録がある。現在では、メソポタミア地域は、広い範囲に砂漠化になり、人間が生存できる環境がごく限られてしまったのである。クレタ島のミノア文明を崩壊させた原因は、地中海の小島サントリーニ島の火山噴火と一般に言われているが、B.C.1700年ごろ大地震によるクノッソスの宮殿の崩壊の再建のために森の資源を使ったのである。その結果「森の破壊」は土壌の劣化をもたらし、何も作物が育たない土壌になり、ミノア文明の滅亡の最大の原因になったのである。現在のクノッソス周辺の山々は、ハゲ山ばかりだそうである。また、ミケーネ文明を同じような様相を呈していたのである。人間は、生きている限り、自然を破壊し続けなければならないのか?そういう性(サガ)なのかと考える。ミノア文明やミケーネ文明は地域的の局限されたものであるが、現在では、地球的規模で進んでいる現象のである。また、現在では、科学・技術の進歩により、遺伝子操作・動植物に対する人工的な操作が実践され、また生命体のレプリカの創造が試みられ、入ってはいけない領域まで踏み込んでしまったのである。人間が、このままの状態で未来へ邁進すれば、「自然のリズムの報復」が起こり、前章で言及しましたように、元の状態へ戻そうとする力が働くことを危惧しているのである。そして、自然が元へ戻すことが不可能と判断した場合、「リズムは自ら人間を含めてすべての存在を一緒に消滅させようとする作用が働くのではないか」と懸念して止まないのである。我々人間は、至上主義・傲慢さを捨て、もう一度冷静に・真剣に「大宇宙のリズム・呼吸」を見つめ、賢く行動するすることを切に望む次第である。
 結論として、私は『そのような状況で芸術には何ができるのか?』自問するのである。芸術が、我々人間を覚醒させるには、『自然』の芸術による表現・顕在化を描写し続けることなのである。
 宗教家であるが、芸術の面でも大きな影響を与え続ける人物たち:道元、空海、アッシジの聖フランチェスコ、また俳人:松尾芭蕉、『日本風景論』著者:志賀重昂、天才ピカソその他の偉人から、また現存の世界の有形・無形遺産から、きっと多くの指針を我々人間が学ぶことができると信じる次第である。特に、「日本風景論」では「足許から一握りの土をすくって、隣人の前に突き出し、この土の匂いを、どうおもふと訊ねたとき、隣人は、セメンかコンクリートでなければ文明開化の土でないと、ふだん妄信しているから、そんな土は、汚いと顔をそむける、いづくんぞ知らん、この土は、富士の白雪の融けて流れた土である、こんな美しい土が、世の中にあろうか」(注10)。その文章から、自然の美の礼賛の声が聞こえてくるのである。
 最後に、それぞれの芸術家が、社会的、否、人類の命運を担っている気概をもって艱難辛苦の道を邁進することを期待するのである。
 次の名言を忘れずに前進するのだ。
私の好きなラテン語の名言:Gutta cavat lapidem non vi sed saepe cadendo.(注11)

 日本の『古事記』曰く:草や木がそれぞれに言葉をしゃべり、国土のそこここで岩や、石や、木や、草の葉がたがいに語りあい、夜は鬼火のようなあやしい火が燃え、昼は群がる昆虫の羽音のように、いたるところでにぎやかな声がしたー。

『我が心の友』
夜の天界に吊るされている煌めく星々を見上げてください
貴方の心が悲しいとき、きっと温かい手のひらで貴方を優しく包んでくれることでしょう
貴方の心が寂しいとき、きっと貴方のそばに来て優しく声をかけてくれることでしょう
貴方の心が辛いとき、きっと優しい言葉で貴方を慰めてくれることでしょう
そして、貴方の心が楽しいとき、きっと貴方と一緒に手と手をつないで大空を飛び回ってくれることでしょう
私は、そっと星たちに告白しますー君らがこの世にいる限り、私は生きていける、ありがとう 
(著者の自作)

私は生かされている、野の草と同じである、路傍の小石とも同じである,自然は心の鏡 (日本風景画の巨匠:東山魁夷の言葉)

自然は、芸術の大先生である。ありがとう!

