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俳優:岩崎秀夫の素顔

  • 著名な政治アナリストである伊藤惇夫氏と私。
    私の好きなスケッチです。

Friday, 25 September 2020

我が芸術論:序論

Die Einleitung
最近私は、『演技』について考える場合、まず第一に考察しなければならないことは『文化』とは何かということです。社会科学的見地からは、『文化とは何世代にもわたる個人や集団の努力によって多くの人々により受け継がれた知識・経験・信念・価値観・態度・意味・階級・宗教・時間の観念・役割分担・空間の使い方・世界観・物質的な財産などすべてを包含したものである。』と。この解釈を通じて、わたしの見解として、人間社会が存在する限り、換言すれば一人の人間では『文化』は生まれにくいものであり、自分以外の他者が存在しなければ成り立つのが困難である。但し、それは明確な概念ではなく、まるでオブラートそのものであるように思われる。つまり、先ほど述べた知識やその他の諸概念を包含する透明可視的なものであり、次の世代がその中を見通して学ぶものである。また、『文化』は、ある種の生き物のように感じられる。つまり、アメーバーでありその時代、また別の時代に外見的に変身しながら存在し続けるのである。いづれにしても、『文化』という器に先ほど述べた諸概念が存在している。『芸術』も然りである。しかしながら、芸術の存在意義は、『常に新しいものを作り上げる創造的なものであり,実在表現のLux(光)を放射し続け文化に虹彩を与えるもの』であると確信します。
私の専門分野のひとつである『西欧の教会建築、イコノグラフィー(図像学)』では、西欧の12世紀以前のロマネスク様式と12世紀以降のゴシック様式とは、別物に見られる傾向があるが、私は、前者が存在したから後者が生まれたと思われます。つまり、文化の性癖である『過去から学ぶ連続性』を痛感せずにはいられないのです。フランスのラン大聖堂、アミアン大聖堂、シャルトル大聖堂等のそれらの建築物は勿論のことそれらに付帯した壁面に彫られたイエスの姿や諸聖人の人物像またマリア像などの彫刻作品は、『宗教的信仰の対象物としての宗教的作品』という本来の価値を認識する以上に『崇高な芸術品』としての価値をそれらに見出すのであります。
『芸術』の別の視点として、本来は、それは自己表現の顕在化であり、自己の感情の発露である。その点では、『芸術』という言葉では、本質的な意味では偏狭的な理解に陥ってしまうのであり、その言葉では包含することができないものであります。例えば、西欧の中世に隆盛しました『巡礼』という行為現象を考えてみても、人間は、そのときはひとつの明確な『信仰心』といわれる動機がその行為に導いたことは確かでありますが、中庸的な見方をすれば、『自己感情の表現行為』ということも言えるのではないでしょうか?また、現在、アフリカやその他の文明社会から犯されていない社会圏でのいろいろな集団儀式を執り行うときに付帯的要素として『踊り、衣装、化粧』の行為が、まさに『自己表現の顕在化』であり、自己存在の確認を意識することであります。
話は芸術の『常に新しい創造性の追及』に戻ると、模倣的・クリシェなものは排除される。つまり、現代という時間の中で所謂「古典」といわれる芸能(日本でいえばー能・浄瑠璃・歌舞等)が伝統に完全に100%制約されたものであるならば、形骸化され一般の人々からの関心事から取り残される運命にあります。常に、その時代に適合するように努力し新しい要素の構築しなければならない。諺曰く”The rolling stone gathers no moss.":つまり、流転しているものは、苔が付かない。
スタニスラフスキイの言葉を借用させていただくならば『創造的芸術』の追及であります

Die Fortsetzung der Einleitung
前述した『教会建築』について、『常に新しい創造的ではない』と異論を唱える人がいるかもしれないが、私が思うにはそれは皮相的な考えであり、よい芸術作品は、何というか?対象物の作品から、その創造的な何かが鑑賞者の心の感受性に訴えかけてある創造的な力を誘発するものである。それこそが、『芸術の創造性』である。トルストイ曰く『一度味わった心持を自分の中に呼び起こして、それを自分の中に呼び起こした後で、運動や線や色や音や言葉で現される形にしてその心持を伝えて、他の人も同じ心持を味わうようにするところに、芸術の働きがある。芸術とは、一人の人が意識的に何か外に見えるしるしを使って自分の味わった心持を他の人に伝えて他の人がその心持に感染してそれを感じるようになるという人間の働きだ。』(『芸術とは何か』の一節から引用)、と洞察力のある『芸術』の分析を試みています。つまり『相互の働きであると同時に綜合の交流』であると。ロシアの偉大な大芸術家であるトルストイの文章を引用するのはあまりにも傲慢すぎるが、それを借用させていただくことを許していただけるならば、ある一点では、私の芸術論と関連を痛感いたします。つまり、『教会にある諸聖人その他の登場人物を作製した当時の人々の心持と時間空間を越えてそれに感染した、または感染している、または感染するであろう鑑賞者の関連』を認めるのです。私が何故『時間的・空間的』という言葉を使ったかといえば、『芸術』とは、それらの枠(Der Rahmen)が存在しないのであります。次に、芸術の『美の追求』について述べようと思います。『美』とはなんぞやと考えます。よく言われるように、「肉体的な美しさ」から定義される傾向があるように思われます。私の『美』とはそのような皮相的な意味から言っているのではなくもっと内面的な、もっと深遠な宇宙を超越した何か宇宙と同一性を感じるときの、言い換えれば、よりメンタルなもの、よりスピリチュアル(霊的な)な存在と接するとき『美』の存在を感じるのです。つまり、すべての虚飾が剥がされたときの「自然が作った造形物の美しさ」であり、つまりは「人間の裸体」であり、「虚飾が一切ない姿」であります。自然は偉大であるとよく言われます。自然の造形した美しさは、どんなに人間がどんな努力してもかなわないものです。私は、最近考えるのですが、だいたい人間は、よく『自然』という言葉を使いますが、意識の中で何か自分とは乖離した存在と言っているように思われます。何か人間の傲慢さを感じるのです。いつごろから我々は、そういう意識が芽生えたのでしょうか?歴史的に見て、例えば、ヨーロッパではローマ帝国時代以前の社会では概して自然の中の人間生活を営んでいました。例えば、ケルト民族やゲルマン民族は、自然を畏れ敬った価値観を持っていました。それがローマ時代を境にキリスト教の影響で『人間中心主義』の見方が芽生えてしまったのです。まさに『自然無視・自然に対する畏敬の念の喪失』からの自然破壊が起こり、その流れが現在での続いていています。近い将来自然からの大きな報復がなければよいのですが。何か『芸術の使命』を感じてしまうのです。つまり、『芸術が自然界の伝道者にならねばならない』と。自然は、『美の探求者』あります。否、自然は、美の造形者ではなく、『美』そのものであります。暁の天空を思い出してください、朝靄の中の自然の鼓動の音色に耳を向けてください、天空を覆う宝石のような星たちを見上げてください、足元の昆虫たちの小さな営みを観察してみてください、きっと『自然の偉大さ』を感じることでしょう。

Die Fortsetzung
次に『芸術の存在意義』について考えてみたいと思います。ご存知のように、現在という時代に目を向ければ、科学・技術の進歩による恩恵を多くわれわれは受けています。例えば、医学の進歩による寿命の伸長、水力発電による電気の供給、天気予報のある程度の予測、安定した食料の生産、交通機関による時間の短縮化それに伴う流通産業の効率化、コンピューターの普及による情報の迅速化、別の見方をすれば戦争武器の破壊力(科学兵器・核兵器)の未曾有の進歩その他例を挙げればいくらでもあるように科学・技術の偉大さには賞賛を惜しみません。しかしながら、何か物質的な面だけが先行している傾向があるように思われてなりません。『こころの貧困化』とよく言われます。現象として敵対心・猜疑心(不信)・命の軽視・他人に対する思いやり・ものに対する愛着心の軽薄・自然に対する畏敬の念の欠乏とその破壊・日本における自殺者の増大・人間同士の殺し合い・戦争・虐殺その他。なぜこのような不均衡が生まれたのでしょうか。人間は、新しいもの・便利さ・合理性を好む傾向が先天的にあり、それらに魅了されてしまうのです。それの飽くなき追求により人間は『何か大きなもの』を置き去りにして邁進しているように思われます。人間の弱さといえばそれまでの話ですが、そのような状況に『芸術の果たす役割とは何か』といつも考えるのです。小説、悲喜劇、絵画、彫刻、舞踊、建築等がいわゆる芸術といわれる分野ですが、それらの果たすべき役割とは甚大であると思われます。それらは人間の内面性を追求したものであり、社会に与える影響を考えると責任重大であります。ロシアの文豪トルストイは、次のように『芸術』を定義しています。『個人を人類の生活にとっても善に向かう運動にとってもなくてはならない必要な人間の交通手段、人間を同じ心持の中に結びつけるための手段である』。その言葉の中にすべてが言い尽くされていると思うのです。同じ心持を生まれださせるのが芸術の使命と、また芸術のテーマがいつも真剣に問われなければならないと思うのです。ところで、私がこの芸術論(1)で述べた『芸術は、文明にLuxを放射し文化に虹彩を与えるものである』と述べましたが、最近読んでいますトルストイの『芸術とは何か』で別の見方が論述されていますのでご紹介したいと思いますーー苦しみ、快感を実際または想像で味わった人がカンバスや大理石に表わしたものを見て、他の人たちがそれに感染した場合それがまさに芸術である』と。そのような観点では、絵画も石教会堂の建築物やそれに彫られた諸聖人像は、芸術作品と言えるのではないでしょうか?彼は言葉を続けます『見る人聴く人が創作家の受けた心持に感染すると、それで芸術になる。もし人間に、昔生きていた人たちの頭に浮かんだ思想を(言葉)で現したものを取り上げたり自分の思想を他の人に伝えたりする力がなかったとすれば、人間は野獣と同じである、また人間のもうひとつの力、(感情の領分の芸術)によって感染する力がなかったならば、人間はもっと野蛮なもの、最悪の状況としてこの人間界は、無秩序で敵同士になっていたかも知れないのです』と。つまりここで、私の理解としてある意味で『芸術は文化の諸形態に虹彩を放射するフォース』であり、人類の永続、平和維持にはなくてはならないものなのです。
ラテンの言葉:Ommes artes,quae ad humanitatem pertinent,habent quoddam commune vinculum.(人間性に関わるすべての芸術は、ある共

Die Fortsetzung
Est ergo pulchritudo realiter idem quod bonitas.(美は本質的には善に等しい)(von Ulrich von strassburg,)この名言は、確かにスコラ哲学概念が普及していた時代の考え方を反映したものであるが、つまり『美』はイコール『善』の考え方。この名言は、しかしながら、本質を衝いていると思われます。前章でも言及したように『砂漠化した人間社会のオアシスであり、人間の乾いた心への一滴のしずくであり、人間性を覚醒させる試金石であります。』と。そういう観点から考えて見ますと、自分の勝手の解釈として『西欧のキリスト教会建造物(バシリカ・聖堂等を含む)またその建物の内外に装飾されている彫刻群・絵画等の芸術作品群、修道院(洞窟)建造物に、ある意味で善の象徴を感じるのである』。私自身のお話をすることを許していただけるならば、何故キリスト教会建造物に興味を持ったかといえば、私の今までの仕事上で海外に多く訪問する機会を得たのがヨーロッパ、特に西ヨーロッパであり、どの町や村を訪れても必ずそれらを威圧して聳え立つ建造物が目に入ったのです。この建物を中心にそれぞれの時代の世界が動いていたのでありその地域の住民はそれに精神的に拘束されたと同時にひとつの社会が形成され善悪の規律・道徳観がフォーメションされたのである。そうして、その建造物は現実的に存在したのであるが、むしろ当時の人々に精神的なイメージとして根を張ったのであります。私が、『教会建築』と言う意味は、そのようなスピリチュアルなこととして捉えているのです。現在フランスだけでも約2000の建造物が存在するということで、いかにそれぞれの地域で影響力を持ったのかと想像できます。誰でも教会堂を訪門すれば、内部の装飾の魅力(ステンドガラス色彩、正面の祭壇の上の聖人の像の崇高さ、天空を感じさせるドームの天井、柱に描かれた装飾)、外壁のいろいろの装飾群)に深い感銘を受け神の存在を意識するようになる雰囲気作りが漂っているのが感じと思います。具体例の一つとして、規模は小さくまた教会堂ではなく聖堂であるが私の忘れることができない印象深かったものとして、イタリアのラヴェンナの聖堂を取り上げてみたいと思います。イタリアの古都ラヴェンナにあるガッラ・プラチディアの霊廟は、外観は質素でファサードが灰色がかりレンガ造りのようでありタンパンには何も装飾がなく静寂の中に佇んでいる。しかしながら、一歩中に入ると、モザイク芸術の傑作を見ることができます。半円天井が素晴らしく、濃紺の背景に金の輪があり、白いマーガレットの花がちりばめられ、紺色の空を照らしている。クーポラに描かれた金の星たちその中心に燦然と輝く金の十字架、クーポラの四隅に描かれた福音史家の象徴:聖マルコの獅子・聖ルカの牛・聖ヨハネの鷲・聖マタイの人間。ここを訪れる人々は、やはり同じような『神の存在』を感じたことでしょう。私が,この章で指摘したかったことは、『キリスト教会の書物や教会に書かれたラテン語の聖書の物語ではない、教会建造物から放射する芸術的な美の作品群を通じて人々に(神の存在)を意識させ、それによってその影響下にある人々に悪の道から救い出し人間として正しく生きるべき道を教え善へ導いた』という点です。その上、昔から中世を通じて多くの人々は、ほとんどが文字の読めない文盲の人でありました。壁面の刻印された聖書の物語、絵画に描かれた書聖人伝、そしてステンドガラスに焼き付けられたマタイの山上の説教・詩篇が人々に優しく語りかけたことでしょう。
ミケランジェロ曰く:『建築を多少勉強したことなしに大芸術家はありえない』。

Die Fortsetzung
この章では、最も根本的なテーマである『宗教と芸術』の問題を取り上げで見たいと思います。ここでは難解な哲学的セオリーを述べようとはいたしません。ただ私が、第2章で述べましたように芸術とは宇宙を超越した何かの存在と同一的なものと一致するように感じるのです。それは芸術イコール神的な存在かもしれません。私は、常日頃機会あるごとにいわゆる『五葉ではなく四葉の芸術』というものを鑑賞するようにしています。『芸術』の顕在化としてのクラリク教授がその著書で『世界美・一般美学試論』で述べている『五葉の芸術』つまり味覚芸・嗅覚芸・触覚芸・聴覚芸・視覚芸を指摘しています。わたしは、それらに勝手に自分流の諸芸を組み入れています。その五葉の中の四葉は、味覚芸としての菓子・料理、嗅覚芸としての御香、聴覚芸としての音楽、視覚芸としての絵画・演劇・建築・彫刻また散文が対象であり時間が許す限りそれらに触れる様にしています。では『触覚芸とは何か』。教授は『それは、ビロードの触り心地であり、柔らかさ・しなやかさ・滑らかさの形容詞はそこから生まれる』と述べています。(残念ながら、私は、触芸の経験がないのでなんとも謂えませんが。)。話が逸れてしまったので本題に戻りますと、宗教では、現在社会には、仏教・キリスト教・イスラム教-神道その他もろもろの宗教が認められますが、私の見方として芸術を通して宇宙の究極的な存在に(イギリスの偉大な歴史学者アーノルド=トインビーの言葉)接近できるように人間のemotionが飛び立つのです。もう少し詳細に見てゆきますと,例えば仏教では、宗派によって多少の相違があるかと思いますが、一般に読経(般若心経や法華経等)があり太鼓やその他の音の共鳴があり、神道では祝詞があり太鼓の音がある。キリスト教の特にカトリックでは教会の基本文書である『三要文(信条・主の祈り・十戒)』を唱え、オルガンに合わせてコーラス隊が『神をたたえる歌』を合唱します。イスラム教では、モスクから町中に響き渡るコーランの調べ。実際、私がトルコのイスタンブールを訪問したとき、その幻想的な響きに魅了されました。以上から分かつたことは、響きや音によって異次元の世界へ心が惹きつけられ、まさに『何か崇高な存在』へ誘ってくれるのです。『芸術と宗教』は、人間社会が始まったプリミティブな時代から存在していたと想像します。現在でも未開な社会では神がかりな祈祷師といわれる人が神の信託を受けるために必ずある儀式が執り行われます。その挙行のために必ず舞踊や音楽が付き物です。現存する諸宗教は、原始の原型を変形してある種の形態に作り上げらています。そして、ある意味では、それらの芸術の顕在化がなければ、宗教も多くの人々に影響をもたらし、また大きな広がりを持てなかったのではないかとさえ思われるのです。むしろ、『宗教』は芸術より上位ではなくそれらの芸術の放出の最中に、まさにその中に『宗教=崇高なもの』を人々は感じ取ったように理解せざる負えません。このテーマに関連して、ひとつご指摘したいのは、近代音楽の未曾有の進歩を遂げたのは、Johann Sebastien Bach(1685~1750)の登場に大いに負うところがあります。彼の音楽の原点は宗教音楽であり、宗教と芸術との深い関連性が浮かび上がってくるのです。偉大な哲学者であるアラン曰く:あらゆる音楽は、音楽がほしかつもたらす純粋さ、注意、服従、沈潜、平静によって宗教的である。宗教音楽はすべての人を傾聴させる。音楽的な魂は、審判の前ではきわめて些細なものにすぎぬもろもろ惨劇を超越して魂を高める。(第6章へ続く)

Die Fortsetzung
そして、私は、宗教と芸術(音楽)とに間に関連性を感じるのが、教会とパイプ=オルガンの並存なのです。ここで芸術の一形態の音楽に焦点を絞って話を進めようと思います。音楽でも一般に知らせれいているジャンルとは違うまさにマージナルな(辺境的・社会の範疇にはない)もの、すなわちロム(rom)音楽を考えてみたいと思います。たぶん多くの方は、『それは何ですか?』と質問すると思いますので少しロムから説明しますと、一般に定住社会圏を持たない『放浪の民』といわれ昔から世界中を旅した民であります。ドイツ語ではZigeunerといわれているが、彼らの生活は歌い踊り、手相占いをしていました。ここで注目されるのは、かれらは、野や森や川つまり大自然を愛し、自分らを『自然の王』という。以上の理由から彼らが歴史上登場することは皆無に近く彼らにつての資料を入手するのは大変難しいのです。現在では、彼らの系統をひくスペインでのGitano(ヒターノ)に見ることができます。特にかれらは、音楽分野で才能を発揮して『フラメンコ音楽』を紹介してきました。少し、フラメンコのついて説明しますと(私自身もフラメンコギターを勉強していましたが)、スペイン南部アンダルシアのヒターノの間で19世紀半ばに生まれました。これに、フェニキア人、アラビア人、ユダヤ人の芸能とミックスされたものといわれでいます。カンテ(歌)、バイレ(踊り)、ギターラ、サパテアード(足拍子),パルマーダ(手拍子)、12拍のリズムによって構成されています。フラメンコのリズムは、十数種類があり:神秘的なソレア・陽気なアレグリーアス・ブレリア・タンゴス・ティエントス・不思議な感じのシギリージャス・ファンダンゴス・マラゲーニア・ベルディアレス・グラナイーナス・タラントs・タンゴ=デ=マラガ・ファルーカ・ガロティン・ペテネーラス・セビジャーナ・グァヒーラス・ルンバスなどがあります。ここで忘れてはならないことは、フラメンコの仲間の間では、「Duende」の存在を信じています。それは、霊であり妖怪でありその力によって舞台が展開しているといわれています。フラメンコの話が長すぎたので話をその流浪の民へ話を戻すと、この章でのもうひとつのテーマである宗教に関連した疑問として、『彼らには、宗教があるのか』ということを考えてみたいと思います。、キリスト教徒に言わせれば、宗教に縁のない民であると。私は、むしろある枠に囚われない教義を持たない、ある種の自然崇拝(アニミズム)であると思われます。別の章で述べましたケルト民族やゲルマン民族との共通点が感じられます。共通点の考察を試みてみたいのでが、別の機会に譲るとして、とにかく、流浪の民は森の精や川の精・太陽・星・この宇宙全体を信仰しています。ここで、この民の迫害の歴史を紹介したいと思います。彼らのヨーロッパでの出現は、15世紀の始めといわれています。何故15世紀からの登場かといえば、中世の終焉の時期で、都市の発展・貨幣経済の活発化・商業の発展の地域的広がり・利潤の追求等が見られ物的なのみならず人的な交流も活発化したのです。そのような状況で、彼らがヨーロッパと接することが可能であったと私は思うのです。残念ながら、gadscho(軽蔑的な意味を込めたヨーロッパ人への呼び名)社会では、乞食・最下層民として位置づけれ、それはまさにユダヤ人と同じでありました。彼ら流浪の民は、歴史上には載ることがなくその意味でヨダヤ人より悲しい存在でした。最近の例としては、ナチスの迫害があります。ユダヤ人迫害としては、よく知られていますが、その蔭に(彼らの居場所)彼らがいました。

Die Fortsetzung
ある統計資料によれば、ナチによる迫害の期間13年間の間に第二次世界大戦前は全ヨーロッパの流浪の民の人口は、大体百万~百五十万人と推定されていましたがそのうち約40万人が殺され、しかもそのほとんどが非戦闘員でありました。彼らの存在そのものは、歴史のページに載ることがなかったのです。彼らの迫害の歴史の中から生まれたフラメンコ音楽カンテの中のカルセレーラ(牢獄の歌)ノ:寝ござの上に腰を下ろし/頭起こして呆然と/思い出すのは我が母、我が子/今も元気でいるだろうか?
多分彼らは、人間界を超越した存在であり、大自然の中に生きいていたのであり、現在でも生存しています。多くの人は、生活のため定住生活をして生計を立てているのが現在であるが、本質的な面では彼らは『自然界に漂流する民』であるにちがいないのです。自然と同じ過去を振り返らず未来を心配することより現在の自然の流れと同じ現在を見つめていると私は、勝手に思い巡らすのです。そのような私の仮定に立てば、フラメンコ音楽のリズムのひとつである「アレグリーアス」の現在肯定的な,刹那的な享楽を表現した形式があるのが納得できるのです。また第6章で言及しました「Duende」の存在も何か自然界の霊的なものではないのかと思われます。ここで『放浪の民とはないか?』と私が言っている人は、実際の固有名詞で言うと誰かといえば、私が故意に今まではっきりと説明しなかった理由は、この文章を読んでくださった皆様が、その固有名詞を先に知ってほしくなかったからなのです。たぶんある種の偏見を持って彼らを見ることは、正しく彼らをご理解いただけないと思ったからなのです。彼らは、通常『ジプシー』といわれています。皆様の中に『あれか。観光でヨーロッパに行くとき、ジプシーに注意するようにといわれたあの連中か。あの泥棒・乞食か。』と思われる方がいるかもしれないという危惧から私は、あえて今まで明らかにしてこなかったのです。確かに物乞いの人や泥棒といわれる人もいますが多くの人は、何がしかの仕事をしながら生活をしている人々です。以上の彼ら『放浪の民』の考え方・歴史の私の拙い説明によって、多少彼らに対する見方が変わったならば私は望外の喜びであります。自然を畏敬し崇めるアニミズムの人々は、別の章で述べましたケルトの民にも見出せます。ケルトの民は、古代ヨーロッパで活躍した印欧語族の一派です。紀元前3000年ごろ北方文化圏を形成し前2000年ごろから移動をはじめしだい全ヨーロッパを支配してゆきました。但し前1世紀ごろローマ帝国に敗れてしまいます。社会の基盤は、農耕・牧畜が主でありました。彼らには、自然の中に神々がいると信じ例えば:全能の神(豊穣)・太陽の化身ルフ(技芸の神)・マトロナ(地母神)・ケルヌンノス(森の神)・マナ=ナーン(海の神)を信じ、また『輪廻信仰』を持っていました。仏教に似ているようですが、根本的な違いはケルトでは、死は怖いものではなくまたこの世に生まれ変われるという考え方で、他方仏教では、死ぬとまたこの苦難の現在に戻ってきて永遠に苦しみが繰り返されるとの考えでその輪廻から解脱するには、修行・勤行をして悟り・涅槃の境地に達すれば救われると。つまり、私見として、ケルトは、現実肯定的てあり、仏教は、現実否定的に思われます。ところで、ケルトは、古代では、文字に記録を書くのは禁じられていましたので、彼らの記録はありませんが、キリスト教の支配後においても芸術的評価の高い『ケズル書』や『ダウロ書』が現存しています。現在では、アイルランド・スコットランドは、かってのケルト圏であり、

Die Fortsetzung
私自身も以前両地域へ訪れたとき、ケルトの自然を畏敬する気持ちが時間・空間を超えてほんのわずかですが理解できた気がしました。世界でもう一度訪れてみたい場所と聞かれたならば、私は躊躇することなく両地域、特にスコットランドと答えます。大自然の懐に抱かれたハイランド地方、そこにあるネス湖、その湖の周辺のなんと美しく神秘てあったことか!この湖畔にたたづむ修道院。湖全体を包む緑の絨毯のような森。周りの山々のなんと神々しく神聖な感じのすることか!ネス湖は、怪獣伝説で有名なところです。湖の水面は,言葉では形容できないほど神秘な雰囲気をたたえ、なんとなく怪獣伝説が生まれた理由がわかるような気がしました。参考までに、その湖のことは、『Loch Ness』といわれていて、意味は、『ネスの穴』。ここにきて始めてケルト人が何ゆえ『自然』を崇拝したのかの訳がわかりました。アニミズムは、別に外国だけではなく日本でも神道は、まさに自然崇拝から生まれました。現在でも、日本の各地の神社には、必ずといっていいほど神社を囲むように必ず森があります。また、本来の神社の建物にも神の姿があるのではなく三宝があるだけで天空が神そのもの存在であります。また、日本では大木が神木とみなされ、高い山々が神が宿る霊山として崇めらえています。旅をしながら、自然を深く愛した多くの旅人。日本では、一遍上人・空也・松尾芭蕉、近代では、放浪の詩人と謳われた種田山頭火・高群逸枝ーー。彼らは、それぞれに明確な目的を持っていましたが、自然の懐に分け入り彼らは芸術性の高いいろいろの作品を遺しています。ここで放浪の詩人である種田山頭火の作品をひとつ取り上げてみたいと思います。『雑草風景』 =ある日は人のこひしさも木の芽草の芽/人声のちかづいてくる木の芽あかるく/伸びるより咲いてゐる/葦のそよげば何となくひとを待つ/ひとりたがやせばうたふなり/花ぐもりの窓から煙突一本/ひっそり咲いて散ります/枇杷が枯れて枇杷が生えれひとりぐらし/照れば鳴いて曇れば山羊がいつぴき/空へ若竹のなやみなし/身のまはりは葦だらけみんな咲いてる/ころり寝ころべば青空/何を求める風の中ゆく/葦を咲かせてそしててふちよをあそばせてーーー。話が、アニミズムに偏ってしまいましが『宗教(自然崇拝の信仰)による芸術の創造への流れ』を痛感するのです。別の章で述べたように『芸術の本来の姿が自然美』であると。ジプシーたちの音楽に偏見を持たずに耳を傾けてください。ケルトの音楽を聴いてください。そして、日本画の巨匠:横山大観の絵画の中に『自然の美』を見つけ出してください。たぶん、皆様の中には、キリスト教を取り上げないのかと不思議に思われたと思いますが、残念ながら私は、その宗教の中に「自然崇拝」の考え方、作品が見当たらないのです。この宗教は、人間中心で自然も人間の手の中にある考えで中世の絵にはその世界が描かれています。本来、その宗教は砂漠から生まれたものであり、ローマ帝国時代にヨーロッパに入ったものです。勿論、自然謳歌の観点からではなく、一つの宗教芸術作品としてみた場合、歴史上すばらしいものが創造されています。教会建造物としてのイタリアのバチカン市国のサンピエトロ大聖堂、アッシジ、ロレット、パドヴァ、イベリア半島のサンディアゴ=デ=コンポステラ、フランスの聖マルタン=デュ=カニグー修道院、ルルドやリジュ、中世末期最大の巡礼地のサン=ミシェル=ド=モントンブのモン=サン=ミシェル、ベルギーのモンテギュ、ルクセンブルグのエヘテルナハなどがあり、彫刻では、聖母と東方三賢王(象牙浮彫)、(第9章へ)

Die Fortsetzung
フランスのコンクにある聖ソフィア教会の壁面「最後の審判」、シャルトルの教会の「訪問のマリアとエリザベート」、ドイツのシュトラスブルグにある「預言者」その他。以上のようにすばらしき作品は数多くあります。私自身、自分の専門分野でありますが。確かに、宗教の芸術に果たした役割は、測り知れないものがあります。次の2人の巨人の名言を紹介しましょう。トルストイ曰く:宗教的な芸術は、人々の心の中に、仮にあるものとして、兄弟のような心情や愛の心持を起こさせて、実際でも同じような場合に同じような心持になるような癖をつけて、芸術で育てられた人々の生活の仕方が自然にその上を走るようなレールを人々の心の中につける。また、アラン曰く:あらゆる音楽は、音楽が欲しかつもたらす純粋さ、注意、服従、沈潜、平静によって宗教的である。本来の意味における宗教音楽は、より厳しいもので、外部からの支配ということを一層問題にする。
しかしながら私は、思うに「人間が創造したもの」は、せいぜい数千年の歳月には、ひょっとすると数百年で消滅してしまう運命なのです。自然界にわずかの期間登場した生き物なのです。広い自然界の時間のスパンから見れば、われわれの存在した期間は取るに足らずいつかは、自然界から忘れられます。もし、われわれ人間が、カントの言う「宇宙律」、また私の言葉で言えば「リズム」を意識的であろうと無意識的であろうと、それを撹乱しようとしたとき、自然界の「元の自然の状態」に戻そうという、まさにInvisible Handが働くのは必定です。われわれ人間は、聖書で言うところの「知恵」を授かってしまった結果、自然の状態ではいられなくなり常に新たな部分を何世代にも渡って付け加える衝動に追い立てられてきたのです。「善的なもの」と「悪のもの」との区別がなく、進歩・前進のために脇目も振らずに邁進し区別がつかなくなり、それに気がついたときには、覆水盆に帰らずの喩えどうり後の祭りになってしまうのです。それが人間の歴史では繰り返されたのです。例えば、鉄器に見ることができます。それによって、鋤・鍬の発展をもたらし農耕生産量の飛躍的増大に結びつき、自分らの食べる以外の余剰部分が生じ売買の考えが生まれました。広い意味でのヨーロッパ中世の閉鎖的な社会構造の崩壊であり同時に近世の幕開けの道が開かれたといっても過言ではないと思います。しかし、他方その発明により、「石」や「木」で作られた戦争の武器がそれに取って代わり以前よりより多くの人々を殺戮すること可能にしてしまったのです。人間の進歩への探究心は止むことを知らず、核融合の発明により輝かしい未来が見えてきましたが、同時に人類を破滅へ導くことを可能ならしめたのです。また、われわれは、自分の都合主義の下に自然を破壊し続けましたし、現在も進行しています。ヨーロッパ中世は約1000年といわれていますが、、いろいろの面では窮屈な閉鎖的な拘束された社会でありましたが、その初期に「大自然に対する」尊敬の感情、畏敬、崇拝の気持ちがありました。ヨーロッパの多くの部分は、黒い森に覆われ人間は身を寄せ合ってその森に周囲を囲まれて生活をしていました。そのような状況の中から生まれた感情なのです。山・森・川・動植物・太陽・星々。そこには「自然と人間との共存」の考えがありました。「森の妖精物語」もそのような中から誕生したのです。しかしながら、人間の中心主義の宗教中世を支配していたキリスト教の影響の下に人間の活動範囲を広めるために次々に自然を破壊することを推し進めたのです。人間の欲求のままに自然が蹂躙され続けたのです。

Die Fortsetzung
いくつかの歴史上の事例として取り上げれば、ある文献によれば、人類が文字(楔形文字で書かれた)を使用しバビロニア時代に(紀元前2000~1180年頃)書き残した最古の物語「ギルガメシュ叙事詩」によると、物語の主人公ギルガメシュ王(実在の王)は、自分の都市建設のために土器を焼く燃料のために木(材木)が必要であった。「あの森に行くと祟りがある」という人々の警告を無視してレバノンスギの森を伐採し、なおかつ半身半獣森の神・フンババを殺してしまったんです。王は、「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」と高らかに歌い上げました。青銅の手斧という文明の武器の前にフンババは敗れました。この作者は、森を破壊した後には砂漠化が引き起こされることを知っていたことが推測されます。4000年いい情も前から、メソポタミア周辺の森はすべに破壊さていた記録されています。現在では、メソポタミア地域は、広い範囲に砂漠化になり人間が生存できる環境がごく限られてしまったのです。クレタ島のミノア文明を崩壊させた原因は、地中海の小島サントリーニ島の火山噴火と一般に言われたいるが、B.C.1700年ごろ大地震によるクノッソスの宮殿の崩壊の再建のために森の資源を使いました。その結果「森の破壊」は土壌の劣化をもたらし、何も作物が育たない土壌になり、ミノア文明の滅亡の最大の原因になりました。現在のクノッソス周辺の山々は、ハゲ山ばかりだそうです。また、ミケーネ文明を同じような様相を呈しました。人間は、生がある限り、自然を破壊し続けなければならないのか?そういう性(サガ)なのかといつも私は思うのです。ミノア文明やミケーネ文明は地域的の局限されたものであるが、現在では、地球的規模で進んでいます。また、現在では、科学・技術の進歩により、遺伝子操作・動植物に対する人工的な操作・生命たのレプリカの創造が行われていて、入ってはいけない領域まで踏み込んでしまったのです。人間が、このままの状態で未来へ邁進すれば、自然のリズムの報復がおこり、前章で言及しましたように、元の状態へ戻そうとする力が働くことをい危惧しています。そして、ものへ戻すことが不可能と判断した場合、「リズムは自ら人間を含めてすべての存在を一緒に消滅させようとする作用が働くのではないかと懸念して止まないのです」。われわれ人間は、至上主義・傲慢さを捨て、もう一度冷静に・真剣に「大宇宙」を見つめてください。私は、よく大空や夜の星を見ながら想像世界を描きます。ちょっと、首を天空へ向けてみてください。
では、結論として、『そのような状況で芸術には何ができるのか?』自問します。芸術が、われわれ人間を覚醒させるには、『自然』に対する芸術による表現・顕在化を描写し続けることなのです。
宗教家であるが、芸術の面でも大きな影響を与え続ける:道元、空海、アッシジの聖フランチェスコ、また俳人:松尾芭蕉、『日本風景論』の著者:志賀しげたか、天才ピカソその他の偉人から、また現存の世界の有形・無形遺産から、きっと多くの指針を学ぶことができると思います。それぞれの芸術家が、社会的、否、人類の命運を担っている気概をもって艱難辛苦の道を邁進することを期待いたします。私の好きなラテン語の名言:Gutta cavat lapidem non vi sed saepe cadendo.
日本の『古事記』曰く:草や木がそれぞれに言葉をしゃべり、国土のそこここで岩や、石や、木や、草の葉がたがいに語りあい、夜は鬼火のようなあやしい火が燃え、昼は群がる昆虫の羽音のように、いたるところでにぎやかな

Monday, 09 January 2017

光彩論とは何か。

 

 

*更新中(執筆を続ける)

 

 

Chaos is infinit.