(脚注)
(1) トルストイ『芸術とは何か』(河野與一訳)岩波文庫、
1958年、18P.、61P.
(2)ファサード(façade)は、建築物の正面(デザイン)である。フランス語に由来し、英語の faceと同根。最も目に付く場所であり、重要視される。
(3)タンパンティンパヌム(tympanum, (複)tympana、(仏語読み)タンパン)とは、建物入口上にあり、まぐさ(横木、リンテル)とアーチによって区画された装飾的な壁面のことで、半円形か三角形をしている。しばしば彫刻などによって飾られている。ギリシャ・キリスト教建築においては、ティンパヌムには宗教的情景が描かれているのが通例である。
(4)。クーポライタリアの教会堂のドームに対しては、イタリア語のクーポラ(cupola)という呼び方が用いられることがある
(5)アラン「諸芸術の体系」(桑原武夫訳)岩波書店、1978年、171p.
(6)相沢 久「ジプシー」(漂泊の魂)講談社現代新書、昭和55年、172p.
(7)パセオ編集部(飯野昭夫)「フラメンコへの誘い」晶文社、1989年、91p.
(8)種田山頭火『雑草風景』H/Pから引用
(9)安田喜憲「森と文明の物語」(環境考古学は語る)ちくま新書、16~17p.
(10)志賀重昂『日本風景論』岩波文庫、8p.
(11)(ラテン語の日本語訳)水滴は、岩に力によってではなく、何度も落ちること
    によってあけることができるのである。

<参考文献>
スタニスラフスキー(千田是也訳)「俳優の仕事」(第一巻~第四巻)理論社
トルストイ「芸術とは何か」岩波文庫
アラン(桑原武夫訳)「諸芸術の体系」岩波書店
志賀重昂「日本風景論」岩波文庫
安田喜憲「森と文明の物語」(環境考古学は語る)ちくま新書
「古事記」(倉野憲司校注)岩波文庫

Sunday, 09 November 2008

What is Virus?

<The effect of Plague on Human history,and its analysis>

 

*英語や他の外国語の文章が多く取り上げられると思いますので、それらを読めるだけの読解力のある方のみ対象になりますので、ご了承ください。それらの外国の文章を日本語に訳す時間もありませんし、また訳すと本来の原書のニュアンスが伝わらない危惧を感じたからなのです。お許しください。また、英語以外の外国語には、いろいろな記号(例えば、フランス語のアクサンテギュウーやドイツ語のウムラオト)が文字に付随されていますが、このブログでは、それらの記号を入力する機能がないとのことですので、省略させていただきます。

私は、人間の歴史が人間同士から作られたのでなく、その時代の自然現象やその時の病原菌の感染が、歴史と歴史の転換期に大きな影響を与え歴史を形成したのではないのかの仮説に立って、これから自然現象と感染症の一つである「疫病(Parasite)」を通じて考えてゆきたいと思います。そして、近年いろいろな形で世界中の人々を悩ませ始めた「鳥や豚のインフルエンザ」の発生は、今に突然発生したのではなくどこかで冬眠していた菌(parasite)が目を覚ましたのにすぎないのです。また、これからそのParasiteについて、また深遠な波状効果[つまり:中世西欧世界を理解するには、宗教であるキリスト教の研究だけではなく、疫病の原因であるparasiteを通じて中世期最大の出来事であるCrusade Movement・La Inquisicion(異端審問論争)・La sorciere の出現等の本当の姿が見えてくるのです。)、またそれを研究する現代的な意義と警告について考えてゆきたいと思ってます。その道先案内書として、基本書として、PHILIP ZIEGLERの「The Black Death」とRobert S.Gottfried「The black Death」、William H.Mcneill「Plagues and Peoples」、を取り上げ読みながら考えたいと思っております。むろん、その他の参考文献をいろいろな個所で引用することになると思います。


さて、西欧中世は、約1000年の長いスパンがあります。ローマ帝国が終焉して(すべての意味ではA.D.430年)東ローマ帝国の滅亡(1453年)の期間でありますが、いろいろな出来事が錯綜していた中で、「疫病」、中世期では「黒死病」という変形を通じて引き起こされた出来事ほど、当時の住民に深い影響を与えたものはないと言えるのではないでしょうか?私から言わせていただくと、その考察は、中世を理解する切り口になるのです。また、忘れてはならないことは、「黒死病とユダヤ人の迫害」との関連性も重要なことであると思われます。そして、「魔女の存在性と迫害」の問題にも言及する深遠な問題なのです。それらの発生・利用に「キリスト教」の果たした役割は大変大きく、それらを土台に飛躍的に発展した事実が見えてくるのです。私の極端な仮説ですが、キリスト教徒は、その存在を熟知していて、それを(疫病)を利用したのではないかと思われるのです。
中世の時代のお話を述べる前に、「疫病の菌」がいかに世界の歴史を変えていったのかいくつかの事例を述べたいと思います。
まず第一のものは、4大文明の一つである「インダス文明1日での崩壊」、南米の「アステカ文明滅亡」、北米のアメリカ先住民の全滅」、「モンゴール帝国の崩壊」など数え上げればきりがないほど、すべてが細菌(virus)により引き起こされた現象なのです。細菌が人類の歴史、広く言えば地球の歴史を作り上げたといっても過言ではないのです。これに関連した記事を最近発見したことをノートしますと:
In the second century B.C. a great misfortune came upon the Roman and chinese Empires. This is a pestilence of unexampled virulence. It raged for eleven years in China and disorganized the social framework profoundly. The Han dynasty fell. The infection spread through Asia to Europe. It raged throughout the Roman Empire from A.D.164 to 180. (quoted by Chaper-34[Between Rome and Chin[
TheWorld],H.G.WELLS)
つまり、「疫病」の源流が,中国であることがわかるのと同時に疫病は決して中世に始まったことではなく、もっと古くから存在していたことがこの文章からわかります。そして、ローマ帝国が、滅亡した理由が異民族の侵入によるのではなく、まず「疫病」によって荒廃したことによるのです。
ここで私なりの考察をしますと、ローマ帝国の時代にキリスト教徒の作為によってローマ帝国の滅亡を招いたのではないか?と想像するのです.

ここでひとまず中世の様子を描写したいと思います。
ZIEGLERが中世の衛生管理について、描写をしている個所がありますので、原書のまま引用したいと思います。大いに興味がある文章であり、また当時の「黒死病」の発生を知る一つの手がかりになります。
Privacy was not a concept close to the heart of medieval man and even in the grandest castle life was conducted in a perpetual crowd. In the houses of the poor,where beds were an unheard of luxury, it would not have been exceptional to find a dozen people sleeping on the floor of the same room. In the country villages, indeed in many urban houses as well, pigs and chickens and perhaps even ponies, cows and sheep, would share the common residence. Lanes barely wide enough to allow two ponies to pass meander between the steep walls of houses which grow together at the top, so as almost to blot out the light of day. The lanes themselves-they seem indeed more drains than lanes-are deep in mud and filth; no doubt to be attributed to the myriad buxom servant-wenches who appear at the upper windows and empty chamber pots filled with excrement on the passers-by. Still more important warmth and dirt provide the ideal environment for the rat.
以上の記事を通じて、衛生管理がいかに悪かったことが理解されると思われます。当然そのような衛生の悪さが、ペスト菌の温存に大いに寄与するのが想像されます。
ペスト菌は、本来中国大陸で発生したものと言われていますが、次第にヨーロッパ大陸に、イタリアのシシリア島を通じてイタリアに広がりヨーロッパ全土の広がったという事実があります。つまり、イタリアの船による交易に従事した船乗りから伝播したといわれています。
また、最近、大変興味深々な内容の文章に出会いましたので紹介したいの思います。
よく歴史家は、すべての人間社会は、「All empires, all states, all organization of human society are, in the ultimate, things of understanding and will」と名言を引用しますが、私は、その定義は「疫病」の観点からは覆されるのです。
ここで、大変興味のある記述がありますので紹介します。
以下の英文は、「The Black Death」 by Robert S.Gottfriedの本のChapter4  the Plague's Progress の中でJean Venette の記述による1348年のフランスでの情景のスケッチがあります:
The people of France and of almost the whole world were struck by a blow other than war. For in addition to the famineーー and to the wars---pestilence and its attendant tribulations appeared again in various parts of the world. In the month of August 1348, after Vespers, when the sun was beginning to set, a big and very bright star appeared above Paris, towards the west. 
It did not seem, as stars usually do, to be very high above our hemisphere, but rather, very near. As the sun set and night came on, this star did not seem to me or many other friars who were watching it to move from one place. At length, when night had come, this big star, to the amazement of all of us who were watching, broke into many different rays, and, as it shed these rays over paris towards the east, totally disappeared and was completely annihilated. Whether it was composed of airy exhalations and was finally resolved into vapor, I leave to the decision of asrtronomers.
上記の英文の中でアンダーラインを引いた個所は、いったい何でしょうか?大きな星は、いったい何を意味しているのでしょうか?これから改めて調べる必要があります。たぶん、ウイルスは、地球外から飛来したものと思われます。                       
また、大変興味がる発見がありましたので、紹介したいと思います。
La repartition des labyrinthes dans les eglises d’Europe 
coincide avec celle des megalithes.
この文章から理解できることは、何故にキリストの教会が、有史以前の巨石文化の石と全く同じ場所にラビリンスの彫刻の石の碑文を配置したのか?これからの研究課題であります。

また、中世では、ヨーロッパでは、かなり地震があったことが次の本からわかるのです。「La vie au Moyen」par Robert Delortの中で「L'Occident me
dieval a connu de nombreux tremblements de terre」、特に1356年10月18日の大地震(Le seisme balois)では、スイスを中心に広い範囲で地震が勃発していました。この文章で興味があることは、1300年代に黒死病の発生と地震との関連性があるように思われる。(continued)

 

 

 

 

 

 

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