 Dixitque Deus: "Fiat lux!" Et facta est
lux.

神が「光ありき」と言ったら、そこに光ありき。(神は、宇宙全体と言い換えてもいいのではないか。)

現在まで、地球のような生命の存在する惑星は、天体の専門家の間では存在してないといわれている。確かに数多くの太陽系が他にも無数あるが、我々の太陽系の世界のようなものが存在しているか疑問である。では何故に我々のような太陽系を創造したのであろうか。尚且つ神はなぜ地球のような生命の存在する惑星を作ったのであろうか。太陽系の他の惑星、例えば地球に構造的に類似しているが生命の痕跡が見当たらない火星があり、または土星のような霧状で包まれている惑星等があるのみである。

では、どのような根拠で神は「光」を地球上に与えたのであろうか。暗闇でもよかったのでないか。何故に神は地球の表面の生き物に光を与えて、光の届かない深海の生命とは区別したのであろうか。見よ!深海の生命は、光の届かない場所でも生きているのである。もちろん目は日常では必要ではないので退化している。むしろ、神の意向であえて光を与えなったのでそれらの深海の生き物には目が退化したのである。いずれにしても、神は、この世界にすべての生き物を誕生させたのである。キリスト教の聖書の創世記にもそのように明記されている。

つきましては、光を与えられた生命体は、細胞の活性化を促し生きていることを自分で認識するのである。また、生命体の中で視覚を与えられた生命体は、自分の存在や周りの存在が認識されることが可能となったのである。もし、動植物界に太陽からの光がなかったとしたら、短命に終わったであろう。そして、光によって生命のある生き物、特に人間界にとって喜び・悲しみ・怒りとかの感情が沸くように仕向けることが可能となった。宇宙へロケットを飛ばすまでの人間の知力を作り上げるまでに可能としたのである。また、皮肉にも核爆弾を作り上げて、神の芸術品である地球をも破壊できるレベルに達したのである。換言すれば、光を認識できない方が、平和であったのでないであろうか。もちろん、深海の生命が平和であるとは誰も確信を持って断言はできないのであるが。あくまでも想像の世界でのことである。また、人間が光を確認できる眼球を作ったことによって争いが起こったのかもしれない。人間が外界を認識できない盲目の場合は、戦争も起こらなかったであろうし、静寂の世界が存在したのであろうと想像すのである。また、目が見えなければ、殺傷力のある兵器などの想像されなったのである。???

次に、仮説であるが、神は「外界の光」と「内界の光」を創造したのかもしれない。

生存的な観点からは、一般に太陽の光がなければ、地球上のすべての生命が死んでしまうと言われているが、なにゆえ、光の届かない深海でもある種の動植物は生きているのであろうか。わずかな光が深海にも届いているのであろう。もしかすると、天界の神とは違っていわゆるギリシャ神話に登場するポセイドンの海の神が存在しているのかもしれない。しかしながら、それも想像の彼方である。

いずれにしても、地球上の生き物は太陽の光で生命が生かされているのである。そして、存在している。但し、光のみで生命が存在しているのではない。水がなければ生きることができない。最近大きな発見をしたことは、灰皿の中にわずかな水を入れてたばこの灰を入れて数日たつと小さな生き物が生存しているのを見つけた。たばこは有害なので生物は発生しないと信じていたがその仮説を覆したのである。つまり、どんな有害な環境の中でも水がある限り生命は誕生するのである。

つまり、太陽の光の温度と水があれば、生命はどのような姿であれ生まれてくるのである。

そのような組成で人間という生命像が生まれたのであろう。ただ生命像が造られたのみでは、「外界の表現形式」は生成されるが「内面の表現形式」は作られない。

人間と人間以外の動植物の大きな違いは、脳と言う神秘の臓器があるものを作り上げるかどうかの違いによる。

外界の影響で内面に影響を与え、諸形式の表現が可能になる「芸術」は、まさに他の動植物ではなしえない人間の特有の才能である。

確かに、人間以外の自然界の形成物は、自然の美と言われる造形物を作り上げるのであるが、それらはすべて自分の意思の発露ではなく、自然の摂理(リズム)に従ってのことである。

結局は、人間は自分の意志に従って作り上げるのである。ある意味では「光」と「内面の光」が呼応して芸術の領域が生まれたと言える。換言すれば、「人間の内面の表現する鏡」が存在しなければ、「芸術」も生まれないのである。

では、光のないところでは、「芸術」は生まれないのであろうか。

 

 

 

人間界でも盲目の人は、光を視界では見ることができないがどうして多くの盲目の人は、人間の歴史の中で数多くの芸術と言われる領域の偉業を成し遂げることができたのであろうか。それの答えは、心の光で感じとっているのであろう。画家の世界では、盲目は致命的であり、また実際ごく少数である。たとえば、エスレフ・アーマガン(63歳)というトルコ在住の画家がいる(1)

 

 

 

確かに、絵画だけを見てみると真っ暗なものは存在しないのである。しかしながら、ダークの絵画も存在するのである。たとえば、オランダ生まれの絵画の巨匠レンブラントは、明(光)だけではなく暗(シャドウ)の重要性を表現している。他にも「暗」を使って表現していた芸儒家は数多く存在する。

 

 

 

音楽の世界に話を移すと真っ暗という表現が的確ではないが、視点を目(視覚)から耳(聴覚)に視点を変えてみると、音の表現を通じて何も音が存在しないことがそれに当たるのではないでしょうか。いずれにしても、音楽の無音の羅列は存在しないのである。つまり、「光」と「音楽」との相関性を述べるのは不可能である。否、ベートーヴェンは、絵を描く画家が「視覚」が創作に必要不可欠と同様に音楽家には、聴覚を失うと致命的である。しかしながら、ベートーヴェンは、1796年頃から聴覚に変調を来しその聴覚を喪失してからはむしろ数多くの音楽作品を書き上げたのである。確かに、彼の喪失による落胆は、想像の域を超えていると思われる。彼は、伝記の中で「私には何も聞こえないとき、彼には牧人の歌が聞こえて、いつも私には何も聞こえないとき、何という恥ずかしさだろう。()私は危うく自分の命を絶とうとした。私を引き止めたのは、藝術だった。」(2)

 

 

 

 

 

 

 

いずれにしても、光が芸術(特に絵画の世界)を組成したと言っても過言ではないのである。

 

 

 

多くの芸術家は、光を通じて芸術作品にいろいろな色彩を添え来たのである。只、「光」と一言でいえるものではなく、光には「人工の光」と「自然の光」が存在するのである。それらの相違は、芸術の解釈に相違を与えるのである。つまり、前者のそれは、人間が創作したものであり、いくらでも変形のものが作られ、また多様な芸術の解釈が可能であり、何か浅薄感を与え、他方、後者のそれは人間の入り込めない領域であり絶対的な一つの解釈が存在するのみである。前者の事例として、取り上げたいのが協会内部のステンドグラスの絵である。あれはまさしく、「真実の自然の光」と「人間が描いた絵」との調和を作り上げたと言えるのではないか。つまり、人間の感性のフィルターを通じては多様な解釈が成り立つというかもしれない。しかしながら、主観的な観点からは、芸術の解釈は一つなのである。ここで、また新たな課題が浮き彫りにされたのである。つまり、芸術の主観的な解釈と他者による客観的のそれとの違いは何なのか。

 

 

 

人工的な芸術と自然のそれとは、別に乖離するものではなく自分が良しとすればそれでいいのではないのか。つまり、その作品に対して主観的・客観的解釈が必要でないのである。概して人間は、欲の動物と言われる。

 

 

 

また、人間、特に何かで表現しようとする芸術家は、自然界の春分、秋分、夏至、冬至の各時期に太陽が短く又は長く当たる地球によって、絵画や音楽の表現に影響を与えたと言える。例えば、春分では明るく元気な表現をするし、秋分では、明るい感じから多少くらい印象を持ち、そのような中で藝術が活躍するのである。つまり、季節の変動がなければそれが生まれなかったのである。

 

 

 

また、すべての地球上の動植物、広く言えば自然界に影響を与え続けた中で芸術が生まれたと言っても過言でないのである。たとえば、絵画一つを例に挙がれば、レンブラントの絵は、明暗を操りながら筆を走らせたのである。

 

 

 

 

 

 

 

いわゆる音楽以外の芸術家は、光の屈折によって色分けや角度を考えて描くのである。つまり、それぞれの人間の鏡の感受性のフィルターを通して絵を描き、石や木に彫刻をし、泥で焼き物を作り、その他音楽以外の芸術作品を生み出しのである。

 

 

 

しかしながら、私には一つの疑問が沸いてくるのである。光によって音楽さ絵も光の恩恵を受けてるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

教会建築には、何故に光を必要としたのか?

 

 

 

 

 

 

 

(続く)

 

 

 

(注釈)

 

 

 

(1)その形、色も見た通りそのままでは?
と思えるくらいスゴい絵を描き上げるわけだが、これは彼の持つ、人知を超えた触覚と数多くの経験に基づく色彩イメージがなせる技だと考えずにはいられない。小さい頃からこの天才的な絵画能力があったかといえば、それは否で、彼が画家になりたいがために35年間も努力してきたことがその証拠でもある。しかしながら、その35年の間に彼は、画家になりたいという熱い想いを胸に、自分が触った物体の感触と、その物の形と色彩を結びつける訓練を積んでいたのではないかと思う。一般的な絵の描き方を習得するのはもちろんのことだろうが、目が見えない彼にとって写実的な絵を描くとは、物体の感触から、その具体的なイメージを、より広く認識されている状態に近づけることだったのではないだろうか。小さいころから物の感触をもとに絵を描いては、人に見せ、実際の見た目との違いを教えてもらっていたのかもしれないし、はたまた別な方法で自分のイメージと現実との差異を埋めていったのかもしれない。そして、目の代わりとなる触覚についても、ミクロン単位の微妙な差異を感じ取れるほどの発達を遂げたのだと思う。目が見えなくとも見えるということ、しかしこうして現実のイメージに自分の脳内イメージを近づけていくことで、目が見えずとも、彼の視覚は確保されるのである。絵が完成した瞬間に彼の見ている景色は開け、その景色は、私たちが見ている現実よりも一層美麗で鮮やかなのかもしれない。そう考えると、彼の見ている世界は、どんなものなのだろう、と目が見えている私たちの方が彼の見ている景色を気にするのである。

 

 

 

※彼が描いた作品は、こちらにまとめられています※

 

 

 

 http://matome.naver.jp/odai/2140478463942380301

 

 

 

http://wadainotansu.com/wp/2195.html#i

 

 

 

 

 

 

 

(2)「ベートーヴェン」(p38)長谷川千秋著、岩波新書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Tuesday, 11 June 2013

日本の国会図書館への書蔵研究論文「我が芸術論:本論(Part-1)演劇論」-2013年度高崎商科大学「紀要」論文採用決定稿

                       「我が芸術論:本論(Part-1)演劇論」

 Culture is the mirror to project each time in the variety of culture forms. The drama expresses “Performance” in the variety of the works of both the stage and TV or cinemas through the Contemporary cultural filter. That is, the old works can be reborn as the new ones owning to the contemporary cultural breath. The newly ‘culture creation’ can be produced through such a process. The attribute of the culture in itself is seeking for ‘the true reason’ and is demanding ‘transformation’ beyond the times. The contemporary societies give birth to ‘the culturein other words. Paradoxically, the culture sets up the society and produces the history.
 We can’t help but recognize the unfathomable culture power.
 Therefore, the real drama posture is the culture movement; it influences on not only physical side but mental one of the audience to change the new notions
from their own present philosophical, ideological and literary inclination.
 The drama last aim is to transform the audience into new human after seeing the drama.
 The drama has the great potentiality and, therefore, continues to exist forever.
[
キーワード:想像力、幽玄、沈黙、不動心、無心(無邪気)]

(序文)
 
『風姿花伝』曰く:花と申すも、去年(こぞ)咲きし種なり。能も、もと見し風体なれども、物数を極めぬれば、その数を尽くす程久しし。久しくて見れば、また珍しきなり』。(注1)
文化は、いろいろな形でそれぞれの時代を映す鏡である。文化の中の一部分である演劇について言及すると、演劇は『演ずる』という手段を持って現代という時代の文化フィルターを通じていろいろな作品を舞台や各種映像で表現することである。例えば、過去の作品でも現在の文化の呼吸を吹き込むことによって過去の作品としてとどまるのではなく、まったく新しい姿として生まれ変わる。そのようなプロセスを通じて新たな「文化創造」につながる。文化というものは、どんな時代でも、『真実又は真理の姿』を求め、『常に変貌』を要求するものなのである。別な見方をすれば、その時々の社会が「文化」を産み落としたのであるが、逆説的な言い方では、『文化』がその社会を構築し、歴史を作り上げたともいえると思われる。そこに、『文化』の測り知れないパワーを痛感する。また、真の演劇の姿は、自らの持つ哲学的思想的文学的の諸要素の性向を新しい演技性に置き換えて、観客に肉体的・精神的に影響を与える「文化運動」と言えるのである。それぞれの作品を鑑賞することによって観客を変貌させることこそ、演劇の究極の目的であり、またそれゆえに変えうるだけの演劇という世界が計り知れない力を持っているし、また力強いパワーを持ち続けなければならないと思うのである。

(第1章)                                                            本論では、『俳優とは何ぞや?』の問題から考えたいのである。本論では千田是也の
『演劇入門』(注2)の本を中心に論を進める。先達者曰く、『俳優の仕事は、台本には、音色・高低・強弱・速度・休止などーについての指定はほとんどない。せりふやト書から、自分の役の性格、他の役との関係、その内的・外的行動の「途切れぬ線」、脚本全体の意図(「超課題」)、その中での自分の位置や役割を読み取り、それを自分の体験や知識や想像力で補って、生き生きとした役のイメージを作り上げ、形にあらわすことです。』(注2)と名言を残している。この論では俳優の技術な面が強調されているきらいがあるので、本来のもっと重要で深遠である『体験と想像力について』特に言及したいと思うのである。演出家や監督がよく『役者はいろいろな体験をしなければ、その役柄に迫れない』とよく言われるが、役者がすべての時間的・空間的次元を網羅してあらゆる職業の経験を要求されるならば、誰も役者の資格がないと謂わなければならない。
 人間の寿命は平均して70~80歳ぐらいであり(最近の調査では、人間が病気や交通事故に遭わなければ120歳までは生存すると言われている)、また時間的・空間的に限られた現在という世界で生きている。自分が『現在の次元』で体験したもので演技するしかないのである。現在というフィルターを通じて自分なりの演技を遂行しなければならない限界がある。但し、限られた『体験』を只演技に投入すればそれでよいという単純なものではない。日本の代表的な演出家である水品春樹氏が謂っているように『それ(体験)を生かし作品の創造性を助けるのが想像である』
(注3)。同氏によると、体験は、ただ自分の実体験だけではなく、読書や見聞の経験も含まれている。同氏は想像について言葉を続けます『芸術表現に大切な想像やイメージを作り出すその源は、表現者の体験・心的経験による知識上感覚上の記憶力であり、この働きが強いほどそれによりイメージがより浮かび(正確な演技想像への足がかり)が得られる、また体験・知識を蓄積することによって(感受性)が磨かれる(注3)明言している。
 私は、純粋無垢な子供たちからよく教えられる。つまり、子供たちの遊戯の中に何か演技の原点の一端を感じるのである。例えば、そこに大きな石があれば、それは子供たちの魔法によって台所の食卓テーブルに変身し、汚く薄暗い路地は、魔物が住みつく洞穴に、雑草は、魔法の絨毯に変わる。子供が、空に向かって人差し指を指示せば、空には星の存在を感じ、また、雨上がりの地面の窪みに水たまりがあれば、子供たちによって池ないし大海に変貌する。つまり、彼らの脳裏に描かれたものは、わずかな経験(テレビで見たもの、絵で見たもの、実際に見たもの)であるが、自分らの感受性のフィルターを通じて表現されたものである。子供の感受性は、成人に比べてはるかに深く繊細なものである。また、
感受性に影響を与える心像(記憶力)も大人に比べて優れているのである。
 そして、舞台の背景や道具が、子供たちの想像のイメージによって創り出され、その舞台で自分らの役割が決まり演技が展開される。確かにその演技は、稚拙で、演技にとって大切な要素である第三者である観客から見ればその子供の表現していることは全く伝わってこない、つまり観客の脳の中でイメージが沸き起こってこないのである。言い換えれば、鑑賞する人を意識した演技ではない。しかしながら、子供たちの小さな子どもの周辺の風景を目にしたものが彼らの脳裏で「想像の世界」が開花する点は、演ずるという点では大いに学ぶことがあろうと思われる。
 その点については、偉大な芸術家であるK.スタニスラフスキーも明言している:『一ダースの子供たちをここへ連れて来てみたまえ―そして私が、これは君たちの新しいお家だと言ったとしよう。君たちは彼らの想像力にびっくりするだろう。一度遊戯の中へ入りこんだら、彼らは決してやめるなんてことはしない。君たちも子供みたいにならなければいけないのだ!』(注4)
 私自身も日ごろ稽古場で『想像の世界の開発』のための仕方を実践していることを幾つか紹介したいと思う。
 それを述べる前に、第一日目の稽古場でまず感じることは、受講生自身の持参した身の周りのカバンや稽古着に着替えた時の衣類等が散乱していることが散見され、彼らが全くそれに気がつかず、ただ稽古をする自分しか見えないことである。稽古場の空気というかその全体を見る眼力が欠如しているように思われる。そして、緊張・配慮が彼らの心にはないようで、稽古をする姿勢が見受けられない。
私がそれを指摘すると、彼らは初めてその点に気づく次第である。自分のいる場所と全体の雰囲気を即座に把握することが役者の本来の姿勢なのである。舞台では、舞台道具(背景を含む)全体の中での自分の存在を調和させることが必要なのである。自分以外の存在の把握を感じないで演技をするだけでは、まったく愚行であり素人の演技である。まさに、一人演技であり滑稽そのものである。一人芝居とは、全くかけ離れたものである。一人芝居は、その舞台と一体になった時の本当の演技である。それゆえに受講生にはそれを理解していただきたいので、厳しく叱責するのである。
 次に、本来の演技の想像力開発の事例として、私が、その稽古場で特に力説したいことは、役者は、身体の各パーツの動作表現の「総合芸術」あり、つまり体全体で表現することである。
受講生には、演技の基本的練習、つまり早口言葉、パントマイム、朗読等の演技の基本訓練は極力させないようにしている。そのような訓練は、ほとんどの劇団養成所で実行していることであり、稽古場ですることの意味がないのである。むしろ、私の考えでは、それらの練習は自分でできることなのである。
 
私が、常日頃、役者志望の受講生に以下の各項目の訓練を稽古場で実践するよう努めてさせている。全体の稽古を通じての留意点は、『想像力を全身で発揮する認識』、『自分の行動範囲の限界点の認識』。つまり、自分のメンタル面での行動範囲を肉体で認識すること。それを逸脱した時、いわゆる『臭い演技』に陥ってしまうのである。
(1)集中力の訓練:一点集中訓練
(事例1)棚から大きく大変重量のある荷物を床に下ろす練習
 *ポイント:この時には、稽古場には実際には「棚」も「荷物」にないのに、他の受講生(観客)の面前で役者は「想像の力」を借りて目の前で存在しているかのように体全体で表現しなければなりません。それらふたつの対象物に最大の集中することが要求される練習。また、観客である参加者を意識しながらの集中力を高める訓練にもなる。それは、舞台で精神的に緊張しないようにする効果があると同時に本来の役に適合した自然の動きができる効用がある。但し、この稽古で忘れてはならないのは、全てを自己集中しすぎてぎこちない動きならないよう自分でコントロールする配慮が必要である。
(事例2)コーヒーを飲む練習
ステップ:茶碗を見る→茶碗の取っ手に指をかける→茶碗の中を見る→飲みの物の温度を感じ取る→茶碗を唇に触れるときの感じは?→茶碗を口に向けてゆっくりと傾ける→飲み物を飲んだ時の反応→飲み物を飲んだあと
 *ポイント:この物体感覚の稽古を通じて、心身のコントロールの方法と意識の行動範囲の限界点の認識を習得することができる。
(2)キャラクターのための練習:いろいろな性格づくり(例:詩人・医者・変質者・ホームレス・大学教授・音楽家等)
 この訓練には、「状況の設定」を準備することである。
よく使う状況場面は、「いろいろなキャラクターを持った人物が登場して、公園のベンチに座り、しばらくして(間)立ちあがり去る」ことである。
 *ポイント:この稽古の目的は、各人物のキャラクターのイメージを浮かべて、内面からそのイメージを作り上げて、それを行動表現に結びつけること。この訓練は、自分の今まで見聞した経験を脳裏で浮かべてそれを具現化し表出しなければばらない。つまり、それをするには普段から自分の周りの人物観察が絶対的に必要であり、その時に観察したことをいわゆる『観察ノート』に書き留めておくことである。なぜならば、人間の記憶はいい加減なものであり、すぐに忘却の彼方へ行ってしまうからある。
 『観察ノート』の重要性を強調するために少し詳細に述べますと、水品春樹の名著である『演技入門』では、
『ただノートブックに何かを記すことだけが終局の目的ではなく、選びだした対象に対して思ったこと感じたことを自分の心や身体にしっかり刻みつけ、記憶として残しておくために行われるものです。(中略)新しい知識や新しい体験によって、記憶しておいてよいものを積み重ねて行く。(中略)観察はまず興味から始まるものです。(中略)そこに何かを発見し、心を動かし、それについて深く理解し正しく判断したうえ、取るべきものを取り、捨てるべきものを捨てて記すようにするのがよいのです。(注3)と深い洞察の記述がある。つまり、時と場所によって使い分けができるいろいろな『箱』を持つことである。
 また、役者を目指すには「いろいろな自己体験」をするのも想像力の開発には必要な訓練である。つまり、どこまでその人物を想像の世界で作り上げられるかということである。
(3)顔の表現訓練
(例:顔面神経・顔面筋肉・眼・瞼・まつ毛・眉毛・口・唇・歯・舌・鼻)
 体の一部分であり、最も表現力が顕在化する「顔の部分」の表情作りの練習(内的な感情と自分で作り上げる世界の表出との連結の練習)。
ポイント:心の中の様子は、顔の表情に表れると言われているので、内的な感情を想像の世界で作り、それを表出するまでのプロセスに重点を置いている。つまり、表出完了ではなく、その完了に至るまでの過程を確認することである。その術(すべ)を習得するとすぐに変貌することができるのである。
(4)不可能表現訓練(イマジネーション訓練)
 一流の役者は、何も道具がなくても、また舞台の背景がなくとも自分の手・各指や足の動きで「風」「川」「山」等を作り出し、観客にそれらが舞台にあるように作り出すことができるのである。その訓練として「石」「山」「蛇」等の素材を使って、受講生のイメージを膨らませて表現。
ポイント:自分の想像力の挑戦、想像力の最大の具現化の可能性を目指す。
(5)仮想対象に対する一人芝居(気持ちを動作の融合)
 この稽古では、気持ちと動作とが、自然にバランスよく同時に表出できるようにする。
使用道具は、椅子1台とテーブル1台のみ使用。
(事例1)知り合いのところへ電話をする。番号違いで相手から突っけんどんにされ、不愉快になり電話を置く。
 *ポイントは、気持ちと動作が融合されているか?
(事例2)朝の食事。2つのパターンを使い分ける。
(パターン1)椅子に腰かけテーブルに向い洋食をナイフ・フォーク等を使って食べる。
(パターン2)        〃     和食を箸・お茶碗等を使って食べる。
 *ポイント:2つのパターンを使い分けして、演技ができるか?それぞれの気持ちと動作の切り替えの可能を目指す。
(6)無対象動作の練習:仮想相手がわかる動作表現の試み(台本なし)
冒頭の千田是也の言葉「他の役との関係」の具体的な事例。
(事例1)歩いているところを後ろから肩をたたかれ振り向いてびっくりする。
 ポイント:びっくりする表現ができるか?突然の外的な要因に対して気持ちの切り替えの可能性を目指す。
(事例2)出発して行く汽車の窓の恋人を見送る。
 ポイント:悲しみが表現できるか?
(7)しぐさの実習
(
事例1) *自分のポケットにていれているときの手の動作とその時の当人の心の感情の動き。
 以上の練習は、パントマイムとは根本的に違う。つまり、芸術を追求する役者は、『模倣の超現実主義的な試み』のパントマイムではなく、人生経験の蓄積や自分自身の情念を源泉としなければならない。
 それに関連して、私が日頃危惧していることは、多くの役者は、その登場人物に少しでもなりきろうと、先ほどから論述している自分の経験・体験に加えてその人物に関する資料・書籍等を勉強するが、その役者さんの存在は、言い換えれば『個性』はどこにあるのでしょうか?個性の喪失。役者は、演出家や監督のマリオネット(傀儡人形)ではありません。あくまでも『新たな創造性を創り上げる芸術家』である。それぞれの役者の体験・価値観・環境・物事に対する感受性・自分が存在している現在の時点などを通じてその人物になりきるところに個性が生かされ、また同じ人物でもその登場人物の画一的な見方とは違ったものができ、その人物に新たな生命が吹き込まれ観客に感動を呼び起こす。そこに演技の面白さ,変幻自在な姿を発見する。そうでなければ、「役者」があまりにも悲しく、虚無の念に駆られるのである。まさに演劇界、または広く芸術界では天才または狂人として知られているフランスのアルト-は、役者の個性について、むしろ、役者とは何かということについて、「役者は、肉体的な体操選手と同じであるが、感性的器官を備えた感性の体操の選手である。」(注5)と述べている。役者とは、どんな役柄が監督から要求されてもそれに応えられるだけの日ごろからの肉体的鍛練していなければならないが、それと同時に感性を育んでいなければならないと指摘している。それには、自分の目から入ってくる外的な諸現象を感性の領域で享受し、それを分析して自分のものにするだけの度量を備えていなければならないのである。
 私が特に驚愕したのは、彼が『演劇とペスト』の章を設けていることである。ペストと演劇との関連性はあるのか?アルト―曰く「なりより大切なことは、演劇がペストと同じように、一つの狂気であり、それが伝染性だということ。(中略)ベストの同様に、演劇は、あるものと、ないものとの間を、可能性の力と、物理化された自然の中に存在するものとの間を、ふたたび鎖で結び付ける。」。アルト―のペストと演劇との関連性は、どちらも激しいエネルギーを発散し、社会のすべてを変革するほどの激しさの存在であると解釈するのである。演劇が伝染病とはまさに的を得た指摘である。演劇には、何か痕を牽く魔力ような得体のしれない何かが存在するのである。演技者の周りのみならず観客もオブラートのような膜に包まれるのである。つまり、演技者と観客とを別世界に誘うだけの力があるのである。
 また、アルト―は、ペストを悪の根源として忘却の彼方へ葬り去るのではなく、それが文化を開花させたとするパラドックス的な立場からの視点でとらえ、同じ考えを持つ蔵持不三也の名言を紹介する。彼曰く:「ペストは文化を作ってもきた。都市の歴史的なランドマークとしての建造物を出現させ、アイデンティティ・シンボルとしての祝祭を演出し、文学や絵画にたとえば死の確実さと生の虚しさという重要なモチーフを与え、汚水と汚物処理を合理化するための都市化を促した。都市間の情報ネットワークを強化し、検疫と隔離システム、更に公衆衛生とからなる近代の予防医学をも生み出した。(中略)つまり、ペストが想像力をどのようにして刺激し、活性化したか?(中略)自然=獣性の側から人間社会に侵入して文化を破壊しようとする力を、文化創造に力へ転位させる。」つまり、人間の無限のパワーをこの文章から痛感するのである。われわれ人間は、『想像力』を先天的に習得している。(注6)また、演劇もペスト同じく「新たな文化創造」を作り上げるのに一役買っていると断言できるのである。
 では、「個性」とは何かをもう少し掘り下げて考察する。
 水品春樹曰く『演技芸術家となるためには、それの根本土台となる自己の人間性を怠ってはなりません。しかしこれは、その人の教養の程度、環境からの影響、天性によって人それぞれ違います。(中略)一人々々が持ついかにもその人らしいもの、これが「個性」です。(中略)芸術の道を歩む者にとって一番大切なのは、この「個性」である。』(注3)
個性ついて私が日頃考えていることは、個性は先天的なもの・後天的に育てられたもの、つまり自分の周りの環境から受ける自分の感受性面の受ける浸透性の度合いとそれらの情報を選択する能力から受けて育てられたものである。そして、外部へ自分の心像のフィルターを通じて放出するものである。その「個性」は、人間がそれぞれ持っているのである。特に芸術家は、特に個性を深く自覚することである。音楽・絵画・彫刻・演劇等すべてのアーチィストは、自分の心像のフィルターを通じて放出=表現することが不可欠なのである。 

 

(第2章)
  次に、『途切れぬ線とは何か』(注7)の考察をしたいと思う。ここで世界的な演劇界の巨匠スタニスラフスキーを取り上げますと、彼は、『あらゆる芸術において、一本の途切れぬ線がなければならないということがわかるだろうか?線が、一つの全体となるときに、創造活動が始まる。諸君の内的な力をみんな使って、一本の途切れぬ線を作り出しなさい。』(注7)と言っているように、俳優は、舞台では、ある役が俳優に与えられた場合、その間は『内的な一本の線』(注7)を持ち、また同時に他の俳優の内蔵している一本の線とを結びつけ舞台全体に目の見えない透明な「クモの巣」を作り上げなければならない。素人の俳優と本物の俳優との違いは、それが自覚されるかどうかで判断できる。別に俳優に限ったことではなく芸術といわれるすべての分野でもそのことが云えると思われる。例えば、音楽演奏家にしても曲目全体の一本の線を持たなければ、演奏する上での創造性やその演奏者の独創性が内部から構築されないし、また鑑賞する人々に感動を与えることは決してありません。つまり、芸術の全体像とはならない。『もしも、内部の線が途切れると、演ずる人は、何の欲望も情緒も持たなくなるのです。その線が中断すれば、生活も止まる。』(注7)
 但し、これらの芸術作品は、動的な芸術作品の場合で、本来の芸術作品は『動的なもの』と『静止のもの』とがあるのは明白である。静止の芸術作品の事例としては、絵画・彫刻・陶器等である。
少し角度を変えて、自分の経験から少し述べさせていただくならば、よく将来俳優になりたい希望の生徒たちを指導しているとき感じるのは、短い寸劇のなかで無対象動作を利用して自分の部屋の高い棚からダンボ-ルを下ろす練習をさせると、最後まで「一本の線」が持続しなく手から無意識に離してしまう。このわずかな時間でさえも集中力が持続することができないのである。そのような状況では、決して想像的・創造的なものは生まれないのである。一本の線は、人間にクリエイティブな能力作り上げてくれるのである。
 ここで、一つのテーマが私の心に浮ぶ。つまり、創造イコール感動から『観客(客体)に感動を与える』とはどういうことでしょうか?どんなに俳優が躍起になって人に感動を呼び起こそうと頑張ってもそれの演技を見る観客サイドに内的な想像性、期待感や過去の経験がなければ、何にも起こらないし、また役者と観客との心のハーモニーが生まれない。
よく浅薄な俳優は、自分の置かれた役柄と演技だけを切磋琢磨するが、それは片手落ち以外の何者でもありません。繰り返しになりますが、役者と観客との一体感が生まれないのである。訓練では、観客の仮の存在の意識を感じながら、また客の呼吸を意識して行うべきである。その相乗効果を忘れてはならない。つまり『総合コミュミケーション』の実現に全神経を砕くべきです。さもないと、演技者の一人舞台になり、悪い場合は、自己陶酔に陥ってしまう。特に、俳優は、自己陶酔型が多く見受けられますので、くれぐれも慎重にならなければいけない。わかりやすいケースとして、子供たちの前で、『ハムレット』を一生懸命俳優が演じた場合、期待すべき効果が得られるでしょうか?それは不可能であり、また子どもたちにそれを期待して演じているのではないのです。つまり、子どもたちには、ハムレットのことを外部から習得していない。
 その子供の演技について何が欠けているかを千田是也氏は、次のような文章で指摘しているのである。つまり、『俳優の芸術は決して一人ではできない。俳優は、ある場面での人と人、人と物、人とその置かれた場面のと関係を読み分ける(場面の感覚)を身につけなければならない。』(注2)と説いている。幸いなことに、人間は、長い期間、集団生活をすることによって、『俳優の身振り・仕草』ある程度の共通の理解力・先行的期待感を先天的に持っているので、ある線の感動を理解するだろう。しかしながら、俳優は、それに期待することなく、『全体の蜘蛛の糸のネット』をいつも内的に張り巡らせる努力を惜しんではならない。つまり、それらの期待できる仕草や身振ふりにしろ、いろいろの役柄では、そんなに単純なものではなく、もっと複雑なものであり、演技の最大限の琢磨を要求される。俳優と観客の『交流』、スタニスラフスキーの言葉を借りると『交通』(注7)という言葉に凝縮されるのではないかと思われる。     

 

(第3章)
次に、千田是也氏の『演技の三つの型』(注2)について考察します。先達者曰く、俳優と役との関係から、演技には、『代理、形成、表示』という三つの型がある。
 これら三つのパターンが生まれるには、特別な歴史的、また社会的な理由があるとのこと。最初に『代理』について取り上げると、宗教的な祭りで演じられる人物たちでそこで演じられるのは、伝統的・伝説的な人物たちである。それゆえに、空間的・時間的に限定さているので、それに参加している観覧者たちは、演じる人物がまったくの素人芸であっても、『あの人物を演じているのだなあ』と想像できる。例えば、世界中のお祭りでは、すべてが同一化できる。その原型を思い浮かべて同一化できる。但し、この場合、長い年月受けつがれたものであり、当時の服装や動作に忠実に再現できるように神経を使わなければならない。ただ、双方とも『魔法の輪』にいるので演技者と観客に間には、同化はあっても分化は見られないのです。千田先生は、この次元では『芸術』とはいわないと明言している。次に、『形成』に話を進めると役を作り上げるための全身全霊を総動員して物まね・仕草・身振・台詞で『イリュージョン(幻影)』を喚起する必要があると言及している。この場合、『演じて見せる』という役者の働きだけは、役の後ろに隠さなければならない。この時点で、俳優術は芸術の世界への仲間入りできたと言えるのである。最後に『表示』については、役者と観客は、別の人間である。役になりきろうとは考えず、『役を表示』するのみである。あとは、観客にその演技の批判や選択に任せるものである。
 以上、千田先生の演技の三つの型を要点だけを紹介しましたが、この中で『形成』について一言申し上げたいのは、『形成は芸術の世界へ仲間入りできた』(注2)と言っているが、『代理」も芸術の世界に入ると思われる。なぜならば、千田先生は、神とか超人間とかの演ずることは『代理』であるが、
『代理』であるからその世界には入らないと言っていますが、奈良時代に中国から入ってきた『散楽』が、日本化して平安時代に猿楽となり鎌倉時代を通じて「悲劇的」な歌舞劇である「能」は、約600年の歴史を持っていますが、それは、まさに芸術の極致であり、芸術の世界に入ると思われる。ご存知のように、主人公のほとんどは「幽霊」であり、人間の本質や情念を演じ、「幽玄」を追求したすばらしい芸術であります。
 観阿弥の子、世阿弥は、「演技」について彼の著書である「風姿花伝」(注8)で「役に扮する演技には、あえて似せようとはしない段階があるはずである。役に扮しきって、本当にそのものに成り入ってしまへば、そのときの心には、もはや似せようといふ思ひがあるはずはない。道を極めた名優が心がけるのは、(省略)何気なく舞って出たといふ風情を見せることである。」(注8)と述べている。この文章で「演技の、否、俳優の役に対する真髄」を明確化している。但し、「役に扮しきって」とは、それ相応の努力をしなければならないと謂っているが、私が、世阿弥の考え方で矛盾というか理解に苦しむのは、「花伝書」(注8)では、「あえてなにもせぬところが面白い」と述べ、また言葉を続けている。「舞と歌の二芸や仕草・役柄の演技は、身体で演じる技芸である。「何もせぬところ」とは、技芸の間隙であり、そこが面白いのである。」(注8)。つまり、肉体の動くと心の動きが、バランスよく繋がった時に本当の演技の姿が見えてくるようなことを示していると想像する。言い換えれば、「静」であるメンタル面と「動」である肉体面とのリズムがあってはじめて最高な演技の姿ができるのである。
 私が感じるのは、話が私の専門分野のひとつである「ギター音楽」との関連で少し述べると、ギター音楽の中でも特に、フラメンコ音楽は、演奏の間隙を大変大切にしている。その間隙効果によって一層すばらしい効果が出る。ある意味で、「沈黙」効果とも関係があるように思われる。マックス=ピカートの「沈黙の世界」(注9)では、演劇におけるドイツ語でのSchweigenについて「言葉は沈黙から、沈黙の充溢から生じる」(注9)と名言を残している。
 
この間隙について、別の視点から日本画の西松凌波(内海久子)(注10)を紹介すると、彼女は、画家であるが彼女の絵は、没骨法(もっこくほう)という技法で描くのである。中国の唐の時代からの画法であり墨の線で下書きなしで一気の書き上げるのである。一発勝負の世界である。それだけ超集中力が要求されるのである。彼女の考える「隙間」の文章を少し長くなるが紹介しよう。
 「私は特に、余白の美を重視している。『描かないでことで、描く』という美意識である。表現空間と余白とで画面全体に統一感がでてくるのだ。それは、私自身が、大気の中にいるように、 画面の中でトータルな状態として呼吸し、同化できるとき達成されることなのである。仮に、柿を描いたとしよう。柿を描いて、余りの空間が余白になったのではなくて、柿を描くことで、同時にその余白をも描いたものである。余白空間は、はじめから存在しており、それは柿という表現空間と等価値である。余白は、余韻につながる重要な空間配置であると考える」(注10)。つまり、余白と考えられているものは、実は、すでに絵の一部として最初から存在しているのであり、絵を描き始めると同時に余白の絵が浮き出てくると言われている。余白(隙間)の効果音が存在するのである。私は、隙間は、実は表面に描かれてないのであるが、心の動きの部分を鑑賞者の想像力にゆだねられて言うこともできると思われる。作者は、故意に隙間を作ったと言っているが、何か芸術の鑑賞は、鑑賞者の完成に解釈に任せられて、その点で十人十色の解釈でよいのではないかと思われる。そこに芸術鑑賞の楽しみがある。次に、隙間の想像力について、筒井康隆氏の文章を紹介する。
 隙間の語句を、小説家:筒井康隆では『空白』という言葉で置き換えられているが、意味は同様なもので、彼曰く『(この『空白』こそ)読者が想像力を働かせるべき場所だと言っているの。想像力をどのように働かせてどうするのかっていうと、その空白こそが文学作品の、空所以外の部分のいろいろな断片を結びつける場所だって言うの。』(注10)つまり、地面の枠内にタイルの薄片を並べるそれらの薄片の隙間が、まさに全体の文様に効果を引き立てていることである。 

 

(第4章)
また、ベルギーの劇作家、詩人、思想家であったモーリス=メーテルリンク によると、「もしも私がほんとうにその人を愛しているなら、私が言った言葉のあとの沈黙が、私の言葉にどれだけ深い根があるかをその人に解らせるだろう。そしてその人の心に、それもまた無言である確信を生むだろう」と。私は、科白だけが観客にわかってもらえれば、それで事が足りたと思うことは、あまりに軽薄で、本来の演技の真髄は、行間にある「なに」かを伝えられるとき「芸術の創造性の何ものか」を感じるのである。アーティストを志すならば、その点を決して忘れてはならない。気持ちを言葉だけで相手に伝える演劇は、どんなジャンルでも無意味なのである。但し、間の取り方は、どのくらいの間隔であるべきなのかは、大変難しいことである。前の台詞と次のそれとの間は、それを話す役者の感情が自然体であれば、自ずとできることである。計算され、また意識的に隙間を考えると不自然になり、まったく滑稽な語りに陥ってしまうのである。世阿弥曰く:「せぬひま」。舞を舞いやんだ空白、音曲を謡いやんだ空白に、心の緊張を維持する。その形に現れた技と技の中間にある、目には見えぬ緊張の実在感が舞台に匂いでて、観客を面白しと実感させるのだと言う。能を貫いて流れる理念では常にこれである。(注10)まさに、緊張感の空間を観客と共有することによって、役者と同時に観客との心の一心同体感(調和)が生まれるのである。また、間を投入することによって心の効果音が双方に増すのである。それは、私に言わせれば、暗闇の世界であり、また無限の深淵の世界であり、ミステリアスのフォースを放す存在である。言葉には、隙間が必要であり、逆に隙間がない言葉は、言葉ではないといえるのである。まさに、ブラックホールである。人間の心臓の鼓動とある意味では、似ているところがある。つまり、強弱のわずかな隙間がなければリズムを刻まないのであり、また心臓の動きは止まってしまうのである。次の飛躍のためには、必要不可欠なものある。
 水品春樹曰く:表現の中で、『間』ほど難しいものはないと言われるくらい、(中略)『間』の取り方一つでその言葉は生きもし死にもするのである。(中略)言葉が『動』であり、「陽」であるのに対して『間』は『静』あり『陰』である。(注3)。つまりは、仁王の阿吽の呼吸であろう。
悉曇(シッタン)(インドの古い言葉)の五十音の始めと終わりの文字であり、『阿』は、生命の誕生を、『吽』は、人生の終末の意味あり、人生の一連の流れを暗に示唆している言葉である。但し、この語句は、本来仏教の言葉であり、それの意味することは、全ての源から発して、いわゆる『発菩提心』であり、最終的には、『悟り』に至ることである。
 また、本来人間は、話す自分と聞く相手の間には「呼吸のリズム」のような何かが存在する。それは、言葉では表現できないことである。時々、日常でも言われる言葉に、「あいつよくしゃべるなあ、なにをいっているかわからないよ」という文句がよく聞かれますが、その点を物語っているのである。それはまさに、双方のリズムが合わないのである。言葉の連射は、ただ聞く相手に理解を難しくさせるだけではなく、嫌悪感も相手に植えつける結果になってしまう。また、「愛の囁き」には、愛の告白とともに間隙も必要なのである。結局は、人間での感情表現に間隙の要素が必要不可欠である。つまり、呼吸のリズムです。但し、ここで忘れてはならないことは、「間隙」とともに「仕草」が伴うとより相手にわからせることができる。つまり、「非言語の世界」の助けを借りることである。但し、「間隙」を度を越して多用すると多弁と同じに不機嫌の感情が生まれます。「間隙」と「仕草」を上手に調和させること。「しぐさ」について、千田是也曰く『俳優の芸術は決して一人ではできない、他の人々(その他の俳優たち・作家・演出家)と一体になって成り立ち、また見物人たちも俳優の身振り・言葉の形からその意味を読み取り感じると同時にいろいろの関係(人と人、人と物、人とそのおかれた場面との関係)を読み分ける感じ取る感覚を身につけていなければならない』(注2)と。
 ところで、私が常日頃考えていることであるが、全般的に日本の演劇が国際的に何故に頻繁に上演されないかと考える。その原因がどこにあるのか?日本という特殊な国では、ほとんどが同じ種族の単一民族であるので、見物人もある程度の役者の動作の「間隙(沈黙)・仕草」からある程度、そのときそのときの役者の感情と同化しやすく理解が容易であると思われる。喜怒哀楽の同一性が双方に認められるのである。つまり、エドワード・ホールが指摘しているように日本社会は、単一民族国家であり、『High Context』の社会であり、お互いの情報を共有している。ところが、海外(米国)では、複合社会であり、ホールの『Low Context』の社会であり、お互いの情報が共有されていないのである。つまり、自分の気持ちを言葉にしないと相手の人が理解できないのである。つまり、日本社会は、お互いに自分の意見を改めて口で表現しなくてもある程度理解が容易な社会である。それ故にその単一民族の考えを外国でそのまま持ち込んで海外で生活すれば、当然いろいろの場面でカルチャーの衝突が起こる可能性が充分であり、舞台演劇や映像演劇も同じであり、特に舞台上で演じれば大いに支障が生じて、最悪の場合、嫌悪感を抱いてしまうことになりかねないかと懸念する。但し、映像でなある程度の編集が可能であり外国向けようにすることも可能である。反対に、外国(例えば、米国)の演劇が日本社会に違和感なく受け入れられる理由は、外国の情報が日本人に無意識にマス・メディア等を通じて、すでに習得されているからである。もっと本質的に考察すると、『何か日本人の外国に対する憧れ』から起因していることが考えられるのである。いずれにしても、広義の意味で外国で日本社会、特に日本人についてもっと紹介すべきである。
 
では、日本の演劇が海外で受け入れられるのが難しい理由として、別の視点から分析すると、日本人と外国人との「非言語の世界の研究」が日本の演劇界ではほとんどされていないのが問題なのである。その分野の専門家であるバードウィステルの研究によれば、対人コミュニケーションで言葉が占める割合は、30%ぐらいで、残りは、非言語の割合で70%ぐらいである。いかに非言語の世界の研究の重要性が理解できるのである。
 では、非言語とは何か?ここで少し専門的なことになるが、一般的には非言語メッセージは、(1)顔の表情、身振り、手振り→身体動作(2)相手との距離や空間と使い方→近接空間(3)時間の使い方に関する時間概念(4)外見や服装などの体物表現(5)抱擁や体への触れ合いなどの身体接触(6)声の質や出し方など声の使い方に関するパラ言語等に分類されるのである。P.エクマンとW.V.フリーセンがより詳細に区別している。つまり、(1)表象(2)例示動作(3)感情表出(4)レギュレーター(5)適応動作等である。(注11)
 私が、特に注目しているのは(2)であり、つまりなにかを描写するために用いられるものであり、文化によって違った意味を持つと言われている。例えば、アラビアで日本の俳優が舞台であるいは映像で「裸のスタイル」で演技をすると仮定すると、アラビア人から激しい抗議の嵐に見舞われることは、必定である。この点を考慮して演技を表現する時に留意しなければならない。
 また、「世界のタブー」の研究も必要である。例えば、演劇で「子供の頭をなぜるシーン」は別に違和感がなく日本人の心の中にはいるが、このシーンを東南アジア、特にタイ国で上演した場合、ほとんどのタイ人の観客は、憎悪感を感じて会場を後にすることである。なぜならば、タイ国では「子どもの頭」は、神聖な霊である(ピー)が宿っているので、絶対に触れてはいけない場所なのである。以上の2つの研究を通じて演劇の構成時に非言語の自覚に留意しない限り、「日本で作られた時代劇・現代劇等の演劇」が、海外で上演され成功を収めることが不可能である。現実的にそれらの演劇が海外で人気を博しているとついぞ聞いたことがないし、これからも難しいと言えるのである。例外的に年に何回かは「日本の伝統の歌舞伎等の芸術作品」としては海外公演されて好評を博しているが、それが外国人に歓迎されているのは、歌舞伎が事前にマス・メディア・日本の紹介書籍等を通じて外国人に長い年月に知識として理解されているからであり、広義では日本についての異文化に対してある程度の許容量を持っているからである。逆に「海外の演劇作品」を日本人向けに再構築して公演することはよくある。例えば、「劇団:四季」の数々の作品は、歌舞伎のような伝統的なものではないが、まさに外国の作品を日本人向けに再構築され成功したものである。結論として、本当の意味で日本の一般的な演劇が国際舞台で上演されるには、はるか未来にならないと実現しないように思われる。1578年、日本での布教方針を考えるにあたり、イエズス会東インド巡察師アレシャンドロ=ヴァリニャーノは、『日本人は喜怒哀楽を表情に出さないので、いったい何を考えているのか自分たちヨーロッパ人にはさっぱりわからない』と述べている文章で以上の問題が明確に浮き彫りにされるのである。                         

 

(第5章)
 「役者の演技」は、外見の演技が台本に則って話す・仕草ができればそれでよいというものではありません。外見の動きは、言うまでもなく内面が成就されたとき始めて完成されるものなのである。能の世界では、『能の静止は、息づいている』という。つまり、舞台空間の制約から『動くべきものが動かずにいる強さ、占める位置の確かさ』の演技が生まれたのである。能の根本「静の強さ」は、北原白秋の『白金ノ独楽』の作品に表現されている。

感涙ナガレ、身ハ仏、独楽ハ回レリ、指尖二。
カガヤク指ハ天ヲ指シ、極マル独楽ハ目二見エズ。
回転、無念無想界、白金ノ独楽音モ澄ミワタル。(注2)

 
また、ある文献に次のようなことが記載されていましたので、紹介すると中国で頂点に立つ武術家である王(1886~1963)氏が曰く『体や手の動きを俊敏にするには鍛錬に際して動かないのがもっともよい。その動きは動いているようで動いておらず、動いていないようで動いている。静止しているようでも静止していない。動きの形跡があってはならない。精神的意味は深く、形の上だけの動きはいけない。形の上の動きは形のみのものであり、力が分散してしまうからだ』。私自身武術の心得がありますが、縦横無尽に動き回るには、最初は常に『不動の姿勢』を作ることである。そうすることによって、いつでも打ち込めると同時に対する者に自分のすきを隠し、また見えない威圧というか気迫というかそういうもので相手の気持ちを動揺させる。つまり隙がないのである。剣術の達人が、よく対決の場面で『不動の姿勢』をしている場面を見かけたことがあるが、まさに双方が達人であれば、何時間もお互いに微動だにしない。表面では、何も動きが見えないが、双方の心の中では『内面の活動自在』がある。
 宮本武蔵も『五輪書』(注12)の『水の巻の兵法心持のことの章』で次のようなことを述べている。『兵法の道におゐて、心の持ちやうは、常の心に替わる事なかれ。常にも、兵法の時にも、すこしもかはらずして、心を広く直(すぐ)にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。(中略)うえの心(外見)はよはくとも、そこの心をつよく、(中略)知恵をとぎ、天下の利非をわきまへ、物毎(ものごと)の善悪をしり、よろずの芸能、其道々をわたり、(中略)兵法の知恵となる心也。』。以上二人の剣豪の名言から、心が外見をあやつり、縦横無尽の行動(演技)ができ、対者(観客)に迫力というか気迫というもの(感動)を与えることができることを示唆しているのである。これらのことは、武蔵の『よろずの芸能』と『五輪書』で言及していますが、武道と芸道との相関図を見出すのである。
 次に、世阿弥の『幽玄』(注10)について私見を述べると、まず世阿弥の演劇論は、根源的な『人間探求』である。世阿弥にとって日常生活がまさに演劇世界そのものであり、『世界が舞台であり、男女はすべて役者』(注10)でありました。彼によれば、能の役の類型は、三つに大別されます。老人、武士、女性であり、最初の老人は、『弱さ』の存在であり、次の武士は『強さ』の象徴であり、最後の女性は、『中庸』の存在を表出しているのである。弱者と強者だけでは、この世の存在は難しく、その両者の間の融合の存在がどうしても必要なのである。世阿弥は、この女性の役を最高の理想美の存在としている。但し、ある文献で指摘しているように、ある意味でそれぞれの役柄に逆説的な要素を要求している。つまり、老人の役柄には、反対の『華やかさ』を、武人には反対の『優しさ』を要求し、『巌に花の咲くが如き』、『古木に花の咲くが如き』芸こそが、彼の理想とするところである。では何ゆえに、『中庸の存在』が最高美であるかといえば、『妙』や『安心』そのものが存在するからである。ここではじめて『幽玄』との関連が生まれる。世阿弥の芸術論の『花鏡』に、『幽玄』について次のように述べている。 『役柄に型にはまった演技ばかりをして、それが最高の位であると思い、姿を忘れているから幽玄の域に入らないのだ。幽玄の域に入らなければ理想的境地とはならない。理想的境地に至らなければ名の通った上手にはならない。だから名人はそういないのだ。(中略)だからといって、幽玄になろうとばかり思うならば、生涯、幽玄には至らないであろう。』言い換えれば、外見だけ役柄をいくら飾ったとしても、自分の姿と同時に内面の鍛錬がなければ『最高美である幽玄の境地に至らないであろう』と私は解釈する。また、世阿弥は、含蓄のある言葉を残している:『幽玄之入堺事』。また、世阿弥は、『心理の動きの自己目的化・完結化』を『花鏡』で述べている。つまり、自分自身の明確な目的を持つことは、イコール自己完結になると解釈する。『花鏡』で『無心の位にて、我心をわれにも隠す安心にて』。つまり、自分の心を観客のみではなく自分自身から隠すと心の平安になる。それが本来の演技の姿になる。自分なりに勝手に解釈すると、ずばり『無心の心』の大切さを婉曲的に謂っているように思われる。                                         

 

(結章)
以上『無心』の状態の重要性を強調しているが、この文面で、私の目に留まるのは『安心』という語句なのである。私が思うには、この語句は日常使用している意味ではなく、演技者の行動()の究極的な境地であり、別の言葉に置き換えると『安堵』とも言える。観客が鑑賞する心に『安心感』を与える演技であると同時に演技者自身役柄の完成された姿であり、双方の『安心作用』は、まるで電流の陰極・陽極のようなものである。たぶん、人は『無心』すなわち『安心』であるというかもしれません。私は、もっと広義の見地から今の季節(秋に入ろうとしている10月の初旬)で言わせていただきますと、自然の移り変わり、季節の中で春の時期と同じように自然の不思議さや神秘さや偉大さを痛感する。そこの懐の中に『自然の姿』への傍観者としての私に何か安堵感を与えてくれる。世阿弥は、すべての演技者に其のことを伝えようとしているように思われる。否、すべての芸術を追求するものに諭している。私自身は、いつも、演技の仕事が終えた後、毎回反省の繰り返しであり、世阿弥が理想としている境地の足元にも及ばなく自己嫌悪に陥るのである。人はよく、自然の懐に入ると『落着くとか安心感』を感じるとか言うが、何か自然の姿と人間との大気や地面を介しての『一体感』から生まれるともいえるのでないかと感じる。自然の呼吸をじかに感じる瞬間が何か安堵感に包まれている。言い換えれば、何か自然の懐に包まれている感じがある。また別の言葉を借りれば、万物と自然との融合である。仏教の一つである『禅宗』の座禅の境地に『無心になれ』というものがあるが、それは、すべての煩悩といわれているものを断つ事によって悟りが見出されるといわれているが、私自身時々禅を組むのであるが到底そのような境地には到達することはできない。但し、稀に無心の心を感じることがある。其の瞬間は、まさに静寂・時間・空間を超えた何か『真空』の雰囲気を感じるのである。其の境地はまさに不動の心と言えるかも知れませんが、それと世阿弥が言わんとしている『無心の境地』とある意味で関連性があるように思われる。
 つまり、『不動の心』と『無心』の2つのアンチテーゼを持つことは、演技者として決して忘れてはならないことである。その域に達した時に初めて自分と自然との一体感が得られ、計算された人工的な演技ではなく、ためらいのない自然の流れの「自然の演技」ができるようになるのである。
最後に、日本古来の古武道の名言を紹介する。「因縁和合によって消滅する宇宙万物の実体は、現実にして、しかも平等であり無差別でもあり、あらゆる万物の法則でもある。このように、自然がなすがままに従えば堅石をも障害とはならず、どのような強剛強敵をも制することができる。」
 演技の理想の究極な姿は、山形県黒川能の「黒塚」のあばら屋に糸車織る老女そのものである。全ての感情を吸収して、見る人の視線を固定してしまう。外見は、静止画が漂っているが、内面での表現を見る者に強烈に感じさせるのである。その内面の激しさは、どのような技量で発露するのであろうか?

『どこからともなく散ってくる木の葉の感傷
あるがままに雑草として芽をふく
ぬくうてあるけば椿ぽかぽか
風はほどよく春めいた藪と藪
ひっそり咲いて散ります
枇杷がかれて枇杷が生えてひとりぐらし
照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき
身のまはりは草だらけみんな咲いている
ころり寝ころべば青空
なにを求める風の中ゆく
青葉の奥へなほ径があって墓
それもよからう草が咲いてゐる
月がいつしかあかるくなればきりぎりす
木かげは風がある旅人どうし
日の光ちよろちよろかげとかげ
月のあかるさがうらもおもてもきるぎるす』(注13)

 (脚注)
(1)
増田正造『能の表現(その逆説の美学)』、中公新書260、『第一章 逆説の構造』、6p.~7p.、19p.、20p.~21p.、30p.~31p.
(2)千田是也『演劇入門』、岩波新書、1966年、『Ⅰ―演劇という形』32p.、、『Ⅲ―俳優の仕事』70p.
(3)水品春樹『演技入門』、ダヴィット社、1959年、『演技と演技者』38~39p.、『話し言葉の表現要素』152p.~153p.、『こころ(二)観察について』240~241p.
(4)K.スタニスラフスキー『俳優の仕事』(上巻)(千田是也訳)、理論社、
1976年、『第3章:行動・≪もし≫・提案された状況』73p.
(5)アントナン・アルトー『演劇とその形而上学』(安堂信也訳)、白水社、
1965年、『感性の体操』223p.
(6)蔵持不三也『ペストの文化誌』朝日選書、1995年、終わりに―ペストの文化化、366p.
(7)K.スタニスラフスキー『俳優修業』(第Ⅰ部)(山田肇訳)、未来社、1975年、第十三章『途切れぬ線』、372p.381p.372~373p.
(8)世阿弥『風姿花伝』、岩波文庫、1958年(一般に『花伝書』と知られている『風姿花伝』は、最初の能芸論書である。)
追記:『せぬところが面白き』などいふ事あり。これは為手(して)の秘するところの安心なり。(中略)せぬ所と申すは、その隙(ひま)なり。このせぬ隙は何とて面白きぞと見る所、これは油断なく心をつなぐ性根なり。』
(9)マッスク=ピカート『沈黙の世界』(佐野利勝訳)、みすず書房、1964年、『沈黙からの言葉の発生』17p.
(10)前田重治『芸に学ぶ心理面接法(初心者のための心覚え)』、誠信書房、1999年、『第二部・芸論を読む』90p.『第三部・芸論心覚え』p.179
(11)池田理知子・E.M.クレーマー『異文化コミュニケーション入門』、友斐閣アルス、2000年、『第Ⅰ部アイデンティティとコミュニケーション』31p.~32p.
(12)宮本武蔵『五輪書』、講談社学術文庫(735)、1986年、『水之巻』92p.
(13)種田山頭火『雑草風景」

(参考文献)
(1)『演劇入門』千田是也
(2)『俳優修業』スタニスラフスキー
(3)『風姿花伝』世阿弥
(4)『沈黙の世界』マックス=ピカート
(5)『五輪書』宮本武蔵
(6)『演技入門』水品春樹
(7)『演劇とその形而上学』アントナン・アルトー
(8)『俳優の仕事』K.スタニスラフスキー
(9)『異文化コミュニケーション入門』池田理知子・E.M.クレーマー
(10)『能の表現(その逆説の美学)』増田正造
(11)『ペストの文化誌』蔵持不三也
(12)『芸に学ぶ心理面接法(初心者のための心覚え)』前田重治
*本文中のすべての下線は、著者により加筆

 

 

 

Sunday, 30 November 2008

我が芸術論:本論

「おわび」
昨年(2005年)の秋から書き始めた我が芸術論、演劇論の入力原稿が、わたしの操作ミスですべて消えてしまった。それに伴って再度原稿を書き始める。半年の遅れになってしまった。自分の注意の無さが情けない。まあ、いつまでも自分を責めても始まらないので、この辺で忘れることにする。わたしの友人の言葉を思い出す:人生は、短いようで長いものだと。
また、再度原稿を書くことは、最初に書いたときより、今は多少考えることが増えたので、少しはよい内容が書けるのではないかとひそかに自分に期待しています。
Prelude
この文章を書き始めた季節は秋であり、よく世間では『読書の秋、芸術の秋』といわれていますが、なぜそのように言われているのかとわたしが考えますに、
『大気が澄み、空は高く、木の葉は色付き、また、夜の帳(とばり)がすっかり降りるころ、昼間のカーテンを押しのけて無数の星々が天蓋に輝き出します。
なんと澄んだ透明な自然の静けさを感じることか』
その言葉がわかるような気がします。
ところで、何か芸術というか、演劇というか、自分の人生の途中でわたしなりの考えを残したいと思い、拙い文章を書き留めることにしました。そうすることは、自分で、それらのことについて、整理ができると思ったからです。
芸術にしろ、演劇にしろ、この得体の知れない現象を考える自体馬鹿げているかも知れない。大体が目の前に見えないものを、どうやってあるもの(実体=Entity)として具現化できるのであろうか。確かに、芸術には、目に見えるもの(visible)として、建築・彫刻・絵画等がある。その論理では、visibleなものと反対ではinvisible,つまり目に見えないものとしては、演劇・音楽等が取り上げることができるかもしれない。私が言いたいのは、それらは、皮相的な現象でありもっと内面的なうちに秘めたことを考えるのです。目に見えるものでも見えないものでもそれらは、誤解を生みかねないものであり創造主である作者の意図することとはかけ離れて理解される危険性があります。特に作者の同時代の人ならば、作者から直接見聞して正しい解釈が成り立つかもしれないが、作者の死後の後世の人が、それらの作品を理解するには、間接的に資料から推察するしか方法がなく、間違った解釈がなされる可能性が大きいのです。それもまた、芸術へのアプローチといえるかもしれませんが。なぜならば、真の芸術とは、作者の体を借りて創造させているからであり、もともと混沌としたもので、山にかかった霞のもののようなものに思われるのです。以上からいえることは、それぞれの人々が、自分らの感覚に基づいて解釈(感じる)をしてよいもののように感じるのです。
最近、Artについて感じるのは、人間社会が存続する限り価値があるのであろうかと、非常に疑問を持つのです。それ自体、他の動物には想像することができないものであり、だからこそ人間であるからこそできる特技であるのですが。否、人間ではなくこの大自然がなせる業(わざ)なのです。
その存在価値について関連して言えることは、人類が発生して以来いつの時代でも「争い」が起こっています。芸術は、そのような人間の争い好きな性(サガ)に対して何ができるのでしょうか?芸術の役割とは何であるのか?その戦闘性を内面に常に宿している人類にストップをかけるだけの力が芸術にあるのであろうか?
改めて芸術の存在するべき拠りどころとは何か?私は、『芸術』についてつくづく考え込んでしまうのです。
これから芸術の専門である諸先生方の足元にも及ばない私が、私なりの稚拙な考えを披露するのは、はなはだ恥ずかしさの極みでありますが、諸先生方が無視していただけることを願って、これからわたしの残りの人生行路を一歩一歩大地に踏みしめながら、わたしの独り言として、どのくらい続くか解りませんが『芸術』を書き留めようと思います。コンテンポラリー(現代社会)に生きている人々や同時代の次元を超越した将来の人々に、この『独りの戯言』が少しでも目に留まり、こういう考えの人間が過去にいたことを認識していだだけたならば、わたしにとってこれ以上の喜びは考えられません。
(本編)
芸術は、文化の中でどこに位置するのか?そこら辺から述べたいと思います。『文化』の説明から見てみますと、社会科学の考えとして、『人間形成への文化の役割・影響は大きく、また、われわれ人類の生存の存続には必要なものであり、それが人間の技術・知識・習慣・伝統などを与えてくれるものである』と分析されています。
私見として、その文化の中で『芸術』も時間的・空間的領域内で発生し形成されるので、それぞれの文化圏内特有の土着的な芸術があり、その芸術作品はその文化圏内で未来へ引き継がれてゆくのです。しかしながら、最近では、電波の発達のおかげでその作品がその発生し形成された文化圏から飛び越えて世界へ発信するようになり、不特定多数の他の文化へ感染して行くのです。何ゆえ、私が『感染』という言葉を使用したかといえば、芸術は、よい影響とともに悪い影響も与えるからなのです。私は、土着的なつまりその土地特有の芸術がその地域内に保存されている間は、それはそれで価値があるのですが、他の地域へトランスファーすることによってその純粋さが失われるのです。ある人は、その現象は、融合と呼びそれはそれで一つの芸術といえるかもしれません。
無論、ある文化圏内の作品が一方通行的に発信されるだけではなく、他の文化圏内の作品が前者の圏内に入ってきて、つまり、交換交流の流れが見受けられ、『混合芸術』が生成されるのです。例えば、音楽の世界では、よく『フージョン』という言葉が聴かれます。これは、まさに『混合』ということで別の言葉で『融合』と置き換えることも許されるかもしれません。
私に言わせれば、『芸術』はいろいろに変形し、どんな環境にも順応できる能力を持った生き物であり、それはまるでアメーバのようである。誤解しないでほしいのは、それらの現象は、私が最初に述べましたように、芸術の皮相的なものであり、本質的な意味での芸術の究極の核は、普遍であるのです。
ところで、『文化』自体、誰によって生成されたのかといえば、その圏内の集団が知識・価値観・宗教等の面で何世代にも亘って受け継がれている中で徐々に培養され形成されたものであるが、しかしながら多少なりとも文化の各構成要素である経験・価値観などは過去からすべてを直接受け継ぐことがなく、コンテンポラリィー(現代)という濾過器を通じて現代必要なものは残し、不必要な不純物は取り除かれます。また、広義での『過去からの全文化』というコーヒーに現代の文化の砂糖やミルクとして加えるという逆の作用も考えられます。
次に考えなければならないのは、『文化』は一人の人間が完成させたものか、または二人以上の人間が作り上げたのかということですが、芸術家の文化形成に参画するという観点からは、例えば、私の専門分野の一つである西欧の中世世界の中でのいわゆる芸術家の姿は、キリスト教の影響との関連を考えながら述べなければならないと思われます。その前に中世の都市化以前を考えて見ますと、自然との協調のもとに農業の時代があり、その前には狩猟・採集の時代がありました。原始の形態である狩猟・採集の時代は、洞窟壁画に象徴できますように壁に描くことによって自然の力を祈ったのです。最近読んだ本によると、その時代またそのあとの農耕時代には、一人の芸術家によってなされたのではなく、2人以上の人によったと記されています。つまり、芸術家の個人の評価から見ますと、個人主義の発達とルターの宗教改革による個性の誕生の土壌ができるまで、一人でつくりあげたものではないと書かれてます。確かに、各集団には、それぞれの『社会的拘束・約束事・規範』があり、それらに縛り付けられて個性が埋没しているように思われますが、では一体『個性』とは何かと自問せざる負えません。個性とは、ある程度後天的に母親から分離して社会に放り出されて、いろいろな社会の約束事に洗礼され形成されるものであるが、また、人間本来備わっている本能的な要素に大いに依存していることなのです。遺伝的なものを含めた人間の根本的な本能のひとつといえるかもしれません。例えば、『描写という行為』一つとっても、その行為は、人間が二本の腕を授けられたときから何かを描く衝動に駆られるのは、何も社会的な強制力からではないと言い切れると思われます。それに、あとで社会的な要素が混合しただけなのです。以上の流れからいえることは、私の見解は、いつの時代もその『ある作品の創造行為』は、一人の人間に依っているのです。実際に、壁に描くにも石に彫るにも一人の人が作業をしているのです。換言すれば、文化の中でのほとんどの芸術世界では、それは一人の人間が芸術を作り上げることから成り立っているのです。絵画の画家(強烈に独創的なGoya)、音楽の作曲家(Beethoven)、建築の設計士(Michelangelo)また演劇の演出家(スタニフラフスキー)を思い浮かべれば十分納得していただけると思います。しかしながら、例外としては、西洋の中世期では二人以上の人間によって作られた共同作品なのです。キリスト教の影響を無視するわけにはできないのです。中世ではキリスト教建築だけではなく、教会の内部装飾である壁画、彫刻などは、それらに携わった人々を当時は芸術家(artist)とは言わずにただの職人(artisan)と呼ばれた人々によって創作されたのです。キリスト教の偉大さの象徴であるバシリカやドームやキリストや諸聖人列伝を綴った壁画や彫刻群にその影響が窺えます。彼らは、ある意味では現代版大工さんといえる存在かもしれません。一つの作品に、多くの大工さんが関わらなければ出来上がらないものだったのです。何人かの職人さんの作ったものを合体して一つの作品が出来上がったのです。面白いことに、当時の職人たちは、絵画にしろ彫刻にしろ、現代とは違って社会的には下層の位置にありました。つまり、彼らの作った作品自身の評価は、当時ではほとんどなくったのです。それらの作品群は、現在では芸術といわれていますが、当時はその宗教の傀儡のためにただ利用されたのです。芸術とかの概念が微塵にも感じられなかった時代なのです。
ところで、改めて申し上げますと、芸術とは、一人の人間の内面的な宇宙観(個性)から生まれるものです。別に、芸術家といわれる人々は、自分が創造した作品が、他人の目に触れられるとは思ってないのが一般的あろうと思うのです。他人を意識しては、後世に遺せるmasterpiecesはありえないと思われます。彼ら芸術家は、内面的に感じたことを想像の世界で浮遊させ、それらを人間の限られた手段で表現したに過ぎないのです。
ここでもう少し、ある意味では深く私が感じることを申しますと、彼ら人間ではなく、何かの存在を感じるのです。何か自分では、他人を意識しない自分とは違う次元のものが彼ら芸術家といわれている人々の手や体を借りて作り上げているようにつくづく感じるのです。よく創造する人々が、異口同音に言われることは、『自分以外の何かがそうさせる(つまり、創造させる)』と。ただ、未知の存在によって啓蒙され創造されたものが、イコール『芸術』とは、一概に言えないのです。それらが、自分以外の他人を意識したのではなく、ただ描いただけなのです。それがたまたま人間の目に触れただけなのです。
その得体の知れない存在によって人間と通じて創造された作品は、他者の認識があって始めて「芸術」として昇華するのです。ところで、「芸術の価値」は、乾いた心の人々へ心持や感動を与えるところに存在する価値があるのです。換言すれば、一瞬時、鑑賞者の心がその対象である芸術作品と同化をしてその創造主の存在との一体感の恍惚の状態になり、ある意味ではトランス状態になり、かつ現実から遊離させるフォースを秘めているのです。換言すれば、娑婆での生きることに対する倦怠感・焦燥感・現世逃避を持ち続けて最後の死を迎える運命にある人間たちへ、一瞬の快感、いや宇宙遊泳を提供しているのです。別の言葉を借りれば、芸術は、人間にとってなくてはならない大気の空気のようなものであるように思うのです。この空気が無ければ、じきにわれわれ窒息し、死に至るのです。そのような恩恵を与える作品群は、否それを創り上げる存在をその作品群の中に見出すのです。
その尊台は、カントの言う『宇宙律』かもしれませんし、また『神の存在』かもしれません。
また、別な見方をすれば、芸術の存在意義は、『各時代と場所での同時代の芸術は、過去の芸術に逆戻りすることが無く、過去を土台に常に新しいものを要求し、それを作り上げる創造的なものであり、実在表現としてのルミネ(光)を放出し続け文化圏に虹彩を与えるものである』と。
第一章
芸術とは何か?
この大きなテーマに対しては、古今東西の歴上の偉大な人々が卓越した文章を残しているのでが、その中で私が関心を持っている偉人たちの考えを取り上げたいと思います。また、僭越ながらそれらの文章に、私の批評も付け加えたいと思います。
始めに取り上げたいのが、アリストテレスで、彼は『芸術は、事物の外にある原理である。自然は、事物そのもののうちにある原理である』。つまり、自然の芸術作品は、事物のうちにあり、芸術の精神・創造性・感受性は事物の外にあると解釈することができると思われます。換言すれば、自然は創造性から生まれたものではなく、大宇宙の秩序・その律動の中で長い年月をかけて作り出されたものであり、人間界が生まれるはるか太古から存在していたものなのです。芸術はまさに人間のみが所有する想像(imagination)の原理が作り出した虚構の世界であり、フィクションの姿であります。しかしながら、今しがた虚構の世界と述べましたが、本当に非現実的な、贋物的なのでしょうか。私は、その力は、計り知れなく非現実的なものを理論的・道理的に再構築して「現実的な存在」として再生する力を持っているのです。よくその想像について、演劇の観点から見ますと、想像するには、2つのカテゴリーがあります。一つは、自分のはるか昔の過去の実体験でありそこから生まれる『再生想像』、もう一つは、その昔の過去の体験と近過去の体験との融合から生まれる『心像による創作想像』があります。また、役作りの人物創造のプロセスというものが演劇の世界でありますのでここで紹介したいと思います;(1)役の人物の行動との類似性の経験(2)経験の保存による記憶(3)記憶再生して想像(4)再生想像と新経験による創作想像、つまり心像(5)以上(1)~(④)までの整理(6)表現(芸術的仮構としての工夫)(7)表現の追及(8)想像(美的形態の実現)。
このような観点から、想像は芸術との対等の関係にあり、現実の姿を作り上げる面では、自然も芸術になるという論理が成り立つわけです。
最近、芸術とは、想像の空間の真っ白い用紙に色を塗り染め上げるものように感じるのです。どのように色を使い分け、何色にするのかは、その主体者の判断に委ねられています。つまり、その主体者の感覚というか感性というか、そういうものが芸術であるように思われます。人は、よく芸術を『美』というが、それは、他者が言う言葉であり、客観的なものであり、それは「本来の芸術の姿」ではないと感じるのです。芸術家は、『美しさ』を意識して描いているわけではないのです。例えば、スペインのゴヤの描く世界は、特に難聴になってからの彼の作品群は、決して美しいという言葉に当たらないのです。
ところで、この想像の力は、よい面も悪い面も一枚の紙切れの表裏一体のようなものなのです。ある意味では、他の生命体にはない人間特有の、唯一の武器といえるかも知れます。つまり、人間には、他の動物とは違って牙や鋭いつめなどの武器がない代わりに『物を想像する力』が天から授けられました。その想像力のおかげで動物を殺傷するための武器を作り出すことができました。しかしながら、その能力も使い方しだいであります。芸術の想像と科学の仮説とは、同類であり、想像する能力をホモサピセンスが使う限り、いつの日か人間界が生存限界を超えて、または破滅への茨の道を歩むのではないかと大いに懸念したします。人間が気づくのがもうすでに手遅れかもしれません。なぜならば、過去にアインシュタイン博士の想像力(仮説理論)によって、『原子爆弾』という人類破滅への足がかりになった最大の武器を製造してしまったのです。
しかしながら、想像する能力は、本当に人間のみに与えられたものなのでしょうか?
私は、想像とは頭の中で無から有を作りそれをいろいろなパーツと組み合わせて関係式を想像することなので、人間以外の生き物にも存在しているように思われるのです。もう少し深くこり下げて考察したいのですが、本題に戻りたいと思います。
フランスの哲学者であるアラン曰く:宗教的な舞踊の中に一つの新の芸術、それも最高度の芸術を発見するのです。つまり、規制された姿勢・沈黙・リズムのある言葉・唱歌・礼節・行列などを考察せよ。ここでの悲劇役者は自分の役割に捉えられ、寛仁・容赦・諦めを実感するように導かれる。慰めは、外から内へ向かうのであり、すべての人々のあの注意力の緊張によって、あの協和によって、慎重に満ちたあの動作によって鎮静がもたらされるのである。そこから触覚に感じうる外的な神という観念が生まれる。(→「諸芸術の体系」P73~P74から引用)
『芸術の究極の姿』が深く宗教的なもの(神と同等性)と関わっていることがアランの文章から理解できると思います。これに関連した『芸術と宗教の関連性』については、後ほど考察したいと思います。
ところで、別の意見としてクラリクの文章を取り上げてみたいと思います:芸術は、五葉の芸術からなっている。つまり、味覚芸 ・嗅覚芸・触覚芸・聴覚芸・視覚芸である。(→『世界美・一般美学試論』から引用) 私は、それら五葉に自分流の諸芸を組に入れています。つまり、味覚芸としての料理、嗅覚芸としての御香、聴覚芸としての音楽、視覚芸としての絵画・演劇・建築・彫刻・詩や散文が対象であり、時間の許す限りそれらに触れるようにしています。
クラリクの指摘している諸覚芸の中で、触覚芸とは何か?クラリクは、触覚芸とは、ビロードのさわり心地であり、柔らかさ・しなやかさ・滑らかさの形容詞は、そこから生まれると説明しています。                                                            
 次に、ロシアの文豪であるトルストイを取り上げると「芸術とは何か」の中で次のような文章を残しています:芸術は、あくまでも人間一人一人の思索と救いのために存在するのである。芸術は人類の進歩の2つの機関のひとつだ。言葉によって人間は思想の上を交わるし、芸術の形によって人間は現在ばかりではなく過去や未来のすべての人間の心持の上で交わる。芸術は、言葉と同じように一つの交通の手段だから、進歩つまり人類が完成に向かう前進の手段だ。言語は、いま生きている人に前の人やいま一番進んでいる人が経験や思索で知ったすべてのことを知ることができるようにするが、芸術は今生きているこのごろの人にそれまでに人が味わった心持や今一番進んでいる人の味わっている心持を何から何まで味わえるようにする。芸術を通じて、人間と人類の精神生活になくてはならない、ありがたい作用に利益を受けられるようになる。                                  以上の中で特に私が含蓄のある箇所と思われるところで、私なりに解釈しますと「芸術」とはまさに「心持」であり、見る人・聞く人に「感動の波動」を喚起するそのもののように思われます。トルストイの意味するところは、人類の精神生活に必要不可欠なものであり、人間が科学技術の恩恵の下で生まれてきた物質面だけでは行き続けることができないことを示唆しています。また、彼は、「芸術は、ある時代ある社会で一番大切だと考えられた真理を知識の領域から感情のそれに移すものであり、宗教が芸術の方向を指し示す船の羅針盤(私の造語)のようなものである」と言及しています。まさに、すばらしい解釈論であります。但し、宗教が芸術の道を切り開くとはどういうことなのであろうか?確かに歴史上では、古代から中世までは宗教を通じて芸術の方向を示す「芸術作品」が数多く作られたことは認められます。建築の作品で言えば、現存はしていないが紀元前3100年に始めて文明の形態を整えたシュメール文明の作品に見ることができます。旧約聖書の「創世記」にあるバベルの塔の原型となったと伝えられているバビロンにあったジグラット(ZIGGURAT)がありました。現在のイランで発掘されたエラム王国チョガー・ザンビールにその雄姿を見ることができます。東南アジアの宗教建築の傑作といわれるカンボジアのアンコール朝の王が建築したとされるアンコール・ワット、中東のエジプトのピラミッド群、また中世の時期のものとしてのイギリスのダラム城とその大聖堂(ダラム城は、町を治めたダラム司教の居城)、同じ中世の建造物としてのフランスのモン・サン・ミッシェルの修道院、同じフランスにあるゴシック建築の大聖堂であるランスのノーとる・ダム寺院、1248年着工で1880年に完成したゴシック建築の傑作とされるケルン大聖堂、中世期のキリスト教徒の最大の巡礼地のひとつに数え上げられているスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラーの大聖堂等が列挙することができます。  ヨーロッパ中世期の絵画を見ても、すべてがキリスト教の影響を受けた素材で描かれています。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチのいろいろな作品(「岩窟の聖母」「三王礼拝」「最後の晩餐」)や中世の生活様式を概観することができる貴重な資料であると同時に芸術性が高く評価されている「ベリーの祈祷書」の数々を通じて理解できるのです。                                          ここで、せっかくレオナルド・ダ・ヴィンチが出てきましたので、少し興味のあることを述べますと、彼の有名な作品である「三王礼拝」に登場する2人づつ対になっている「二重人物像」について触れたいと思います。彼の描く構図は、すべてよく似た2人のワンセットの様相のもので、何故このようなものを考え出したかというと、田中英道氏によると(*講談社学術文庫「レオナルド・ダ・ヴィンチ」P101~P102より引用)、アリストファネスの怪人物のことを思い出すそうです。フィチーノの「饗宴(シンポジオン)」の注釈に「神秘的でプラトニスムの詩人」と呼ばれたクリストフォロ・ランディーノが考え出したそうです。プラトンの「饗宴」では、「人間は、もともと二人が重なった姿をして手足を四本持っていたが、彼らは傲慢になり神々に刃向かうことになり、ゼウスは、彼らの体を二つに割り、人間は、自分の体を追い求めることになる宿命を負ったということです。その求め合う二人の間にあるのが「愛」っだといわれています。」レオナルド手記によると、『愛されるものがその相手とちょうど合うとき、そこに喜びと満足がもたらされる。愛するものが愛されるものに結びついたとき、そこに安息が生まれる』。このことは、芸術家によって作られる作品が、描かれる対象と一体になってはじめて作品となることである。この結合が、まさに「あい」によって生まれる。                                           『愛』に関連して私の考えを補足させてもらいますと、愛の問題については、古今東西のいろいろな人々が述べていますので改めて私が取り上げることではないのでしょうが、若干述べさせていただきますと、愛の現象は不思議なもので人間同士に話を限定しますと、つまり人を愛することになると自分のことをすべて知ってほしい気持ちというか感情が湧き、また相手のすべてを知りたい欲望が目覚め、その双方の交流の気持ちの中で『肉体的にも、精神的にも一体』になりたい気持ちになるのです。先ほどのアリストファネスの怪人物の姿を想起せざる負えません。『饗宴』では、二つの愛の形があると述べています。一つは天上の愛であり、それは魂の和合であり、地上の愛は肉体の満足を求める愛であり、天上の愛は男性同士の間にだけに存在し、地上の愛は男性と女性の間にあるとプラトンは言っています。私は、天上の愛は『魂の結合』を求めるのみであるとプラトンは言っていますが、現在のホモセクシュアルの行動を見ますと、肉体的結びつきを求めることが強調されているのが趨勢のように見受けられます。このような観点に立てば、男性同士、男女同士の肉体の接触を持つ欲求が起こるのが納得できます。また、『饗宴』の中で怪人物は、本来3種類に分けられます。つまり、男と女そして男女です。二つに割られた人間が、相手である人を求めてもとの怪人物に戻ろうとすることは、人間の本性であるとプラトンは言及しています。ゼウスによりその怪人物の巨大な力を所有していたのでそれを二つに切ってしまったということです。それだから人間は、肉体の一体を求め続けているのでしょう。人間の宿命を感じるしだいです。人間は、精神の一体感の欲求より先に肉体の一体感がとかく先行して不均衡が生じ、ある一定期間が過ぎると肉体の一体感から遊離したい欲求が起こるのです。その点を考えると『愛があればなんでも克服できる』という信仰が崩れてしまうのです。確か愛については、肉体的なことよりも精神ことを重視して古今東西の人々が言っているのでしょうが、いずれにしても肉体的なアンニュイが精神の面での愛も消えうせてしまうのも事実であります。この点では、人間は、本来『片輪の孤独な生き物である』といわざる負えません。逆の解釈をすれば、ゼウスの逆鱗に触れた人間は、それが幸いして『愛』を知り、愛を追い求めることができたと思われます。また、人間は、他の動物と何も変わらないではないか、つまりもうひとつの片輪物を追いまわるだけの生き物であるといわれるかもしれない。私は、人間以外のほかの動物のほうかかるかに素直でまた醜くないといえます。なぜならば、他の動物は、子孫を絶えさせないよう一体感を求めるのであり、人間は、子孫を増やすという本能の部分だけでなく、『快楽のために』怪人物の分割される前に戻ろうとするのです。(←『西洋中世の男女』P176~P177から引用、阿部謹也著、筑摩書房)                         ところで、最近特に『愛』の脆さがあり、たとえば『離婚問題』が新聞の社会面を騒がせています。何がそのような風潮が起こるかといえば、いろいろの原因が考えられますが、広い観点から申し上げますと産業革命により科学技術の進歩が未曾有の速さで追求され、本来の人間性の内面性を置き去りにしてきた結果ではないかと考えられるのです。むしろ人間性の優位性を高らかに謳った『ルネサンス』以降から始まったのではないかとも考えるのです。人間が作り出したものは最高であり、人間の社会で気呪縛からの完全の解放・自由放任の風潮・個人主義の趨勢等が、その離婚を誘発したのではないかと思われます。また、キリスト教のプロテスタントの台頭との関連を無視するわけにはいかないのです。ここでそれ以上深く工作する余裕はないのでこの辺でやめますが、もうひとつ忘れてならないのは『都市の存在』があるのです。つまり、農耕生活の時代には、村単位のいろいろな掟や規律が明確に存在していたので、離婚というひとつの問題も個人で勝手に解約できるものではない、村の長老などが集まり協議して決められるものでした。その問題は、むらの将来のにとって考えねばならない重大なものだったのです。しかしながら、都市の誕生とともに職業の専門家が進む一方,ある意味で横の線の関係が希薄になり明確な規律等がなかったのです。いずれにしても『愛』は、双方の合意が基本線であるので、誰からも社会的な拘束がなく、またいつでも別れることに躊躇することなく容易であるのです。私は、このような風潮が続く限り、いつの日かいろいろな面で社会のひずみが生じると危惧するのです。ある意味では、社会的な規制というか、規律がどうしても必要であり、それは、ある意味で人間を拘束するものであるが、必要悪であると思うのです。何か容易に好きもの同士が結ばれ、また分かれることは、動物以下の行為であるといえる根拠はすでに別の箇所で申し上げたように、人間の性行為は、子孫繁栄のためにだけではなく、まさに『性的な快楽、エクスタシーのためのもの』であるということです。最終的には人類が無秩序な世界になる可能性があると予想されます。
ここで、私の専門領域である『西欧の中世の世界』から教訓として、学ぶべきものがあると思われますのでご紹介したいと思います。
ルネサンス以前の中世1000年のヨーロッパでは、当時の人々は、キリスト教の絶対優位(supremacy)下で、人々の生活全般について支配権を振るっていました。僻地への教化には、宣教師が派遣されました。まさにキリスト教の全盛期だったのです。中世期を理解するためには、キリスト教という宗教を抜きに語れないのです。   さて、『男女の結婚観』についてここで当時のことを概観するために、中世のヨーロッパのゲルマン人について考えてみたいと思います。なぜならば、当時は、ゲルマン人が実権を握っていた時代なのです。ゲルマン人を理解するための最適な資料としてローマの歴史家であるタキトゥスが記録した『ゲルマニア』を紐解きながら彼らの習慣・風習を見てゆきたいと思います。ラテン語の原文には次のように記述されています。もし、ラテン語が読める方は、原文をお読みください。

  Ergo saepta pudicitia agunt, nullis spectaculorum illecebris, nullis conviviorum irritationibus corruptae.  Litterarum secreta viri partier ac feminae ignorant. Paucissima in tam numerosa gente adulteria, quorum poena praesens et maritis permissa : abscisis crinibus nudatam coram propinquis expellit domo maritus ac per omnem vicum verbere agit. Publicatae enim pudicitiae nulla venia : non forma, non aetate, non opibus maritum invenerit. Nemo enim illic vitia ridet, nec corrumpere et corrumpi saeculum vocatur. Melius quidem adhuc eae civitates, in quibus tantum virgines nubunt et cum spe votoque uxoris semel transigitur ; sic unum accipiunt maritum, quomodo unum corpus unamque vitam, ne ulla cogitatio ultra, ne longior cupiditas, ne maritum tam quam matrimonium ament. Numerum liberorum finire aut quemquam ex agnatis necare flagitium habetur ; plusque ibi boni mores valent quam alibi bonae leges.

(要約)
女性は、よく貞潔を守って一生を過ごす。また、姦通があった場合は、その罪としてその夫に一任される。夫は、妻に髪を切り裸にし鞭を打って村上を引き回す。本当に穢れた貞操にはまったく情けがなく、もはや再び夫を見出すことができないであろう。また、処女のみが結婚し新婚の望みとその誓いは、ただ一度のことである。女性は、ひとつの体ひとつの生を受けているように、ただ一人の夫を守って、決して浮気をしない。女性の愛するのは、夫というよりもむしろ『結婚』そのもの(妻であり母であること)であるほどである。(←『ゲルマーニア』P.21~P.22,P.46~P.47から引用、タキツゥス,刀江書院)
ゲルマン世界では、結婚の形態は、3つあったそうです。(1)形式な結婚(Muntehe),いわゆる見合い結婚(2)和合結婚(Friedelehe),,いわゆる恋愛結婚、そして(3)略奪結婚です。
以上ゲルマン人の『結婚観』についてみて来ましたが、彼らにも見られたように『社会規範』により社会が統一され秩序立てられていたのがご理解できたと思います。


第2章
宗教と芸術との関連性について

この章で重要な命題である宗教と芸術との関連性を考えてみたいと思います。
集団の中で人間同士が生きてゆくには、衣食住だけでは足りず何かひとつに統合された崇拝できる何か宗教的なものを持たなければ存続できなかったのです。歴史の中で政治と宗教的な権化である一人の人間が絶対的な権力者として集団をまとめるために日常で存続したこともありました。(たとえば、古代エジプトのファラオ・紀元前3100年ごろのメソポタミア文明そしてインダス文明の権力者たちです。)またもう少し前の時代である狩猟採集の原始時代には、現代の存在する未開社会から推測すると、部族があり、また政治的な統率者である酋長と宗教世界を司る祈祷師とが明確に分離され、双方の役割分担が決まっていたであろうと思われます。そして豊年時の神への感謝の表現として『踊り』が定期的に開催されたことがあったろうと想像します。その踊りは、本来の意味では宗教的な表現であったが、(現在でも世界の一部の地域では、純粋な宗教的な踊りを見ることができます。たとえば韓国のムーダンや僧侶による梵舞、2世紀にエジプトで独自に発達しました東方教会の一つである単性論派のコプト正教会の踊り等があります。)客観的に見ると『自己表現の顕在化』であり、それはまさに一つの『芸術作品』といえるのではないかと思われます。そして宗教儀式には、必ずある儀式が執り行われます。その挙行の為に必ずといっていいであろう舞踊や音楽が付き物です。現存する諸宗教は、原始の外見部部の原型を変形して、ある種の形態に作り変えています。それは本質的には変わらない部分がありますが、その時代時代にあった外見上の変化を顕在化しなければ、その時代に住んでいる人々から取り残される恐れがあるからと推測します。いずれにしてもそれらの表出の顕在化がなければ、諸宗教は、多くの人々に影響をもたらしまた時間的空間的な広がりを持てなかったのです。また、宗教と芸術との優位性について言及しますと、宗教は芸術より上位ではなくその芸術の放出の最中にまさにその中に『宗教の崇高さ・神的なもの』を人々は肌で感じ取るのです。
音楽の世界を取り上げますと、西欧近代音楽の開祖といわれているヨーハン=セバスチャン=バッハの音楽は、まさに宗教音楽であり、音楽の転換のきっかけになったのあり、また音楽の一つの原点を確立したといえるのではないでしょうか。そして、私は、宗教と音楽との間にアイデンティティーを感じるのが、教会とパイプオルガンとの存在なのです。私が特に取り上げたかったのが宗教の一つであるキリスト教と音楽の関連性なのです。皆様がご存知のようにキリスト教が宗教として公認されたのがローマ時代のコンスタンティヌス大帝の時代の西暦313年であり、それまでは、彼らキリスト教の信者たちはローマ帝国からいろいろな迫害を受け、地下でひっそりと活動していたといわれています。その地下に礼拝堂を建設し、聖歌が作られたとされています。ある記録によれば、その聖歌が発達して後の『グレゴリオ聖歌』になったということです。その聖歌が最終的に『西欧音楽』の礎になったのです。
ここで、さらに芸術の一形態である音楽に争点を絞って話を進めようと思います。
音楽で一般に知られているのは音楽ジャンルであるクラシック・ジャズ・ポップス・ロック・ボサノバ等とは違い、また歴史上では目にすることがないマージナルな、つまり社会の辺境地に位置する、換言すれば一般の社会圏には存在しないもので、それは『ROMA音楽』といわれているものを取り上げます。私自身も少しはそれらの作品を演奏したことがありますすので、私の経験を交えながらお話をしようかと思います。きっと多くの読者の方は、『それは何ですか?』と質問すると想像しますので、少し『ROMA』から説明しますと一般に定住社会圏を持たない『放浪の民』といわれ、彼らは西暦1000年ごろにインドのラジャスタン地方から出発して北部アフリカ・ヨーロッパへ辿りついたといわれています。その後迫害・抑圧から地球上を転々と徘徊することを余儀なくされました。たとえば彼らの場所を転々と余儀なくされた歴史のあとを紹介します:
西暦800年~950年ごろ Domba と呼ばれた集団がインド北方ペルシャやアルメニアへの移住を開始
1407年 ドイツに存在した記録あり(但し、10年以内に追放された)
1418年 フランスに存在した記録あり
1422年 ローマに存在した記録あり
1425年 スペインに存在した記録あり
1492年 スペインは、反ローマ法可決。ローマ人を異教徒として異端審問へ委任
1498年 アメリカに移住の記録あり:クリストファー・コロンブスの第3回航海にローマ人が同行を通じて移住
1526年 イギリス人のヘンリー8世が、ローマ人をイギリスから追放
1538年 ポルトガルは、ローマ人をブラジルへ追放
*現在でも彼らへの偏見や迫害が続いている。事例として、コソボ問題、マケドニア問題があります。                                      以上のようなつらい歴史を経験しているが、彼らは、生活の中で踊り、また手相占いをしていました。ここで注目されることは、彼らは野原や森や川など、つまり大自然を愛し自分らを『自然の王』といっています。彼らは、また文字を持っていなかったのです。以上の理由から彼らについての記録された資料を入手することは大変難しいのです。現在では彼らの系統を引きスペインで生活しているGitano(ヒターノ)がいます。特に彼らは、音楽分野で才能を発揮して、個性的で独特でそしてどの音楽ジャンルにも属さない『フラメンコ音楽』を生み出し、多くの人々に路上やタブラオで披露し感動を与えています。私もフラメンコギターを多少勉強していた関係上、大いに興味があることなので若干その音楽について説明させていただきますと、ある資料によると、フラメンコは19世紀半ばに生まれたといわれています。この音楽は、フェニキア人・アラビア人・ユダヤ人の各芸能音楽とフュージョンされたものといわれています。フェニキアは、エジプトとバビロニアの狭間の地域にあり、紀元前15世紀に生まれ次第に周囲の影響のもとに都市国家の形態になり、海上貿易では北アフリカ・イベリア半島に進出し、最終的には地中海全域で活躍しました。また、アラビア人は、イベリア半島の進出の動きがあり、当時の半島に存在していた諸民族にいろいろな影響を与え、美術の面では、たとえば『グラナダのアルハンブラ宮殿』、アラブ人の居住地であった『アルバイシン』、町全体がイスラムのカリフ王国として10世紀から300年間栄えた『コルドバ』があります。また、歴史上複雑な諸宗教(イスラム教・キリスト教・ユダヤ教)が錯綜した痕跡が残る遺跡や建物が存在する古都トレドがあります。またその町は、エル・グレコが愛した町としても有名です。またユダヤ人は、商才がありヨーロッパでは大いにその分野で活躍しました。また、中世ヨーロッパでは、彼らユダヤ人は、一般の都市住民とは別にGHETTOへ強制的に隔離されました。そして、いろいろな面で制限され、たとえば『市民権』をしばらくの間取得することができませんでした。一面、ユダヤ人排斥運動を回避するために故意に隔離したと別の見方もできます。そして、彼らの宗教は、ユダヤ教であり、カトリック教会へ行くのではなく彼らの教会であるシナゴーグと呼ばれている聖堂へ行き、またその聖堂を司る人は、祭司ではなくRABBIと呼ばれる賢者でありました。しかしながら、既存のヨーロッパ世界に彼らの定住生活を通じて何世紀にも渡り『政治的・文化的(この章の関連の音楽も含みます)な面』で潜在的に大きな影響力を及ぼしたことを見逃すわけにいかないのです。
いずれにしても、このようなフージョン(融合)音楽を通じて『フラメンコ音楽』が生まれたのです。その音楽は、カンテ(歌)・バイレ(踊り)・トーケ(ギター)・サパテアード(足拍子)・パルマーダ(手拍子)・12拍のリズムによって構成されています。フラメンコのリズムパターンは、10種類以上あります。神秘的な雰囲気の『ソレア』、陽気な感じの『アレグリーアス』、その他ブレリア・タンゴス・ティエントス・不思議なリズムの『シギリージャス』、ファンダンゴス、マラゲーニァ、ベルディアレル、グラナイーナス、タラントス、タンゴ・デ・マラガ、ファルーカ、ガロティン、ぺテネーラス、セビジャーナ、グァヒーラス、ルンバスなどがあります。ここで注目しなければならないことは、フラメンコの世界では、「DUENDE」の存在を信じています。その存在は、霊であり妖怪であり、それらの力によって舞台が進行していると信じられています。ここで、私は、『宗教と芸術のラポー』を強く感じるのです。
話を戻すと、『流浪の民』は、宗教が存在したのかと疑問が起こりますが、キリスト教徒に言わせると、『宗教にかかわりのない民』であるといわれています。私はむしろある枠に囚われない教義(CREED)を持たないある種のアニミズム(自然崇拝)を信仰していたのではないかと想像いたします。ケルト民族やゲルマン民族との共通性をそこに感じるのです。ここで共通点を考察してみたいのですが、それは別の機会に譲るとして、とにかく先ほど述べましたように流浪の民は、森の精や河の精・太陽・月・その他この大宇宙を信仰していたように感じます。このような振興の民は、必然的に既成の宗教との葛藤が生じ、最終的にはその時代を支配していたある意味で地域的な宗教が優位に立ち彼らの信仰宗教(?)が下位になりいろいろな抑圧を蒙ることになってしまうのです。具体的には、ローマ帝国の時代にユスティニアヌス帝により公認された『キリスト教』は、現在でもそうですがヨーロッパ全域に精神的な及ぼしたのです。ここでこの流浪の民の迫害の歴史の一端を一瞥したいと思います。彼らの迫害の歴史に対して無知では、われわれ人類にとって恥ずかしいことであり、また本質的な歴史認識の健全な姿勢とは決して思われないのです。ある人が次のようなことを言うのが私の耳に聞こえるようです:そんなに歴史をまじめに考えることはないです。大体の歴史は、歴史学者がわずかな素材をもとに想像で作り上げた虚構の世界なのですから.または素材をなしにただ想像で作り上げた、いわゆる小説と同じフィクションの世界である。歴史を知りたがっている人に、無味乾燥な素材だけでは興味が湧かないので、皆様に喜ばれるように料理人として味付けをしておいしくするためにイメージで作り上げればよいのです。
私は、変な話ですがその意見にはある程度同意いたしますが、この迫害の歴史は、確かな事実でありそれを歴史の世界から隅のほうで押しやったのが不思議でならないのです。何か歴史家または、それに関係する人々の作為的な目的を感じるのです。いつの時代でも何がしかの作為的隠ぺい工作が大きな規模で行われていたことを痛感いたします。これ以上探索すると何か『恐ろしい人間の姿の全体像』が見えてきそうなのでやめにしますが。ただそれに関連して一つだけ言いたいことは、何かの力による故意的な・意図的に操作したのではないかと憂慮します。話が時空を越えて現在でも読者の皆様は、気づいていないのではないかと思われますが、たとえば日本では、テレビの映像放送でわれわれ国民の関心事を何かの力(政治的?)によって(A)から(B)へ向けさせる操作が暗黙のうちに操作されているように感じて仕方がないのです。偉大な法学者でありました末川博がそれと同じような指摘したのを思い出します。具体的な一例として(政治への関心)から(娯楽への関心)への転換です。それによって、国民の過激な革命的な関心を覚醒させなく政治の現状維持の安泰・治安の安定を狙っているように想像いたします。いわゆる、国民の脳を麻痺させているのです。
いづれにしても、先ほどの話題に戻りますが、率直に申しますとカトリック教会の意図的な策謀を見出すのです。キリスト教がなにゆえに『迫害の歴史』を作ったかは、中世の1400年代から数世紀にわたり続いた『異端審問』を紹介すれば十分でしょう。
少し露骨ですが当時の異端審問間の長官であったEymerich NicolasのManual de los inquisidores(異端審問官の手引き)に次のような記録があります 


El tormento no se un medio seguro de conocer la verdad. Hay hombres débiles que, al primer dolor, confiesan incluso los crimenes que no 
han cometido; en cambio hay otros, m
ás fuertes y obstinados, que soportan los mayores tormentos.


(私の翻訳)
拷問は、真実を知るための方法である。意志の弱い人は、最初の苦痛で自分が犯してもいなかった罪を自白します。それとは反対に意思の強健の人は、最後の拷問まで耐え忍びます。

La Inquisición practicaba tres tipos de torturas. La primera era el suplicio del agua: se ataba al prisionero a una escalera inclinada, con la cabeza más baja que los peis, se le mantenía la boca abierta, se le introducía un paño en la boca y se echaba agua que debía tragar; para ello se utilizaba un cántaro que contenía algo más de un litro de agua; durante una misma sesión, se podían administrar a un prisionero hasta ocho cántaros de agua.Otra forma de tortura consistia en colgar al acusado de una polea por medio de una cuerda ataba a las muñecas, y sujetarle pesos a los peis; se levantaba lentamente el cuerpo y luego se dejaba caer bruscamente. La tercera variedad de tortura era el caballete: el prisionero tenía las muñecas y los tobillos atados con cuerdas que se iban retorciendo progresivamente pro medio de una palanca. Según Henningsen, el noventa por 100 de los acusados que pasaron por la Inquisición española nunca sufrieron tortura.

(私の翻訳)

異端審問所は、3種類の拷問を行いました。最初のものは、水の拷問でありました。傾けた梯子に容疑者を縛りつけ体を逆さまにして口を開かせ布切れを突っ込む、そして水が注がれ飲み干さなければならなかった。容疑者に対して1リットル以上の水が入った壷が利用されました。時間内に8個の壷を容疑者へ利用することができました。ほかの拷問方法は、ロープで手首を縛り車輪に吊るし足で自分の体重を支えさせゆっくりと体を起こさせ、そして最後にパタッとたおさせました。最後の第三の方法は、拷問台の登場でした。容疑者は手首やくるぶしをロープで縛られ、レバーによって徐々にねじ上げられてゆくのでした。ヘニングセンによれば、異端審問所で行われた容疑者の100人当たり90人が拷問に決して耐えられなかったのです。

話を本題に戻しますと、キリスト教は、他の諸宗教と同様、規律に囚われた、換言すれば自分らの文章化された『聖典』に基づいた宗教であり、明確に『神』といわれる存在を尊ぶ宗教でもあり,その種の宗教にとっては、文字を持たない・自然界を畏敬する民族の信仰は、宗教とみなされないのです。その点に既成の宗教の排他性・偏狭性を痛感するのです。とにかく、彼ら流浪の民のユーラシアでの登場は、いつごろかといえば15世紀の初めといわれています。では、何故15世紀の初めに彼らが出現したかは、その時期は、まさに中世の終焉の時期であり、都市の発展、貨幣経済の活発化、商業の発展の地域的広がり、利潤の追求などが見られ、物的なもののみならず人的な交流も活発化したのです。そのような状況の下で、彼らはヨーロッパ地域へ移動したのです。但し、残念ながら彼らヨーロッパ人の不寛容な態度によって、彼らはGADSCHO(軽蔑なニュアンスをこめたヨーロッパ人への呼び方)の社会では、乞食や最下層民として位置づけられ、まさにユダヤ人と同じ扱いを甘受したのでした。むしろ、ユダヤ人以下の地位に位置づけられたのではないかと想像いたします。なぜならば人間の習性として既成のグループの縄張りに新参者が同居することは、先住の定住者社会では、彼らは『下』に見られる傾向があるのです。
いずれにしても、歴史上では彼らは、存在しない悲しいグループであり、そのような意味ではユダヤ民族のほうが、変な言い方になりますが、歴史上に銘記され、みなに知られたことの観点からは幸せであったと思われます。皆様もよくご存知の最近の事例として、ナチスによるユダヤ人迫害は、よく知られていますが、その影には常に彼らの存在があり、ひっそりと生きていたことを忘れないでほしいのです。
ここに貴重な資料がありますのでご紹介します。
ある統計資料によれば、第二次世界大戦前は、全ヨーロッパの「流浪の民」の人口は、およそ100万~150万人と推定されていますがナチによる迫害の期間の13年間に40万人が殺傷され、しかもそのほとんどが非戦闘員であったということです。しかしながら、繰り返し申しますが彼らの存在は、歴史のページに載ることがなかったのです。しかし、歴史上では、彼らに対する宥和政策も見出すこともできます。つまり、彼らに対する差別をなくす政策が、オーストリアのハプスブルク家の女帝と謳われたマリア・テレジアの『定住・改宗命令』によって実施された事実も忘れてはならないことです。しかし、その政策は、結局は失敗に終わりました。

彼らの抑圧された迫害の歴史の中から生まれたカンテ(歌)を紹介します。

”フラメンコ音楽のカルセラーレ(牢獄の歌)”
ねござの上に腰を下ろし、頭起こし唖然と、
思い出すのは我が母、我が子、今も元気でいるだろうか?

このわずかな歌の中に絶望感と計り知れない空虚感を私は感じないわけにはゆかないのです。

彼らは、人間界を超越した存在であり、大自然の中に生きていたのであり、そして宇宙と呼吸していたのです。我々は、彼らの生き方に大いに学ぶものあるのです。つまり、自然の中心として我々人間界が存在しているとは、あまりに傲慢な姿勢であり、また大変な錯覚であります。このような傲慢な考えによって、近い将来必ずや『大自然の制裁』が起こることを危惧いたします。ところで、現在彼らの多くは、手仕事によって生活をしています。ここで注目することは、地球を移動する彼らにとっての一番好まれる仕事は、四六時中拘束されない季節労動といわれています。彼らの気質というか本質のところというか『自然界に漂流する民』と感じて仕方がないのです。何か彼らを形容するとすれば、大自然と同じに過去を振り返らずに、また未来を心配せずに、つまり現在に自然の流れに身を任せて漂っている存在である。そのような私勝手な解釈の上に立つと、フラメンコ音楽のリズムの一つである『アレグリーアス』の明るく現在肯定的な、また刹那的な享楽を表現した形式が生まれたのが納得できるのです。前述しました「DUENDE」の存在も何か自然界の霊的なものを指しているように思われるのです。つまり、「神的な存在」なものではないかと想像するのです。いままでは、「流浪の民」と言い続けて固有名詞を使用することを意図的に避けていたのは、それなりに根拠があるのです。人間は、愚かにも固有名詞に対してよく先入観を持ち、また偏見の性癖があるように思われます。私は、彼らのうちなるもの、つまり自然に対する信仰心・自然崇拝・また自由奔放な彼らの生活様式などを直視してほしかったからなのです。彼らは、皆様がよくご存知の「ジプシー」と呼ばれている人々です。フランスのパリに行ったことのある観光客の人々は、『ああ、現地のガイドさんから注意するように言われたあの連中か!あの泥棒とか乞食とか言われている連中か!』と言うことでしょう。確かに彼らの中には、盗みや物乞いをする人もいますが、それを見て彼らの全体像であるの言うのは、あまりにも偏狭的な見方であると思われます。彼らの多くは、何がしかの仕事はしながら生活をしているのです。先ほど言及した季節労働者として従事しているのです。以上の記述から皆様が彼らに対する考えや歴史を少しでも理解して多少なりとも彼らの見方が少し変わったならば、私にとってこれ以上の喜びはありません。

『苦悩・迫害の中から芸術は生まれる』

私は、流浪の民の歩んできた軌跡を考えると、芸術との関連性を認識せずには語れないのです。迫害の観点から、別の例を挙げると『黒人の歴史の軌跡』にも類似性を見出すのです。皆様のご存知のように黒人音楽のジャンルとしてゴスペル・ブルース・ジャズ・ソウル・ファンク・ラップ・ヒップホップ等があります。ところで、彼らの歴史の一端を見ますと、アフリカとアメリカとの奴隷取引きは、植民地における農業の労働需要の拡大に伴って増えたといわれています。1600年代には毎年約5000人のアフリカ人である黒人たちが奴隷とされたか、1700年代には年間30,000人に達し、また1800年代には年間75,000人という記録がありました(「緑の世界史」P.320から引用、クライブ=ポンティング著、朝日選書)。この中で奴隷としてき北アメリカへ連れて来られ強制労働を余儀なくされたのです。このような強制・抑圧・迫害の下に黒人の叫びとして黒人音楽が生まれたのです。その叫びには、アフリカへの郷愁・寂寞・嘆き・深い悲しみが音楽に織り込まれ、『ブラックミュージック』が誕生したのです。
これに関連して取り上げたいのが、私が尊敬する天才音楽家「ルードヴィヒ・ヴァン・ベートヴェン」です。彼の人生、特に幼年期に注目してみたいと思います。ベートーヴェンの一家は極貧のどん底にありました。彼の父は。酒に溺れ、家財を売り飛ばして病弱な妻を抱え、彼自身は家族全員を経済的に支えなければないませんでした。そのような境遇の中では彼が肉体的にはもちろん精神的にも健全に成長したとは考えるのが難しいと想像いたします。父親(ケルン選定候宮廷礼拝堂のテノール歌手ヨハン・ヴァン・ベートーベン)は、自分の子供の第二子であるベートーヴェンの音楽的才能を早い時期に見抜き、彼に全面的に期待を持ち、つまり彼を磨き上げれば、この極貧から抜け出せること、自分の好きな酒を浴びるほど飲めると思い描き、ベートーヴェンに厳しすぎるほどの音楽の勉強をさせたのです。彼は、ピアノの鍵盤の上で眠ることもたびたびあったといわれています。また、彼は、よく音楽の稽古を怠けると父親の大きな手が彼の顔に向けられたのでした。私は、そのたびたびの顔の殴られ方が彼の耳のところも含めて殴られたのではないかと思われます。それが原因で30歳のころからの耳の不調の原因があったのではないかと推測するのです。彼から見れば、父はふしだらな・どうしようもない・無責任で精神的に不安定な、つまり、不道徳・不純・悪魔等の化身そのものでなかったのではいかと思われます。また、彼によって一家の大黒柱の全責任としての自覚が20歳前後の彼の両肩にのしかかったのが、彼にとって大きな重荷であったことでしょう。
以上のような状況の中で、彼は、普通の人として人生を満喫して、楽しい幼年期、青年期を過ごすことがなかったのです。ある意味では、自分の不運を呪い、蔑み、自分を抹殺することも考えたことでしょう。しかしながら、他方では、彼の性格からして現実に目をやると自分勝手な考えや行動をとることがいかに難しいかの心の葛藤をしたことでしょう。結局は、まさに諦観の心境に突き進み、自分のすべての内的な考え、衝動を音楽へ傾倒して行ったのではないか,だからこそ強烈なエネルギーが彼の音楽作品に投影されたのではないかと想像するのです。また、彼の聴覚のシャットアウトのことも彼の作品に大きな影響を与えのです。つまり、彼は、人生を苦悩と受け止めるところに彼の人生観の根本を見出せるのです。

「アニミズムの考察」
ここで、流浪の民である「ROMA」の信仰との関連で大自然を畏敬し崇めるアニミズム信仰心のある民族、つまりゲルマンの民・ケルトの民・東南アジアの民・そして日本の民にも見出せるのです。それらの民の信仰心を探ってみることは大変価値があると思いますので、この章で取り上げたいと思います。まず、ゲルマン人は、典型的な『自然崇拝の民』であり、たとえば、北欧のゲルマンのオーディンは、主神で戦争・死・知恵・詩・魔術の神(但し、南のゲルマンのウォーダンは、主神であり、風の神である)であり、トールは、力の神で雷・農民の神(南のゲルマンではドナール)、フレイは豊穣の神、バルドルは光の神、マーニは月の神、ソールは太陽の神などであり、地・水・日・風の四大元素に対し人間に害を与えないように祈ります(「エッダとサガ」P.25~P27から引用、谷口幸男書、新潮選書)。

そして、収穫が無事に済んだときには、大地の霊、大地母神・主神、風の神に供えをして唱えごとをします。彼らの歌をお聞きください。

    さあ、風よ、これはお前の子供のための麦粉だ
    吹き荒れるのをやめよ
    雄風よ、雌風よ、ここにお前の食物を置く
    お前たちは、わしの言うことを聞いてくれ

*『ヨーロッパの祭りと伝承』P.22~P.23から引用、植田重雄著、講談社学術文庫

また、忘れてならないのは、森の精霊、樹木の精霊、水の精霊の信仰が存在したことです。

次に、ケルトの民を取り上げますと、彼らは、古代ヨーロッパで活躍した印欧語族の一派です。彼らは、紀元前3000年ごろ北方文化圏を形成し紀元前2000年ごろから移動をし始め、次第に全ヨーロッパへ浸透してゆきました。ただし、前1世紀ごろローマ帝国によって敗れてしまったのです。彼らの社会の基盤は、農耕や牧畜が主であり、自然の中に神々がいるという信仰の中で生活をしていました。例えば、全能の神(豊穣)、太陽の化身ルフ(技芸)、マトロナ(地母神)、ケルヌンノス(森)、マナーナーン(海)を信仰し、また輪廻信仰を持っていました。その点は、仏教との類似点を感じるのですが、根本的な相違点は、死とは怖いものではなく、またこの世に生まれ戻るという考えで、他方仏教では、この世は娑婆と呼ばれ苦難の世界であり、その輪廻のサイクルから解脱をしない限りその苦難の道が永遠に続くという現世悲観論を展開しています。結論として、Celts(ケルト)は、現世肯定型であり、仏教は現世否定型であると思われます。この相違の根源的な由来は、ケルトは、自然のリズムからの啓発であり、他方では仏教は現世の自然への関心が希薄、解脱を通じて涅槃の境地、つまりご来迎の世界への追求型の宗教観が存在しているように思われます。また、キリスト教では、直線型の宗教観であり、ある意味では「人間中心思想」であり、人間以外は人間界の下位におきます。しかしながら、ケルトの民は、キリスト教に征服され同化の道を余儀なくされましたが、彼ら本来の精神的な自然崇拝観を失うことはなかったのです。

彼らの詩篇にそれが窺えます:

A hedge of trees surrounds me.(木々の茂みが私を包む)
A blackbird's lay sings to m
e.(真っ黒な小鳥たちが、歌を私の耳元で唱        和します)
Above my lined booklet.(私が行を追って読んでいる書物のずっと上のほうで)
The trilling birds chant to me.(旋回している小鳥たちが、私に詠唱します)

In a grey mantle from the top of bushes.(茂みの頂から灰色のマントを羽織)
The cuckoo sings.(カッコウが詠唱します)
Verily-may the lord shield me.(まことに願わくば、主が私の盾になってくださることを)
Well do I write under the greewood.(緑林の下でその願いの句が銘記出来ますように)
*日本語訳は、私の試訳です。
*The poems above are quoted from 「The Celts」(by Nora Chadwick published Pelican Original,P219) 
以上ゲルマンとケルトのものを見てきましたが、現在でも一神教のキリスト教の影響が色濃く残っているヨーロッパの国々のお祭り行事に溶け込んでゲルマンやケルトの文化が息づいています。
次に東南アジアの民の宗教観を見たいと思います。
根本宗教は、彼らにとってはアニミズム信仰であります。本来アニミズムは、人間の霊魂が人間から独立していろいろなところへ浮遊するものであり、また人間以外の動植物やその他の自然物からの霊魂が精霊といわれています。この両方のものを含めた霊的存在への信仰が「アニミズム」と定義されています。例えば、タイ族やラオ族の「ピー」、クメール族の「カモーイ」、ビルマ族やカチン族(ビルマ北部山地の種族)の「ナット」、マレー族の「ハントゥー」などと呼ばれる生霊・悪霊・死霊・祖霊・魔女・妖怪などの総称であります。←『東南アジアの理論と心性』P.48~P.49から引用。以上は、東南アジアものですが、インド・スリランカには、アニミズムの一形態である『樹木崇拝』があるそうです。日本ででも霊的存在が動植物・無生物に宿っている信仰があります。例えば、動物では狐が「お狐さん」として稲荷神社で神として祭られ、また無生物である『石』が祭られている神社もあります。また、大きな木は、神が宿っていると信じられて『神木』として崇拝されています。また、私の個人的に興味のある神社があります。その神社は、以前訪れたところであり、その神社の名前は「県(あがた)神社」と呼ばれています。その本堂には、なんと「人間の男性のシンボル」が祭られていました。子孫繁栄の神社なのです。
総括として、以下に世界的な宗教の世界観について一瞥しますと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、神道等を概観しますと、「神・人間・大自然」の構成が、石田英一郎の『文化人類学ノート』によりますと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は唯一絶対神を信仰し、男性であり父である神が存在し、ヒンズー教は、大地の母子であり、女性の神格として顕在します。日本の民族宗教も後者であるヒンズー教の範疇に入るといわれています。岸本英夫の「世界の宗教」によれば、世界観の三類型を構築しているといわれています。つまり(1)宇宙の中に神と人間が共存(日本の民族宗教の場合)(2)神が人間を含めた宇宙の外在の存在(キリスト教、イスラム教の場合)(3)宇宙の中に人間のみが存在して、神の存在否定(仏教の場合)です。R=レッドフィールドによると、人間と人間に対面する存在としてのALTERなもの、つまり自然と神が存在するものとして区別しています。(1)神が上位で自然や人間が下位に位置して横並び(2)人間が上位で自然・神が下位で横並び(3)自然が上位で神・人間が下位に位置し横並び。つまり、(1)については、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの諸宗教がそれに該当し(2)については、としか・産業化の環境の中で『個人の覚醒』、自己表現の発露による『人間中の世界観』の誕生(3)については、ケルト人やゲルマン人の宗教観、アジアの民族宗教つまり「アニミズム」がそれに該当するということです。
ここで、先ほどの引用した「自己表現の顕在化」の言葉に関して、私の考え方を若干補足しますと、絵画にしろ音楽にしろ演劇にしろ、すべては自分から発した「自己表現の顕在化」であり『自己の感情の表出』であります。その限りでは、芸術イコール人為的なものという狭い範疇に陥ってしまい本来の芸術の無限性を否定してしまうのです。そのような偏った理解は、本当の芸術を無視し、まさに残念ということしか形容するしかありません。

私は、大きな声で言いたいのです。
雲海の曙の神々しさ,大海の白波の勇敢さ、山々の林間に差し込む光の幻影、山々の頂を照らし出す雲の間からの一筋の光の透徹さ、山間の小鳥たちの優しいさえずり、太陽が地平線の彼方へ沈んでゆくときの寂寞感、夕と夜の間の大空の星々の宝石のような輝き
自然の作り上げた「美」に目を向けてください。きっと「芸術の究極美」を我々人間に教えてくれることでしょう。

(自作のつぶやき)
夜の展開の幕に吊るされている煌めく星を見上げてください
あなたの心が悲しいとき、きっと温かい手のひらであなたを包んでくれることでしょう
あなたの心が寂しいとき、きっとあなたのそばに来て優しい言葉をかけてくれることでしょう
あなたの心が辛いとき、きっと優しき言葉であなたを慰めてくれることでしょう
そして、あなたの心が楽しいとき、きっとあなたと一緒に飛び回ってくれることでしょう


日本風景画の巨匠である東山魁夷の次の言葉にすべてが語られています。

『私は生かされている。野の草と同じである。路傍の小石とも同じである。自然は、心の鏡。』

話が『芸術の無限性』へ話が行ってしまいましたので、この辺で本来の主題であります『宗教と芸術』に話を戻しますと、ポエムの世界では、偉大な詩人でありますリルケの詩集は、宗教的な要素がかなり踏襲されていますが、同時に芸術作品としての価値も多くの人々に認められています。
この辺でリルケの詩集の一片をご紹介したいと思います。

Da neigt sich die Stunde

Da neigt sich die Stunde und ruhrt mich an mit neigt sich die Stunde und ruhrt mich an mit klarem,
Metallenem Schlag:mir
Zittern die sinne. Ich Fuhle:ich kann---
Und ich fasse den plastischen tag
(訳)
時は、終わろうとしている
時は、終わろうとしている、それは私に優しく触れる、澄んだ響きのよい音と共鳴しながら:その雰囲気の感覚に私の心は小刻みに震える。私はできるーーーそして、私は、形が縦横無尽になる朝を迎える

Nichts war noch vollendet, eh ich es
Erschaut, ein jades warden stand still.
Meine blicke sind reif, und wie eine
Braut kommt jedem das ding, das er will.
(訳)
何も仕上げられていませんでした、私が心の目で見るまでは、それぞれの形になるものが静寂の中に佇んでいました。私の洞察力は、完璧であります、そして新婦のように、彼が望むようなものが各人に来ます。

Nichts ist mir zu klein und ich lieb es
Trotzdem und mal es auf Goldgrund und gross, und halte es hoch, und ich weiss
Nicht wenn lost es die Seele los---
(訳)
私にとって小さすぎるものは何もない、そしてそれにもかかわらずそれらを愛しています、いつか金の地面にそれらがあり、そして大きくなり、それら
が高く伸び、そして誰によってその心が剥ぎ取られるのかを私は知らない。
(リルケの詩集より)*翻訳は、私の試訳です。
注釈として上記のドイツ語文の中のいくつかの単語には、ウムラウトが必要な単語ですが、故意的に付加していません。なぜならば、このブログには英語以外の外国語に対応していません。ご了承ください。)

ここでは、難解な哲学的セオリーを述べようとは毛頭ありません。唯私が指摘したいのは、『芸術とは、宇宙を超越した何かの存在と同一的なもの』と一致するように理解できる領域ではなく、感覚として感じるのです。もともとそれを理解することは不可能であり、また不合理であります。芸術とは頭で理解するのではなくcordis(心)とmentis(精神)によって受け取るべきであり、心が感じれば必ず精神が覚醒して人間の肉体へ連鎖しカラダ全体で感じ取ることができるのです。そして、人間の外輪である大気と協和するのです。『何かの存在』とは、神的な存在であるかもしれません。

ここで少し文脈からは、逸脱してしまうのですが、気になる文章を発見したのでここで原文を紹介したいと思います。なにか『芸術の核心』をついているように思われますのでどうしても掲載したいのです。

An artist must be a master or nothing...In learning,on the other hand, a man can only be a master in one particular field, namely as a specialist,and in some field he should be a specialist. But if he is not to forfeit his capacity for taking general views or even his respect for general views, he should be an amateur at as many points as possible...Otherwise he will remain ignorant in any field outside his own speciality and perhaps, as a man, a barbarian. (Quotation from" The letters of Jacob Burckhardt")

上記の文章は、英文でありますのであえて訳しませんが、私がこの文章から感じたことは、芸術家は、支配者であり、また何者でもなく大気のような存在である、専門家になってはいけないと偉大なブルックハルトは重要な指摘をしています。私は、まったく同感です。芸術家は、本来地位や名誉、金銭求めるのではなく、もっと崇高な存在であるべきなのです。現実世界では、彼らは一般の人より貧しく、目立たない存在であるのが「本来の姿」だと思われてならないのです。以前別なところで述べましたようにそのような環境の中から本物の芸術が誕生する公式が存在すると確信するのです。あまりこのテーマにどどまる時間がありませんので本題に戻りたいと思います。

その存在を想像して生成したのは『神のなせる技』を感じるのです。結論的にいいますと、芸術は、すなわち神の存在そのものなのです。一番身近な理解として、現在ではキリスト教・仏教・イスラム教・ヒンズー教その他いろいろの宗教が存在しますが、私が表現したいのは、損らの諸宗教を超越した『宇宙の究極的存在』なのです。人間は、その存在に接近するために人間のEmotionが,諸宗教のいろいろな効果音を利用するのです。人間は、それらによってまさに恍惚状態に導かれるのです。具体的には、仏教の場合、宗派によって多少の相違がありますが、一般的に般若心経や法華経などの読経があり、それを唱えるとき太鼓やその他の音を打ち鳴らし、それらの共鳴があり、神道では、祝詞のときに太鼓や鈴の音のハーモニーがあります。キリスト教の2太宗派(カトリックとプロテスタント)のなかでカトリックは、教会の基本文章である『三要文(信条・主の祈り・十戒)』を唱え、オルガンに合わせてコーラス隊が『神を讃える歌』を合唱します。イスラム教では、モスクから町中に響き渡る『アザーン』の声の神秘的な雰囲気があります。実際、私がトルコやエジプトを訪れたとき、その幻想的な響きによってムスリムの世界と自分との不思議な一体感を感じました。また、それら自分たちの宗教の神への存在を肌で感じる効果として、その『空間効果』も大きく寄与しているのです。事例として、仏教では、『仏』の存在感を感じる境内の山門・参道・仏舎利等・本堂・奥の院等の空間は位置、キリスト教の教会の内部の暗闇・ステンドグラス・キャンドルの光・中心に位置する(
続く)

Sunday, 09 November 2008

我が演劇論:Prelude

Die Einleitung                                        

文化は、いろいろな形でそれぞれの時代を映す鏡である。『演ずる』という手段を持って現代という時代のフィルターを通じていろいろな作品を舞台や各種映像で表現することをいつも心がけています。例えば、過去の作品でも現在の呼吸を吹き込むことによって過去の作品としてとどまるのではなく、まったく新しい姿として生まれ変わるのです。そのようなプロセスを通じて新たな文化創造につながるのです。文化というものは、どんな時代でも、『真実の姿』を求め、『常に変貌』を要求するものなのです。別な見方をすれば、その時々の社会が「文化」を産み落としたのであるが、逆説的な言い方では、『文化』がその社会を構築し、歴史を変えたともいえると思われます。そこに、『文化』の測り知れないパワーを痛感するのです。また、真の演劇の仕事は、自らの持つ哲学的思想的文学的の諸要素の性向を新しい演技性に置き換える文化運動といえると思われます。それぞれの作品を鑑賞することによって観客を変貌させることこそ演劇の究極の目的であり、またそれゆえに変えうるだけの演劇という世界が力強いパワーを持ち続けなければならないと思うのです。ところで、演劇のいう文化の一形態において、もう少し掘り下げて考えると、それの特殊性は、時間的空間的に物語を運ぶことであり、登場人物に自分を成り代わらせることが『演技者の仕事』であると確信します。                       

(English Version)                                   Culture is the mirror to project each generation in the varierty of forms. I'll always make an effort to express myself in the variety of the works of both the drama stages and TV,or Cinemas by performance through THE PRESENT FILTER.. That is, the new works could be transformed by the present breath ,not the old works. A new culture can be created through the above-mentioned process. The culture is seeking for "truth", and demanding "forever-transformation". Now,the real drama contribution is the culture movement to express oneself in the new drama scenes from their own philosophical, idiological and literary inclination.                 

Der Hauptteil                                                       本論では、『俳優とは何ぞや?』の問題から考えたいと思います。。本論では千田是也の『俳優入門』の本を中心に論を進めます。先達者曰く、『俳優の仕事は、台本には、音色・高低・強弱・速度・休止などーについての指定はほとんどない。せりふやト書から、自分の役の性格、他の役との関係、その内的・外的行動の「途切れぬ線」、脚本全体の意図(「超課題」)、その中での自分の位置や役割を読み取り、それを自分の体験や知識や想像力でおぎなって、生き生きとした役のイメージを作り上げ、形にあらわすことです。』と名言を残しています。この論では俳優の技術な面である音色・高低などの側面より、より重要でより深遠であり、もっとも困難な『体験と想像力について』言及したいと思います。演出家や監督がよく『役者はいろいろな体験をしなければ、その役柄に迫れない』とよく言われるが、役者がすべての時間的・空間的次元を網羅してあらゆる職業の経験を要求されるならば、誰も役者の資格がないと謂わなければならない。人間の寿命は平均して70~80歳ぐらいであり、また時間的・空間的に限られた現在という世界で生きています。自分が『現在の次元』で体験したもので演技するしかないのです。現在というフィルターを通じて自分なりの演技を遂行すればよいと思われます。但し、限られた『体験』をただ演技に投入すればそれでよいという単純なものではない。日本の代表的な演出家である水品春樹氏が謂っているように『それを生かし作品の創造性を助けるのが想像である』と。氏によると、体験は、ただ自分の実体験だけではなく、読書や見聞の経験も含まれています。氏は想像について言葉を続けます『芸術表現に大切な想像やイメージを作り出すその源は、表現者の体験・心的経験による知識上感覚上の記憶力であり、この働きが強いほどそれによりイメージがより浮かび(正確な演技想像への足がかり)が得られる、また体験・知識を蓄積することによって(感受性)が磨かれる』と。私は、純粋無垢な子供たちからよく教えられます。つまり、子供たちの遊戯の中に何か演技の原点の一端を感じるのです。たとえば、そこに大きな石があれば、それは子供たちの魔法によって台所の食卓テーブルに変身し、汚く薄暗い路地は、魔物が住みつく洞穴に、雑草は、魔法の絨毯に。つまり舞台の背景や道具が、子供たちの想像のイメージによって創り出され、その舞台で自分らの役割が決まり演技が展開されるのです。確かにその演技は、稚拙で、演技にとって大切な要素は欠落しているが、つまり鑑賞する人を意識した演技ではない。子供たちの小さな経験(テレビの中の登場人物の記憶)が想像の世界で開花した点は、大いに学ぶ点があろうと思われます。但し、私が日頃危惧していることは、多くの役者は、その登場人物に少しでもなりきろうと、先ほどから論述している自分の経験・体験に加えてその人物に関する資料・書籍等を勉強しますが、であれば、その役者さんの存在は、言い換えれば『個性』はどこにあるのでしょうか?個性の喪失。役者は、演出家や監督のマリオネット(傀儡人形)ではありません、あくまでも『新たな創造性を創り上げる芸術家』であります。それぞれの役者の体験・価値観・環境・物事に対する感受性・自分が存在している現在の時点などを通じてその人物になりきるところに個性が生かされ、またその登場人物の画一的な見方とは違ったものができその人物に新たな生命が吹き込まれ観客に感動を呼び起こすのです。そこに演技の面白さ,変幻自在な姿を発見するのです。次に『途切れぬ線』とは何か?                     

Die Fortsetzung des Hauptteiles                            『途切れぬ線』とは、スタニスラフスキーが『あらゆる芸術において、一本の途切れぬ線がなければならないということがわかるだろうか?線が、一つの全体となるときに、創造活動が始まる。諸君の内的な力をみんな使って、一本の途切れぬ線を作り出しなさい。』といっているように(『俳優修業』より)、俳優は、舞台では、、ある役が俳優に与えられた場合、その間は『内的な一本の線』(スタニスラフスキーの言葉から引用)を持ち続けなければならない。素人の俳優と本物の俳優との違いは、その点で判断できます。別に俳優に限ったことではなく芸術といわれるすべての分野でもそのことが云えると思われます。例えば、音楽演奏家にしても曲目全体の一本の線を持たなければ、演奏する上での創造性やその演奏者の独創性が内部から構築されないし、また鑑賞する人々に感動を与えることは決してありません。つまり、芸術の一形態とはならないのです。『もしも、内部の線が途切れると、演ずる人は、何の欲望も情緒も持たなくなるのです。その線が中断すれば、生活もとまる。』(スタニフラフスキーの言葉より)。少し角度を変えて、自分の経験から少し述べさせていただくならば、よく将来俳優になりたい希望の生徒たちを指導しているとき感じるのは、短い寸劇のなかで無対象動作で自分の部屋の高い棚からダンボ-ルを下ろす練習をさせると最後まで一本の線が持続しなく手から無意識に離してしまう。このわずかな時間でさえも持続することができない。そのような状況では、決して創造的なものは生まれない。ここで、一つのテーマが私の心に浮かびます。つまり、『観客(客体)に感動を与える』とはどういうことでしょうか?どんなに俳優が躍起になって人に感動を呼び起こそうと頑張ってもそれ演技を見るサイドに内的な推測性、期待感や過去の経験がなければ、何にも起こらないのです。よく浅薄な俳優は、自分の置かれた状況演技だけを切磋琢磨するが、それは片手落ち以外の何者でもありません。その相乗効果を忘れてはならないのです。つまり『総合コミュミケーション』の実現に神経を砕くべきです。さもないと、演技者の一人舞台になり、悪い場合は、自己陶酔に陥ってしまうのです。特に、俳優は、自己陶酔型が多く見受けられますので、くれぐれも慎重にならなければいけないのです。わかりやすいケースとして、子供たちの前で、『ハムレット』を一生懸命俳優が演じた場合、期待すべき効果が得られるでしょうか?この点について、千田是也氏は『俳優の芸術は決して一人ではできない。俳優は、ある場面での人と人、人と物、人とその置かれた場面のと関係を読み分ける(場面の感覚)を身につけなければならない。』と説いています。幸いなことに、人間は、長い期間、集団生活をすることによって、『俳優の身振り・仕草から』ある程度の共通の理解力・先行的期待感を先天的に持っていますので、ある線の感動を獲得するでしょう。しかしながら、俳優は、それに期待することなく、『全体の蜘蛛の糸のネット』をいつも内的に張り巡らせる努力を惜しんではならないのです。つまり、それらの期待できる仕草やみぶりにしろ、いろいろの役柄では、そんなにも単純なものではなくもっと複雑なものであり、演技の最大限の琢磨を要求されるのです。俳優と観客の『交流』、スタニスラフスキーの言葉を借りると『交通』という言葉に凝縮されるのではないかと思われます。次に、千田是也氏の『演技の三つの型」について考察してみたいと思います。先達者曰く、俳優と役との関係から、演技には、『代理、形成、表示』という三つの型があるそうです。               

Die Fortsetzung                                       これら三つのパターンが生まれるには、特別な歴史的、また社会的な理由があるとのこと。最初に『代理』について取り上げると、宗教的な祭りで演じらえる人物たちでそこで演じられるのは、伝統的・伝説的なな人物たちである。それゆえに、空間的・時間的に限定さているので、それに参加している観覧者たちは、演じる人物がまったくの素人芸であっても、『あの人物を演じているのだなあ』と想像できるのです。例えば、ヨーロッパのドイツの『ニッコロ行列』ーー。その原型を思い浮かべて同一化できるのである。この場合、長い年月受けつがれたものであり、服装や動作に神経を使わなければならない。ただ、双方とも『魔法の輪』にいるので演技者と観客に間には、同化はあっても分化は見られないのです。千田先生は、この次元では『芸術』とはいわないと言っています。次に、『形成』に話を進めると役を作り上げるための全身全霊を総動員して物まね・しぐさ・身振り・せりふで『イリュージョン(幻影)』を喚起する必要があるといっています。この場合、『演じて見せる』という役者の働きだけは、役の後ろに隠さなければならない。この時点で、俳優術は芸術の世界への仲間入りできたといっています。最後に『表示』については、役者と観客は、別の人間である。役になりいろうとは考えずただ『役を表示』するのみである。後は、観客にその演技の批判や選択に任せるものである。以上千田先生の演技の三つの型を要点だけを紹介しましたが、この中で『形成』について一言申し上げたいのは、『形成は芸術の世界へ仲間入りできた』といっていますが、『代理」も芸術の世界に入ると思われます。なぜならば、先生は、神とか超人間とかの演ずることは、『代理』であるからその世界には入らないといっていますが、奈良時代に中国からはいってきた散楽が、日本化して平安時代に猿楽となり鎌倉時代を通じて「悲劇的」な歌舞劇である「能」は、約600年の歴史を持っていますが、それは、まさに芸術の極致であり、芸術の世界に入ると思われます。ご存知のように、主人公のほとんどは「幽霊」であり、人間の本質や情念を演じ、「幽玄」を追求したすばらしい芸術であります。観阿弥の子世阿弥は、「演技」について彼の著書である「風姿花伝」で「役に扮する演技には、あえて似せようとはしない段階があるはずである。役に扮しきって、本当にそのものに成り入ってしまへば、そのときの心には、もはや似せようといふ思ひがあるはずはない。道をきはめた名優が心がけるのは、(省略)何気なく舞って出たといふ風情を見せることである。」と述べています。この文章で「演技の、否、俳優の役に対する真髄」を明確化しています。但し、「役に扮しきって」とは、それ相応の努力をしなければならないと謂っていますが、私が、世阿弥の考え方で矛盾というか理解に苦しむのは、「花伝書」では、「あえてなにもせぬところが面白い」と述べ、また言葉を続けています。「舞と歌の二芸やしぐさ・役柄の演技は、身体で演じる技芸である。「何もせぬところ」とは、技芸の間隙であり、そこが面白いのである。」と。私が感じるのは、話が私の専門分野のひとつである「ギター音楽」との関連で少し述べますと、ギター音楽の中でも特に、フラメンコ音楽は、演奏の間隙を大変大切にしています。その間隙効果によって一層すばらしい効果が出るのです。ある意味で、「沈黙」効果とも関係があるように思われます。マクス=ピカートは、演劇におけるドイツ語でのSchweigenについて「言葉は沈黙から、沈黙の充溢から生じる」と。    

Die Fortsetzung                                       また、ベルギーの劇作家、詩人、思想家であったモーリス=メーテルリンク によると、「もしも私がほんとうにその人を愛しているなら、私が言った言葉のあとの沈黙が、私の言葉にどれだけ深い根があるかをその人に解らせるだろう。そしてその人の心に、それもまた無言である確信を生むだろう」と。私は、せりふだけが観客にわかってもらえればそれで事が足りたと思うことは、あまりに軽薄で、本来の演技の真髄は、行間にある「なに」かをつたえられるとき「芸術の創造性の何ものか」を感じるのです。アーティストを志すならば、その点を決して忘れてはならないのです。気持ちを言葉で相手に伝える演劇は、どんなジャンルでも無意味なのです。本来人間は、話す自分と聞く相手の間には「呼吸のリズム」のような何かが存在します。それは、言葉では表現できないことですが。よく、日常でも言われる言葉に、「あいつよくしゃべるなあ、なにをいっているかわからないよ」という文句がよく聞かれますが、それはまさに、双方のリズムが合わないのです。言葉の連射は、ただ聞く相手に理解を難しくさせるだけではなく、嫌悪感も相手に植えつける結果になってしまうのです。また、「愛のささやき」には、愛の告白とともに間隙も必要なのです。とどのつまりは、「人間での感情表現に間隙の要素が必要不可欠です。但し、ここで忘れてはならないことは、「間隙」ととも「しぐさ」が伴うとより相手にわからせることができます。つまり、「非言語の世界」の助けを借りることです。「しぐさ」について、千田先生は、俳優の芸術は決して一人ではできない、他の人々(その他の俳優たち・作家・演出家)と一体になって成り立ち、また見物人たちも俳優の身振り・言葉の形からその意味を読み取り感じると同時にいろいろの関係(人と人、人と物、人とそのおかれた場面との関係)を読み分ける感じ取る感覚を身につけていなければならないといっています。ところで、私はここで述べたいのは、日本の演劇が国際的になりにくい根拠の存在を認識するのです。日本という特殊な国では、ほとんどが同じ種族の単一民族ですので、見物人もある程度の役者の動作の「間隙(沈黙)・しぐさ」からある程度、そのときそのときの役者の感情と同化しやすく理解が容易であると思うのです。喜怒哀楽の同一性が双方に認められるのです。ところが、外国でそのままの場面を演じれば、大いに支障が生じて、最悪の場合、嫌悪感を感じてしまうことになりかねないかと懸念します。「非言語の世界の研究」が日本の演劇界ではほとんどされていないのが現状です。その分野の専門家であるバードウィステルの研究によれば、対人コミュニケーションで言葉が占める割合は、30%ぐらいで、残りは、非言語の割合で70%ぐらいだそうです。いかに非言語の世界が重要かがわかります。この世界の研究を通じて「誤解」を乗り越えなければ、日本の「演劇」は、年に何回かは、「日本の伝統の歌舞伎等」は海外公演されていますが、「日本で作られた一般の演劇」が、海外で上演され人気を博しているとついぞ聞いたことがありません。逆に「海外の演劇作品」を日本人向けに再構築して公演することはよくありますが。本当の意味で日本の一般的な演劇」が国際舞台で上演されるには、はるか未来にならないと実現しないように思われます。1578年、日本での布教方針を考えるにあたり、イエズス会東インド巡察師アレシャンドロ=ヴァリニャーノは、「日本人は喜怒哀楽を表情に出さないので、いったい何を考えているのか自分たちヨーロッパ人にはさっぱりわからない」と述べています。                         

Die Fortsetzung                                       役者の演技は、外見の演技が台本に則って話す・仕草ができればそれでよいというものではありません。外見の動きは、言うまでもなく内面が成就されたとき始めて完成されるものなのです。ある文献に次のようなことが記載されていましたのでご紹介しようと思います。中国で頂点に立つ武術家である王(1886~1963)氏が曰く「体や手の動きを俊敏にするには鍛錬に際して動かないのがもっともよい。その動きは動いているようで動いておらず、動いていないようで動いている。静止しているようでも静止していない。動きの形跡があってはならない。精神的意味は深く、形の上だけの動きはいけない。形の上の動きは形のみのものであり、力が分散してしまうからだ」。私自身若干武術の心得がありますが、縦横無尽に動き回るには、最初は常に『不動の姿勢』を作ることです。そうすることによって、いつでも打ち込めると同時に対する者に自分のすきを隠し、また見えない威圧というか気迫というかそういうもので相手の気持ちを動揺させるのです。剣術の達人が、よく対決の場面で『不動の姿勢』をしている場面を見かけたことがあると思いますが、まさに双方が達人であれば、何時間もお互いに微動だにしない。表面では、何も動きが見えないが、双方の心の中では内面の活動自在があるのです。宮本武蔵も『五輪書の水の巻の兵法心持のことの章』で次のようなことを述べています。『兵法の道におゐて、心の持ちやうは、常の心に替わる事なかれ。常にも、兵法の時にも、すこしもかはらずして、心を広く直(すぐ)にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。(中略)うえの心(外見)はよはくとも、そこの心をつよく、(中略)知恵をとぎ、天下の利非をわきまへ、物毎(ものごと)の善悪をしり、よろずの芸能、其道々をわたり、(中略)兵法の知恵となる心也。』。以上二人の剣豪の名言から、心が外見をあやつり、縦横無尽の行動(演技)ができ、対者(観客)に迫力というか気迫というもの(感動)を与えることができるのです。ここで、武蔵は、『よろずの芸能』と『五輪書』で言及していますが、武道と芸道との相関図を見出すのですーーー。次に、世阿弥の『幽玄』について私の考えを述べようと思います。まず、世阿弥の演劇論は、根源的な人間探求であります。世阿弥にとって日常生活がまさに演劇世界そのもののようであり、『世界が舞台であり、男女はすべて役者』でありました。彼によれば、能の役の類型は、三つに大別されます。老人、武士、女性であり、最初の老人は、『弱さ』の存在であり、次の武士は『強さ』の象徴であり、最後の女性は、『中庸』の存在を顕しているように思われます。弱者と強者だけでは、この世の存在は難しく、その両者の間の融合の存在がどうしても必要なのです。世阿弥は、この女性の役を最高の理想美の存在としています。ただある文献で指摘しているように、ある意味でそれぞれの役柄に逆説的な要素を要求しています。つまり、老人の役柄には、反対の華やかさを、武人には反対の優しさを要求し、『巌に花の咲くが如き』、『古木に花の咲くが如き』芸こそが、彼の理想とするところであると。何ゆえに、『中庸の存在』が最高美であるかといえば、『妙』や『安心』そのものあるからです。ここではじめて『幽玄』との関連が生まれるのです。世阿弥の芸術論の『花鏡』に、『幽玄』について次のように述べています。 役柄に型にはまった演技ばかりをして、それが最高の位であると思い、姿を忘れているから幽玄の域に入らないのだ。幽玄の域に入らなければ理想的境地とはならない。理想的境地に至らなければ名の通った上手にはならない。だから名人はそういないのだ。(中略)だからといって、幽玄になろうとばかり思うならば、生涯、幽玄には至らないであろうーーー。言い換えれば、外見だけ役柄をいくら飾ったとしても、内面の鍛錬がなければ『最高美である幽玄の境地に至らないであろう』と私は、解釈します。また、世阿弥は、含蓄のある言葉を残しています:『幽玄之入堺事』。また、世阿弥は、『心理の動きの自己目的化・完結化』を『花鏡』で述べていますが、いまだ凡人の私は、その意味が解りません。『花鏡』で『無心の位にて、我心をわれにも隠す安心にて』。つまり、観客のみではなく自分自身から隠すこと。自分なりに勝手に解釈すると、ずばり『無心の心』の大切さを婉曲的に謂っているように思われるのです。                                         

Die Fortsetzung                                        以上『無心』の状態の重要性を強調していますが、この文面で、私の目に留まるのは『安心』という語句なのです。私が思うには、この語句は日常使用している意味ではなく、演技者の行動(役)の究極的な境地であり、別の言葉に置き換えると『安堵』とも言えます。観客が鑑賞する心に『安心感』を与える演技であると同時に演技者自身役柄の完成された姿であり、双方の『安心作用』は、まるで電流の陰極・陽極のようなものであります。多分ある人は,『無心』がすなわち『安心』であるというかもしれませんが。??私は、もっと広義の見地からですと、今の季節で言わせていただきますと(秋に入ろうとしている10月の初旬)、自然の移り変わりであり、季節の中で春の時期と同じように一番自然の不思議さや神秘さや偉大さを痛感するのです。そこの懐の中に『自然の姿』への傍観者としての私に何か安堵感を与えてくれるのです。世阿弥は、すべての演技者に其のことを伝えようとしているように思われるのです。否、すべての芸術を追求するものに諭しているのです。(私は、いつも、演技の仕事が終えた後、毎回反省の繰り返しであり、世阿弥が理想としている境地の足元にも及ばなく自己嫌悪に陥るのですが)。人はよく、自然の懐に入ると『落着くとか安心感』を感じるとか言うが、何か自然の姿と人間との大気や地面を介しての『一体感』から生まれるともいえるのでないかと最近感じています。自然の呼吸をじかに感じる瞬間が何か安堵感に包まれるを感じを抱くように思われます。別の言葉を借りれば、万物と自然との融合です。仏教の一つである『禅宗』の座禅の境地に『無心になれ』というものがあるが、それは、すべての煩悩といわれているものを断つ事によって見出されるといわれているが、私自身時々禅を組むのであるが到底そのような境地にははるかに到達することはできないが時たま無心の心が感じることがあります。其の瞬間は、まさに静寂・時間・空間を超えた何か『真空』の雰囲気を感じるのです。其の境地はまさに不動の心と言えるかも知れませんが、それと世阿弥が言わんとしている『無心の境地』とある意味で関連性があるように思われます。(後日へ続く)

Thursday, 10 April 2008

我が芸術論:本論(Part-2)

「アニミズムの考察」
ここで、流浪の民である「ROMA」の信仰との関連で大自然を畏敬し崇めるアニミズム信仰心のある民族、つまりゲルマンの民・ケルトの民・東南アジアの民・そして日本の民にも見出せるのです。それらの民の信仰心を探ってみることは大変価値があると思いますので、この章で取り上げたいと思います。まず、ゲルマン人は、典型的な『自然崇拝の民』であり、たとえば、北欧のゲルマンのオーディンは、主神で戦争・死・知恵・詩・魔術の神(但し、南のゲルマンのウォーダンは、主神であり、風の神である)であり、トールは、力の神で雷・農民の神(南のゲルマンではドナール)、フレイは豊穣の神、バルドルは光の神、マーニは月の神、ソールは太陽の神などであり、地・水・日・風の四大元素に対し人間に害を与えないように祈ります(「エッダとサガ」P.25~P27から引用、谷口幸男書、新潮選書)。

そして、収穫が無事に済んだときには、大地の霊、大地母神・主神、風の神に供えをして唱えごとをします。彼らの歌をお聞きください。

さあ、風よ、これはお前の子供のための麦粉だ
   吹き荒れるのをやめよ
    雄風よ、雌風よ、ここにお前の食物を置く
      お前たちは、わしの言うことを聞いてくれ

*『ヨーロッパの祭りと伝承』P.22~P.23から引用、植田重雄著、講談社学術文庫

また、忘れてならないのは、森の精霊、樹木の精霊、水の精霊の信仰が存在したことです。

次に、ケルトの民を取り上げますと、彼らは、古代ヨーロッパで活躍した印欧語族の一派です。彼らは、紀元前3000年ごろ北方文化圏を形成し紀元前2000年ごろから移動をし始め、次第に全ヨーロッパへ浸透してゆきました。ただし、前1世紀ごろローマ帝国によって敗れてしまったのです。彼らの社会の基盤は、農耕や牧畜が主であり、自然の中に神々がいるという信仰の中で生活をしていました。例えば、全能の神(豊穣)、太陽の化身ルフ(技芸)、マトロナ(地母神)、ケルヌンノス(森)、マナーナーン(海)を信仰し、また輪廻信仰を持っていました。その点は、仏教との類似点を感じるのですが、根本的な相違点は、死とは怖いものではなく、またこの世に生まれ戻るという考えで、他方仏教では、この世は娑婆と呼ばれ苦難の世界であり、その輪廻のサイクルから解脱をしない限りその苦難の道が永遠に続くという現世悲観論を展開しています。結論として、Celts(ケルト)は、現世肯定型であり、仏教は現世否定型であると思われます。この相違の根源的な由来は、ケルトは、自然のリズムからの啓発であり、他方では仏教は現世の自然への関心が希薄、解脱を通じて涅槃の境地、つまりご来迎の世界への追求型の宗教観が存在しているように思われます。また、キリスト教では、直線型の宗教観であり、ある意味では「人間中心思想」であり、人間以外は人間界の下位におきます。しかしながら、ケルトの民は、キリスト教に征服され同化の道を余儀なくされましたが、彼ら本来の精神的な自然崇拝観を失うことはなかったのです。

彼らの詩篇にそれが窺えます:

A hedge of trees surrounds me.(木々の茂みが私を包む)
A blackbird's lay sings to m
e.(真っ黒な小鳥たちが、歌を私の耳元で唱        和します)
Above my lined booklet.(私が行を追って読んでいる書物のずっと上のほうで)
The trilling birds chant to me.(旋回している小鳥たちが、私に詠唱します)

In a grey mantle from the top of bushes.(茂みの頂から灰色のマントを羽織)
The cuckoo sings.(カッコウが詠唱します)
Verily-may the lord shield me.(まことに願わくば、主が私の盾になってくださることを)
Well do I write under the greewood.(緑林の下でその願いの句が銘記出来ますように)
*日本語訳は、私の試訳です。
*The poems above are quoted from 「The Celts」(by Nora Chadwick published Pelican Original,P219) 
以上ゲルマンとケルトのものを見てきましたが、現在でも一神教のキリスト教の影響が色濃く残っているヨーロッパの国々のお祭り行事に溶け込んでゲルマンやケルトの文化が息づいています。
次に東南アジアの民の宗教観を見たいと思います。
根本宗教は、彼らにとってはアニミズム信仰であります。本来アニミズムは、人間の霊魂が人間から独立していろいろなところへ浮遊するものであり、また人間以外の動植物やその他の自然物からの霊魂が精霊といわれています。この両方のものを含めた霊的存在への信仰が「アニミズム」と定義されています。例えば、タイ族やラオ族の「ピー」、クメール族の「カモーイ」、ビルマ族やカチン族(ビルマ北部山地の種族)の「ナット」、マレー族の「ハントゥー」などと呼ばれる生霊・悪霊・死霊・祖霊・魔女・妖怪などの総称であります。←『東南アジアの理論と心性』P.48~P.49から引用。以上は、東南アジアものですが、インド・スリランカには、アニミズムの一形態である『樹木崇拝』があるそうです。日本ででも霊的存在が動植物・無生物に宿っている信仰があります。例えば、動物では狐が「お狐さん」として稲荷神社で神として祭られ、また無生物である『石』が祭られている神社もあります。また、大きな木は、神が宿っていると信じられて『神木』として崇拝されています。また、私の個人的に興味のある神社があります。その神社は、以前訪れたところであり、その神社の名前は「県(あがた)神社」と呼ばれています。その本堂には、なんと「人間の男性のシンボル」が祭られていました。子孫繁栄の神社なのです。
総括として、以下に世界的な宗教の世界観について一瞥しますと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、神道等を概観しますと、「神・人間・大自然」の構成が、石田英一郎の『文化人類学ノート』によりますと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は唯一絶対神を信仰し、男性であり父である神が存在し、ヒンズー教は、大地の母子であり、女性の神格として顕在します。日本の民族宗教も後者であるヒンズー教の範疇に入るといわれています。岸本英夫の「世界の宗教」によれば、世界観の三類型を構築しているといわれています。つまり(1)宇宙の中に神と人間が共存(日本の民族宗教の場合)(2)神が人間を含めた宇宙の外在の存在(キリスト教、イスラム教の場合)(3)宇宙の中に人間のみが存在して、神の存在否定(仏教の場合)です。R=レッドフィールドによると、人間と人間に対面する存在としてのALTERなもの、つまり自然と神が存在するものとして区別しています。(1)神が上位で自然や人間が下位に位置して横並び(2)人間が上位で自然・神が下位で横並び(3)自然が上位で神・人間が下位に位置し横並び。つまり、(1)については、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの諸宗教がそれに該当し(2)については、としか・産業化の環境の中で『個人の覚醒』、自己表現の発露による『人間中の世界観』の誕生(3)については、ケルト人やゲルマン人の宗教観、アジアの民族宗教つまり「アニミズム」がそれに該当するということです。
ここで、先ほどの引用した「自己表現の顕在化」の言葉に関して、私の考え方を若干補足しますと、絵画にしろ音楽にしろ演劇にしろ、すべては自分から発した「自己表現の顕在化」であり『自己の感情の表出』であります。その限りでは、芸術イコール人為的なものという狭い範疇に陥ってしまい本来の芸術の無限性を否定してしまうのです。そのような偏った理解は、本当の芸術を無視し、まさに残念ということしか形容するしかありません。

私は、大きな声で言いたいのです。
雲海の曙の神々しさ,大海の白波の勇敢さ、山々の林間に差し込む光の幻影、山々の頂を照らし出す雲の間からの一筋の光の透徹さ、山間の小鳥たちの優しいさえずり、太陽が地平線の彼方へ沈んでゆくときの寂寞感、夕と夜の間の大空の星々の宝石のような輝き
自然の作り上げた「美」に目を向けてください。きっと「芸術の究極美」を我々人間に教えてくれることでしょう。

(自作のつぶやき)
夜の展開の幕に吊るされている煌めく星を見上げてください
あなたの心が悲しいとき、きっと温かい手のひらであなたを包んでくれることでしょう
あなたの心が寂しいとき、きっとあなたのそばに来て優しい言葉をかけてくれることでしょう
あなたの心が辛いとき、きっと優しき言葉であなたを慰めてくれることでしょう
そして、あなたの心が楽しいとき、きっとあなたと一緒に飛び回ってくれることでしょう


日本風景画の巨匠である東山魁夷の次の言葉にすべてが語られています。

『私は生かされている。野の草と同じである。路傍の小石とも同じである。自然は、心の鏡。』

話が『芸術の無限性』へ話が行ってしまいましたので、この辺で本来の主題であります『宗教と芸術』に話を戻しますと、ポエムの世界では、偉大な詩人でありますリルケの詩集は、宗教的な要素がかなり踏襲されていますが、同時に芸術作品としての価値も多くの人々に認められています。
この辺でリルケの詩集の一片をご紹介したいと思います。

Da neigt sich die Stunde

Da neigt sich die Stunde und ruhrt mich an mit neigt sich die Stunde und ruhrt mich an mit klarem,
Metallenem Schlag:mir
Zittern die sinne. Ich Fuhle:ich kann---
Und ich fasse den plastischen tag
(訳)
時は、終わろうとしている
時は、終わろうとしている、それは私に優しく触れる、澄んだ響きのよい音と共鳴しながら:その雰囲気の感覚に私の心は小刻みに震える。私はできるーーーそして、私は、形が縦横無尽になる朝を迎える

Nichts war noch vollendet, eh ich es
Erschaut, ein jades warden stand still.
Meine blicke sind reif, und wie eine
Braut kommt jedem das ding, das er will.
(訳)
何も仕上げられていませんでした、私が心の目で見るまでは、それぞれの形になるものが静寂の中に佇んでいました。私の洞察力は、完璧であります、そして新婦のように、彼が望むようなものが各人に来ます。

Nichts ist mir zu klein und ich lieb es
Trotzdem und mal es auf Goldgrund und gross, und halte es hoch, und ich weiss
Nicht wenn lost es die Seele los---
(訳)
私にとって小さすぎるものは何もない、そしてそれにもかかわらずそれらを愛しています、いつか金の地面にそれらがあり、そして大きくなり、それら
が高く伸び、そして誰によってその心が剥ぎ取られるのかを私は知らない。
(リルケの詩集より)*翻訳は、私の試訳です。
注釈として上記のドイツ語文の中のいくつかの単語には、ウムラウトが必要な単語ですが、故意的に付加していません。なぜならば、このブログには英語以外の外国語に対応していません。ご了承ください。)

ここでは、難解な哲学的セオリーを述べようとは毛頭ありません。唯私が指摘したいのは、『芸術とは、宇宙を超越した何かの存在と同一的なもの』と一致するように理解できる領域ではなく、感覚として感じるのです。もともとそれを理解することは不可能であり、また不合理であります。芸術とは頭で理解するのではなくcordis(心)とmentis(精神)によって受け取るべきであり、心が感じれば必ず精神が覚醒して人間の肉体へ連鎖しカラダ全体で感じ取ることができるのです。そして、人間の外輪である大気と協和するのです。『何かの存在』とは、神的な存在であるかもしれません。

ここで少し文脈からは、逸脱してしまうのですが、気になる文章を発見したのでここで原文を紹介したいと思います。なにか『芸術の核心』をついているように思われますのでどうしても掲載したいのです。

An artist must be a master or nothing...In learning,on the other hand, a man can only be a master in one particular field, namely as a specialist,and in some field he should be a specialist. But if he is not to forfeit his capacity for taking general views or even his respect for general views, he should be an amateur at as many points as possible...Otherwise he will remain ignorant in any field outside his own speciality and perhaps, as a man, a barbarian. (Quotation from" The letters of Jacob Burckhardt")

上記の文章は、英文でありますのであえて訳しませんが、私がこの文章から感じたことは、芸術家は、支配者であり、また何者でもなく大気のような存在である、専門家になってはいけないと偉大なブルックハルトは重要な指摘をしています。私は、まったく同感です。芸術家は、本来地位や名誉、金銭求めるのではなく、もっと崇高な存在であるべきなのです。現実世界では、彼らは一般の人より貧しく、目立たない存在であるのが「本来の姿」だと思われてならないのです。以前別なところで述べましたようにそのような環境の中から本物の芸術が誕生する公式が存在すると確信するのです。あまりこのテーマにどどまる時間がありませんので本題に戻りたいと思います。

その存在を想像して生成したのは『神のなせる技』を感じるのです。結論的にいいますと、芸術は、すなわち神の存在そのものなのです。一番身近な理解として、現在ではキリスト教・仏教・イスラム教・ヒンズー教その他いろいろの宗教が存在しますが、私が表現したいのは、それらの諸宗教を超越した『宇宙の究極的存在』なのです。人間は、その存在に接近するために人間のEmotionが,諸宗教のいろいろな効果音を利用するのです。人間は、それらによってまさに恍惚状態に導かれるのです。具体的には、仏教の場合、宗派によって多少の相違がありますが、一般的に般若心経や法華経などの読経があり、それを唱えるとき太鼓やその他の音を打ち鳴らし、それらの共鳴があり、神道では、祝詞のときに太鼓や鈴の音のハーモニーがあります。キリスト教の2大宗派(カトリックとプロテスタント)のなかでカトリックは、教会の基本文章である『三要文(信条・主の祈り・十戒)』を唱え、オルガンに合わせてコーラス隊が『神を讃える歌』を合唱します。イスラム教では、モスクから町中に響き渡る『アザーン』の声の神秘的な雰囲気があります。実際、私がトルコやエジプトを訪れたとき、その幻想的な響きによってムスリムの世界と自分との不思議な一体感を感じました。また、それら自分たちの宗教の神への存在を肌で感じる効果として、その『空間効果』も大きく寄与しているのです。事例として、仏教では、『仏』の存在感を感じる境内の山門・参道・仏舎利等・本堂・奥の院等の空間位置、またキリスト教の教会の内部の暗闇・ステンドグラス・キャンドルの光・中心に位置する祭壇などの配置、それらの空間配置により神の存在感を人間は肌で感じるとこができるのです。以上の「楽器の音色」や「人間の合唱」また(
続く)

Saturday, 09 December 2006

我が旅考察論

Meiner Ursprung der Reise
芸術とは関係がないと思われる方もいらっしゃると思いますが、「旅(たび)」について考えることは、「人生」すなわち「人間の内面性を追及する芸術の一分野」だと確信いたします。「旅とはなんぞや?」といつの時代でもどの場所でもみなが考える人生のテーマのひとつではないかと思われます。これから数章で私が日頃「たび」について考えていることを記述したいと思います。少し、学問的になって堅苦しい内容になるかと思いますが、何かのヒントをつかんでいただければ幸いです。
日本と西欧との時代的背景・その時代の旅人の事例、特に「聖地巡礼」の旅行為を通じて比較文化の視点より時間・空間性を貫いて妥当する「旅行為の普遍性の要因とは何か」を考察します。
本来のたびの源泉は、洋の東西を問わず宗教的な性格であり、、いわゆる「聖地巡礼」でありました。響庭孝男矢氏曰く、「人間は、俗の中で暮らし、俗界こそ人間の戦いの場であり、また夢見る臥所(ふしど)であり、救いの道はないかと思い巡らすものである。そして古代の人間が、俗界と対立する「聖なる空間」を設定したのでした。俗の中に生きる人間は聖なる場所を必要とし、そこへ「行」ことによって身に染み付いている俗臭を払いのけ、禊(みそぎ)をし、「自己浄化」をしてきたのである。」として「聖地巡礼」成立の心理行動を的確に指摘しています。聖地巡礼は、古代エジプト・メソポタミア・ギリシャからあり、その後キリスト教・イスラム教世界でより一層盛況を呈し、現在でも息づいています。
世界的規模で概観すると、例えば、西欧のキリスト教国では、巡礼地としてローマ、イベリア半島のサンディアゴ=デ=コンポステラ、ファーティマ、フランスではルルド、リジュー、中世末最大の巡礼地のひとつサン=ミシェル=ド=モントンブのモン=サン=ミシェル、イタリアの聖フランチェスコで有名なアッシジ、ロレット、パドヴァ、ガルガノ山、ベルギーのモンテギュー、ルクセンブルグのエヘテルナハなどであり、イスラム教国では聖地メッカであり、東洋圏では韓国の慶州にある石窟庵、タイのバンコックにあるワット=プラケオ(エメラルド寺院)、日本では伊勢参詣、四国遍路巡礼、西国三十三所巡礼などが取り上げられます。
西欧では、『巡礼』のパターンが3つ指摘されます。(1)キリストのかって存在した場所へ行き、キリストと同じような心的状態を味わいたい。エルサレムやペテロのローマ巡礼である。(2)地方の聖人です。例えば、トゥールに聖マルタンという聖人が起こした奇蹟。(3)サンチャゴ=デ=コンポステラへの大巡礼があります。スペインの西端にあり、聖ヤコブの骨が発見されたと言い伝えられています。
ここで、『西洋中世と日本の江戸時代の旅』について考察して見ますと、前項の巡礼のパターンのうち(3)のパターンである中世最大の巡礼地であるサンディアゴ=デ=コンポステラを取り上げたいと思います。当時を知る重要な資料として、『その巡礼案内書』(12世紀中ごろの資料)がある。道・宿・飲み水・救護所(教会)などの土地の風俗を紹介されています。中世のたびは、婦人や商人たちが馬やロバを利用したが、その他の旅人や巡礼者たちは徒歩でありました。徒歩であったので当然盗賊や追いはぎに襲われることしばしばで、例えばコンポステラへのフランスから行く場合、道路が整備されてないピレネー山脈を越えること自体が大変なことであり、その上、巡礼者を狙った盗賊が出没したのであります。たとえそれに遭遇しなくとも、旅人は常に盗賊や追いはぎへの恐怖感や警戒感のためにいつも神経を使わなければならなかったです。追いはぎをするものとしては、経済的に窮乏した貴族や騎士・戦争がなく給料をはらってもらえない傭兵たち・罪を犯したり借財したりして領主のもとを逃げ出してきた農民たちでありました。また、徒歩の旅人が危険と隣り合わせであったと同様一人旅も大変危険を伴ったものでした。当時の旅人は、大半が商人と巡礼者であり、特に商人にとって一人旅を避けて普通はキャラバンが利用されたのでした。両者とも可能な限りひとつのグループになって集団旅行をし、防衛しながら陸路や水路を旅したのである。一人旅と見れば、領主役人ですら強盗に早変わりし、衣類金品から生命までをも奪って、死体を隠し知らぬ顔という有様でした。そうような状況では、巡礼をやめればと思うが、なぜそこまでして「巡礼を強行」したのかの動機として、いろいろな苦難を超えて一心に巡礼への激しい求心性を持ち目的地の到達すれば報われる、という信仰がありました。それに関連して興味のあるのは、前述の「コンポステラ巡礼案内書」には悪魔の記述があり、旅の途中に悪魔との戦いの話があります。
他方、日本では、巡礼地として伊勢神宮への参詣が近世に入って急激な増加を見て、それと同時に高野山や熊野山へのような一ヶ所に限定するのではなく、複数の場所を「巡歴」する思想が生まれてきたのです。伊勢参詣のほかに江戸時代の四国遍路巡礼もその一つであります。江戸時代になると、江戸幕府は全国支配を確立するために江戸から各地へ通ずる道路を整え、宿場を設けたりして交通・通信網を整備しその巡歴が容易に可能となっていきました。また、伊勢神宮への参詣も一般大衆化の一途をたどり建前は信仰のための旅であり、本音は物見遊山しながら参詣する旅行形態が盛んになったのである。あの十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の弥次郎と居候の北八に窺えます。
また、四国遍路巡礼も同じような二面性を持っていました。例えば、江戸時代の文政(1819年)の春に旅立った新井頼助と彦兵衛の57日間の物見遊山のたびがあります。勿論、現代の放浪詩人と謳われた種田山頭火や高群逸枝らのような一心に一つの目的を持った人たちもいたのであるが。また、極端な言い方をすれば、「物見遊山」を「多次元(多空間)の世界に遊ぶ」と同一に見なせば、『奥の細道』の松尾芭蕉の行動形態もその中に入るのではないかと思うのです。それと同様の論述は、エッセイストである山本さとしの「旅の目的」で指摘されています。
一般的に、江戸時代のたびはいろいろの不都合の中の一つに「飲み水の確保」が指摘でいます。例えば、芭蕉は、「奥の細道」の旅の途中で家々で「湯」を所望したが、(当時は、「旅先では決して生水は飲むな」とされていた)すべてのところで断られ、苦労したらしいのである。西欧の旅と同じく日本の旅(参詣)は危険でもありました。例えば、『旅行用心集』には、「怪しき人に道連れして、一つ宿にとまりて荷物をすり替えられ」と述べられ、道中の『ごまの灰』の横行があり、『雲助』もいました。そのような危険な旅にもかかわらず流行した理由として(1)14・15席の南北朝・室町時代には農村部では二毛作が可能になり生産性向上を促し、また都市部では商業の発達民衆の力が増し、旅についても古代国家時代の平城京・平安京の建設、防人などの『国家命令の旅』ではなく、「自由な旅」の思想が普及したこと、(2)「旅』は、当時の人にとって成人として認められるための『成人儀礼』とされていたのであります。以上の東西の比較から理解できることは、
ある文化は「いくつかの目的地へのプロセスの努力」に重きを置き、別の文化は「一つの目的地という終着点」、すなわち「聖地」に力点を置いているのである。前者の例は日本の場合であり、いわゆる日本の宗教的風土が多神教ないし汎神論的なものと関係があり、後者の例は西欧のキリスト教や中近東のイスラム教という一神教と関係があります。
この両者の考察として2つのテーマから論じてみようと思います。(1)それぞれの地域で育まれてきた宗教的世界観の相違、(2)思考形式の文化的相違の2つです。まず(1)の視点から考えてみたいと思います。日本人の場合は、現在では例えばお正月には初詣のときは神道である神社へ参拝し、お盆やお彼岸のときは皆揃ってお寺へ繰り出し、クリスマスのときにはキリスト教徒でもないのにお祝いをします。そして、不思議なことにそれら3つの宗教が自然に日本人の心の中に定着しているのです。このことから現代の日本人の世界観とは、神道・仏教・キリスト教が仲良く融合し、また別な見方をすれば、和辻哲郎が「風土」で言及しているように『モンスーン的な受容性は日本人においてきわめて特殊な形態をとる。第一にそれは熱帯的・寒帯的である。すなわち単に熱帯的な、単調な感情の横溢でもなければ、また単に寒帯的な、単調な感情の持久性でも豊富に流れ出でつつ変化において静かに持久する感情である。四季折々の季節の変化が著しいように、日本の人間の受容性は調子の早い移り変わりを要求する』と語っています。つまり、日本人は一つのものだけに固執しなく、次から次へと移り変わりを好む『周遊』の性癖があるように思われるのです。そして、日本では昔から神道・仏教・民間信仰が仲良く3者融合し、あるときにはその一つが顔を出し、またあるときには別のものが利用される傾向がある。換言すれば、3者は一つの連続体である。但し、日本教ともいわれている民間信仰という大きな円があり、その中に神道・仏教・キリスト教があると宮家準が『日本の民族宗教』の見方もあります。また。’日本人の周遊癖’は、日本人の宗教的世界観の現世中心の側面と深い関係があります。日本人は寺社に行って神や仏に祈るときは、一心に一つのことではなく巡り巡る(周遊)現世的な多種類の願い事である。例えば、家内安全・無病息災・商売繁盛・受験合格等の現世のものである。
この日本人の周遊癖について、加藤秀俊は『新旅行用心集』の中で2つの興味のあるご指摘をしています。一つは、平安時代末期に始まったといわれる千社詣での習慣であります。つまり、千の聖地をお参りすればご利益があること、その習慣と関連して、後に江戸時代には『千社札(せんじゃふだ)』の習慣が普及したのであります。『千社札』と呼ばれる小さな木版刷りの紙札を参詣した先の寺社の本堂だの山門に貼り付けることであります。二つ目には、「集印帖」の変形であるJRの主要駅のスタンプ台の設置利用(私見である:最近のスタンプラリー)。「集印帖」は寺社を巡礼するとき持ち歩き、お参りした寺社の印をいただけるのです。この伝統は現在でも消えていなくスタンプ台の設置に息づいています。他方、西欧人の場合は、キリスト教の行事のみに参画するのです。例えば、復活祭・四旬節・クリスマスなどに窺えます。日本人のように他の宗教を「周遊」することがなく、一心(直線型)にその宗教のみを信仰するのであります。キリスト教の世界観は、神・人間・自然の3者は絶対的に融合することがなく分離した距離を置いた存在であります。つまり、3者には明確な主従関係があり、最高位には神があり、
次に人間そして一番下位に自然が続くのです。この関係図の中に直線的な世界観を認めることができます。また、キリスト教では、日本のような多種類の願い事をするのではなく、ただ一心に全能の神を信じて、現世で犯した罪を絶えず悔い改めることにより、最後の審判の結果、天国で永遠の生命を授かることです。言い換えれば、来世信仰です。この点でも、キリスト教の場合は、一つの目的に向かってゆく思考が窺われます。イスラム教の世界観もキリスト教と同様、一心に(直線型)最高神であるアラーの神のみ崇める。イスラム教の教義の中に、死後の人間は来世において復活し、善人は天国で祝福を受け、悪人は地獄で責め苦を受けるというキリスト教徒同じ来世信仰があり、またイバーダートという五行があり、信仰告白、断食、巡礼、礼拝、喜捨とそれに関連した行事のみを行えばよいとされているのです。
次に(2)のテーマである思考形式の文化的相違の考察として、石井敏氏は、「文化とコミュニケーションのかかわり」の中で、思考形式の定義を次のように述べています:人間が自分の考えや感情を言語および非言語の記号に変換するときに行う記号の選択と配列の一般的傾向があります。つまり、自分の考えや感情を表わすときに文化的環境圏内で出来上がった適切な言語を選択し、一定の配列に従う。米国のロバート=キャプランのアメリカ人学生と外国人学生セム語系=ユダヤ系、東洋語系、ロマンス語系、ロシア語系)の思考形式の文化的相違に関する興味ある報告があります。例えば、英語系アメリカ人の場合、目的地(核心)に向かって一直線に進む思考であり、東洋語系の人は、目的地に進む場合いろいろな場所を寄り道しながらの思考傾向があります。つまり、渦巻状思考です。また、ロマンス語系の場合は、アメリカ思考に類似性を認めるのです。この報告から、一つの行動(巡礼・参詣行動)に文化圏内の思考形態が大きく影響を与えているといえると思われます。また、文化人類学者の第一人者である青木保氏によれば、巡礼には、西欧や中近東などでは目標が一つだけであるタイプがよく見られ、日本や東南アジアでは巡り歩くほうに重点が置かれているようである。また、巡礼には中心に向かう型と周辺に向かう型があり、西欧には前のタイプが、日本には後のタイプが多く、それぞれは対応する精神の型を示している。以上の考察から次のような結論が導き出されるのです。つまり、『巡礼という旅行為』を通して、それを宗教的世界観・思考形態の視点から、日本人の『旅行動』は、概して周遊的・変動的な性向があるが、西欧人・中近東のそれは、目的に一心に向かう直線的な性向が顕在化してくるのです。現在の日本人旅人は、短い時間でより多くの巡礼地(観光地)を巡歴する『周遊型パックツアー』を好む傾向があり、観光地側にとっては、旅人は旅客というより過客であると。また、欧米人の旅は、一ヶ所滞在型が多く、特に、フランス人は、一人当たりのバカンス日数は、平均19日間といわれ、夏のバカンス実施率は、人口の5割を超えるといわれています。それらの社会現象は、一つの側面として以上の考察分析から容易に把握できると思われます。
このテーマを終えるにあたって、最後に旅の言葉の語源をちょっと取り上げようと思います。Travel(旅)の言葉の語源が、フランス語のTravail(苦労する、渡り歩く)と同義であるように『旅には常に辛苦が隣り合わせ』である。柳田邦男氏が『青年と学問』の中で同様な指摘しています:タビというの日本語はあるいはタマハルと語源が一つで、旅は憂いもの辛いもので、辛抱であり、努力であった。

Die Nachschrift(追稿)
西欧では、ギリシャ時代の話は、スペースの関係で割愛しまして、ローマ時代から話をスタートします。その時代の公共サービスは、18世紀の西欧社会などより行き届いていまして、帝国の範囲には、10万キロに及ぶ高速道路があり、イタリアだけでも約400の幹線道路があり、この道路網上に秩序正しい交通が展開されていました。カエサルは1500キロを8日で踏破したほど整備されていたそうです。交通施設は、1キロごとに最寄の町からの距離を示す里程標があり、10キロごとに駅(スタティオ)があって食堂・宿舎・馬舎・貸馬が備わっていました。30キロおきに広く立派な宿場(マンショオ)があり、娼家までありました。富豪は馬車を連ねて旅行し武装した従者に守られて車中で眠ったということです。現代に劣らず旅行は盛んでした。ローマの青年は、第一に旅行の経験をつんで始めて教養が完成されると信じていました。中世の旅は、婦人や商人たちは馬や驢馬を利用したが、その他の旅人や巡礼者たちは徒歩でありました。各地方の教会、修道院、聖跡を尋ね、キリスト生誕の地エルサレムに行く巡礼にとっては、危険と困難に満ちた旅そのものが霊魂救済のための祈りでありました。道路は整備されてなく夏は埃、冬は泥んこであった。それゆえに、道路や橋を作ったり、補修したりするのは、当時の人々にとって大事なことでありました。中世の旅人は、漂白人であり、時間の放浪者でありました。城壁で囲まれた都市と都市を渡り歩きながら、自らの時間世界を見出し、不安のそして近世の旅人でありました。
角度を変えて、日本では、5世紀以降、大和朝廷の力が強まり、日本は一つの国にまとまるようになりました。7~8世紀にかけて、大和では、大掛かりな土木工事があり、大きな道路が敷設されました。また、地方に向かって7本の大きな道(七道)が開かれましたが、これは暮らしの必要から生まれた道ではなく、地方の人々や産物を国の中心である大和に結びつけるための道でありました。七道とは、重要度によって大路・中路・小路に分けられ、都と大宰府を結ぶ山陽道は大路、東海道、東山道は中路、北陸道、山陰道、南海道、西海道は小路と呼ばれていました。農民たちは、重い税をかけられました。土地の産物や布などを納める調や庸という税は、品物を都まで運ぶのが決まりです。税を運ぶ人を運脚といい、村の農民が交代で選ばれました。税の品と往復の食料、雨具を背負い役人に連れられて都へ上がりました。遠い道程をあるき通す辛い旅でした。夜寝るときは野宿をし、荷物を雨でぬらさない容器を使い、また多くの人は荷物を軽くするために、帰りの食料を持たずに出かけて、帰路の道でいきだおれになる有様でした。また、兵士として都を守る衛士や、北九州を守る防人に命じられた地方の農民には、任地まで出向く苦しい旅が待っていました。『万葉集』には、家族との別れて旅立つ防人や別れを惜しむ妻の悲しみを詠んだ歌が数多く残されています。飛鳥時代から奈良時代にかけて遣唐使や遣隋使が活躍した期間ですが、当時の航海術では幾多の遭難が避けられませんでした。有名な唐僧:鑑真も日本へ渡ろうとして5回渡航に失敗し、やっと日本にたどり着いたのが最初の決意から12年目の66歳のときでありました。平安時代になると『熊野詣』が盛んになり紀伊半島をほぼ一周する険しい山道続きの苦しい長旅でありました。江戸時代の交通事情、参勤交代の実態、そん他の生の情報をいろいろ紹介しようと思いましたが、スペースの関係でここでペンを置こうと思います。以上で取りあえず終わります。

Thursday, 30 November 2006

我が芸術論:本論

「おわび」
昨年(2005年)の秋から書き始めた我が芸術論、演劇論の入力原稿が、わたしの操作ミスですべて消えてしまった。それに伴って再度原稿を書き始める。半年の遅れになってしまった。自分の注意の無さが情けない。まあ、いつまでも自分を責めても始まらないので、この辺で忘れることにする。わたしの友人の言葉を思い出す:人生は、短いようで長いものだと。
また、再度原稿を書くことは、最初に書いたときより、今は多少考えることが増えたので、少しはよい内容が書けるのではないかとひそかに自分に期待しています。
Prelude
この文章を書き始めた季節は秋であり、よく世間では『読書の秋、芸術の秋』といわれていますが、なぜそのように言われているのかとわたしが考えますに、
『大気が澄み、空は高く、木の葉は色付き、また、夜の帳(とばり)がすっかり降りるころ、昼間のカーテンを押しのけて無数の星々が天蓋に輝き出します。
なんと澄んだ透明な自然の静けさを感じることか』
その言葉がわかるような気がします。
ところで、何か芸術というか、演劇というか、自分の人生の途中でわたしなりの考えを残したいと思い、拙い文章を書き留めることにしました。そうすることは、自分で、それらのことについて、整理ができると思ったからです。
芸術にしろ、演劇にしろ、この得体の知れない現象を考える自体馬鹿げているかも知れない。大体が目の前に見えないものを、どうやってあるもの(実体=Entity)として具現化できるのであろうか。確かに、芸術には、目に見えるもの(visible)として、建築・彫刻・絵画等がある。その論理では、visibleなものと反対ではinvisible,つまり目に見えないものとしては、演劇・音楽等が取り上げることができるかもしれない。私が言いたいのは、それらは、皮相的な現象でありもっと内面的なうちに秘めたことを考えるのです。目に見えるものでも見えないものでもそれらは、誤解を生みかねないものであり創造主である作者の意図することとはかけ離れて理解される危険性があります。特に作者の同時代の人ならば、作者から直接見聞して正しい解釈が成り立つかもしれないが、作者の死後の後世の人が、それらの作品を理解するには、間接的に資料から推察するしか方法がなく、間違った解釈がなされる可能性が大きいのです。それもまた、芸術へのアプローチといえるかもしれませんが。なぜならば、真の芸術とは、作者の体を借りて創造させているからであり、もともと混沌としたもので、山にかかった霞のもののようなものに思われるのです。以上からいえることは、それぞれの人々が、自分らの感覚に基づいて解釈(感じる)をしてよいもののように感じるのです。
最近、Artについて感じるのは、人間社会が存続する限り価値があるのであろうかと、非常に疑問を持つのです。それ自体、他の動物には想像することができないものであり、だからこそ人間であるからこそできる特技であるのですが。否、人間ではなくこの大自然がなせる業(わざ)なのです。
その存在価値について関連して言えることは、人類が発生して以来いつの時代でも「争い」が起こっています。芸術は、そのような人間の争い好きな性(サガ)に対して何ができるのでしょうか?芸術の役割とは何であるのか?その戦闘性を内面に常に宿している人類にストップをかけるだけの力が芸術にあるのであろうか?
改めて芸術の存在するべき拠りどころとは何か?私は、『芸術』についてつくづく考え込んでしまうのです。
これから芸術の専門である諸先生方の足元にも及ばない私が、私なりの稚拙な考えを披露するのは、はなはだ恥ずかしさの極みでありますが、諸先生方が無視していただけることを願って、これからわたしの残りの人生行路を一歩一歩大地に踏みしめながら、わたしの独り言として、どのくらい続くか解りませんが『芸術』を書き留めようと思います。コンテンポラリー(現代社会)に生きている人々や同時代の次元を超越した将来の人々に、この『独りの戯言』が少しでも目に留まり、こういう考えの人間が過去にいたことを認識していだだけたならば、わたしにとってこれ以上の喜びは考えられません。
(本編)
芸術は、文化の中でどこに位置するのか?そこら辺から述べたいと思います。『文化』の説明から見てみますと、社会科学の考えとして、『人間形成への文化の役割・影響は大きく、また、われわれ人類の生存の存続には必要なものであり、それが人間の技術・知識・習慣・伝統などを与えてくれるものである』と分析されています。
私見として、その文化の中で『芸術』も時間的・空間的領域内で発生し形成されるので、それぞれの文化圏内特有の土着的な芸術があり、その芸術作品はその文化圏内で未来へ引き継がれてゆくのです。しかしながら、最近では、電波の発達のおかげでその作品がその発生し形成された文化圏から飛び越えて世界へ発信するようになり、不特定多数の他の文化へ感染して行くのです。何ゆえ、私が『感染』という言葉を使用したかといえば、芸術は、よい影響とともに悪い影響も与えるからなのです。私は、土着的なつまりその土地特有の芸術がその地域内に保存されている間は、それはそれで価値があるのですが、他の地域へトランスファーすることによってその純粋さが失われるのです。ある人は、その現象は、融合と呼びそれはそれで一つの芸術といえるかもしれません。
無論、ある文化圏内の作品が一方通行的に発信されるだけではなく、他の文化圏内の作品が前者の圏内に入ってきて、つまり、交換交流の流れが見受けられ、『混合芸術』が生成されるのです。例えば、音楽の世界では、よく『フージョン』という言葉が聴かれます。これは、まさに『混合』ということで別の言葉で『融合』と置き換えることも許されるかもしれません。
私に言わせれば、『芸術』はいろいろに変形し、どんな環境にも順応できる能力を持った生き物であり、それはまるでアメーバのようである。誤解しないでほしいのは、それらの現象は、私が最初に述べましたように、芸術の皮相的なものであり、本質的な意味での芸術の究極の核は、普遍であるのです。
ところで、『文化』自体、誰によって生成されたのかといえば、その圏内の集団が知識・価値観・宗教等の面で何世代にも亘って受け継がれている中で徐々に培養され形成されたものであるが、しかしながら多少なりとも文化の各構成要素である経験・価値観などは過去からすべてを直接受け継ぐことがなく、コンテンポラリィー(現代)という濾過器を通じて現代必要なものは残し、不必要な不純物は取り除かれます。また、広義での『過去からの全文化』というコーヒーに現代の文化の砂糖やミルクとして加えるという逆の作用も考えられます。
次に考えなければならないのは、『文化』は一人の人間が完成させたものか、または二人以上の人間が作り上げたのかということですが、芸術家の文化形成に参画するという観点からは、例えば、私の専門分野の一つである西欧の中世世界の中でのいわゆる芸術家の姿は、キリスト教の影響との関連を考えながら述べなければならないと思われます。その前に中世の都市化以前を考えて見ますと、自然との協調のもとに農業の時代があり、その前には狩猟・採集の時代がありました。原始の形態である狩猟・採集の時代は、洞窟壁画に象徴できますように壁に描くことによって自然の力を祈ったのです。最近読んだ本によると、その時代またそのあとの農耕時代には、一人の芸術家によってなされたのではなく、2人以上の人によったと記されています。つまり、芸術家の個人の評価から見ますと、個人主義の発達とルターの宗教改革による個性の誕生の土壌ができるまで、一人でつくりあげたものではないと書かれてます。確かに、各集団には、それぞれの『社会的拘束・約束事・規範』があり、それらに縛り付けられて個性が埋没しているように思われますが、では一体『個性』とは何かと自問せざる負えません。個性とは、ある程度後天的に母親から分離して社会に放り出されて、いろいろな社会の約束事に洗礼され形成されるものであるが、また、人間本来備わっている本能的な要素に大いに依存していることなのです。遺伝的なものを含めた人間の根本的な本能のひとつといえるかもしれません。例えば、『描写という行為』一つとっても、その行為は、人間が二本の腕を授けられたときから何かを描く衝動に駆られるのは、何も社会的な強制力からではないと言い切れると思われます。それに、あとで社会的な要素が混合しただけなのです。以上の流れからいえることは、私の見解は、いつの時代もその『ある作品の創造行為』は、一人の人間に依っているのです。実際に、壁に描くにも石に彫るにも一人の人が作業をしているのです。換言すれば、文化の中でのほとんどの芸術世界では、それは一人の人間が芸術を作り上げることから成り立っているのです。絵画の画家(強烈に独創的なGoya)、音楽の作曲家(Beethoven)、建築の設計士(Michelangelo)また演劇の演出家(スタニフラフスキー)を思い浮かべれば十分納得していただけると思います。しかしながら、例外としては、西洋の中世期では二人以上の人間によって作られた共同作品なのです。キリスト教の影響を無視するわけにはできないのです。中世ではキリスト教建築だけではなく、教会の内部装飾である壁画、彫刻などは、それらに携わった人々を当時は芸術家(artist)とは言わずにただの職人(artisan)と呼ばれた人々によって創作されたのです。キリスト教の偉大さの象徴であるバシリカやドームやキリストや諸聖人列伝を綴った壁画や彫刻群にその影響が窺えます。彼らは、ある意味では現代版大工さんといえる存在かもしれません。一つの作品に、多くの大工さんが関わらなければ出来上がらないものだったのです。何人かの職人さんの作ったものを合体して一つの作品が出来上がったのです。面白いことに、当時の職人たちは、絵画にしろ彫刻にしろ、現代とは違って社会的には下層の位置にありました。つまり、彼らの作った作品自身の評価は、当時ではほとんどなくったのです。それらの作品群は、現在では芸術といわれていますが、当時はその宗教の傀儡のためにただ利用されたのです。芸術とかの概念が微塵にも感じられなかった時代なのです。
ところで、改めて申し上げますと、芸術とは、一人の人間の内面的な宇宙観(個性)から生まれるものです。別に、芸術家といわれる人々は、自分が創造した作品が、他人の目に触れられるとは思ってないのが一般的あろうと思うのです。他人を意識しては、後世に遺せるmasterpiecesはありえないと思われます。彼ら芸術家は、内面的に感じたことを想像の世界で浮遊させ、それらを人間の限られた手段で表現したに過ぎないのです。
ここでもう少し、ある意味では深く私が感じることを申しますと、彼ら人間ではなく、何かの存在を感じるのです。何か自分では、他人を意識しない自分とは違う次元のものが彼ら芸術家といわれている人々の手や体を借りて作り上げているようにつくづく感じるのです。よく創造する人々が、異口同音に言われることは、『自分以外の何かがそうさせる(つまり、創造させる)』と。ただ、未知の存在によって啓蒙され創造されたものが、イコール『芸術』とは、一概に言えないのです。それらが、自分以外の他人を意識したのではなく、ただ描いただけなのです。それがたまたま人間の目に触れただけなのです。
その得体の知れない存在によって人間と通じて創造された作品は、他者の認識があって始めて「芸術」として昇華するのです。ところで、「芸術の価値」は、乾いた心の人々へ心持や感動を与えるところに存在する価値があるのです。換言すれば、一瞬時、鑑賞者の心がその対象である芸術作品と同化をしてその創造主の存在との一体感の恍惚の状態になり、ある意味ではトランス状態になり、かつ現実から遊離させるフォースを秘めているのです。換言すれば、娑婆での生きることに対する倦怠感・焦燥感・現世逃避を持ち続けて最後の死を迎える運命にある人間たちへ、一瞬の快感、いや宇宙遊泳を提供しているのです。別の言葉を借りれば、芸術は、人間にとってなくてはならない大気の空気のようなものであるように思うのです。この空気が無ければ、じきにわれわれ窒息し、死に至るのです。そのような恩恵を与える作品群は、否それを創り上げる存在をその作品群の中に見出すのです。
その尊台は、カントの言う『宇宙律』かもしれませんし、また『神の存在』かもしれません。
また、別な見方をすれば、芸術の存在意義は、『各時代と場所での同時代の芸術は、過去の芸術に逆戻りすることが無く、過去を土台に常に新しいものを要求し、それを作り上げる創造的なものであり、実在表現としてのルミネ(光)を放出し続け文化圏に虹彩を与えるものである』と。
第一章
芸術とは何か?
この大きなテーマに対しては、古今東西の歴上の偉大な人々が卓越した文章を残しているのでが、その中で私が関心を持っている偉人たちの考えを取り上げたいと思います。また、僭越ながらそれらの文章に、私の批評も付け加えたいと思います。
始めに取り上げたいのが、アリストテレスで、彼は『芸術は、事物の外にある原理である。自然は、事物そのもののうちにある原理である』。つまり、自然の芸術作品は、事物のうちにあり、芸術の精神・創造性・感受性は事物の外にあると解釈することができると思われます。換言すれば、自然は創造性から生まれたものではなく、大宇宙の秩序・その律動の中で長い年月をかけて作り出されたものであり、人間界が生まれるはるか太古から存在していたものなのです。芸術はまさに人間のみが所有する想像(imagination)の原理が作り出した虚構の世界であり、フィクションの姿であります。しかしながら、今しがた虚構の世界と述べましたが、本当に非現実的な、贋物的なのでしょうか。私は、その力は、計り知れなく非現実的なものを理論的・道理的に再構築して「現実的な存在」として再生する力を持っているのです。よくその想像について、演劇の観点から見ますと、想像するには、2つのカテゴリーがあります。一つは、自分のはるか昔の過去の実体験でありそこから生まれる『再生想像』、もう一つは、その昔の過去の体験と近過去の体験との融合から生まれる『心像による創作想像』があります。また、役作りの人物創造のプロセスというものが演劇の世界でありますのでここで紹介したいと思います;(1)役の人物の行動との類似性の経験(2)経験の保存による記憶(3)記憶再生して想像(4)再生想像と新経験による創作想像、つまり心像(5)以上(1)~(④)までの整理(6)表現(芸術的仮構としての工夫)(7)表現の追及(8)想像(美的形態の実現)。
このような観点から、想像は芸術との対等の関係にあり、現実の姿を作り上げる面では、自然も芸術になるという論理が成り立つわけです。
最近、芸術とは、想像の空間の真っ白い用紙に色を塗り染め上げるものように感じるのです。どのように色を使い分け、何色にするのかは、その主体者の判断に委ねられています。つまり、その主体者の感覚というか感性というか、そういうものが芸術であるように思われます。人は、よく芸術を『美』というが、それは、他者が言う言葉であり、客観的なものであり、それは「本来の芸術の姿」ではないと感じるのです。芸術家は、『美しさ』を意識して描いているわけではないのです。例えば、スペインのゴヤの描く世界は、特に難聴になってからの彼の作品群は、決して美しいという言葉に当たらないのです。
ところで、この想像の力は、よい面も悪い面も一枚の紙切れの表裏一体のようなものなのです。ある意味では、他の生命体にはない人間特有の、唯一の武器といえるかも知れます。つまり、人間には、他の動物とは違って牙や鋭いつめなどの武器がない代わりに『物を想像する力』が天から授けられました。その想像力のおかげで動物を殺傷するための武器を作り出すことができました。しかしながら、その能力も使い方しだいであります。芸術の想像と科学の仮説とは、同類であり、想像する能力をホモサピセンスが使う限り、いつの日か人間界が生存限界を超えて、または破滅への茨の道を歩むのではないかと大いに懸念したします。人間が気づくのがもうすでに手遅れかもしれません。なぜならば、過去にアインシュタイン博士の想像力(仮説理論)によって、『原子爆弾』という人類破滅への足がかりになった最大の武器を製造してしまったのです。
しかしながら、想像する能力は、本当に人間のみに与えられたものなのでしょうか?
私は、想像とは頭の中で無から有を作りそれをいろいろなパーツと組み合わせて関係式を想像することなので、人間以外の生き物にも存在しているように思われるのです。もう少し深くこり下げて考察したいのですが、本題に戻りたいと思います。
フランスの哲学者であるアラン曰く:宗教的な舞踊の中に一つの新の芸術、それも最高度の芸術を発見するのです。つまり、規制された姿勢・沈黙・リズムのある言葉・唱歌・礼節・行列などを考察せよ。ここでの悲劇役者は自分の役割に捉えられ、寛仁・容赦・諦めを実感するように導かれる。慰めは、外から内へ向かうのであり、すべての人々のあの注意力の緊張によって、あの協和によって、慎重に満ちたあの動作によって鎮静がもたらされるのである。そこから触覚に感じうる外的な神という観念が生まれる。(→「諸芸術の体系」P73~P74から引用)
『芸術の究極の姿』が深く宗教的なもの(神と同等性)と関わっていることがアランの文章から理解できると思います。これに関連した『芸術と宗教の関連性』については、後ほど考察したいと思います。
ところで、別の意見としてクラリクの文章を取り上げてみたいと思います:芸術は、五葉の芸術からなっている。つまり、味覚芸 ・嗅覚芸・触覚芸・聴覚芸・視覚芸である。(→『世界美・一般美学試論』から引用) 私は、それら五葉に自分流の諸芸を組に入れています。つまり、味覚芸としての料理、嗅覚芸としての御香、聴覚芸としての音楽、視覚芸としての絵画・演劇・建築・彫刻・詩や散文が対象であり、時間の許す限りそれらに触れるようにしています。
クラリクの指摘している諸覚芸の中で、触覚芸とは何か?クラリクは、触覚芸とは、ビロードのさわり心地であり、柔らかさ・しなやかさ・滑らかさの形容詞は、そこから生まれると説明しています。                                                            
 次に、ロシアの文豪であるトルストイを取り上げると「芸術とは何か」の中で次のような文章を残しています:芸術は、あくまでも人間一人一人の思索と救いのために存在するのである。芸術は人類の進歩の2つの機関のひとつだ。言葉によって人間は思想の上を交わるし、芸術の形によって人間は現在ばかりではなく過去や未来のすべての人間の心持の上で交わる。芸術は、言葉と同じように一つの交通の手段だから、進歩つまり人類が完成に向かう前進の手段だ。言語は、いま生きている人に前の人やいま一番進んでいる人が経験や思索で知ったすべてのことを知ることができるようにするが、芸術は今生きているこのごろの人にそれまでに人が味わった心持や今一番進んでいる人の味わっている心持を何から何まで味わえるようにする。芸術を通じて、人間と人類の精神生活になくてはならない、ありがたい作用に利益を受けられるようになる。                                  以上の中で特に私が含蓄のある箇所と思われるところで、私なりに解釈しますと「芸術」とはまさに「心持」であり、見る人・聞く人に「感動の波動」を喚起するそのもののように思われます。トルストイの意味するところは、人類の精神生活に必要不可欠なものであり、人間が科学技術の恩恵の下で生まれてきた物質面だけでは行き続けることができないことを示唆しています。また、彼は、「芸術は、ある時代ある社会で一番大切だと考えられた真理を知識の領域から感情のそれに移すものであり、宗教が芸術の方向を指し示す船の羅針盤(私の造語)のようなものである」と言及しています。まさに、すばらしい解釈論であります。但し、宗教が芸術の道を切り開くとはどういうことなのであろうか?確かに歴史上では、古代から中世までは宗教を通じて芸術の方向を示す「芸術作品」が数多く作られたことは認められます。建築の作品で言えば、現存はしていないが紀元前3100年に始めて文明の形態を整えたシュメール文明の作品に見ることができます。旧約聖書の「創世記」にあるバベルの塔の原型となったと伝えられているバビロンにあったジグラット(ZIGGURAT)がありました。現在のイランで発掘されたエラム王国チョガー・ザンビールにその雄姿を見ることができます。東南アジアの宗教建築の傑作といわれるカンボジアのアンコール朝の王が建築したとされるアンコール・ワット、中東のエジプトのピラミッド群、また中世の時期のものとしてのイギリスのダラム城とその大聖堂(ダラム城は、町を治めたダラム司教の居城)、同じ中世の建造物としてのフランスのモン・サン・ミッシェルの修道院、同じフランスにあるゴシック建築の大聖堂であるランスのノーとる・ダム寺院、1248年着工で1880年に完成したゴシック建築の傑作とされるケルン大聖堂、中世期のキリスト教徒の最大の巡礼地のひとつに数え上げられているスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラーの大聖堂等が列挙することができます。  ヨーロッパ中世期の絵画を見ても、すべてがキリスト教の影響を受けた素材で描かれています。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチのいろいろな作品(「岩窟の聖母」「三王礼拝」「最後の晩餐」)や中世の生活様式を概観することができる貴重な資料であると同時に芸術性が高く評価されている「ベリーの祈祷書」の数々を通じて理解できるのです。                                          ここで、せっかくレオナルド・ダ・ヴィンチが出てきましたので、少し興味のあることを述べますと、彼の有名な作品である「三王礼拝」に登場する2人づつ対になっている「二重人物像」について触れたいと思います。彼の描く構図は、すべてよく似た2人のワンセットの様相のもので、何故このようなものを考え出したかというと、田中英道氏によると(*講談社学術文庫「レオナルド・ダ・ヴィンチ」P101~P102より引用)、アリストファネスの怪人物のことを思い出すそうです。フィチーノの「饗宴(シンポジオン)」の注釈に「神秘的でプラトニスムの詩人」と呼ばれたクリストフォロ・ランディーノが考え出したそうです。プラトンの「饗宴」では、「人間は、もともと二人が重なった姿をして手足を四本持っていたが、彼らは傲慢になり神々に刃向かうことになり、ゼウスは、彼らの体を二つに割り、人間は、自分の体を追い求めることになる宿命を負ったということです。その求め合う二人の間にあるのが「愛」っだといわれています。」レオナルド手記によると、『愛されるものがその相手とちょうど合うとき、そこに喜びと満足がもたらされる。愛するものが愛されるものに結びついたとき、そこに安息が生まれる』。このことは、芸術家によって作られる作品が、描かれる対象と一体になってはじめて作品となることである。この結合が、まさに「あい」によって生まれる。                                           『愛』に関連して私の考えを補足させてもらいますと、愛の問題については、古今東西のいろいろな人々が述べていますので改めて私が取り上げることではないのでしょうが、若干述べさせていただきますと、愛の現象は不思議なもので人間同士に話を限定しますと、つまり人を愛することになると自分のことをすべて知ってほしい気持ちというか感情が湧き、また相手のすべてを知りたい欲望が目覚め、その双方の交流の気持ちの中で『肉体的にも、精神的にも一体』になりたい気持ちになるのです。先ほどのアリストファネスの怪人物の姿を想起せざる負えません。『饗宴』では、二つの愛の形があると述べています。一つは天上の愛であり、それは魂の和合であり、地上の愛は肉体の満足を求める愛であり、天上の愛は男性同士の間にだけに存在し、地上の愛は男性と女性の間にあるとプラトンは言っています。私は、天上の愛は『魂の結合』を求めるのみであるとプラトンは言っていますが、現在のホモセクシュアルの行動を見ますと、肉体的結びつきを求めることが強調されているのが趨勢のように見受けられます。このような観点に立てば、男性同士、男女同士の肉体の接触を持つ欲求が起こるのが納得できます。また、『饗宴』の中で怪人物は、本来3種類に分けられます。つまり、男と女そして男女です。二つに割られた人間が、相手である人を求めてもとの怪人物に戻ろうとすることは、人間の本性であるとプラトンは言及しています。ゼウスによりその怪人物の巨大な力を所有していたのでそれを二つに切ってしまったということです。それだから人間は、肉体の一体を求め続けているのでしょう。人間の宿命を感じるしだいです。人間は、精神の一体感の欲求より先に肉体の一体感がとかく先行して不均衡が生じ、ある一定期間が過ぎると肉体の一体感から遊離したい欲求が起こるのです。その点を考えると『愛があればなんでも克服できる』という信仰が崩れてしまうのです。確か愛については、肉体的なことよりも精神ことを重視して古今東西の人々が言っているのでしょうが、いずれにしても肉体的なアンニュイが精神の面での愛も消えうせてしまうのも事実であります。この点では、人間は、本来『片輪の孤独な生き物である』といわざる負えません。逆の解釈をすれば、ゼウスの逆鱗に触れた人間は、それが幸いして『愛』を知り、愛を追い求めることができたと思われます。また、人間は、他の動物と何も変わらないではないか、つまりもうひとつの片輪物を追いまわるだけの生き物であるといわれるかもしれない。私は、人間以外のほかの動物のほうかかるかに素直でまた醜くないといえます。なぜならば、他の動物は、子孫を絶えさせないよう一体感を求めるのであり、人間は、子孫を増やすという本能の部分だけでなく、『快楽のために』怪人物の分割される前に戻ろうとするのです。(←『西洋中世の男女』P176~P177から引用、阿部謹也著、筑摩書房)                         ところで、最近特に『愛』の脆さがあり、たとえば『離婚問題』が新聞の社会面を騒がせています。何がそのような風潮が起こるかといえば、いろいろの原因が考えられますが、広い観点から申し上げますと産業革命により科学技術の進歩が未曾有の速さで追求され、本来の人間性の内面性を置き去りにしてきた結果ではないかと考えられるのです。むしろ人間性の優位性を高らかに謳った『ルネサンス』以降から始まったのではないかとも考えるのです。人間が作り出したものは最高であり、人間の社会で気呪縛からの完全の解放・自由放任の風潮・個人主義の趨勢等が、その離婚を誘発したのではないかと思われます。また、キリスト教のプロテスタントの台頭との関連を無視するわけにはいかないのです。ここでそれ以上深く工作する余裕はないのでこの辺でやめますが、もうひとつ忘れてならないのは『都市の存在』があるのです。つまり、農耕生活の時代には、村単位のいろいろな掟や規律が明確に存在していたので、離婚というひとつの問題も個人で勝手に解約できるものではない、村の長老などが集まり協議して決められるものでした。その問題は、むらの将来のにとって考えねばならない重大なものだったのです。しかしながら、都市の誕生とともに職業の専門家が進む一方,ある意味で横の線の関係が希薄になり明確な規律等がなかったのです。いずれにしても『愛』は、双方の合意が基本線であるので、誰からも社会的な拘束がなく、またいつでも別れることに躊躇することなく容易であるのです。私は、このような風潮が続く限り、いつの日かいろいろな面で社会のひずみが生じると危惧するのです。ある意味では、社会的な規制というか、規律がどうしても必要であり、それは、ある意味で人間を拘束するものであるが、必要悪であると思うのです。何か容易に好きもの同士が結ばれ、また分かれることは、動物以下の行為であるといえる根拠はすでに別の箇所で申し上げたように、人間の性行為は、子孫繁栄のためにだけではなく、まさに『性的な快楽、エクスタシーのためのもの』であるということです。最終的には人類が無秩序な世界になる可能性があると予想されます。
ここで、私の専門領域である『西欧の中世の世界』から教訓として、学ぶべきものがあると思われますのでご紹介したいと思います。
ルネサンス以前の中世1000年のヨーロッパでは、当時の人々は、キリスト教の絶対優位(supremacy)下で、人々の生活全般について支配権を振るっていました。僻地への教化には、宣教師が派遣されました。まさにキリスト教の全盛期だったのです。中世期を理解するためには、キリスト教という宗教を抜きに語れないのです。   さて、『男女の結婚観』についてここで当時のことを概観するために、中世のヨーロッパのゲルマン人について考えてみたいと思います。なぜならば、当時は、ゲルマン人が実権を握っていた時代なのです。ゲルマン人を理解するための最適な資料としてローマの歴史家であるタキトゥスが記録した『ゲルマニア』を紐解きながら彼らの習慣・風習を見てゆきたいと思います。ラテン語の原文には次のように記述されています。もし、ラテン語が読める方は、原文をお読みください。

  Ergo saepta pudicitia agunt, nullis spectaculorum illecebris, nullis conviviorum irritationibus corruptae.  Litterarum secreta viri partier ac feminae ignorant. Paucissima in tam numerosa gente adulteria, quorum poena praesens et maritis permissa : abscisis crinibus nudatam coram propinquis expellit domo maritus ac per omnem vicum verbere agit. Publicatae enim pudicitiae nulla venia : non forma, non aetate, non opibus maritum invenerit. Nemo enim illic vitia ridet, nec corrumpere et corrumpi saeculum vocatur. Melius quidem adhuc eae civitates, in quibus tantum virgines nubunt et cum spe votoque uxoris semel transigitur ; sic unum accipiunt maritum, quomodo unum corpus unamque vitam, ne ulla cogitatio ultra, ne longior cupiditas, ne maritum tam quam matrimonium ament. Numerum liberorum finire aut quemquam ex agnatis necare flagitium habetur ; plusque ibi boni mores valent quam alibi bonae leges.

(要約)
女性は、よく貞潔を守って一生を過ごす。また、姦通があった場合は、その罪としてその夫に一任される。夫は、妻に髪を切り裸にし鞭を打って村上を引き回す。本当に穢れた貞操にはまったく情けがなく、もはや再び夫を見出すことができないであろう。また、処女のみが結婚し新婚の望みとその誓いは、ただ一度のことである。女性は、ひとつの体ひとつの生を受けているように、ただ一人の夫を守って、決して浮気をしない。女性の愛するのは、夫というよりもむしろ『結婚』そのもの(妻であり母であること)であるほどである。(←『ゲルマーニア』P.21~P.22,P.46~P.47から引用、タキツゥス,刀江書院)
ゲルマン世界では、結婚の形態は、3つあったそうです。(1)形式な結婚(Muntehe),いわゆる見合い結婚(2)和合結婚(Friedelehe),,いわゆる恋愛結婚、そして(3)略奪結婚です。
以上ゲルマン人の『結婚観』についてみて来ましたが、彼らにも見られたように『社会規範』により社会が統一され秩序立てられていたのがご理解できたと思います。


第2章
宗教と芸術との関連性について

この章で重要な命題である宗教と芸術との関連性を考えてみたいと思います。
集団の中で人間同士が生きてゆくには、衣食住だけでは足りず何かひとつに統合された崇拝できる何か宗教的なものを持たなければ存続できなかったのです。歴史の中で政治と宗教的な権化である一人の人間が絶対的な権力者として集団をまとめるために日常で存続したこともありました。(たとえば、古代エジプトのファラオ・紀元前3100年ごろのメソポタミア文明そしてインダス文明の権力者たちです。)またもう少し前の時代である狩猟採集の原始時代には、現代の存在する未開社会から推測すると、部族があり、また政治的な統率者である酋長と宗教世界を司る祈祷師とが明確に分離され、双方の役割分担が決まっていたであろうと思われます。そして豊年時の神への感謝の表現として『踊り』が定期的に開催されたことがあったろうと想像します。その踊りは、本来の意味では宗教的な表現であったが、(現在でも世界の一部の地域では、純粋な宗教的な踊りを見ることができます。たとえば韓国のムーダンや僧侶による梵舞、2世紀にエジプトで独自に発達しました東方教会の一つである単性論派のコプト正教会の踊り等があります。)客観的に見ると『自己表現の顕在化』であり、それはまさに一つの『芸術作品』といえるのではないかと思われます。そして宗教儀式には、必ずある儀式が執り行われます。その挙行の為に必ずといっていいであろう舞踊や音楽が付き物です。現存する諸宗教は、原始の外見部部の原型を変形して、ある種の形態に作り変えています。それは本質的には変わらない部分がありますが、その時代時代にあった外見上の変化を顕在化しなければ、その時代に住んでいる人々から取り残される恐れがあるからと推測します。いずれにしてもそれらの表出の顕在化がなければ、諸宗教は、多くの人々に影響をもたらしまた時間的空間的な広がりを持てなかったのです。また、宗教と芸術との優位性について言及しますと、宗教は芸術より上位ではなくその芸術の放出の最中にまさにその中に『宗教の崇高さ・神的なもの』を人々は肌で感じ取るのです。
音楽の世界を取り上げますと、西欧近代音楽の開祖といわれているヨーハン=セバスチャン=バッハの音楽は、まさに宗教音楽であり、音楽の転換のきっかけになったのあり、また音楽の一つの原点を確立したといえるのではないでしょうか。そして、私は、宗教と音楽との間にアイデンティティーを感じるのが、教会とパイプオルガンとの存在なのです。私が特に取り上げたかったのが宗教の一つであるキリスト教と音楽の関連性なのです。皆様がご存知のようにキリスト教が宗教として公認されたのがローマ時代のコンスタンティヌス大帝の時代の西暦313年であり、それまでは、彼らキリスト教の信者たちはローマ帝国からいろいろな迫害を受け、地下でひっそりと活動していたといわれています。その地下に礼拝堂を建設し、聖歌が作られたとされています。ある記録によれば、その聖歌が発達して後の『グレゴリオ聖歌』になったということです。その聖歌が最終的に『西欧音楽』の礎になったのです。
ここで、さらに芸術の一形態である音楽に争点を絞って話を進めようと思います。
音楽で一般に知られているのは音楽ジャンルであるクラシック・ジャズ・ポップス・ロック・ボサノバ等とは違い、また歴史上では目にすることがないマージナルな、つまり社会の辺境地に位置する、換言すれば一般の社会圏には存在しないもので、それは『ROMA音楽』といわれているものを取り上げます。私自身も少しはそれらの作品を演奏したことがありますすので、私の経験を交えながらお話をしようかと思います。きっと多くの読者の方は、『それは何ですか?』と質問すると想像しますので、少し『ROMA』から説明しますと一般に定住社会圏を持たない『放浪の民』といわれ、彼らは西暦1000年ごろにインドのラジャスタン地方から出発して北部アフリカ・ヨーロッパへ辿りついたといわれています。その後迫害・抑圧から地球上を転々と徘徊することを余儀なくされました。たとえば彼らの場所を転々と余儀なくされた歴史のあとを紹介します:
西暦800年~950年ごろ Domba と呼ばれた集団がインド北方ペルシャやアルメニアへの移住を開始
1407年 ドイツに存在した記録あり(但し、10年以内に追放された)
1418年 フランスに存在した記録あり
1422年 ローマに存在した記録あり
1425年 スペインに存在した記録あり
1492年 スペインは、反ローマ法可決。ローマ人を異教徒として異端審問へ委任
1498年 アメリカに移住の記録あり:クリストファー・コロンブスの第3回航海にローマ人が同行を通じて移住
1526年 イギリス人のヘンリー8世が、ローマ人をイギリスから追放
1538年 ポルトガルは、ローマ人をブラジルへ追放
*現在でも彼らへの偏見や迫害が続いている。事例として、コソボ問題、マケドニア問題があります。                                      以上のようなつらい歴史を経験しているが、彼らは、生活の中で踊り、また手相占いをしていました。ここで注目されることは、彼らは野原や森や川など、つまり大自然を愛し自分らを『自然の王』といっています。彼らは、また文字を持っていなかったのです。以上の理由から彼らについての記録された資料を入手することは大変難しいのです。現在では彼らの系統を引きスペインで生活しているGitano(ヒターノ)がいます。特に彼らは、音楽分野で才能を発揮して、個性的で独特でそしてどの音楽ジャンルにも属さない『フラメンコ音楽』を生み出し、多くの人々に路上やタブラオで披露し感動を与えています。私もフラメンコギターを多少勉強していた関係上、大いに興味があることなので若干その音楽について説明させていただきますと、ある資料によると、フラメンコは19世紀半ばに生まれたといわれています。この音楽は、フェニキア人・アラビア人・ユダヤ人の各芸能音楽とフュージョンされたものといわれています。フェニキアは、エジプトとバビロニアの狭間の地域にあり、紀元前15世紀に生まれ次第に周囲の影響のもとに都市国家の形態になり、海上貿易では北アフリカ・イベリア半島に進出し、最終的には地中海全域で活躍しました。また、アラビア人は、イベリア半島の進出の動きがあり、当時の半島に存在していた諸民族にいろいろな影響を与え、美術の面では、たとえば『グラナダのアルハンブラ宮殿』、アラブ人の居住地であった『アルバイシン』、町全体がイスラムのカリフ王国として10世紀から300年間栄えた『コルドバ』があります。また、歴史上複雑な諸宗教(イスラム教・キリスト教・ユダヤ教)が錯綜した痕跡が残る遺跡や建物が存在する古都トレドがあります。またその町は、エル・グレコが愛した町としても有名です。またユダヤ人は、商才がありヨーロッパでは大いにその分野で活躍しました。また、中世ヨーロッパでは、彼らユダヤ人は、一般の都市住民とは別にGHETTOへ強制的に隔離されました。そして、いろいろな面で制限され、たとえば『市民権』をしばらくの間取得することができませんでした。一面、ユダヤ人排斥運動を回避するために故意に隔離したと別の見方もできます。そして、彼らの宗教は、ユダヤ教であり、カトリック教会へ行くのではなく彼らの教会であるシナゴーグと呼ばれている聖堂へ行き、またその聖堂を司る人は、祭司ではなくRABBIと呼ばれる賢者でありました。しかしながら、既存のヨーロッパ世界に彼らの定住生活を通じて何世紀にも渡り『政治的・文化的(この章の関連の音楽も含みます)な面』で潜在的に大きな影響力を及ぼしたことを見逃すわけにいかないのです。
いずれにしても、このようなフージョン(融合)音楽を通じて『フラメンコ音楽』が生まれたのです。その音楽は、カンテ(歌)・バイレ(踊り)・トーケ(ギター)・サパテアード(足拍子)・パルマーダ(手拍子)・12拍のリズムによって構成されています。フラメンコのリズムパターンは、10種類以上あります。神秘的な雰囲気の『ソレア』、陽気な感じの『アレグリーアス』、その他ブレリア・タンゴス・ティエントス・不思議なリズムの『シギリージャス』、ファンダンゴス、マラゲーニァ、ベルディアレル、グラナイーナス、タラントス、タンゴ・デ・マラガ、ファルーカ、ガロティン、ぺテネーラス、セビジャーナ、グァヒーラス、ルンバスなどがあります。ここで注目しなければならないことは、フラメンコの世界では、「DUENDE」の存在を信じています。その存在は、霊であり妖怪であり、それらの力によって舞台が進行していると信じられています。ここで、私は、『宗教と芸術のラポー』を強く感じるのです。
話を戻すと、『流浪の民』は、宗教が存在したのかと疑問が起こりますが、キリスト教徒に言わせると、『宗教にかかわりのない民』であるといわれています。私はむしろある枠に囚われない教義(CREED)を持たないある種のアニミズム(自然崇拝)を信仰していたのではないかと想像いたします。ケルト民族やゲルマン民族との共通性をそこに感じるのです。ここで共通点を考察してみたいのですが、それは別の機会に譲るとして、とにかく先ほど述べましたように流浪の民は、森の精や河の精・太陽・月・その他この大宇宙を信仰していたように感じます。このような振興の民は、必然的に既成の宗教との葛藤が生じ、最終的にはその時代を支配していたある意味で地域的な宗教が優位に立ち彼らの信仰宗教(?)が下位になりいろいろな抑圧を蒙ることになってしまうのです。具体的には、ローマ帝国の時代にユスティニアヌス帝により公認された『キリスト教』は、現在でもそうですがヨーロッパ全域に精神的な及ぼしたのです。ここでこの流浪の民の迫害の歴史の一端を一瞥したいと思います。彼らの迫害の歴史に対して無知では、われわれ人類にとって恥ずかしいことであり、また本質的な歴史認識の健全な姿勢とは決して思われないのです。ある人が次のようなことを言うのが私の耳に聞こえるようです:そんなに歴史をまじめに考えることはないです。大体の歴史は、歴史学者がわずかな素材をもとに想像で作り上げた虚構の世界なのですから.または素材をなしにただ想像で作り上げた、いわゆる小説と同じフィクションの世界である。歴史を知りたがっている人に、無味乾燥な素材だけでは興味が湧かないので、皆様に喜ばれるように料理人として味付けをしておいしくするためにイメージで作り上げればよいのです。
私は、変な話ですがその意見にはある程度同意いたしますが、この迫害の歴史は、確かな事実でありそれを歴史の世界から隅のほうで押しやったのが不思議でならないのです。何か歴史家または、それに関係する人々の作為的な目的を感じるのです。いつの時代でも何がしかの作為的隠ぺい工作が大きな規模で行われていたことを痛感いたします。これ以上探索すると何か『恐ろしい人間の姿の全体像』が見えてきそうなのでやめにしますが。ただそれに関連して一つだけ言いたいことは、何かの力による故意的な・意図的に操作したのではないかと憂慮します。話が時空を越えて現在でも読者の皆様は、気づいていないのではないかと思われますが、たとえば日本では、テレビの映像放送でわれわれ国民の関心事を何かの力(政治的?)によって(A)から(B)へ向けさせる操作が暗黙のうちに操作されているように感じて仕方がないのです。偉大な法学者でありました末川博がそれと同じような指摘したのを思い出します。具体的な一例として(政治への関心)から(娯楽への関心)への転換です。それによって、国民の過激な革命的な関心を覚醒させなく政治の現状維持の安泰・治安の安定を狙っているように想像いたします。いわゆる、国民の脳を麻痺させているのです。
いづれにしても、先ほどの話題に戻りますが、率直に申しますとカトリック教会の意図的な策謀を見出すのです。キリスト教がなにゆえに『迫害の歴史』を作ったかは、中世の1400年代から数世紀にわたり続いた『異端審問』を紹介すれば十分でしょう。
少し露骨ですが当時の異端審問間の長官であったEymerich NicolasのManual de los inquisidores(異端審問官の手引き)に次のような記録があります 


El tormento no se un medio seguro de conocer la verdad. Hay hombres débiles que, al primer dolor, confiesan incluso los crimenes que no 
han cometido; en cambio hay otros, m
ás fuertes y obstinados, que soportan los mayores tormentos.


(私の翻訳)
拷問は、真実を知るための方法である。意志の弱い人は、最初の苦痛で自分が犯してもいなかった罪を自白します。それとは反対に意思の強健の人は、最後の拷問まで耐え忍びます。

La Inquisición practicaba tres tipos de torturas. La primera era el suplicio del agua: se ataba al prisionero a una escalera inclinada, con la cabeza más baja que los peis, se le mantenía la boca abierta, se le introducía un paño en la boca y se echaba agua que debía tragar; para ello se utilizaba un cántaro que contenía algo más de un litro de agua; durante una misma sesión, se podían administrar a un prisionero hasta ocho cántaros de agua.Otra forma de tortura consistia en colgar al acusado de una polea por medio de una cuerda ataba a las muñecas, y sujetarle pesos a los peis; se levantaba lentamente el cuerpo y luego se dejaba caer bruscamente. La tercera variedad de tortura era el caballete: el prisionero tenía las muñecas y los tobillos atados con cuerdas que se iban retorciendo progresivamente pro medio de una palanca. Según Henningsen, el noventa por 100 de los acusados que pasaron por la Inquisición española nunca sufrieron tortura.

(私の翻訳)

異端審問所は、3種類の拷問を行いました。最初のものは、水の拷問でありました。傾けた梯子に容疑者を縛りつけ体を逆さまにして口を開かせ布切れを突っ込む、そして水が注がれ飲み干さなければならなかった。容疑者に対して1リットル以上の水が入った壷が利用されました。時間内に8個の壷を容疑者へ利用することができました。ほかの拷問方法は、ロープで手首を縛り車輪に吊るし足で自分の体重を支えさせゆっくりと体を起こさせ、そして最後にパタッとたおさせました。最後の第三の方法は、拷問台の登場でした。容疑者は手首やくるぶしをロープで縛られ、レバーによって徐々にねじ上げられてゆくのでした。ヘニングセンによれば、異端審問所で行われた容疑者の100人当たり90人が拷問に決して耐えられなかったのです。

話を本題に戻しますと、キリスト教は、他の諸宗教と同様、規律に囚われた、換言すれば自分らの文章化された『聖典』に基づいた宗教であり、明確に『神』といわれる存在を尊ぶ宗教でもあり,その種の宗教にとっては、文字を持たない・自然界を畏敬する民族の信仰は、宗教とみなされないのです。その点に既成の宗教の排他性・偏狭性を痛感するのです。とにかく、彼ら流浪の民のユーラシアでの登場は、いつごろかといえば15世紀の初めといわれています。では、何故15世紀の初めに彼らが出現したかは、その時期は、まさに中世の終焉の時期であり、都市の発展、貨幣経済の活発化、商業の発展の地域的広がり、利潤の追求などが見られ、物的なもののみならず人的な交流も活発化したのです。そのような状況の下で、彼らはヨーロッパ地域へ移動したのです。但し、残念ながら彼らヨーロッパ人の不寛容な態度によって、彼らはGADSCHO(軽蔑なニュアンスをこめたヨーロッパ人への呼び方)の社会では、乞食や最下層民として位置づけられ、まさにユダヤ人と同じ扱いを甘受したのでした。むしろ、ユダヤ人以下の地位に位置づけられたのではないかと想像いたします。なぜならば人間の習性として既成のグループの縄張りに新参者が同居することは、先住の定住者社会では、彼らは『下』に見られる傾向があるのです。
いずれにしても、歴史上では彼らは、存在しない悲しいグループであり、そのような意味ではユダヤ民族のほうが、変な言い方になりますが、歴史上に銘記され、みなに知られたことの観点からは幸せであったと思われます。皆様もよくご存知の最近の事例として、ナチスによるユダヤ人迫害は、よく知られていますが、その影には常に彼らの存在があり、ひっそりと生きていたことを忘れないでほしいのです。
ここに貴重な資料がありますのでご紹介します。
ある統計資料によれば、第二次世界大戦前は、全ヨーロッパの「流浪の民」の人口は、およそ100万~150万人と推定されていますがナチによる迫害の期間の13年間に40万人が殺傷され、しかもそのほとんどが非戦闘員であったということです。しかしながら、繰り返し申しますが彼らの存在は、歴史のページに載ることがなかったのです。しかし、歴史上では、彼らに対する宥和政策も見出すこともできます。つまり、彼らに対する差別をなくす政策が、オーストリアのハプスブルク家の女帝と謳われたマリア・テレジアの『定住・改宗命令』によって実施された事実も忘れてはならないことです。しかし、その政策は、結局は失敗に終わりました。

彼らの抑圧された迫害の歴史の中から生まれたカンテ(歌)を紹介します。

”フラメンコ音楽のカルセラーレ(牢獄の歌)”
ねござの上に腰を下ろし、頭起こし唖然と、
思い出すのは我が母、我が子、今も元気でいるだろうか?

このわずかな歌の中に絶望感と計り知れない空虚感を私は感じないわけにはゆかないのです。

彼らは、人間界を超越した存在であり、大自然の中に生きていたのであり、そして宇宙と呼吸していたのです。我々は、彼らの生き方に大いに学ぶものあるのです。つまり、自然の中心として我々人間界が存在しているとは、あまりに傲慢な姿勢であり、また大変な錯覚であります。このような傲慢な考えによって、近い将来必ずや『大自然の制裁』が起こることを危惧いたします。ところで、現在彼らの多くは、手仕事によって生活をしています。ここで注目することは、地球を移動する彼らにとっての一番好まれる仕事は、四六時中拘束されない季節労動といわれています。彼らの気質というか本質のところというか『自然界に漂流する民』と感じて仕方がないのです。何か彼らを形容するとすれば、大自然と同じに過去を振り返らずに、また未来を心配せずに、つまり現在に自然の流れに身を任せて漂っている存在である。そのような私勝手な解釈の上に立つと、フラメンコ音楽のリズムの一つである『アレグリーアス』の明るく現在肯定的な、また刹那的な享楽を表現した形式が生まれたのが納得できるのです。前述しました「DUENDE」の存在も何か自然界の霊的なものを指しているように思われるのです。つまり、「神的な存在」なものではないかと想像するのです。いままでは、「流浪の民」と言い続けて固有名詞を使用することを意図的に避けていたのは、それなりに根拠があるのです。人間は、愚かにも固有名詞に対してよく先入観を持ち、また偏見の性癖があるように思われます。私は、彼らのうちなるもの、つまり自然に対する信仰心・自然崇拝・また自由奔放な彼らの生活様式などを直視してほしかったからなのです。彼らは、皆様がよくご存知の「ジプシー」と呼ばれている人々です。フランスのパリに行ったことのある観光客の人々は、『ああ、現地のガイドさんから注意するように言われたあの連中か!あの泥棒とか乞食とか言われている連中か!』と言うことでしょう。確かに彼らの中には、盗みや物乞いをする人もいますが、それを見て彼らの全体像であるの言うのは、あまりにも偏狭的な見方であると思われます。彼らの多くは、何がしかの仕事はしながら生活をしているのです。先ほど言及した季節労働者として従事しているのです。以上の記述から皆様が彼らに対する考えや歴史を少しでも理解して多少なりとも彼らの見方が少し変わったならば、私にとってこれ以上の喜びはありません。

『苦悩・迫害の中から芸術は生まれる』

私は、流浪の民の歩んできた軌跡を考えると、芸術との関連性を認識せずには語れないのです。迫害の観点から、別の例を挙げると『黒人の歴史の軌跡』にも類似性を見出すのです。皆様のご存知のように黒人音楽のジャンルとしてゴスペル・ブルース・ジャズ・ソウル・ファンク・ラップ・ヒップホップ等があります。ところで、彼らの歴史の一端を見ますと、アフリカとアメリカとの奴隷取引きは、植民地における農業の労働需要の拡大に伴って増えたといわれています。1600年代には毎年約5000人のアフリカ人である黒人たちが奴隷とされたか、1700年代には年間30,000人に達し、また1800年代には年間75,000人という記録がありました(「緑の世界史」P.320から引用、クライブ=ポンティング著、朝日選書)。この中で奴隷としてき北アメリカへ連れて来られ強制労働を余儀なくされたのです。このような強制・抑圧・迫害の下に黒人の叫びとして黒人音楽が生まれたのです。その叫びには、アフリカへの郷愁・寂寞・嘆き・深い悲しみが音楽に織り込まれ、『ブラックミュージック』が誕生したのです。
これに関連して取り上げたいのが、私が尊敬する天才音楽家「ルードヴィヒ・ヴァン・ベートヴェン」です。彼の人生、特に幼年期に注目してみたいと思います。ベートーヴェンの一家は極貧のどん底にありました。彼の父は。酒に溺れ、家財を売り飛ばして病弱な妻を抱え、彼自身は家族全員を経済的に支えなければないませんでした。そのような境遇の中では彼が肉体的にはもちろん精神的にも健全に成長したとは考えるのが難しいと想像いたします。父親(ケルン選定候宮廷礼拝堂のテノール歌手ヨハン・ヴァン・ベートーベン)は、自分の子供の第二子であるベートーヴェンの音楽的才能を早い時期に見抜き、彼に全面的に期待を持ち、つまり彼を磨き上げれば、この極貧から抜け出せること、自分の好きな酒を浴びるほど飲めると思い描き、ベートーヴェンに厳しすぎるほどの音楽の勉強をさせたのです。彼は、ピアノの鍵盤の上で眠ることもたびたびあったといわれています。また、彼は、よく音楽の稽古を怠けると父親の大きな手が彼の顔に向けられたのでした。私は、そのたびたびの顔の殴られ方が彼の耳のところも含めて殴られたのではないかと思われます。それが原因で30歳のころからの耳の不調の原因があったのではないかと推測するのです。彼から見れば、父はふしだらな・どうしようもない・無責任で精神的に不安定な、つまり、不道徳・不純・悪魔等の化身そのものでなかったのではいかと思われます。また、彼によって一家の大黒柱の全責任としての自覚が20歳前後の彼の両肩にのしかかったのが、彼にとって大きな重荷であったことでしょう。
以上のような状況の中で、彼は、普通の人として人生を満喫して、楽しい幼年期、青年期を過ごすことがなかったのです。ある意味では、自分の不運を呪い、蔑み、自分を抹殺することも考えたことでしょう。しかしながら、他方では、彼の性格からして現実に目をやると自分勝手な考えや行動をとることがいかに難しいかの心の葛藤をしたことでしょう。結局は、まさに諦観の心境に突き進み、自分のすべての内的な考え、衝動を音楽へ傾倒して行ったのではないか,だからこそ強烈なエネルギーが彼の音楽作品に投影されたのではないかと想像するのです。また、彼の聴覚のシャットアウトのことも彼の作品に大きな影響を与えのです。つまり、彼は、人生を苦悩と受け止めるところに彼の人生観の根本を見出せるのです。

「アニミズムの考察」
ここで、流浪の民である「ROMA」の信仰との関連で大自然を畏敬し崇めるアニミズム信仰心のある民族、つまりゲルマンの民・ケルトの民・東南アジアの民・そして日本の民にも見出せるのです。それらの民の信仰心を探ってみることは大変価値があると思いますので、この章で取り上げたいと思います。まず、ゲルマン人は、典型的な『自然崇拝の民』であり、たとえば、北欧のゲルマンのオーディンは、主神で戦争・死・知恵・詩・魔術の神(但し、南のゲルマンのウォーダンは、主神であり、風の神である)であり、トールは、力の神で雷・農民の神(南のゲルマンではドナール)、フレイは豊穣の神、バルドルは光の神、マーニは月の神、ソールは太陽の神などであり、地・水・日・風の四大元素に対し人間に害を与えないように祈ります(「エッダとサガ」P.25~P27から引用、谷口幸男書、新潮選書)。

そして、収穫が無事に済んだときには、大地の霊、大地母神・主神、風の神に供えをして唱えごとをします。彼らの歌をお聞きください。

    さあ、風よ、これはお前の子供のための麦粉だ
    吹き荒れるのをやめよ
    雄風よ、雌風よ、ここにお前の食物を置く
    お前たちは、わしの言うことを聞いてくれ

*『ヨーロッパの祭りと伝承』P.22~P.23から引用、植田重雄著、講談社学術文庫

また、忘れてならないのは、森の精霊、樹木の精霊、水の精霊の信仰が存在したことです。

次に、ケルトの民を取り上げますと、彼らは、古代ヨーロッパで活躍した印欧語族の一派です。彼らは、紀元前3000年ごろ北方文化圏を形成し紀元前2000年ごろから移動をし始め、次第に全ヨーロッパへ浸透してゆきました。ただし、前1世紀ごろローマ帝国によって敗れてしまったのです。彼らの社会の基盤は、農耕や牧畜が主であり、自然の中に神々がいるという信仰の中で生活をしていました。例えば、全能の神(豊穣)、太陽の化身ルフ(技芸)、マトロナ(地母神)、ケルヌンノス(森)、マナーナーン(海)を信仰し、また輪廻信仰を持っていました。その点は、仏教との類似点を感じるのですが、根本的な相違点は、死とは怖いものではなく、またこの世に生まれ戻るという考えで、他方仏教では、この世は娑婆と呼ばれ苦難の世界であり、その輪廻のサイクルから解脱をしない限りその苦難の道が永遠に続くという現世悲観論を展開しています。結論として、Celts(ケルト)は、現世肯定型であり、仏教は現世否定型であると思われます。この相違の根源的な由来は、ケルトは、自然のリズムからの啓発であり、他方では仏教は現世の自然への関心が希薄、解脱を通じて涅槃の境地、つまりご来迎の世界への追求型の宗教観が存在しているように思われます。また、キリスト教では、直線型の宗教観であり、ある意味では「人間中心思想」であり、人間以外は人間界の下位におきます。しかしながら、ケルトの民は、キリスト教に征服され同化の道を余儀なくされましたが、彼ら本来の精神的な自然崇拝観を失うことはなかったのです。

彼らの詩篇にそれが窺えます:

A hedge of trees surrounds me.(木々の茂みが私を包む)
A blackbird's lay sings to m
e.(真っ黒な小鳥たちが、歌を私の耳元で唱        和します)
Above my lined booklet.(私が行を追って読んでいる書物のずっと上のほうで)
The trilling birds chant to me.(旋回している小鳥たちが、私に詠唱します)

In a grey mantle from the top of bushes.(茂みの頂から灰色のマントを羽織)
The cuckoo sings.(カッコウが詠唱します)
Verily-may the lord shield me.(まことに願わくば、主が私の盾になってくださることを)
Well do I write under the greewood.(緑林の下でその願いの句が銘記出来ますように)
*日本語訳は、私の試訳です。
*The poems above are quoted from 「The Celts」(by Nora Chadwick published Pelican Original,P219) 
以上ゲルマンとケルトのものを見てきましたが、現在でも一神教のキリスト教の影響が色濃く残っているヨーロッパの国々のお祭り行事に溶け込んでゲルマンやケルトの文化が息づいています。
次に東南アジアの民の宗教観を見たいと思います。
根本宗教は、彼らにとってはアニミズム信仰であります。本来アニミズムは、人間の霊魂が人間から独立していろいろなところへ浮遊するものであり、また人間以外の動植物やその他の自然物からの霊魂が精霊といわれています。この両方のものを含めた霊的存在への信仰が「アニミズム」と定義されています。例えば、タイ族やラオ族の「ピー」、クメール族の「カモーイ」、ビルマ族やカチン族(ビルマ北部山地の種族)の「ナット」、マレー族の「ハントゥー」などと呼ばれる生霊・悪霊・死霊・祖霊・魔女・妖怪などの総称であります。←『東南アジアの理論と心性』P.48~P.49から引用。以上は、東南アジアものですが、インド・スリランカには、アニミズムの一形態である『樹木崇拝』があるそうです。日本ででも霊的存在が動植物・無生物に宿っている信仰があります。例えば、動物では狐が「お狐さん」として稲荷神社で神として祭られ、また無生物である『石』が祭られている神社もあります。また、大きな木は、神が宿っていると信じられて『神木』として崇拝されています。また、私の個人的に興味のある神社があります。その神社は、以前訪れたところであり、その神社の名前は「県(あがた)神社」と呼ばれています。その本堂には、なんと「人間の男性のシンボル」が祭られていました。子孫繁栄の神社なのです。
総括として、以下に世界的な宗教の世界観について一瞥しますと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、神道等を概観しますと、「神・人間・大自然」の構成が、石田英一郎の『文化人類学ノート』によりますと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は唯一絶対神を信仰し、男性であり父である神が存在し、ヒンズー教は、大地の母子であり、女性の神格として顕在します。日本の民族宗教も後者であるヒンズー教の範疇に入るといわれています。岸本英夫の「世界の宗教」によれば、世界観の三類型を構築しているといわれています。つまり(1)宇宙の中に神と人間が共存(日本の民族宗教の場合)(2)神が人間を含めた宇宙の外在の存在(キリスト教、イスラム教の場合)(3)宇宙の中に人間のみが存在して、神の存在否定(仏教の場合)です。R=レッドフィールドによると、人間と人間に対面する存在としてのALTERなもの、つまり自然と神が存在するものとして区別しています。(1)神が上位で自然や人間が下位に位置して横並び(2)人間が上位で自然・神が下位で横並び(3)自然が上位で神・人間が下位に位置し横並び。つまり、(1)については、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの諸宗教がそれに該当し(2)については、としか・産業化の環境の中で『個人の覚醒』、自己表現の発露による『人間中の世界観』の誕生(3)については、ケルト人やゲルマン人の宗教観、アジアの民族宗教つまり「アニミズム」がそれに該当するということです。
ここで、先ほどの引用した「自己表現の顕在化」の言葉に関して、私の考え方を若干補足しますと、絵画にしろ音楽にしろ演劇にしろ、すべては自分から発した「自己表現の顕在化」であり『自己の感情の表出』であります。その限りでは、芸術イコール人為的なものという狭い範疇に陥ってしまい本来の芸術の無限性を否定してしまうのです。そのような偏った理解は、本当の芸術を無視し、まさに残念ということしか形容するしかありません。

私は、大きな声で言いたいのです。
雲海の曙の神々しさ,大海の白波の勇敢さ、山々の林間に差し込む光の幻影、山々の頂を照らし出す雲の間からの一筋の光の透徹さ、山間の小鳥たちの優しいさえずり、太陽が地平線の彼方へ沈んでゆくときの寂寞感、夕と夜の間の大空の星々の宝石のような輝き
自然の作り上げた「美」に目を向けてください。きっと「芸術の究極美」を我々人間に教えてくれることでしょう。

(自作のつぶやき)
夜の展開の幕に吊るされている煌めく星を見上げてください
あなたの心が悲しいとき、きっと温かい手のひらであなたを包んでくれることでしょう
あなたの心が寂しいとき、きっとあなたのそばに来て優しい言葉をかけてくれることでしょう
あなたの心が辛いとき、きっと優しき言葉であなたを慰めてくれることでしょう
そして、あなたの心が楽しいとき、きっとあなたと一緒に飛び回ってくれることでしょう


日本風景画の巨匠である東山魁夷の次の言葉にすべてが語られています。

『私は生かされている。野の草と同じである。路傍の小石とも同じである。自然は、心の鏡。』

話が『芸術の無限性』へ話が行ってしまいましたので、この辺で本来の主題であります『宗教と芸術』に話を戻しますと、ポエムの世界では、偉大な詩人でありますリルケの詩集は、宗教的な要素がかなり踏襲されていますが、同時に芸術作品としての価値も多くの人々に認められています。
この辺でリルケの詩集の一片をご紹介したいと思います。

Da neigt sich die Stunde

Da neigt sich die Stunde und ruhrt mich an mit neigt sich die Stunde und ruhrt mich an mit klarem,
Metallenem Schlag:mir
Zittern die sinne. Ich Fuhle:ich kann---
Und ich fasse den plastischen tag
(訳)
時は、終わろうとしている
時は、終わろうとしている、それは私に優しく触れる、澄んだ響きのよい音と共鳴しながら:その雰囲気の感覚に私の心は小刻みに震える。私はできるーーーそして、私は、形が縦横無尽になる朝を迎える

Nichts war noch vollendet, eh ich es
Erschaut, ein jades warden stand still.
Meine blicke sind reif, und wie eine
Braut kommt jedem das ding, das er will.
(訳)
何も仕上げられていませんでした、私が心の目で見るまでは、それぞれの形になるものが静寂の中に佇んでいました。私の洞察力は、完璧であります、そして新婦のように、彼が望むようなものが各人に来ます。

Nichts ist mir zu klein und ich lieb es
Trotzdem und mal es auf Goldgrund und gross, und halte es hoch, und ich weiss
Nicht wenn lost es die Seele los---
(訳)
私にとって小さすぎるものは何もない、そしてそれにもかかわらずそれらを愛しています、いつか金の地面にそれらがあり、そして大きくなり、それら
が高く伸び、そして誰によってその心が剥ぎ取られるのかを私は知らない。
(リルケの詩集より)*翻訳は、私の試訳です。
注釈として上記のドイツ語文の中のいくつかの単語には、ウムラウトが必要な単語ですが、故意的に付加していません。なぜならば、このブログには英語以外の外国語に対応していません。ご了承ください。)

ここでは、難解な哲学的セオリーを述べようとは毛頭ありません。唯私が指摘したいのは、『芸術とは、宇宙を超越した何かの存在と同一的なもの』と一致するように理解できる領域ではなく、感覚として感じるのです。もともとそれを理解することは不可能であり、また不合理であります。芸術とは頭で理解するのではなくcordis(心)とmentis(精神)によって受け取るべきであり、心が感じれば必ず精神が覚醒して人間の肉体へ連鎖しカラダ全体で感じ取ることができるのです。そして、人間の外輪である大気と協和するのです。『何かの存在』とは、神的な存在であるかもしれません。

ここで少し文脈からは、逸脱してしまうのですが、気になる文章を発見したのでここで原文を紹介したいと思います。なにか『芸術の核心』をついているように思われますのでどうしても掲載したいのです。

An artist must be a master or nothing...In learning,on the other hand, a man can only be a master in one particular field, namely as a specialist,and in some field he should be a specialist. But if he is not to forfeit his capacity for taking general views or even his respect for general views, he should be an amateur at as many points as possible...Otherwise he will remain ignorant in any field outside his own speciality and perhaps, as a man, a barbarian. (Quotation from" The letters of Jacob Burckhardt")

上記の文章は、英文でありますのであえて訳しませんが、私がこの文章から感じたことは、芸術家は、支配者であり、また何者でもなく大気のような存在である、専門家になってはいけないと偉大なブルックハルトは重要な指摘をしています。私は、まったく同感です。芸術家は、本来地位や名誉、金銭求めるのではなく、もっと崇高な存在であるべきなのです。現実世界では、彼らは一般の人より貧しく、目立たない存在であるのが「本来の姿」だと思われてならないのです。以前別なところで述べましたようにそのような環境の中から本物の芸術が誕生する公式が存在すると確信するのです。あまりこのテーマにどどまる時間がありませんので本題に戻りたいと思います。

その存在を想像して生成したのは『神のなせる技』を感じるのです。結論的にいいますと、芸術は、すなわち神の存在そのものなのです。一番身近な理解として、現在ではキリスト教・仏教・イスラム教・ヒンズー教その他いろいろの宗教が存在しますが、私が表現したいのは、損らの諸宗教を超越した『宇宙の究極的存在』なのです。人間は、その存在に接近するために人間のEmotionが,諸宗教のいろいろな効果音を利用するのです。人間は、それらによってまさに恍惚状態に導かれるのです。具体的には、仏教の場合、宗派によって多少の相違がありますが、一般的に般若心経や法華経などの読経があり、それを唱えるとき太鼓やその他の音を打ち鳴らし、それらの共鳴があり、神道では、祝詞のときに太鼓や鈴の音のハーモニーがあります。キリスト教の2太宗派(カトリックとプロテスタント)のなかでカトリックは、教会の基本文章である『三要文(信条・主の祈り・十戒)』を唱え、オルガンに合わせてコーラス隊が『神を讃える歌』を合唱します。イスラム教では、モスクから町中に響き渡る『アザーン』の声の神秘的な雰囲気があります。実際、私がトルコやエジプトを訪れたとき、その幻想的な響きによってムスリムの世界と自分との不思議な一体感を感じました。また、それら自分たちの宗教の神への存在を肌で感じる効果として、その『空間効果』も大きく寄与しているのです。事例として、仏教では、『仏』の存在感を感じる境内の山門・参道・仏舎利等・本堂・奥の院等の空間は位置、キリスト教の教会の内部の暗闇・ステンドグラス・キャンドルの光・中心に位置する(
続く)

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